マジック

プロ・アマの区別って?

毎年年末には「プロ野球戦力外通告」という番組が放送されて、そこでは
家族の人生をも巻き込んだ悲喜こもごものドラマが展開されます。

プロ野球選手のおよそ8割は主体的に引退を決めるのではなく、所属する
球団に解雇され、他に契約してくれるチームも見つからず、結果的に引退
を迫られています。
日本においてプロ野球選手を名乗るには、12球団のどこかと契約して所属
しなければなりません。
つまり「自称プロ野球選手」は存在しないわけです。
資格が必要な職業であれば、無資格で「自称◯◯」として対価を受け取って
業務を行えば、法に抵触する可能性があるし、悪質な場合には逮捕される
こともあります。

翻ってマジシャンの場合、どこかの事務所に所属する義務やライセンスも
必要ないからか、いつの間にかプロ活動を始めていつの間にか消えていく
人も多く(業界への参入と退出が容易)、かなりお手軽で他の業界のプロとは
覚悟と悲壮感が違う、つまりプロ意識のレベルが違い過ぎると言っても
過言ではないでしょう。

一般人の中には、プロマジシャンになるには幾多のハードルがあり、選ば
れし者だけが狭き門を通るに違いないと信じて疑わない人が少なくありま
せん。(いつでも誰でもなれるのに…ああ、心苦しい)
以下のような質問をされたマジシャンも多いことでしょう…
「やはり手が器用でないとプロにはなれないんでしょ?」
「誰かに弟子入りするんですか?」
「専門学校があるのですか?」
「免許が必要なんですか?」
「タネや仕掛けは自分で考えるのですか?」
「特許があるのですか?」
…プロを名乗るのにあたってそんなものが必要ないからこそ、飲食店界隈
や路上で自称プロが増え続けるのです。

若手の頃はそもそも的な質問や失礼な質問もありました…
「マジシャンて食えるの?」
「昨夜テレビでやってたマジックのタネわかる? あんたできる?」
…マジシャンあるあるではないでしょうか。

過去にもマジシャンが「プロ・アマ論」を語りながら、その時々の自分の
立ち位置に都合の良い定義をする傾向がありました。
「出演ギャラ以外にマジックと関係ない収入を得ていればセミプロだ!」と
断言しておきながら、仕事がなくなると節操もなくネタ販売やレクチャー
に奔走しても、「これはプロの仕事だからセーフ」…とかね。
アルバイトで食いつないでいるお笑い芸人が職業を問われた際に「お笑い
芸人やってます」という返答を違和感なく受け入れているのに、なぜに
マジシャンだけが「専業プロ」の定義に拘るのでしょうか?

マジックバーのマスターってどんな立場なのでしょうか?
プロとしての営業出演には興味がなく、最初から飲食店をやることが夢
だったという人もいるでしょう…とはいえ、オファーがあれば店を閉めて
までオイシイ営業出演を優先する人も多いようですが…。
営業プロとしての仕事だけで生活が成り立つほどの出演オファーがない
ことを見越して飲食店を始めた事例(おそらくこれが最多でしょう)と、
飲食店を始めた自称アマが店でマジックを見せる事例…これらのどこに
違いがあるのでしょうか?
役所から営業許可証を交付された上で、確定申告等の書類上の職業も
社会的な認識も「飲食店経営者」ではないでしょうか?
対外的に標榜するプロかアマかは、結局は自己申告に過ぎないのですよ。

近年の私はあえてマルチワーカーを標榜していることもあって、もはや
プロだのアマだの、ましてやセミプロだのパートタイムプロだのと区別
するのは無意味ではないかとさえ思うようになりました。
お気軽に演じて自身が楽しむのがアマで、職業として真摯に向き合って
対価を得るのがプロという理想的な区別も現状では意味をなさないと
思います。
純粋にマジックを愛してやまない真摯なアマもいれば、マジック業界の
ステータスを貶めるだけのプライドのかけらもないプロもいますからね。

紅白出場クラスの歌手が、高級クラブのVIPルームのカラオケで、完全な
プライベートで熱唱しているのを何度も見かけたこともありますし…
もっとフレキシブルに考えて、一人の「マジシャンを名乗る者」が「対価を
得て演じる時はプロ」、「趣味で演じている時はアマ」でいいのかもしれま
せんよ。

