マジック

ターゲットを定める 2

前回からの続きです。

ある飲食店経営者の著書の中に次のような一節がありました…

どんな店づくりをしたいのか、どんなお客様を集めたいのか、何を特徴にした
いのか…まず何をやりたいのかという思いをメニューに込めることが大事です。
そのメニューをもとに必要な厨房設備や食器のテイスト、備品数など全てが決
まっていきます。もしそれがなければ、方向が定まらない中途半端な店づくり
になってしまうということです。いい店には、「この店のコレを食べたい」「この
季節になったらあの店のアレだ!」というメニューが必ずあります。


どうでしょう…マジシャンに置き換えても全く同じことが言えるのではないで
しょうか。
どんなマジシャンになりたいのか、どんな演目を十八番にしてどんな観客を
ターゲットにしたいのか。
それを基に己の芸を磨くことはもちろん、衣裳や道具はどの程度のクオリティ
や規模のものを揃えなければならないのか…それらを真剣に考えることによって
自身のイメージするマジシャン像というものが定まっていくのだと思います。
その結果として、アレが観たいからあのマジシャンを呼ぼう、この演目はみんな
やってるけどあのマジシャンでなきゃダメなんだ、今度のパーティーにはあの
マジシャンこそ相応しい…とブランディング構築がなされていくのでしょう。

ところで、名店と呼ばれる一流の鮨屋には自然と富裕層が集まるようになり、
その客層を満足させるために「おまかせ」と呼ばれるコースが生まれたと云わ
れています。
お客様に「何が食べたいですか?」と聞いた後に指定されたものを出すのではなく、
とにかくその時期に一番美味いもの、大将がいいと判断したものを出すわけです。
名店は接待で使われることが多いことから、自分で食べたいものを選ぶよりも
大将を信頼して任せるというわけですね。(富裕層はおまかせの価格を聞くような
野暮なことはしません)

マジシャンも「おまかせ」されるようになればしめたもので、オファーがあった際
に、私はパーティーの主旨や客層をリサーチした上で、全て任せて頂いて最も相
応しい演目を構成して臨むように心がけていますし、近年は報酬に関しても値切
られた記憶はありません。
その代わり、おまかせのマジックはそのマジシャンのベストなのですから、ウケ
なかったとしても、その評価は甘んじて受け入れなければなりません。

昔は仕事欲しさから迎合して、クライアントの要望にできるだけ応えていました
が、その結果はどうなったかというと、動物NGの会場なのに「鳥を飛ばしてほしい」
とか、直前になって「うちの社長をマジックで出現させてほしい」「誕生日ケーキを
出してほしい」などとクライアントのワガママや無茶振りを増長させがちでした。
それらを乗り越えたところで、付け焼き刃なマジックなどで高い評価を得ることは
ありません。
またそのようなクライアントに限って値切って来る傾向があります。

最悪なのは「素人の思いつき」を要求されることです。
ある立食パーティーで「乾杯と同時にショーをスタートしてほしい」というタイム
スケジュールを提案されたことがありました…立食パーティーでは、乾杯が終わ
れば空腹な客が料理に群がってショーなんて見るわけがないことすら素人の幹事
は考えが及ばないのです。
この時は幹事を強く説得して乾杯後30分経ってからのスタートに変更して事なき
を得ましたが…まあ、過去には色々とありました。

ところで「すし」の漢字表記には「寿司」と「鮨」の二種類が使用されるのが一般的
です。
「寿司」の方は、例えば冠婚葬祭や祝宴のように、他の料理も色々出されるような場で
食べる「すし」のこと。
一方で「鮨」は、鮨だけの専門店で食べられる「すし」です。

マジシャンとしてスキミング戦略をベースとする私は、迷わず「鮨」を標榜する道を
選択しました…それによって自ずとターゲット(理想とする客層と現場)が定まった
のは言わずもがなでした。

