マジックと愛車遍歴

マジックと愛車遍歴 9 (最終回)

いよいよ最終回になりました…

「鳥の話」では、自身の代名詞ともなったバードアクトを完成させるまでの苦悩
と隆盛、そして鳥達と過ごした歴史を振り返りながら書き下ろしました。
また「チップ論」では、クロースアップマジシャンとして、銀座での17年の経験
をもとに、高級クラブを舞台に繰り出される「チップ」とは何かという本質に
迫りました。

そして今回は、37年間に連れ添った7台の愛車達とマジックの関係について
回顧してみました。
この新たな切り口でマジック人生を振り返ることによって、マジックが車選び
の中心になったり、逆に、選んだ車によってマジックの内容が影響を受けた
りと、その変遷には深い相関関係があったことに気づかされて、良き備忘録
にもなりました。

とりとめもなく書き留めた駄文にお付合い下さり、有り難うございました。

私はカーマニアでもコレクターでもなく、自宅の駐車場も1台分のスペース
しかないために、車を同時に複数台所有したことはなく、常に1台買えば、
1台手放すという乗り換えを繰り返して、その車種も、まるで違うタイプで
あったせいか、それぞれに強烈な思い出が深く刻まれていました。
特定の音楽を聴くと、その頃の情景を思い出す…そんな感じです。

ここは、コレクターを自認する腕時計とは大きく異なるところですね。
過去には数本の腕時計を後輩に譲渡したことはありますが、今でも多くは
所有したままです。
確かに、やっと入手した思い出深い時計もあれば、衝動的に1年に2〜3本
買うこともあったりで、車ほどのエモーショナルな情景は浮かびません。
また、腕時計ブランドのパーティーで、マジシャンとしてのオファーが
あるというのは、ある意味では仕事との相関関係が存在するとは言えます
が、私個人の目的の大部分は、ファッションとしての所有欲なのであって、
車のようにダイレクトに仕事に結びつくものではないという認識です。

時々、「短期間で色んな車を取っ替え引っ替えしながら、贅沢をしてきた
のでは?」と言われることがあります。
確かに1年で手放したアウディがありましたが、10年も乗ったベンツも
あるわけで、37年で7台(水没したクライスラーを入れると8台)というのは
平均で5〜6年は乗っていることになります。
そのほとんどは道楽ではなく、不具合が発生するまで仕事で使い倒したし、
不可抗力によって手放さざる得なかったりしたわけで、決して贅沢をして
きたわけではありません。

しかしながら、マジシャンという職業を舐められたくないという思いが
強いだけに、世間から見たマジシャンのイメージというかステータスを、
少しでもアップさせたいという願望もあって、マジシャンとしての見栄を
張ることも含めて、多少の背伸びをしてきた部分はありましたね。

さて前回書いたように、夏の終わり頃には、愛車キャデラックATSクーペ
とお別れすることになります。
その理由は二つあります。

一つは、腰の調子が良くないので、現在の車高の低さでは乗り降りが辛く
なったこと。
特に2ドアクーペなので、コインパーキングで、隣の車に当たらないように
気を遣いながら、長くて厚くて重たいドアを開閉するのも大変だし、目線
が低くて視界が狭い状態での運転も辛くなってきたので、乗り降りが楽で
視界も広いSUVに乗り換えることにしたのです。

そしてもう一つ…実はこれが本当の理由なのですが、昨年から自身が幾つ
もの疾患に罹患して手術や病院通いが続いた上に、コロナ禍の憂鬱な空気
に覆われてストレスは溜まるし、大学時代の同級生や同世代のマジシャン
の訃報も届くようになったことで、自身の年齢を考えてみると、今のうちに
好きな車にでも乗って楽しんでおかないと、人生は何が起こるかわからな
い…と、強く意識し始めたことです。(正直、マジックに関してはやりきった
感があるので、後悔はないし満足はしています)

そこで欲望のリミッターを外して、完全な道楽で選んだのが、メーカー初
のSUVであるアストンマーティンDBX。
プレミアムSUVのフィールドでは、最大のライバルであるランボルギーニ
ウルス、ベントレー ベンテイガ、ポルシェ カイエンターボと比較して、
最も美しいと感じたし、ボディーカラーから内装までコンフィギレーター
を駆使して希望通りにカスタマイズできるのはもちろん、試乗した際に痺
れた、AMG製4リッターV8ツインターボエンジンの咆哮、極上の乗り心地
のエアサスペンションと視界の広さ、そして決定打となったのは、男なら
一度は憧れた、あのボンドカーのアストンを操舵しているという圧倒的な
高揚感で、迷う余地はありませんでした。

まさにキャッチコピー通り…「美しさには容赦がない」
お財布にも容赦はありませんが…。

・ アストンマーティンDBX (2021〜)


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マジックと愛車遍歴 8 (後編)

現在の愛車キャデラックATSクーペ…納車の前に、ネットでエクステリアを
確認した時、顔がちょっと控えめで迫力不足だなあと感じていたので、アメ
リカからメッシュグリルを輸入して装着すると、クライスラーとまではいき
ませんが、適度なワル顔に変身しました。
そしてこのネイビーの特別色は、想像以上に美しいものでした。

走りの方はというと、サイズ感の取り回しも良くてキビキビ走るのですが、
前車クライスラーの5.7リッターHEMIエンジンがモンスターでしたから、それ
に比べると、物足りなさは否めませんね。
排気量が半減したことによって、自動車税も半額になったことは有り難いの
ですが、左ハンドルなので、駐車券の出し入れやドライブスルーの受け取り
の際は不便です。