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マジシャンのプライド 3

前回からの続きです…

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と云われるように、プライドを捨て
なければ成長できない場面も多々あります。

また人生にはプライドとメリットが火花を散らす場面もあるのです…

大晦日の紅白歌合戦では、毎年同じ歌ばかり繰り返し歌う大御所の歌手が
いたものですが、本人は一発屋だと思われないように新曲を歌いたい旨を
打診しても、楽曲はNHK側からリクエスト(指定)されるのだという話を聞
いたことがあります。(その歌手の最大のヒット曲の場合がほとんどです)
その話が事実であれば、「それを歌わなければ出演する価値はない」と宣告
されているに等しいわけです。
持ち時間も短い上に楽曲を指定されるなど、プライドを傷つけられて忸怩
たる思いをしてまで出演するのは、引き換えに大きなメリットがあるから
に他なりません。
昔は演歌歌手が紅白に出れば、それを看板に翌年は全国ツアーができると
言われていたものです。

私は通常の営業出演では、事前情報をできるだけ集めて、客層やステージ
環境や持ち時間によって最適なショーを構成しているせいか、いちいち演目
を指定されることは滅多にありません。(コンプライアンスの関係上、動物や
ファイヤーマジックをNGとされることはありましたが…)
ただし、テレビ出演においては手順の短縮や演出を指定されることがある
ので、それはできる限り受け入れてきました。
それもこれも出演することに大きなメリットがあるからこそです。

一方で、メリットもない上に見返りも期待せずに了承したボランティア
出演の好意を踏みにじられたり、手順構成に口を挟まれて自尊心を傷つけ
られても黙っていたら、プライドのかけらもないことを自ら標榜している
ようなもので、それ以降も同様の扱いを受けても仕方ありません。
例えるならば…長年のボランティアの好意によって甘やかされて贅沢に
なってしまった難民は有り難みを忘れ、パンでは満足せずに平然と肉を
要求するようになります。
人のアイデンティティーを否定し、善意を雑に扱うような不届きな相手
とは直ちに距離を置くべきでしょう。
乱暴な言い方ですが…舐められたら終わりです。

プライドを持つというのは、改めて自分の価値を自分で確認するために
必要不可欠なものだと思います。

自分のことを誰よりも理解して大切に想ってくれる人は…「プライドを堅持
した自分」なのです。

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マジシャンのプライド 2

前回からの続きです…

一流ホテルや劇場で演じてこそ映えるアクトを持っているとして、決して
ステータスが高いとは言い難い屋外のお祭りの舞台で、そのアクト指定の
オファーがあったとしたら、プライドのあるマジシャンとして受諾すべき
でしょうか?
角度や広さ等の物理的な問題やギャラなどの条件はクリアできているもの
として…そのような場所でやるのかやらないのかだけの問題としてです。
(シャンデリアの下か、盆提灯の下か…)

プライドが赦さず、一流の場所でしかやりたくない人は断るでしょうし、
逆にどんな場所でもやることがプライドだという人もいるでしょう。
またプライドなんて関係なく、ギャラさえ貰えばいつでも何処でもOKと
という現実的な人もいるでしょう。
明確な正解はないかもしれないし、どちらも正解かもしれません。
ただ私個人としては、チャニング・ポロックやシルバンが盆提灯の下に
立っている姿など想像したくはありません。

若い頃、あるパーティーの二次会に顔だけでも出して欲しいと言われて
行ったところ、拍手で迎えられてマジックをやらざる得ない空気が作られ
ていたことがありました…罠です。
期待して拍手した人達には罪はないので、不愉快さを隠して少しだけ演じ
ましたが、若い頃だから耐えられたものの、ある程度の年齢やそれなりの
立場になって嵌められるとしたら、プライドの傷つき方も深くなります。
このようなシチュエーションでパフォーマンスをやるのもやらないのも、
「プライドが赦さないから」で通用するでしょう。
これも正解はないかもしれないし、どちらも正解かもしれません。

ところで、昔から私が「不正解」だと感じている事象があります。
一部のプロですが、プロとしてのプライドを放棄して、資金力のあるアマ
にべったりと甘えている(飼い慣らされている)事象。
そのアマを本心ではパフォーマーとしては少しもリスペクトしていないの
に、その財布目当てでちやほやしておだてるプロがいるからこそ、アマが
プロを束ねて主導権を握るような事象が起こるのです。
そのアマがお金持ちではなく資金提供しなくても付き合っているのか?…
金の切れ目が縁の切れ目のような付き合い方をするプロは昔から存在して
います。