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ターゲットを定める 1

2024年11月16日に「相応しい現場を選ぶ」というタイトルのコラムを書きました…
あるマジックがウケるためには、それに相応しい現場で演じることが肝要である
という内容でした。
このコラムはアクセス数も多く、現役でプロ活動をしているマジシャンからも
一定の賛同を得たようです。
もちろん例外もあります…パフォーマーがメジャーであれば、現場がホテルで
あろうが、ホールであろうが、ショッピングモールであろうが、その知名度と
求心力でどんな演目でも観客の集中力や理解力を増幅させてウケることは可能
だということです。(言うなれば力業もできるということですね)

今回は「ターゲットを定める」として自身が最も見せたい演目で評価を得たければ、
それに相応しいターゲットを選ぶことが重要だとする考察です。
一定の経験値があるマジシャンならば、「この客にはこの演目」「今夜のパーティーなら
この演出」という具合に本能的にそれを理解し実行しているはずです。

まず理解しておかなければならないのは、先に述べたように、メジャーならその
知名度で集客できるので、最大公約数的な演目でどんな場所や客層でも通用する
のですが、そうでなければ、ある程度は自分がどんなタイプでどんなターゲット
に相応しいマジシャンであるかを自覚する必要があるのです。

夜職で酒席にどっぷりと浸かったマジシャンの中には、素面の客に酔客と同様の
馴れ馴れしい接客をしたり、場違いな下ネタでドン引きさせたり、嫌がる女性客の
心情を度外視して薄汚れたスポンジボールを握らせたり、昭和の駄洒落を連発
して客が苦笑いするしかない場面等を多く目撃して来ました。(もちろん私も数多の
失敗をやらかしています)
現在ではコンプライアンスでアウトなものも多いのですが、それぞれの演目が
ダメなわけではなく(不潔は論外です)、これらの事象はその武器がターゲットに
刺さらなかった…と言うよりも、そもそも定めたターゲットが間違っていたと
いうことです。

またテレビ番組においては、どんなに寒いマジシャンでもそのターゲットである
ゲストタレントが気を遣って大げさに盛り上げてくれる傾向があることから(それが
タレントの仕事ですからね)、テレビ慣れしていないマジシャンは本気でウケている
と勘違いすることもあるでしょう。

まずは生活していくことが最優先で、どんな客層でもどんな現場でも引き受け
ざる得ないという現実もあるとは思いますが、一度立ち止まって、自分という
マジシャンはどんな主戦場に相応しいマジシャンなのか、どんな客層や現場を
ターゲットとするべきなのかを見つめ直す時間は必要だと思います。
自己分析の後、所謂正統派スタイルのマジシャンには向いていないことを自覚
したのか、潔く燕尾服を脱いで、園児をターゲットにしたパフォーマーに鞍替え
して成功した人も知っています。

自分にとって生きやすい生態系…魚に例えるなら、せめて自分が海水魚なのか
淡水魚なのかくらいは自己診断しておいた方がよろしいかと…

次回2へ続く…

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技術の普遍的価値

現在の米国では、音響装置の修理技師や配管工、空調整備技士などの所謂技術者
の収入が爆上がりして「ブルーカラーミリオネア」と呼ばれているようです。
必ずしも10億ドル単位の収入があるわけではないにしても、ごく一般的なホワイ
トカラーがAIに仕事を奪われて稼ぐ機会が減少する一方、ブルーカラーの労働者
が金持ちになるチャンスが膨らんでいる状況を指しています。

具体的な例としても枚挙に暇がありません…マンハッタンに住む弁護士の自宅に
音響機器の修理工がポルシェに乗って現れ、数千ドルの修理代を稼いだり、アパ
ートの水漏れ修理では2時間の作業で800ドル(約12万円)を稼いだ…等々。
この金額は妥当なのか…知識のない消費者はただ言われるままに支払うだけに
なるのでしょう。
配管工に至っては今や医者よりも収入が高いようです。