昔からなのですが、ゼネラルモーターズは何故かキャデラックの右ハンドル
モデルを作らないんですよねえ。
それが理由で諦める日本人が多いことはメーカーサイドも理解してないはず
がないのに、日本市場で本気で売る気があるのか甚だ疑問です。
ベンツやBMWと互角に競える格とクオリティーを備えているし、アメリカの
大統領専用車としてお馴染みですから、右ハンドルをリリースすれば売れ
るはずなんですけどねえ。
現に、コルベットが今年初めて右ハンドルをリリースすると発表した途端、
多くの予約が入っているようですから。

また2ドアクーペの宿命ですが、ドアが長くて分厚いので、駐車場で隣の車
との距離に余裕がないと、乗り降りしにくいのは大きな欠点です。
私はまだ経験はありませんが、駐車場に戻った時に両隣の車が寄せて停め
ていると、乗ることができずに帰れなくなるのです。
ドアが跳ね上がるガルウイングのタイプだと、完全にアウトでしょうね。
知り合いのディーラーの話では、マクラーレンの持ち主がこの状況に遭遇
して、隣の車が移動するまで一時間半も待っていたことがあったとか…。

さて、5年目を迎えた愛車ですが、次の車検を通さずに、お別れすることに
なります。
この車は、マジックの仕事で使ったことは一度もありません。
せいぜい鳥の餌の買出しや、打ち合わせの現場に乗っていく程度でしたね。
私にとっての車というのは、これまではずっとマジックという仕事に直結
していたので、それを度外視して道楽のみで乗ったのは、この車が初めて
だったわけですが、車道楽に出費することの罪悪感を少しだけでも払拭し
てくれた意味では、この車には本当に感謝しています。

この車をマジックの仕事で使ったことはないと書きましたが、実は予言の
マジックに使えるように、ある仕込みをしていました…客が任意に決めた
3桁の数字を引いたり足したりして、最終的にはある4桁の数字を導き出す
という知る人ぞ知る数理トリックがあるのですが、愛車のナンバープレート
をその4桁の数字にしたのです。
この4桁の数字を導き出した後に、スマホで愛車の写真を見せて、ナンバー
プレートを拡大すると…それはそれはウケますね。
納車の日にヤナセのショールームで演じた時は、目の前に予言された現車
があることで、スタッフの皆さんが驚愕したのは言うまでもありません。

このトリックを知ったのは、2005年にイギリスのマジックコンベンション
に参加した際にディーラーブースで見つけた、ある「ペン」でした。
見た目は「Sharpie」そっくりのペンの側面に、ある予言のロゴマークと4桁の
製造番号が刻印されたもので、客にペンを渡して、そのロゴマークや4桁の
数字を、あたかも客自身が自由に選択したかのように誘導していくという、
優れたメンタルマジックです。
この数理トリックの原理は昔からあったものですが、賞賛すべきは、この
数字をペンに刻印することで、最初に具現化(これこそがオリジナル)した人
にこそあると思います。
このペンを10本程度購入して、帰国後に数人の後輩マジシャン達にお土産
として配りました。
その数年後、幾つかのバリエーション違いのペンが国内でも出回りました。

さて、次は初めての大型のSUV(Sport Utility Vehicle)に乗る予定なので、
キャデラックATSクーペよりは断然荷物は積めるでしょうが、おそらくは
マジックの仕事で使うことはないでしょう。
(ナンバープレートだけは、この4桁の数字を踏襲する予定です)

現在の世界の自動車市場で活況を呈しているSUV…その中でもベントレー、
ロールスロイス、ランボルギーニ、アストンマーティン、ランドローバー、
ポルシェ、マセラティなどのハイエンドメーカーが市場に投入した超ド級の
プレミアムSUVが売れています。
コロナ禍によって、海外旅行に行けなくなった世界中の富裕層が、絵画や
宝飾品や高級車などの爆買いに走り、これらのハイエンドメーカーの売り
上げは概ね前年比2倍以上で、販売車種の半分以上がSUVなのです。
ポルシェに至っては、販売車種の7割以上をSUVのカイエンとマカンが占め
ているのが現実ですから、フラッグシップであるポルシェ911が最も売れて
いた時代を思うと、隔世の感があります。

これらは常識的に考えると「無用の長物」ではあるものの、「それでも欲しい!」
と思わせるからこそ、とんでもない価格なのに売れ行きが絶好調なのです。
究極の実用品として、その巨大な体躯とタイヤで悪路や砂漠や沼地といった
オフロードを走破するSUVが、舗装された日本の街中を走り回る現状を鑑み
れば、それは「無駄」であって、決して「合理的判断」とは言えないでしょう。

しかし古来の日本、いわゆる「いとをかし」な時代では、無駄なことが好まれる
傾向があったと認識していますが、現代でも「無駄を楽しむ」ことは心に余裕
を持たせる意味で大切なことだと、私は思います。

「無駄」は無駄ではないはずです。

次回、9(最終回)へ続く…








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マジックと愛車遍歴 8 (前編)

・ キャデラック ATS クーペ (2016〜2021)

ベンツのコモデティ化と種類の多さによるヒエラルキー(200万円台〜数千万)
に嫌気がさした結果、車選びは振り出しに戻りました…。

車選びの際に、最初から手放す時のリセール価格を考えて、無難な白や人気
の車種を選択する人もいるようですが、実用品としての車選びならば、それ
も有りなのでしょうが、気分を上げるための嗜好品という考えで選ぶならば、
他人の好みや評価などは一切気にせずに、自分の気持ちと正直に向き合う
べきだと思うのです。