「最近のアマはプロを舐めている」と愚痴をこぼすプロがいますが、自分達が
そのようなアマを作り上げてきたのです。
資産家のアマにネタを買ってもらったり、レクチャーに呼ばれて宴席で
接待されて有難がっていれば、舐められて当然です。

かつて地方の温泉場で開催されるコンベンションの宴会では、アマチュア
マジッククラブの会長連中がプロを呼び捨てにして、プロ達がペコペコ
しながらビールを注いで回る醜悪な光景が繰り広げられていたものです。
若い頃、このような光景を見た私は「こりゃダメだ、バカバカしい」と自室
に戻って部屋飲みをしていました。
大御所や先輩プロのそんな姿を見た若手が、アマに頭が上がらなくなる
のは当然の帰結でしょう。

全てはプロのプライドの無さが生み出す事象なのです。

次回3に続く…


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マジシャンのプライド 1

マジシャンにとっての「プライド」…それは個々のマジシャンの生き様の中
で醸成されていくものだと思います。
プライドは自身の格付けとも言えるでしょう。

俳優業界の格付けは、映画のエンドロールを見ればよく分かります。
主演、準主演、脇役、エキストラ、最後に大御所という順番が一般的です
ので、各俳優が持つプライドと順番は、ほぼ一致していることでしょう。
今は脇役の俳優でも、いつかは主役や大御所のポジションを目指すモチベ
ーションになるはずです。
現に昔の映画を観た際に、あの大物がこんなちょい役で出ていたのかと
気づくこともあります。(本人にとっては黒歴史かもしれませんが)

複数のマジシャンが出演するポスターやフライヤーを目にした時、写真や
名前の大きさや配置によって、そのマジシャンのポジションや主催者から
の扱われ方が窺い知れるし、誰が校閲をしたのか…主催のマジシャンによ
る差配であれば、その思惑が透けて見えることもあります。
若い頃はプライドなど持つべくもなく、出演する機会があるだけでも嬉し
くて、写真の大きさや出演順やギャラなどは気にならないでしょう。

それが善いか悪いかは別として、私は昔から序列や楽屋の位置や広さまで
気にする方でした。
営業出演の際の控室に固有名詞ではなく、十把一絡げのごとく「余興控室」と
書かれていると(自分の名前は余興じゃねえぞと)モヤモヤしていました。
そしてそれらの感情は、間違いなくマジシャンとしてのステータスをわず
かですが上げるためのモチベーションになっていたし、そのためには見栄
やハッタリも必要な場面があることも体験しました。

プライドの発露として「見栄を張る」ことと「ステータスを示す」ことの意味を
混同されることがあるので確認しておくと、見栄を張ることは「身の丈以上
のものを他人にアピールすること」で、ステータスを示すことは「本来の地位
を見せること」です。

様々な先輩方を反面教師として、プライドが高すぎるのも低すぎるのも
問題であることも学びました。
招待するために私が送ったエコノミーの航空券がお気に召さずに「なんで
ファーストクラスじゃないんだ!」と憤怒の電話をかけてきた大御所もい
れば、手渡された新幹線のグリーン車のチケットを密かに払い戻しして
自由席に変更し、差額をポケットに入れていたセコい先輩もいましたね。
そもそも論を言わせてもらえば、他人に金を使わせてアップグレードを
要求するのではなく「自腹でファーストクラスやグリーン車に乗る人」が本当
の勝ち組だと思うのですが…。

さらにみっともないエピソードとしては…
地方の講習会で頂戴したお土産を次の地方の講習会の主催者に、さも自分
がお土産として買って来たように手渡してバレてしまったマジシャン…。
悲惨な現場でパフォーマンスをしてきたことを武勇伝の如く若手の前で語
る底辺自慢をするマジシャン…。
調子に乗って師匠ホッピングを繰り返し、信用を失うマジシャン…。
若手でもないのに終電を逃すとタクシー代をせびるマジシャン…。