まあ、空調設備の仕事などは、真夏の酷暑の中でも屋根裏で作業したり、カビ
臭い床下に潜り込んだりと過酷な上に、細かな手作業を伴いますよね。
AIがそんな仕事を肩代わりできるとはとても思えません。
我が家でも数ヶ月に及んだ駐車場の外構工事において、職人の技術や仕事の過酷
さを間近で見せてもらいました。

アマゾンを解雇された男性はかつて「肉体労働はいずれロボットに奪われるだろう」
と、リスキリング制度でプログラミングを習得しました…「それなのに今は知的労働
や創作活動をAIが担い、人間は配管工への再リスキリングが必要になっている」と
ため息をついているという記事もありました。
 AIにはできない技術を持つ「エッセンシャルワーカー」の需要は今後益々増えること
でしょう。

高額な授業料を支払ってやっと卒業したエリート大学生が職にあぶれ、高卒ブル
ーカラーは引っ張りだこ…米国はすでにそんな状況にあるのです。
米労働省の統計では、ブルーカラーの仕事で賃金が最も高いのはエレベーターや
エスカレーターの設備・修理工で、年間所得は中間値で10万6580ドル(日本円で
1600万円)に上るそうです。

米国で大金持ちになるのは知識階級の人間というこれまでの常識が崩れつつあり
ますが、米国で起こった事象は日本でも起こることが多いので、日本でも技術者
を目指して手に職を付けるために高専の志望者が増えているのも頷けます。
(NHK「高専ロボコン大会」や「魔改造の夜」は欠かさず観ています)

ではマジシャンという技術者はどうかというと、ギャラが爆上がりという兆候は
見られません。
それは生活していく上で必要とされているものではないから…。

真夏にエアコンの効いた部屋でマジック番組を楽しんでいる最中に、エアコンが
故障したら…もうマジックなんてどうでもよくないですか?

この歳までマジックをやってきて感じるのは、マジシャンのギャラを上げるのに
必要なのは技術の優劣ではなく、「実生活には無用な贅沢品であるマジック」を売る
ためのブランディングの巧さなのだと確信しています。
結局、何をやるかよりも誰がやるかで価格は変動するということです。

 



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ゴールデンタイムとピーク

以前、私は当コラムの中で、マジシャンのゴールデンタイムは35~45歳では
ないかと書きました。
もちろん個人差はあるし、クロースアップマジシャンとイリュージョニスト
では同じマジシャンといえども職種として比べようがないほどの相違もあるで
しょう。(特にフィジカル面では)
それを踏まえた上で、観客をコントロールしたり、場を支配する経験値、営業
を何本もこなせる体力面を総合してのゴールデンタイムという意味です。

ではゴールデンタイムは人生のピークなのでしょうか?…私はそうは思いません。
もちろんそれらが一致している人もいるでしょうが、あくまでも私の理解では、
充実感とは関係なく自他ともに認める「最も活躍していた時期」(最も露出して稼いだ
期間)がゴールデンタイムで、稼ぎなど関係なく「充実していると自分が思える瞬間」
がピークなのだと思います。

私自身、若い頃のようにバードアクトやイリュージョンを主軸としなくなった
ことには一抹の寂しさを感じていますが、それに代わって、コンパクトなパッ
ケージショーが好評を得ていることに、これまでの経験が結実した証左として
大きな充実感を得ています。

アスリート(例えば野球選手)であれば、現役で注目を浴びて稼いでいる時こそが
まさしくゴールデンタイムと言えるのでしょうが、現役時代は特筆するほどの
成績を残していなくても、その後指導者となって後進を育てて名監督として評価
されたならば、その人にとってはそこが人生のピークであるとも言えるでしょう。

一般人の立場でも高収入のエリートサラリーマンがやりたいことを諦めきれずに、
一念発起して独立や起業した場合に、サラリーマン時代よりも収入が少なくても
日々のやりがいを感じることができれば、そこがピークだと言えるでしょう。