そうこうしているうちに、キャデラックからCTSセダンとATSクーペの2車種
で、それぞれ限定5台で特別色(ダークアドリアティックブルー メタリック)の
車が販売されるという情報が飛び込んで来ました。
私好みの濃いネイビーだし、限定5台なら迷っている時間はありません。
ネットで概要を確認後、現車も見ずにATSクーペをオーダーしました。
ヤナセの担当者によると、私のが5台のうちの3台目だったそうです。
キャデラックといえば、バカでかいイメージを持つ方が多いと思いますが、
当時のラインナップでは、ATSは最もコンパクトで、セグメントや車格とし
ては、ベンツCクラスやBMW3シリーズがライバルと位置づけられています。

納車されてから初めて乗ってみたわけですが、車内空間は過去の車の中では
最も狭く、長身の人が後席に座るとかなり窮屈ですし、トランク容量も過去
最小です。
実用性を重視するなら、大型のCTSセダンの方にしとけばよかったかなとも
思いましたが、ここはスタイリッシュさで選ぶと決めた以上は、初志貫徹で
ATSクーペにして正解だったと思います。

実用性で考えると、スポーツカーやクーペは「スペース効率からすると割高」で、
ロジカルな買い物ではないということになりますが、ただ買い物というのは
常にロジカルに進められるものではなくて、いわゆる行動経済学においては
「経済は感情で動く」とされており、つまりは明らかに合理的ではない選択肢
にお金を払うのが消費者であるとしています。
スポーツカーやクーペの場合は、「荷物は積めないし割高だけど、カッコいい
ので」という理由で選ばれていることになり、「荷物は積めるし価格も安い」と
いう数値で判断できる合理性より、「カッコいい!」という数値化できない感情
が上回った結果だということになります。
そうであれば、「馬力の強さ」や「燃費の良さ」や「荷室の広さ」といった数値
ではなく、「不便で維持費もかかるけど、どうしてもこれに乗りたい! 絶対に
これが欲しい!」という感情に直接訴えかける車作りに専念するメーカーが
存在するのも当然のことなのでしょう。

これは腕時計選びにおいては、もっと顕著だと言えるでしょう。
車の最大の機能が「移動の手段」であるならば、時計の最大の機能は「時間
の確認」であるはずです。
しかし市場では、どのように時間を読み取ればいいのかすらも分からない
複雑怪奇なデザインの時計や、針が見えないほどの宝石ギラギラの時計など
も決して珍しいわけではなく、こうした時計は高額でも意外と売れているの
です。
これこそ、経済は感情で動くことの典型例であるし、多くのラグジュアリー
ブランドは、この感情と合理的ではない行動に支えられて繁栄しているので
しょう。
私も全く合理的とは言い難い、文字盤も針も全てが真っ黒で視認性が最悪の
フランク・ミュラーを所有しており、これを着けている時はほとんどスマホ
で時間を確認しています。
結局、不便さよりもカッコよさが勝ってしまったわけですよ。

生涯ベンツだけを乗り継いだり、ロレックスだけを蒐集する人がいるように
車選びにしろ腕時計選びにしろ、一つのブランドをずっと貫き通すタイプの
人もいれば、仕事や年齢やファッションの変遷に合わせて、リセール価格は
度外視して、欲望に正直に選択するタイプの人もいるわけです。(私です)

マジックにおいても、もはや伝統芸と言っても過言ではないほど、同じ演目を
連綿と演じ続けるマジシャンもいれば、世の変遷や時代の要望に合わせて
フレキシブルに演目を変えていくマジシャンがいるなど様々です。
もちろん私は私なりのやり方で、満足出来る人生を謳歌するために歩んでき
たつもりだし、その戦略と戦術はまさに百人百様のはずです。
ですから、その多様性を認めず、自分のやり方こそが常識の中心であると勘
違いして、自分の物差しから外れる人を安易に貶すことは、現代のSNS社会
に生きているからこそ、厳に慎むべきだと思います。

映画「カジノ」の劇中で、ロバート・デ・ニーロが演じる予想屋のサム・エース・
ロススティーンのセリフが印象に残っています…

「やり方は三つしかない。一つ目は正しいやり方、二つ目は間違ったやり方、
そして三つ目は俺のやり方だ」

次回、後編へ続く…

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マジックと愛車遍歴 7 (後編)

もう暫くはクライスラー300Cツーリングと人生を共有しようと思っていた
矢先に(そりゃあ、2台も買ったのだから、通常の2倍は乗りたくなりますよ)、
予想もしなかった理由で乗り換えをすることになってしまいました。

実はこの頃から、近隣の小規模な仕事なら、道具は宅配便で送って手ぶらで
タクシー移動、ちょっと規模が大きければ弟子がミニバンで駆けつけてくれ
るために、自分の車は私用でしか乗らなくなっていました。
もちろん、東京や大阪でのテレビ出演やステージショーの際は、道具の運搬
の全てを運送会社に任せることにしていました。
現場に着いたら全ての道具がステージ袖に置いてあるし、ショーが終われば
運送会社の伝票と道具を預けて帰るだけで、営業出演において一番辛い作業
である搬入と搬出がないのですから、ギックリ腰が癖になりつつあった自分
には理想的でした。

これまではマジックの道具を積み込むということを第一義に、その荷室容量
を勘案しながらも、運転をする高揚感や所有欲や自己顕示欲を満たすことが
できることを条件に車選びをしてきたわけですが、次の車からは完全なプラ
イベート車にしようと決めた途端に、荷室容量という条件が外されることに
よって、選択肢が広がり過ぎて迷ってしまうのです。
ただし、仕事で使わないのであれば、節税のために経費として処理すること
はできなくなりますね。