まあ色んな人がいるものですが、「ケチ」と「臆病」という病は一生治りません
からね。

次回2へ続く…


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アンチの本質 1

「アンチ」とは、「反〜」「対〜」「抗〜」を意味するヨーロッパ諸語の接頭辞
ですが、身近なところではアンチエイジング、つまり抗老化という意味で
使われたりします。
アンチエイジングはともかく、どちらかというと「アンチ」はネガティブな
イメージで使われていることは否めません。

大きな権力や勢力に対するレジスタンス的な使い方もされてきました。
例えば、プロ野球で巨人が圧倒的に強かった時代のアンチ巨人とか。
しかし同じ土俵で競うスポーツにおいては、贔屓のチームの応援の裏返し
という意味もあるので、比較的ポジティブな使い方とも言えるでしょう。

巷間耳にするアンチは、無責任で一方的な否定が多い気がします。
大体アンチの勢力が出現する時点で、その対象はメジャーである証拠だし、
それは有名税のようなもので、好きな芸能人と嫌いな芸能人のランキング
上位に同一人物が入っていることも珍しくありません。
そもそも万人に好かれようとする時点で無理があるし、アンチがいないと
熱狂的なファンもいないものです。
アンチにとっての対象が何を発信しているかが気になって、ついSNSを覗い
てしまうこともあるでしょう…つまり無視できない存在でもあるのです。

私のマジック人生の中で目撃した最も熾烈なアンチの嵐は、平成の幕開け
と同時に日本中を席巻したMr.マリック超魔術ブーム…久しぶりのスターの
誕生にマジック界がこぞって応援してくれるのかと思いきや、嫉妬の悪魔
に取り憑かれた連中がまさに「アンチマリック」となって、秘密を週刊誌に
暴露したり、あんなの俺にもできるとばかりに類似番組に出演したり…。
そのくせちゃっかりとブームにだけは乗っかってお金儲けに勤しんでいま
したねえ…なんだかんだ言っても「またブームが来ないかなあ」と他力本願
なマジシャンが多いと感じます。

またマジシャンの中にはタネや仕掛けに頼らずに、技術だけで演じること
に酔いしれる「アンチギミック」のスライハンドマジシャンも若手を中心に
見受けられます。
シェルコインはもちろんエキストラカードすら邪道だとするストイックな
美学に拘るタイプですね。
私も若かりし頃はクソマニアで、一組のカードと4枚のハーフダラーだけを
使うことに拘り、トリックデックやギミックコインを使う(頼る?)マジシャン
を見下していた時期もありました。
アマチュアであれば自己満足なので問題はありませんが、プロの立場では
一般客にそこを強調してもほとんど意味がないでしょう。
せいぜいカードとコインを客に調べさせて仕掛けがないことを納得させて、
どうだ!と胸を張られても、ちょっとねえ…。
ある程度の現象は網羅できても、優れたトリックデックやギミックコイン
が起こす強烈な現象は再現できないのです。
アンチギミックという拘りが収入にプラスに働くとは思えないし、プロと
して稼ぐためには、手段を選ばずにあるものは使わないと損なのです。

私が若手の頃、まさにアンチギミックやスライハンドの職人的な先輩方も
おられましたが、失礼を承知で言わせてもらえば、総じて暮らしぶりは
楽なようには見えませんでした。
アンチギミックやスライハンドマジシャンがどんどん稼いで、豪邸でも建
てて若手に夢を見せつけてくれれば説得力もあるのでしょうが…。

プロがまず掲げるべきは自らの「アンチ貧困」です…その先にマジシャン
大好物の「感動や笑顔」を語る余裕と説得力があるのだと思います。

次回2へ続く…



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人様が決めること 2

前回からの続きです…

「アピールしない人は強い」というエピソードとして、現役時代のイチロー氏
が新天地への移籍会見で「これからも応援宜しくお願いします…とは絶対に
言いません」と話したことがありました。
応援は自分から頼み込むものではなく、黙っていても人が応援したくなる
存在であらねばならない、との決意表明だったのです。