若い時期のアドバンテージである体力に任せて汗水垂らして稼いだ年収一千万円
の達成感も理解できますが、地道に働き続けて70代で350万円を得る達成感が
それに劣るはずはないのです。

人生を歩む過程では、報酬の額と充実感が比例しなくなる時が遅かれ早かれ訪れ
るのですから、収入面のみを人生のピークの指標とする必要はありません。
つまり人生のピークとは、決して単純な数字面での優劣で比較できるものではなく、
晩年まで達成感や充実感を得られることだと思います。
「あの頃がピークだったなあ…」と黄昏れる人生はあまり充実しているとは思えません。

人生はフルマラソン…スタート直後から無理に先頭集団に加わってすぐに脱落する
よりも、ピークを先に延ばし、充実感を右肩上がりにして、自分が納得したタイム
でゴールテープを切るのが一番幸せなのかなあと思うのです。

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シン 「プロ・アマ論」

現在の私自身が二刀流、時には三刀流で働いていることもあって、改めてプロ
マジシャンとアマチュアの違いとは何なのかと考えることが増えました。

そこで14年も前に当コラムで3回に渡って書いた「プロ・アマ論」を読み返した
ところ、まあ当時は若い分、かなり尖った書き方をしているものの、基本的な
考え方は現在とほとんど変わっていませんでした。

興味のある方はバックナンバーからどうぞ。
「プロ・アマ論」 (2011年5月6日)
「プロ・アマ論 2」 (2011年10月15日)
「プロ・アマ論 3」 (2012年7月10日)

遠い昔、私が大学病院を辞してプロマジシャンとして活動を始めた矢先に感じ
たのは、マジシャンという職業が市井においては、まともな仕事として認知
されていないということでした。
プロ活動のために大学病院を辞めたと告げると「わあ、勿体ない」と言う人が
ほとんどでしたが、大学病院の勤務医の収入など知れたもので、マジシャンに
転職した方が遥かに稼げるという自信と確信を持っていたし、実際にその通り
になりました。
活躍の幅が広がるにつれて、口さがない一部のマジシャンは「どうせ医者で稼い
でいるに違いない」と陰口を叩いていましたが…。
また「マジックをやってます」と言うと「良い趣味をお持ちですねえ」…「いや、
収入源がマジックなのです」と言うと「え、マジックで食えるんですか?!」等
のやりとりは日常茶飯事でした。
それもこれも資格不要の職業であることに起因しているという結論に落ち着き
がちなのですが、
お笑い芸人も歌手も資格不要であることに鑑みれば、やはり
マジックというのは、芸能の中でもマイナーで、れっきとした職業としてすん
なりと認知させるのは難しい方だと言えるでしょう。

アマチュアの場合は履歴書の「趣味欄」にマジックと書き、プロならば「職業欄」
にマジシャンと書くはずです。
ところが、クレジットカードやパスポートの申請や重要書類の職業欄に堂々と
「マジシャン」とか「奇術師」と書くプロはほとんどいません。
いざとなると何か引け目でもあるのか、手続きを万事支障無く運ぶためなのか、
多くは「自営業」とか「飲食店経営」などと書いてお茶を濁しているのが現実です。

そのくせ、古い考えに拘泥している「自称プロマジシャン」の中には、マジック
関連以外の収入がある人を断固として「純粋なプロ」として認めたがらず、あえて
差別化して「セミプロ」とか「パートタイムプロ」と呼ぶ人もいます。
若手お笑い芸人の多くは芸能では食えないために、収入のほとんどはお笑い
とは関係のないバイト頼みのはずですが、それでは彼らのこともプロではない
と言い切っていいのでしょうか。