もう年齢も50代の半ばだし、荷物は積めなくても構わないから、まだ一度も
乗ったことがない車高が低くて2シーターのスポーツカーにしてみるかと、
コルベットを見に行きましたが、地を這うような車高の低さと視界の悪さで
乗りこなす自信はありませんでした。(目線の高さが、前の車のテールランプ
くらいですよ)

もしも、あらゆる制約(年齢的、経済的…etc)を取り除いて、本当に欲しい車を
1台選べるとしたら、皆さんはどんな車にするでしょうか?
私は、映画「007 スペクター」の劇中車…アストンマーティンDB10ですね。
実はこの車は市販はされておらず、撮影用に8台、プロモーション用に2台
作られて、そのうちの1台がチャリティーオークションに出品されて、4億円
で落札されました。
劇中でのジャガーC-X75とのカーチェイスは、語り継がれることでしょうね。
メイキングは…コチラ

さてクライスラーに代わる車選びですが、ヤナセの担当者からは「純粋にドラ
イブを楽しむのであれば、新型ベンツCクラスのカブリオレがお勧めです。
来週に納車予定の現車があるので、是非見て下さい」との連絡があったので、
行ってみると、ボタン一つでルーフが畳まれてオープンカーに変身するカブ
リオレには、心が揺さぶられましたね。

カッコいいし気持ち良さそうだし、検討に値するので見積もりを受け取って
お別れが確定しているクライスラーで帰宅している途中でのことです…
街中では、クラスは違えど、やたらとベンツの多さが目につきます。
対向車を注視していると、似たような顔をした車と何度もすれ違うのです。
(それもそのはず…ベンツは2014年からずっと輸入販売台数が第1位なのです)
そして3車線の大きな交差点の赤信号で停車した時、対向車線にはベンツ、
さらに私の左右に停車したのもベンツだということに気づきました。
つまり三方をベンツに囲まれたのです。(後方は確認しませんでしたが…)

あまりの似た顔の多さと、そのグレードのピンからキリまでのカーストや
ヒエラルキーを考えているうちに、帰宅した時にはすっかり興ざめしてい
ました…もう、見積もりを確認することはありませんでした。

次回、8へ続く…

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マジックと愛車遍歴 7 (前編)

・ クライスラー 300C ツーリング (2009〜2016)

さて、ベンツVクラスから乗り換えた車とは…
案内されたヤナセのショールームには、車長5m、車幅2m弱の巨大な躯体で
悪い顔をした真っ黒の厳つい車が鎮座していました。
はいはい、ハリウッド映画で観たことがある顔です…必ず悪役が乗っていた
車です。
威風堂々としながらも、乗る人間はこちらが選ぶぜというくらいの強い視線
でガンを飛ばしてきます。
いいじゃないですか、乗ってみましょう…即決でした。
納車後すぐにガラスコーティングを施すと、いやらしいほどに黒光りして、
さらに「ちょい悪ラグジュアリー」な車になりました。

クライスラーといえば所詮アメ車でしょ、という偏見を持つ方もいると思い
ます…正直、私もそうでした。
見た目に惚れただけで、以前のルミナのように、乗り味や足回りにはそれほ
どの期待はしていませんでした。
ところがこの車は、ほぼドイツ車並みの操舵感を味わわせてくれました。
ドイツ車とアメリカ車を交互に乗り継いできたので、そのテイストの違いは
よく解ります。
実はこの300Cツーリングは、クライスラー史上の傑作と云われています。
なぜなら、この頃のクライスラーはメルセデスと提携しており、ダイムラー
クライスラーという合弁会社が、ヨーロッパのオーストリアの工場で生産
した車で、シャーシの基本構造はメルセデスの主力車であるベンツEクラス
と共有されていたのです。(その後、提携は解除されたので貴重な車です)
どうりでドイツ車のようなカチッとした足回りのはずです。
そして、クライスラーお得意の5.7リッターHEMIエンジンを搭載している
ので、とんでもないパワーを発揮します。
つまり、基本構造は安心のドイツ車で、エンジンと見た目は私好みのアメ
リカ車という理想的な組み合わせだったのです。
ただし、燃費は最悪で、ハイオクの街乗りでリッター3km程度です。
さらに排気量に伴う自動車税も高いし、とにかく維持費を気にしていたら
乗ってはいけない車です。

そこそこの荷物は積めるので、マジックの仕事でも重宝はしたし、打ち合
わせ場所のファミレスの駐車場に入ると、窓際に座る客がガン見するなど、
とにかく目立つ車でした。
走行中、前の車のルームミラーにこの顔が映るとすぐに道を譲ってくれるし
(普通に走っているだけで煽っているように見えるとしたら、昨今の社会
問題に鑑みると要注意ですね)、割り込まれた記憶はほとんどありません。
そんな意味でも、デカい割には運転しやすい車でした。

得意絶頂で乗り回して3か月経ったある日、この車と私を悲劇が襲います。
2009年7月の当お知らせで詳細を書いておりますので、ご一読ください。

「良い事と悪い事」

さて、この2代目にもピカピカのコーティングを施したものの、先代と全く
同じでは気が済まないので、個人輸入したパルテノングリルを装着すると、
これがまた、先代以上の威圧感を醸し出しました。
筋の悪いロールスロイスというか、なんちゃってマフィアというか…。
この車は、宣材写真にも登場させました…コチラ

2代目の納車から7年が経ったある日、ヤナセの担当者から一本の電話が…
「大切なお話がありますので、ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?」
忙しいので、用件は電話で事足りることではないのかと問うと…
「対面でお話しなければならないので、なんとか時間を作って下さい」
これは只事ではないなと思い、来てもらうことにしました。