「人様が決めること」と割り切るのは案外難しく、我々は周囲にどう見られて
いるかを気にしながら生活をしているのがむしろ普通でしょう。

マジシャンとしての私はというと、他人の人生を左右するほどの影響力も
責任感も無いのだから、利己主義だと思われようが徒党を組むことなく、
自分ができることに専念する…その結果、人が喜んでくれたり、さらには
感動してくれたらこんなに嬉しいことはない、という一貫したスタンスで
活動してきたつもりです。
この世に生を受けたからには、自分の人生は自分を楽しませるためにある
のだという考え方を中心軸にしています。
そんな私にオファーをするか否かは「人様が決めること」だし、イベントの
趣旨や予算や客層を吟味してそれを受諾するか否かは「私が決めること」…
それだけのことです。

ただ、「いい人」や「凄い人」と思われたいのは悲しいかな「人の性」…
そこが一部のマジシャンの盛ったプロフィールや実績アピール、さらには
コンプレックスに起因する受賞歴の詐称という形になって滲み出てくる
のでしょう。
興味を持たれるためにアピールし過ぎて、自らハードルを上げるどころか
墓穴まで掘ってしまっている人って多いと思います。
総じて稼いでいるマジシャンは、努力の過程を恩着せがましくアピール
することはしません。
セコいマジシャンはやたらと技術をひけらかして、チップやお酒が欲し
そうなアピールをします。

一部のマジックバーが路上マジックで呼び込みをすることはあっても、
名のある店が呼び込みをするなど寡聞にして知りません。
レストラン選びをする際に、美味しさアピールが過ぎる店は自演の胡散
臭さを感じるからこそ、食べログで「人様が決めた」評価を参考にする人
が多いのです。(最近は食べログも信用されておらず、インスタを参考に
する場合が多いようです)
そもそも人はアピールされ過ぎると「天の邪鬼」になりがちなのです。

一流ブランド店や高級時計店、高級車ディーラーの売り上げ成績が優秀な
スタッフは、商品の優位性や性能を必要以上にアピールすることはなく、
それを所有した後の人生がいかに充実して心豊かになるかを、リアルに
想像できるような接客をします。
そして提供する商品が高額であるほど、最終的にはお客様が決めること
であるとしっかり認識しています。
そしてここが重要です…ライバルのブランドやメーカーを決して貶したり
はしません。

全ては「人様が決めること」…と飄々として、ことさらにアピールしない
人やブランドが本当に強いことは、混沌とした世の中でこそ結果が示し
ています。

余談です…
中洲のクラブで飲んだ際、隣に座った入店して間もない若いホステスさん
から質問されました…「ちょっと耳にしたんですけど、お客様はマジシャン
なんですって? いつもはどこの路上でやってるんですか?」
「路上でやったことはなーい!」と強めにアピールしたことは言うまでもあり
ません。

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人様が決めること 1

常日頃から感じてはいるものの、誤解を恐れずにいざ意思表示をするとなると
多少憚られる事象があった時に、まさに同意できる言語化されたものを見つけ
ると、溜飲が下がります。
少し前ですが、日本経済新聞のコラムにそれを見つけました。
タイトルは…「アピールしない人は強い」

昨年の大谷翔平選手の凱旋記者会見…「子供たちに勇気を与える活躍だったの
では?」という内容の質問に「プレーする側としては、夢を与えようとか、元気
を与えようみたいなものは全く考えていない」と答えました。
「そう受け取ってもらえたら嬉しい」とは言ったものの、自分のプレーに何を
感じるかはそれこそ「人様が決めること」と心しているのです。
自分から勇気を与えようなどとはおこがましい…と。

翻ってマジシャンには「お客様に感動を伝えたい、笑顔にしたい」と臆面もなく
アピールする人が一定数存在します。
仕事を獲得するためのアピールが前のめりになっているのでしょうが、いざ
演技となると客席の反応など関係なく、優越感に浸って自己陶酔する人が
いるのも事実。
オファーの仮が決定になると本人が感動し、ギャラが振り込まれると本人が
笑顔になるという程度の自己完結が現実なのです。

「人を笑顔にしたい」という理想は間違ってはいないし、むしろ崇高だと言える
でしょう。
ですが、それをマジシャンの第一義のモチベーションとしてアピールするのは
軽佻浮薄で、学生が就職試験のエントリーシートに書いたり、面接で話したり
するのと同レベルであって、まともな社会人からは「だから?それで?」などと
突っ込みどころ満載なのです。
まず抽象的だし、食品メーカーの「食卓に笑顔を」的な広告コピーのようで大き
く出過ぎなのです。
わざわざアピールしなくても、どんな仕事でも社会貢献を通じて「笑顔をつくる」
チャンスは少なからずあるはずです。
ただあくまでも、その笑顔は具体的な仕事の先にあることで、目的として設定
するにはあまりにも空虚でしょう。
そして、「どうせなら笑顔はこの人から届けてもらいたい」と、配達人も人様が
決めることなのかもしれません。