著名な画家、フィンセント・ファン・ゴッホの場合はどうだったのか…ゴッホは
死ぬまで絵を描き続けたのですが、その生涯で売れた絵はたったの1点だけ
でした。
自らの作品ではまともに稼げなかったわけで、それをあえて職業と言っていい
のかどうか?
では絵を描くことは、彼にとっては好きでやっているだけの趣味だったのか?
「我こそが本物のプロだ!」と自認する方々に問うてみたいものです。

結局、世間がマジシャンを見る目の多くは「趣味以上、職業未満の仕事」ということ
でしょう。

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やりがい搾取

「やりがい搾取」という言葉は元々、社会学者の本田由紀が著書「軋む社会 教育・
仕事・若者の現在」(河出書房新社)の中で使ったものです。

その意味はやりがいを搾取するということではなく、雇う側が仕事に対する
「やりがい」を巧みに報酬として置き換え、労働者を安い賃金で働かせることです。
あるいは「やりがい」を意識させることで過剰労働を強いることを指します。

これは不幸な働き方の元凶と言っても過言ではないのですが、あらゆる職種で
蔓延しています。(もちろんマジック界でも)

マジックを含めたあらゆる仕事に当てはまることですが、楽しそうに働く人と
苦しそうに働く人の違いは「自律性」です…つまり自分の意思で率先してやっている
のか、やらされているのかの違いです。
自律的に働く人はハイパフォーマーに多く、己の強みを存分に発揮して成果を
出すので、周囲から評価と承認を得て、自由裁量の余地がさらに大きくなって
いくのです。

よくありがちな「お金のために働いているのではない」とか「お金でやりがいは買え
ない」等の、パフォーマンスが悪くて低収入の人が言い訳がましく己を慰める
言葉が、労働至上主義をさらに助長しているのは間違いないでしょう。
(高収入の人の言葉であれば、そこには説得力が浮かび上がります)
いつしか、仕事はお金を稼ぐ手段からアイデンティティそのものとなり、人生の
意味や目的、そして「自己実現」をもたらすものになっていったのでしょう。

例えば、ブラックなマジックバーでは、披露する場に飢えている目立ちたがりの
若手マジシャンを利用して「仕事の報酬は仕事」という無限ループを構築している
場合もあります。
社会経験が希薄で世間知らずのマジシャンに限って、「これこそが自己実現」という
陳腐な思想に染まって、特に違和感なく受け入れてしまいがちなのです。

コンベンションに代表されるマジックイベントでは、承認欲求でウズウズしている
若手に「大したギャラは出ないんだけど、名誉なことなのだからゲストで出なさいよ」
などと言葉巧みに声を掛けて、タダ同然で出演させるいう典型的な「やりがい搾取」
が散見されます。

「好きなことをやれているのだからこれでいいのだ」と、どこか達観しながら
ダラダラと過ごすのではなく、その仕事を引き受ける意味、その現場に立つことの
意義を把握し、己の強みをブラッシュアップして、「あなたにいてもらわなければ困る」
と言わしめればこっちのものなのです。
「その現場に欠かせず、影響力の強い人」ほどやりがいを搾取されることは少なく、
幸福度がアップするのは紛れもない事実です。

一朝一夕には成し得ませんが、「余人を以って代えがたいマジシャン」が理想ですよね。

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高級という概念

巷に溢れる「高級」という言葉…普段何気に見たり聞いたり使ったりしながらも、
あらゆるものにトッピングすれば、瞬時にワンランク上のものに変わる魔法の
ふりかけのようです。(某コンビニの「金のシリーズ」もその一つでしょう)

例えば、高級ホテル、高級レストラン、高級車、高級腕時計、高級マッサージ機…
イコール高品質とは限らなくても、その冠が付くだけで所有したりサービスを
受けると、少なからず充実感や優越感を味わえます。

特に私のような俗物はこの冠にめっぽう弱くて、ことある度に高級な何かが欲
しくなったりクラブに飲みに行きたくなるのですが(これはほぼ帰巣本能です)、
その理由や根拠はそれら商品の質なのか、希少性なのか、ステータスにあるのか…
ずっと謎なのですが、いずれにしてもその冠には警戒心をかき消す魔力がある
と思います。