当時は、タカタ製エアバッグの不具合問題がニュースになっていたことも
あって、さては何かリコールが発生して修理が必要になることの謝罪かな
と予想していましたが、まるで違っていました…
「ヤナセがクライスラーの取り扱いを停止することになりました。暫くは
メンテナンスの対応はできますが、近い将来のフルサービスや車検は受け
られなくなります。ベンツに代わる車として、私どもの方からこの車をお
勧めし、それも2台も購入して頂いたのに申し訳ありません。ついては、
これを機に買い替えを検討していただけないでしょうか?」

はいはい、迷うことなく検討が始まりました。

次回、後編へ続く…




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マジックと愛車遍歴 6 (後編)

10年に渡る良き思い出が濃密に詰まったベンツVクラス…実は、この車と
別れる時が来たら、自分の人生も一度棚卸しをして、リセットしようと
考えていました。

私は、それまでの自身の経験や、先人達の栄枯盛衰の人生を観察したり、
謦咳に接したりした結果、究極の不安定な職業であるマジシャンは、臆病
であるべきだと確信していました。
リーマンショックや震災やコロナ禍によって、いみじくもその不安定さが
露呈してしまいましたが、こうした災禍は、今後も必ず繰り返されること
でしょう。
ですから、「自分が生きている間に、こんなことが起きるとは思わなかった」
などという発言は、今後の未来においては泣き言にしか聞こえず、意味を
持たなくなりそうな気がします。

昔、ここで書いた文をもう一度書きます…

「臆病であることは大切です。木陰のカサッという音で危機を察知して、
脱兎のごとく駆け出す鹿は、きっと長生きできるはずです。能天気に草
を食べ続ける鹿は、天敵に襲われるか、猟銃で撃ち殺されるのです」

用心深くて臆病な私は、当時こんなことを考えていました…

「自分のようなローカルマジシャンに、これだけ多くの営業出演のオファー
があるだけでも有り難いのに、様々なテレビ番組に呼ばれて、順風満帆に
やってこれたのは奇跡に近い。
健康も含めて、こんな良い状態がずっと続くはずがない。
10年前には最新と云われたイリュージョンもコモデティ化し、コピー製品
も蔓延り、あえてそれに手を出すセコいマジシャンや、安いだけが売りの
マジシャン、さらに本当に脅威に感じる若手も台頭してくるだろう。
今後の戦略としては、営業では動物や火気を使ったマジックはやりづらく
なるだろうから、バードマジックはテレビ用だけにブラッシュアップして、
営業は量より質で勝負するために、キャラクターを活かしたトークを中心
として、小回りの効くサロンマジックの分野を確立し、ターゲットを絞り
込んで、さらに先鋭化したスキミング戦略に舵を切ろう。
年齢もまもなく50代に突入する…きっとイリュージョンを運ぶのも演じる
のも無理はできなくなるだろう。
幸い体力的にも経済的にも余裕がある今のうちに、将来に向けてマジック
以外の収入源を確保するための一手も打たねばならない。
ここで新型Vクラスに乗り換えてしまうと、元を取るために今までの路線
を続けてしまう可能性が高いし、リクエストをされ続ければ、辞め時を
逸してしまう。
無駄な服を買ってしまわないためにクローゼットをわざと狭くするように、
今後は車の荷室容量を縮小して、強制的にイリュージョン中心の営業形態
からの離脱を図ろう。
それでもイリュージョンをやらなければならない時は、弟子にミニバンで
協力してもらえばいいし、いざとなったらレンタカーや運送会社に頼む手
もあるし…うん、そうしよう!」

このように決心した私は、ヤナセの担当者に伝えました…「ライフスタイル
が変わるので、もうミニバンは必要ない。適度に荷物が積める程度のラグ
ジュアリーなワゴン車はないのか?」と。
「それならこちらへどうぞ」と案内された別棟のショールームに、デーンと
鎮座していた車に一目惚れをしたのです。

次回、7へ続く…

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マジックと愛車遍歴 6 (前編)

・ メルセデス ベンツ Vクラス (1999〜2009)

ルミナに未練を残しながらも、アウディ以来、7年ぶりにヤナセとの付き合い
が再開しました。
当時のアウディの担当者が喜んだのは言うまでもありません。
(この年から現在に至るまでヤナセとの付き合いが続くことになります)

仕事上の荷物の多さを考えると、もはやミニバン以外に選択肢はなく、福岡
輸入車ショーで見たシボレーアストロやクライスラーボイジャーも候補として
検討しましたが、今回は安定のベンツVクラスを選択しました。
車体はほぼ四角の形状で、後席は1席ずつ取り外しが可能なので、全ての席を
取り外して板張りにすると、広大な荷室が誕生します。
パワーはというと、荷室が空の状態で走れば何の不満もないのですが、図体が
デカい割には2.8リッターのエンジンなので、荷物満載で走る時は物足りなさ
を感じましたね。
ただ、あくまでもミニバンである以上、ブイブイいわせて走る車ではないので、
まあこんなものでしょう。
しかし、トラブルが多かったルミナの後で、それもヤナセから納車された新車
のベンツというだけで、絶対に穴を開けるわけにはいかない仕事で使う上では
常に安心感がありましたね。
晩年のルミナでは、ちゃんと時間通りに現場入りするという当たり前のことが
不安で、家を出る前のマインドセットにも悪影響を及ぼすほどでしたから。

この頃に演じていたイリュージョンは…
オリガミ、ウェイクリングソーイング、ポールレビテーション、ダンボール、
ラダーレビテーション、スリーソードサスペンション、シースルーギロチン、
ダイヤモンド、バードスルーミラー、ブルームサスペンション、ミラーボール、
ジャム、レボリューション、アキュパンクチャー、ウォークスルースティール、
バードキャノン、ボウソーイング、オープンスクリーン、アシスタントリベンジ、
バードトゥーガール、バードクレーン、トリセクション、カッティングエッジ、
ノーフィート、バズルブロック…