「子供たちのために」というオブラートで本心を糊塗してアピールする悪手の
クラウドファンディングは言うに及ばず、偽善とまでは言いませんが、「被災
地に元気を届けます」という大義名分の下、タレントがわざわざ被災地に赴い
て押し付けがましいパフォーマンスの後、「逆にこちらが元気を頂いちゃい
ました」という光景も辟易するというか…マスコミのカメラがなくても継続
して慰問を続けている本気のタレントは別として、他人の不幸につけ込んだ
アピールは興醒めします。

特に日常の中でパフォーマンスや特技を披露する機会が少ない愛好家の慰問
は、慰問される側よりも本人が満足して喜んでいる場合もありますしね。
皇族の慰問は別格として、被災地にとって真に役立つ、つまり自らアピール
する人ではなく被災者側が心から求める(人様が決める)人以外は、めった
やたらと動いてはいかんのです。

そういえば10年前にも同様のことを書いていました…プロ・アマ論 3

次回2へ続く…

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ブランディング

余程の才能に恵まれない限り、何かを成し遂げるためには何かを犠牲にし
なければならないことは論を俟ちません。

学業の成績を伸ばすためには、他人が遊んでいる間でも勉学に励んだり、
ダイエットを成就させるには、食の誘惑を断ち切らなくてはなりません。
マジシャンとしてのステータスを確立するためのブランディング戦略に
おいても同様で、時にはやせ我慢をしたり何らかの犠牲を払わなければ
ならないこともあるはずです。
成し遂げたい事象のスケールに比例して、その犠牲も大きくなっていく
ことでしょうね。

ところで、目的を成し遂げた人の中には、特に努力もせずに現在のポジ
ションを手に入れたと公言して、犠牲を認めない人もいます。
これは本人の意識の問題(苦労を楽しめるとか、犠牲にしたものに対する
鈍感さ)なのでしょうが、一切の犠牲を認めない人には、少なからず自身
に対してのごまかしや自分史を美化する目的もあるように感じます。
努力したことや犠牲を払った事実がダサいと感じて、糊塗してしまうの
です。

勉強なんてほとんどしなかったのに、難関校に合格したという類の話が
代表的なものです。
中高時代にもいましたよ…定期試験当日の朝に「あーあ、昨夜はつい寝て
しまって全然勉強できなかったよ」と嘯きながら、トップクラスの成績を
獲るやつ。
受験においては、大抵は高い月謝を払って有名塾に通って必死で勉強を
しないとブランド校には合格しません。
ブランド校に合格することがイコール人生のブランディングに直結すると
いう短絡的な話ではなく、現実問題としてそれを構築していく過程では、
時間と努力とお金が必要ということです。

ある本に、かの有名デザイナー、シャネルの戦略が書かれていました。
フランスは階級社会であり、どんなに有名でも、どんなに才能があっても、
どんなにお金持ちでも「ファッションデザイナーは商人にすぎない」という
理由から、シャネルが上流階級のサロンに招かれることはなかったのです。
怒りの中で彼女は行動を起こします。
人気急上昇中の芸術家たちを招いて、夜な夜な魅力的なパーティーを主催
して、ここに参加できることこそがステータスであるというイメージ戦略
に打って出たのです。
上流階級の人たちは、話題のシャネルのサロンに招かれたくてうずうずし
始め、彼らは競うようにして自分たちのサロンにシャネルを招待するよう
になったのです。
これはシャネルがデザイナーの社会的地位を向上させた歴史的意義のある
「事件」であり、ブランディングによって自由を得るための努力や出費を惜
しまなかったシャネルの投資例の一つです。

世界的マジシャンであるカパーフィールドの場合でも、初期の特番におい
ては、それほど有名ではなかった彼のために誰もが知る超有名人を次々に
MCやゲストに起用したことが、若きマジシャンのブランディング構築に
功を奏したというエピソードをマジック専門誌の記事で読んだことがあり
ます。