価値観の違う人からはバカバカしい消費行動にしか見えなくても、それで仕事
に向き合うモチベーションがアップして経済を回していることは事実であるし、
世の中にはこれだけ高級と称するものが溢れて支持されている現状を鑑みれば、
それに否定的な人の方がマイノリティで単なるルサンチマンとしか思えません。
(某高級ブティックは平日から入場制限がかかるほどの行列ができています)

ただし、何でもかんでも高級をつければいいってものではないことは論を俟ち
ません。
高級だから高額とは限らないし、高額だから高級とも言えないわけで、とんで
もなく高額な請求をしてくるボッタクリバーを高級店とは言わないでしょう。
また高級だから高品質ということでもないでしょう。

ギャラの高いマジシャンを「高級マジシャン」とは呼ぶことはありません。
マジシャンとしての私自身は「高級」どころか「カッコいい」とか「凄い」とか「巧い」
等の冠には興味はなく、願わくば「上質なマジシャン」や「センス良きマジシャン」
に見えればいいなあと常々思ってはいるのですが、こればっかりは自ら冠を
付ける事象ではなく他人が評価することですからね。

ただ、高級とは「人を錯覚させる巧みな演出」があるか否かという観点では、
マジックの演出との共通点が見出せるわけで、これ即ちスキミング戦略を主軸
とするマジシャンにとってのブランディング構築に直結するのですから、軽視
できない概念だと思います。

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変化を恐れない 4

さて、燕尾服を脱いだらそれなりにメリットもあるもので、出番前の複雑で
面倒なセッティングから解放されて動きが軽快になったことと、出演時間が
少々変更されようがピリピリしなくなりました。(実際には燕尾服への未練を
断ち切れず、動き易い派手目な燕尾服を着た時期もありました…コチラ

精神的な余裕ができたことで、サイレントアクトの中にちょっとした笑いを
取り入れたり、それまで苦手としていたトークマジックにエネルギーを傾注
できるようになって、レパートリーは飛躍的に増えていきました。
とりあえず様々な演目にトライして、自身のキャラクターに最も合うもの(テレ
ポーテーションの裏側やクラッターボックス等)をブラッシュアップした感じで
すかね。
トークマジックに磨きがかかると、観客をコントロールしたり場を支配する
ことに自信が生まれます。

イリュージョンもサイレントからトークを前面に押し出して観客と一緒に演
じるもの(シースルーギロチン、アキュパンクチャー、ウェイクリングソーイング、
ラダーレビテーション)に変遷していきました。
並行してイリュージョンの幕間に演じるスライハンドマジックも、ゴージャス
に見える演目(紙幣プロダクション、コインラダー等)に特化しました。

理想的なパッケージを幾つか作り上げたことで、長年に渡って潤沢な収益を得
ることができたわけですが、そもそも私の戦略では、年齢に合わせてショーの
規模と内容を変容させていこうと計画を練っていました。
ところが実際のところ、いざ自分が好きな演目やイリュージョンを辞めるのは
相当な覚悟が必要だし、まだまだ体力的にできると思えば辞め時を逸してしま
います。

そうこうしているうちに世間のコンプライアンスはあっという間に厳しくなって
いきました。
何度か書いてきましたが、動物や火気厳禁の現場が増えていったのです。

2000年代まではホールやホテルの宴会場で、炎ボウボウ、スモークモクモク、
特効ドーン!、紙吹雪は散らかし放題、さらに大型鳥は飛びまくり…と自由奔放
な演技が可能だったのです。
これらが禁止されたとなれば、体力的にできるできないの問題ではなく、ルール
上できなくなるわけですから、否応なく演目は変わらざる得ませんでした。