これらの中から常に2〜3台は運んでいたので、ベンツVクラスの広大な荷室は
重宝しました。
規模の大きなイベントで多くのイリュージョンを運ぶ時には、弟子のミニバン
と二台で移動したり、イベント会社がトラックを手配してくれました。

このベンツVクラスに乗った10年間が、マジシャンとして最も脂がのって動き
回った期間です。
様々な思い出が、まさに走馬灯のように駆け巡ります。
エピソードを語るとキリがないので、個人的に最も印象に残っていることを…

何度かアマチュアマジッククラブの発表会のゲスト出演をしましたが、2001年
でしたか、ちょっとした打ち合わせがてら、そのクラブの例会に顔を出した
ことがありました。
地方のマジッククラブは、どこも年配者の同好会といった風情なのですが、
たまたま若い大学生がいました。
話しかけたところ、緊張したのか寡黙なタイプでしたが、そのマジック熱は
伝わってきました。
それなら例会終わりに自宅へ招待してあげようとしたところ、彼は例会会場に
自転車で来ていたために躊躇していたので、彼の自転車をVクラスの荷室に積
んで自宅へ招待し、帰りは彼の下宿近くまで自転車と一緒に送り届けました。
その後、社会人となった彼とは、2回もイギリスのブラックプールのマジック
コンベンションに行ったり、今でも私のショーに裏方として駆けつけてくれた
り、マリックさんとも何度も会食を共にするなど、アマチュアながら別格と言え
るほど親しく付き合っています。
これもあの時、悠々と自転車を積めるVクラスに乗っていたからこそ始まった
付き合いなのだなあと回想しています。

こうして10年も活躍したベンツVクラスにも、さすがに不具合が出てきました。
そろそろ次の車の検討に入った時、ヤナセの担当ディーラーから、やや大型化
された新型Vクラスを勧められました。
普通なら新型に乗り換えるのが自然な流れとなるのでしょうが、この頃の私は
マジック人生において、大きな転機を迎えていたのです。

次回、後編へ続く…



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マジックと愛車遍歴 5 (後編)

1994年FISM横浜大会のオファーが、マリックさんとセットで舞い込みます。
結局はマリックさん共々、FISM出演をお断りすることになったのですが、
実はこの時、私には大きなレギュラー出演の仕事が決まりかけていたのです。

当時、すでに銀座のクラブでテーブルホッピングをやっていたのですが、毎週
火曜日の夜は、福岡の完全会員制のレストランバーに出演していました。
この店には約3年出演しましたが、私が辞めて1年後にバブル崩壊のあおりで
閉店したようです。
名前も看板も無く、入り口の真っ黒な扉は常に施錠されており、高額な年会費
を支払った会員だけに鍵が渡されて自由に出入りできるという、隠れ家好きの
優越感をくすぐるバブリーなお店で、当然一見様はお断りで、会員の同伴者で
あれば入店できるシステムでした。
週末の夜は来客は多いので、統計上で最も来客が少ない火曜日の集客のために
出演して欲しいとのことで引き受けましたが、結果3年間、火曜日が最も来客
が多かったという実績を作れたことは大きな自信になって、そのノウハウは、
銀座でも活かされることになります。
毎週火曜日(月に4回)の収入だけで、サラリーマンの月収を凌駕する好条件
だったので、有難かったですね。

この店には富裕層や福岡の政財界人、コンサートで福岡を訪れたアーティスト
や芸能人も多数来店していたのですが、ある夜、ダイエーの中内社長が来店さ
れて、私のことを気に入ってくださり、福岡ドーム(現在のPayPayドーム)内の
レストランバーのステージにレギュラー出演して欲しいと中内さん本人から
直接依頼されました。
トップダウンで即決でした。
昔から幾度となく体験してきましたが、それなりの人物が集う場所で演じない
限り、それなりの仕事にはなかなか巡り合えないのです。
ハイボールを飲みながら上司の悪口で盛り上がるサラリーマン達が集う居酒屋
で、噴水カードで名刺をばら撒いても、おそらく一本の仕事にも繋がらないで
しょう…悪口を言われている、その上司クラスが集う店でばら撒かなきゃ。
ホント、戦略のミスは戦術ではカバーできないのです。

さて、そのレギュラー出演の具体的な打ち合わせや準備期間とFISMの開催日程
が重なったのです。
「ドームのレギュラー出演」と「FISMのゲスト出演」、別の角度から解釈をす
れば…「安定の高額ギャラ」と「マジック業界だけに通用する名誉」(名誉と言
えるのかも甚だ疑問ですが)…どちらを選択するかは、プロマジシャンとしての
生き様次第なので、そこに絶対的な正解はないと思いますが、私は前者を選んだ
までです。(プロフィールの実績が一行増えたところで、食えませんからね)
翌年にはホークスのファン感謝デーの「鷹祭り」のゲストとして、ドーム球場の
数万人の観客の前でイリュージョンを演じる機会にも恵まれました。

ドームのレギュラー出演がスタートすると、客席は毎回マジックマニアで埋ま
りました。
後に弟子入りすることになるRintaroも毎回観に来ていました。
余談ですが、1996年、ジョニー広瀬氏の推薦で、大阪のNGK(なんばグランド
花月)に一週間出演した際にも、Rintaroは観に来ました。(夜中のパン工場で
バイトをして、交通宿泊費を捻出したらしいです)
ある日の出演後、故 安田悠二氏とお好み焼きを食べている時に、「弟子希望の
学生が福岡から来てたんだよね」と話したところ、安田氏から、「福岡から大阪
まで観に来るほど入れ込んでるなら、弟子入りを断わられても絶対にプロに
なるはずやから、ZUMAさんが引き受けて、プロの道を教育するべきやで」と
説得されたことを覚えています。
大学卒業と同時にRintaroが弟子入りすることになり、その際にマリックさん
が彼に直接、様々なアドバイスをしてくださいました。