シャネルのエピソードに戻りますが、「ファッションデザイナーは商人にす
ぎない」という部分が、私の脳内で「マジシャンは芸人にすぎない」に変換
されてしまいました…いや、いいんですよ芸人のままで。
ただ様々なタイプのマジシャンがいるのに、世間からは「…にすぎない」などと
河原乞食のようなネガティブなイメージを少なからず持たれている側面が、
マジシャンのステータスを向上させたいと感じている私にはちょっとだけ
引っかかっているのですよ。

「それのどこが悪い? ブランディングなんてカッコつけてんじゃねえよ。
どう思われようが芸人は芸人のプライドを持って生きればいいんだよ!」
…てな具合に、現在のステータスやポジションに満足して拘泥する方々は、
「末路哀れは覚悟の前」がしっくりくるほどそれこそ強固にブランディング
されているわけですから、それはそれで立派ではありませんか。
お見逸れしました。



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マルチワーカー (番外編)

過去何度も複業(副業ではなく複数の本業)をこなすマルチワーカーについて
書いてきました。

コロナ禍において大きなダメージを受けた業界としては、マジックを含む
エンタメ業界、飲食業界、旅行・観光業界が代表的なものとされていますが、
「週刊ダイヤモンド」に興味深い記事を見つけました。
それはテレワークの普及で通勤機会が減少したことでスーツが売れなくなり、
スーツ専門店が「脱スーツ」に全力を挙げている…という事象。

日本を代表するスーツ4社(青山商事、AOKI HD、コナカ、はるやまHD)の直近
の通期決算は営業赤字に転落しているものの、各社の事業内容を検証して
いくと、同じスーツ専門店であってもその苦境の度合いには格差が存在し、
「脱スーツ」の成否(つまり複業の成否)が企業の先行きを左右しつつあるの
です。

以下、記事の内容を要約すると…

業界1位の青山商事で堅調な成果を収めているのは実はフランチャイズの
事業群で、売り上げの10%を占める100円ショップ「ダイソー」のFCで、
同6%を占めるのが「焼肉きんぐ」のFCです。
スーツ専門店は郊外に立地している店舗も多いので、異業種企業と組んで
FCとして業態転換も可能であることは納得できます。

業界2位のAOKIは、売り上げ全体に占めるスーツの割合は4分の1程度。
AOKIでスーツよりも売り上げが大きいのは、オレンジ色の看板を目印に
する複合カフェ「快活CLUB」で、現在493店舗を展開して業界首位に君臨
し、スーツ事業の落ち込みを補って余りある状況を鑑みれば、先行して
「脱スーツ」に成功していると言えるでしょう。

上位2社はスーツの一本足打法に見切りをつけて第二の人生を歩み始めて
いるわけですが、下位2社は迷走しているようです。
コナカはレディースブランド「サマンサタバサ」の筆頭株主になったことが
完全に裏目に出たし、一本足打法を続けたはるやまは売り上げ不振の上に
親族経営にありがちなお家騒動の真っ最中で、回復の兆しが全く見られ
ない状況です。
先行きが厳しいスーツ市場で、ヒットも出ず、新規事業がうまくいかなけ
れば、業態転換してFC商売で生きていくか、淘汰されるしかないでしょう。

結局スーツ業界も冷静かつ迅速にマルチワークにシフトした会社が生き残
る可能性が高いという証左です。

翻ってマジック業界はどうでしょう。
一本足打法信奉者の「本物のマジシャンならマジック以外の収入を得るな、
自分はそうしてきたのだ」という浪花節的な武勇伝はもう通用しません。
それはまるでバブル期のスーツ専門店の論理そのものです。
純粋に「本物のマジシャン」であることに拘るならば、厳密に定義すれば、
レクチャーも道具の販売もバー経営もせずに、ショーのギャラのみで生き
ていく姿を見せるべきです。

マジック業界のみに身を置いていると視野が狭くなって、出演ギャラ以外
の収入を得ることもプロとして当然だと思いがちですが、他の業界のプロ
と比較すれば、その違いは歴然です。

現役のプロ野球選手は、空いている時間に有料の草野球教室を開催して、
自らバットやグローブを販売することはありません。
ゴルフのトーナメントプロは賞金で食べているのであって、地方の練習場
でレッスンプロのような真似はしませんし、アマチュアにゴルフセットを
売りつけたりしません。
売れている歌手は、素人を集めてカラオケ教室の先生はやりません。

自称プロマジシャンはマジックと少しでも関係があれば、自分がやって
いることはプロの業務としてセーフであると都合良く解釈しているのが
現実で、ある意味ではすでにマルチワーカーなのです。
マジシャンは営業出演以外にもマジックに関連した何らかの収入源を見出
すことが可能ですが、その優位性を棚に上げて、いつか売れることを夢見
てコンビニでアルバイトをしている若手お笑い芸人に「お笑い以外の仕事
をするな!」と面と向かって言えるでしょうか?