私の場合は結果的に「加齢とコンプライアンスの変化」という「外圧」が背中を
押してくれたのでした。
当時は焦りましたが、今となってはコンパクトながらも自分にピッタリの
パッケージショーができたことで結果オーライだと外圧に感謝しています。
強力な外圧がなければ、いつまでも昔の自分にしがみつくようにダラダラと
続けていたかも知れません。

マジックショーにはアスリートほどの体力は必要ないとしても、どうしても
衰えてくる部分は出て来るもので、30代でやれていたことと40代でやれていた
ことは違うし、50代になれば益々思い通りにいかないことも増えていきます。
そこで私は50歳前後から日常のQOLを上げて様々な変化を楽しめるようにと、
マジック以外でもそれまでの保守的な考え方を改めました。

行きつけの店でのメニュー選びでも初めての料理をオーダーしたり、お店自体
の新規開拓をしたり、服や靴も40代までとは違ったテイストのものにトライ
したり、腕時計も様々なブランドを蒐集してTPOによって選択したり、思い
切って憧れていたクルマに乗ることで街並みの彩度が大きく変わることを体験
できました。

この歳になって回顧すると、「駆け上がる自分と枯れていく自分」「失うものと
引き換えに得られるもの」…起伏や変化のある人生を楽しめるくらいの心の余裕
を持って生きていけば、変化を恐れる必要はありません。


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変化を恐れない 3

私は元来、あまり変化を好まない保守的な人間です。(外食の際も店によって
オーダーするものはほぼ決まっているタイプ)
今回は、そんな私が時代の変遷や加齢によってマジックの演目を変化させて
いった(変化せざる得なかった)ことについて考察します。

大抵のマジシャン(特にコンテスト志向の人)には憧れのメンターがいて、10代
や20代の頃から試行錯誤しながら自己実現のためのアクトを作り始めるもの
です。
私の場合は高校生の頃から鳩やファイヤーを用いたアクト作りに夢中になりま
した。(島田氏やサコー氏の影響が大です)
そしてそれは20代半ばのコンテストアクトで成就し、その後にプロ活動を開始
する際の大きな自信となりました。

ところが1990年代の末、あれほど愛して拘った燕尾服姿のダブアクト(鳩出し)
をキッパリと辞めました。
それはアマチュアリズムに支配された考え方を払拭して「稼げるプロ」としての
考え方に切り替わったからです。
プロ活動をする上でアマチュア時代のコンテスタントと最も違うのは、求めら
れる演技時間の長さでしょう。
コンテストの制限時間は長くても10分以内ですが、プロとしては30分以上を求
められるのが普通です。
30分~1時間のショーとなると、緊張感あり笑いありという様々な表情を演出
できる必要に迫られます。
オープニングのコンテストアクトで観客を唸らせたとしても、後の演目が凡庸
ではショー全体が尻すぼみになるのは自明の理です。(ところでプロになって数
十年経ってもショーの最後にコンテストアクトを演じる人もいますが、それは
今日に至るまで、若い頃に作ったアクトを超える代表芸を作れなかった証左です)

昔は歌手が一発屋的なビッグヒット1曲さえ出せば、後はクオリティを気にせず
に適当な曲を集めてすぐにアルバムを出したものですが、今はそんな時代では
なくなっています。
有名アーティストですら「アルバムをつくる際には、まずはいい曲を集めないと
レコーディングに入れない」ということです。

世間には全く知られていないマジックコンテストで受賞して天狗になったり、
全能感を得て安直にプロ活動を始める人も散見しますが、マニア向けのほんの
数分の演技の評価で、今後の何十年という人生を方向付ける危険性を自覚する
べきだと思います。
コンテストアクト+凡庸な売りネタやコピー商品でプロ活動を始めても、稼ぎは
たかが知れているし、結局は営業出演だけの収入では立ち行かなくなり、飲み屋
のレギュラー枠を獲り合ったり、安易にクラウドファンディングに頼ったり、
レクチャーで糊口を凌いで、家族を養うことさえおぼつかない晩年を迎えると
いう事例が多いのです。