話は戻って、レギュラー出演はステージショーだったので、ドームの搬入口に
愛車のルミナと幾度となく通ったわけですが、そんな良き思い出を紡いできた
ルミナも、5年を過ぎた頃から大変な不具合を生じるようになりました。
時を同じくしてダイエーが破綻してソフトバンクが事業継承し(盛者必衰)、
そのレストランバーも改装するというタイミングでレギュラー出演は終了した
のですが、新生ホークスの納会でもメインショーを任されることになりました。
打ち合わせの際に、「ホークスのパーティーなので、オウムではなくて鷹を出せ
ませんか」とムチャ振りされて困ったのも良き思い出です。

さてルミナですが、営業出演の帰りに二度ほど立ち往生したことがあります。
一度目は、福岡市内の目抜き通りで、ボンネットから突然白い煙を吹き出し、
近くのガソリンスタンドに駆け込みました。
二度目は高速道路を走行中、みるみる速度が落ちて止まりかけたので、何とか
パーキングエリアに避難しました。
頼りにしていたJAFを呼んだものの、全くの役立たずだったので、これを機に
脱会しました。
いずれも出演帰りだったのが不幸中の幸いで、このままでは仕事に穴を開けか
ねないと思い、乗り換えの検討に入りました。

手放すことが決まった時に、Rintaroが「ルミナは、弟子入りした時から憧れ
た車なので、僕が引き継ぎたいです」と宣言したものの、知り合いの自動車
整備工から「絶対に維持できないからやめとけ」と言われて、泣く泣く諦めた
ようでした。
ルミナの最後の一年は、なぜか雨の日には動かなくなりましたね。
維持費は大変でしたが、出来が悪い子ほど可愛い…そう思わせる車でした。

次回、6へ続く…


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マジックと愛車遍歴 5 (前編)

・ シボレー ルミナ APV (1992〜1999)

1990年代はミニバンが世界の市場を席巻し始めました。
日本の市場でのブームのきっかけとなったのが、トヨタのエスティマです。
打倒エスティマとして、日産はセレナを、ホンダはオデッセイを投入しました
が、街中にはどんどんエスティマが増えていった印象です。
タマゴのような流線型が美しく、セダンの亜流であるワゴンと比較して車高が
高く、後席を畳めば荷室はかなりの容量となります。
さらに商用車と違い、乗り心地も良くてステータスも高いとなれば、売れない
わけがありません。
知り合いのマジシャンでも二人が購入していました。
私もミニバンを検討していましたが、街中で増えすぎたエスティマは、他人と
被りたくない天邪鬼な私の意識の中からは、早々に候補から消えました。

年に数回は渡米していたのですが、実は渡米する度に見かける、あるミニバン
が気になって仕方ありませんでした…それがシボレー ルミナ APV
まさにアメリカンミニバンといった風情で、画像のように新幹線300系の先頭
車両のような形状が印象的です。
ラスベガスやロサンゼルスの街中で見かける度に、「あれは何という車だろう、
営業出演をあの車で周りたいなあ」という想いは強くなり、停車している車体
に近づいて、車名をメモするほどでした。

そして帰国後、輸入実績のある業者を見つけて輸入したのです。
その時点で、国内には4台しかないとのことでした。
内装は、VIP送迎用に室内をカスタムするスタークラフト社が手掛けており、
木目の内張や照明、後席用のテレビまで装備する豪華なものでした。
結局は、後席を取り外して荷室にしたので、何の意味もありませんでしたが…
まあ自己満足ですね。

この頃は、地方のリゾートホテルでレギュラー出演もしていたので、年間走行
距離はかなり伸びていたはずです。
ただ、ルミナの乗り心地は決して褒められたものではなく、古き良き時代の
アメ車の大らかでフワフワした感じでした。
特にアウディというドイツ車の後でしたから、高速安定性などは比べるべくも
なく、大量に荷物を積んだ時の高速道路でのカーブでは、危険を感じるほど
不安定だったし、燃費も最悪でした。
しかし、それらの欠点を差し引いても、恋い焦がれた車を輸入した達成感と
マジシャンとしての自己顕示欲を大いに満たしてくれる車でした。
日本では珍しい形状とブラックカラーも相まって、街中では二度見どころか
三度見されるほどで、このルミナにATAケース満載で搬入口に現れた時に、
出迎えたホテルの責任者やイベント会社の担当者から、「こんなに車や道具に
拘るマジシャンは見たことがありません」と言われた時は、たとえ社交辞令で
あったとしても、素直に嬉しかったですね。

この頃、ある後輩が、古い商用車にコピーの手作りイリュージョンを積んで
営業出演をしながら、プライベートではスポーツカーを乗り回しているのを
見て、「本末転倒だ…まずは仕事で必要なものにお金を使わなきゃ…あれでは
いつまで経ってもステータスは上がらないだろうな」と思っていました。

ショーはステージの上だけではなく、ジョニーハートのように、家を出た時
から始まっているのだと常々思っていたので、口さがない同業者から「あいつ
のやり方はハッタリだ」とか「本当は他の仕事で稼いでいるに違いない」と陰口
を叩かれようが、ルサンチマンの遠吠えなど全く意に介しませんでした。