自戒を込めて言えば、年配になるほど「こうすべきだ、かくあるべきだ」など
と自身の成功体験を若手に押し付けてしまう傾向があります。
もう時代が違うのです…若くしてバブルのあぶく銭でイリュージョンが
やれたことも、緩いコンプライアンスのおかげで、いつでもどこでも
ファイヤーマジックや動物マジックができたことも、遠い過去の思い出
になるのです。

私以上の世代は一本足打法の「逃げ切り世代」として人生を全うできるかも
しれませんが、これからの世代はなかなかそうはいきません。
「アリとキリギリス」のキリギリス的な生き方をしてきた人も、今回の
コロナ禍で懲りたはずです。
しかしコロナが収束したとして、喉元過ぎれば…を繰り返すのであれば、
その楽観的な呪縛を払拭しない限り、必ず遭遇するであろう将来の災禍
を乗り越えることはできないでしょう。

安定してマジックを続けるために、またハイブリッドな人生の安全運転
のためにも、マルチワークはもはや「任意保険」なのです。

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諦めるという美学

一般的に「諦める」ことはネガティブなことだと捉われがちです。
おそらく幼少期から「諦めるな」と鼓舞されて育てられた人ほど、そう感じる
のかも知れません。
私自身もどちらかというとそのように教育された方ですが、親の意に反して
多くのことを諦めてきました。

そもそも子供の頃は「夢を諦めるな」と励まされ、大人になってからは「いい歳
して、そんな夢諦めろ」と貶されるのですから、人のアドバイスなんて無責任
なものなのですよ。
まあ「夢」という曖昧模糊としたものが対象であるなら仕方がありませんが…。

私は諦めることは決して悪いことではないと確信しています。
「名誉ある撤退」と言い換えてもいいでしょう。
ただ諦める瞬間にちょっとした無念を噛み締める場合があるけれど…それは
単なる判断の結果に過ぎないのですから。
「大失敗」というのは、往々にして諦めなかったことが原因です。
ここで重要なのは「目標」を諦めるのではなく、目標に近づくための「手段」や
「方法」を諦めるという意味です。
「現実的な目標」のために「非現実的な夢」を諦めなければならないこともある
でしょう。
私自身、多くのものを諦めながら(削ぎ落としながら)、最終的には大きな果実を
手にしてきた自負心はあるし、「冷静になって諦める」という経験は、抽象的かつ
客観的な思考を育むことに繋がるはずです。

マジシャンとしての生き様を例にすれば、人によっては孤高の営業プロと
して圧倒的に稼ぐために、マジシャン仲間と徒党を組んだりマニアが集う
世界でちやほやされることを諦める(距離を置く)というのもあるでしょう。

マジックの手順を考える際に、最初は実現不可能な理想像を描いてスタート
すれば、その理想の手順に到達するためには、近道だと思った「ルート」や
「方法」を諦めなければならない場面に何度も遭遇するはずです。
その体験が無い人は、おそらく既製の売りネタを羅列しただけで、諦める
というのは商品が高くて手が出なかった時にしか感じないでしょう。

マジックの「手順」というものを履き違えてる人がいますが、ボーリング球
を出して、3本リングを演じて、テーブルを浮かすことは手順ではなくて
商品紹介ですから、諦めるという場面はほとんど無いはずです。
中国製のコピー道具が壊れたって?…自業自得だからさっさと諦めなさい!

若いうちに色々な手順を作って取捨選択をするセンスを磨き、何度も繰り
返し忸怩たる思いをすることが、将来の果実を手にする近道です。

マジックの手順を作ることは「諦め」の学びであると同時に、学びによって
辿り着いた諦めは、紛れも無い「美学」なのです。


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