マジックの手順であれ、アーティストのアルバムであれ、飲食店の料理であれ、
ものづくりに携わる人間としては、「自分を誤魔化さずに納得したものが客に受け
入れられる」ことで手応えを感じることが肝要なのです。

さて、燕尾服を着たコンテストアクトが売りだった私は、どのように営業手順
を作ればよかったのでしょう。
当時の私にとっての燕尾服は崇高なもので、それで身を包んでいる限りハード
ボイルドな演技はできても、カジュアルなトークマジックは燕尾服の尊厳を貶
めるようで、どうしてもできませんでした。
営業出演で稼ぐためには、本来の自分にブレーキをかけている燕尾服を脱ぐしか
ないという結論に至ったわけです。(これまで多くの衣装を後輩に譲渡してきまし
たが、コンテストで着た燕尾服だけは記念として保管しています)
実際に当時マリックさんからは「本来は陽キャラのあなたがステージで怖い顔を
しているのは燕尾服のせいだ」と指摘もされていました。

すでにこの頃には、大型鳥を使ったバードアクトやイリュージョンをメインに
したショーの青写真が出来つつあったので、ダブアクトを辞めたところで収入
面の心配は全くしていませんでした。
心配があるとすればただ一つ…それは燕尾服に抱く「未練」だけでした。

次回4で完結です……

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変化を恐れない 2

自ら変化しようとする場合もあれば、変化を望んでいなくても変化せざるを
得ない状況もあるわけで、いずれの場合でも「備えあれば憂いなし」…新しい
環境に適応するには周到な準備と覚悟が必要であることは論を俟ちません。
その後の生活のクオリティは助走で決まると言ってもいいでしょう。

「昔取った杵柄」…餅つきの技になぞらえて、若い時に身につけた技術は年齢を
重ねても通用するという意味です。
一定のキャリアのあるベテランマジシャンならば、現在仕事で駆使している
テクニックの多くが
若い頃に身につけたものであることを自覚しているはず
です。

一般的には、このことわざ通り、人生の後半戦に経験の技が活かせる場面も
あるに違いありません。
しかし現代社会においては、しばしば自分の杵柄(スキル)を駆使しても全く
役に立たないという事態が生じます。
わざわざ餅をつかなくても美味しい切り餅が売られているし、近い将来には
誰も餅を食べなくなる時代が来るかもしれません。
全てが自動運転の時代になったら、二種免許はおろか普通免許を持つメリット
すら無くなって、免許証は単なる身分証明書になるのかもしれません。

ただマジックに関しては、その醍醐味は、やはり長年の修練によって身に付く
アナログ的なテクニックにあるのであって、科学技術の発達によって生まれた
最新のデバイスやスマホのアプリを使ったマジックは、総じて一時的に流行る
だけですぐに陳腐化し、そこに拘泥しても永遠に演じ続けられるものではあり
ません。
観客も一応は驚きはするものの、心のどこかでは「このマジシャンは他力本願の
マジックをやっている」と感じているに違いありません。
観客はタネは見破れなくても、そのマジシャンが醸し出すアナログの「凄味」は
敏感に感じ取ります。

先日、20代のホッピングマジシャンのマジックを見る機会が何度かありました
が、やはり横並びで似たり寄ったりの演目が多く、レパートリーのストックの
少なさが垣間見えました。
そこそこ食べていけるからこれでいいのだ…というワンパターンで抑揚の無い
生き方をしていても面白くないはずです。
できれば毎回出演記録ノートを書き留めて、変化を恐れずにアップデートする
ことが肝要です。

参照:2009年12月27日のコラム「出演記録ノート」…コチラ

還暦を過ぎた私でさえ「あなた自身が最高の演技と思うのはいつ、どこのステージ
でしたか?」という質問をされたなら、こう答えるようにしています…「たぶん次の
ステージ」

次回3に続く…

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より以前の記事一覧