車やATAケースだけではなく、演技のクオリティーでも道具の豪華さでも、
しっかりと爪痕を残し続けた結果、評価もギャラもうなぎ登りで、ローカル
ながらテレビのレギュラー番組も決定し、銀座のクラブの出演回数も増えて
頻繁に上京するなど、バブル崩壊もどこ吹く風…マジシャンとしての黄金期
を迎えつつありました。

次回、後編へと続く…

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マジックと愛車遍歴 4

・ アウディ クワトロ ツーリング (1991〜1992)

本題に入る前に…人と車の関係には二つのパターンがあると思うのです。

一つ目は、人は自分にふさわしい車を選ぶのか…欧米に行くと人と車が一致
してるんですよねえ。
カリフォルニアでメルセデス ベンツSLにブロンド美女が乗っていたり、ロン
ドンで銀髪の紳士がジャガーを操っていたりすると、カッコいいなあと思って
しまいます。
もう一つは、車が人の行動を変えるのか…私はこれに賛同します。
違法改造された車を暴走族から没収して、パステルカラーの可愛い軽自動車を
与えたら、あそこまで傍若無人な走りをするでしょうか?
例えばですよ、ブリオーニのスーツを着てベントレーに乗り込めば、郊外の
回転寿司屋には行きづらくなって、一流ホテルの駐車場に車を停めて、ホテル
内の寿司屋か銀座の寿司屋に行くようになるはずです。
そして、そういう暮らしを維持するためにも、日々精進するモチベーションに
繋がるのだと思います。

さて本題です…
現在でこそ、おしゃれなミニバンやSUVが主流となりましたが、平成の初頭
では、荷物を運ぶことに主眼を置けば、いわゆる商用車が第一選択肢という
時代でした。
しかし前回書いたように、スキミング戦略をとり始めていたエエカッコしい
の私にとっては、商用車は絶対にNGでした。
セダンでは荷物が積めないし、商用車では乗り心地は悪い上にショーの現場
に行くにはカッコつかないし…という双方の悩みを解決したのが、この時代
に流行ったステーションワゴンというセグメントでした。
当時の国産車ではスバルのレガシーが売れ始めており、外国車ではベンツ、
BMW、アウディ、ボルボがワゴン車の市場に参入し始めていました。

1991年、レジェンドから乗り換えたアウディ クワトロ ツーリング…新居を
建てたばかりなのに、ヤナセから新車のアウディを買うなど、かなり調子に
乗っていました。
実はお恥ずかしいエピソードを吐露しますが、当時本当に調子に乗っていて、
さらにセカンドカーとして、昔から憧れていたダイムラーダブルシックスも
購入しようと、ある輸入会社に300万円の手付け金を払っていたのですが、
振込み直後にその会社が倒産して、すったもんだがありました。
この輸入販売会社の社長とは、たまたま中洲のクラブで客同士で知り合って、
その会社のパーティーにマジックの営業出演で呼ばれたこともあったために
信用していたのですが、その頃には既に会社は傾いており、どうやら計画倒産
だったようで、被害者は私一人ではありませんでした。
弁護士に依頼して、奇跡的に全額取り戻せたから良かったものの(着手金と
成功報酬として、それぞれに一割の30万円ずつを支払いますから、正確には
240万円の返金)、ちょっと浮かれ過ぎてましたね…反省。
やはりイリュージョンや腕時計と同様に、正規店で買わなきゃダメですね。

さてワゴン車選びですが、多くのショールームを見て回った感想はというと、
荷室容量の大きさや実用性ではボルボ、狭いけどスタイリッシュさではBMW
だったような記憶があります。

では、なぜアウディだったのか…それは知性を感じさせる車だったから。
(冒頭に書いた、車は人の行動を変えるという思考が影響しています)

アウディはベンツやBMWのように主張が強い車ではなく、どちらかというと
アンダーステイトメントで控えめなイメージで、「頭が良くて運動神経抜群の
秀才系の車」という印象を持っていました…ということは、勤務先を辞して、
完全にプロフェッショナルとしての活動を始めた私自身が、そういうイメージ
で見られたかったのだろうし、アウディのイメージにふさわしい立ち振る舞い
をするように、自分をいざなっていたのでしょう。
確かにこの車に乗っていた頃は、黒い燕尾服を纏ったジェントルマンな佇まい
で、友人の結婚披露宴や学会のレセプションでクラシックな鳩出しを演じたり、
トークマジックでも毒を吐かず、紳士然と振舞おうとしていた気がします。

しかし実際の自分は、アウディのようなエリート系ではなく、目立ちたがり屋
でイケイケのアメ車のような性格だったので、紳士然として振る舞うことが
窮屈になったのも事実です。
アウディは、車としてのまとまり感は見事で、高速安定性は、さすがドイツ車
と思わせるものでしたが、私のキャラクターがアウディに合わせることができ
ずに、運転していても気分が上がらなくなっていました。

また、この頃にはバードマジックをメインにし始めたために、鳩はもちろん、
複数の大型鳥のケージも積むようになった上に、道具のほとんどをATAケース
に収納すると、さすがのワゴン車でも荷室容量が足りなくなってしまったこと
も、たった一年で手放すことになった理由です。
ただ、一年しか乗っていないアウディはリセール価格も良くて、次の車を購入
する際の出費は少なくて済みました。

余談ですが、当時は本当に天狗になっていて、「良い服を着て、良い車に乗って、
ATAケースで道具を運んでます!」とマリックさんに自慢したところ、一言で
打ち返されました…「あのねえ、本当の一流マジシャンは道具と一緒には動かな
いんだよ」…鼻っ柱が折れる音がはっきりと聞こえました。

さあ、折れた鼻の治療を終えたら、気を取り直して、イケイケのアメ車へと乗り
換えです。

次回、5へ続く…

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