マジック

老害とリスク

昨今、どのような分野においても「老害」というワードを耳にします。
いかなる職業やサークルに関わらず、世代が違う人々の集合体であれば、目上の
人間の発言や立ち振る舞いが若い人達から「老害認定」されることは珍しくはあり
ません…まあ、ネガティブな事象ですよね。
老害の対象とされる年齢も次第に若年化される傾向もあります。
極端な例だと思いますが、30代のマジシャンが20代のマジシャンにアドバイス
をしたら老害と陰口を言われたという事例まであるほどです。

個人的には、老害になるかならないかの分岐点は「無知な自分をさらけ出す勇気」が
あるかないかに尽きると思います。
例えば企業において、生成AIなどの新しい領域に疎い役員や部長が若手に教えを
請い、初歩的なミスをして恥をかくこともあるでしょう。
ここでプライドを捨てて素直になれる人は老害認定される可能性は低くなります。
某企業の採用担当者による「学歴や年齢よりも素直に間違いを認めてすぐに謝れ
る人を採用したい」という新聞記事を思い出しました。
この記事で「スライディング土下座」というワードを知ったので記憶に残っていました。
一方、自身の評価を気にするベテランの一部は「こんな仕事のやり方は邪道だ」だの
「俺が若い頃はもっと苦労した」などと宣い、自身の優位性を示せるルールを死守しが
ちになるのです。

近年の若手のマジックは、私には全く追い付けない技法やタネの想像もつかない
ような素晴らしい現象を散見します。
もし私が同世代であれば焦りもするでしょうし、間違いなく闘争心が湧いて研究
や稽古に励むことでしょう。
しかし現実的には時間を巻き戻すことは不可能なので、達観して素直にそのマジ
シャンを認めて称賛すればいいし、自分なりのブランディングで他人には真似で
きない土俵に立って、自身が納得する成功への道を歩めばいいだけなのです。

私の場合、時間が許す限り今も多くの後輩マジシャン達と会食を続けていますが、
彼らに対して評価したりダメ出しをすることはまずありません。(人としての姿勢や
生き様に苦言を呈したことはありますが…)
それどころか「マジックセッション」で書いたように親しい後輩達に見てもらって、
現在の自分の立ち位置を確認することの方が多いくらいです。
アドバイスをすることがあっても相手から求められた時だけですし、「昔と今とでは
マジシャンを取り巻く環境や社会のコンプライアンスが違うので、何が正解かは分か
らないけど…」と前置きして話をします。
年齢を重ねることはマイナスばかりではなく、自身で伸びたと感じるのは「物事を大
づかみに把握する力」です。
それを理解した上で、余計なお世話と思われないように注意しながら後輩との付
き合いに経験を活かしたいと思っています。

一般的に、ベテランの多くは直感や経験則を優先する傾向があります。
経験に裏打ちされた直感は貴重な資産だからです。
しかし直感という刀は錆びやすいので、アップデートを怠ってはいけません。
マジシャンに限らず、老害と呼ばれる人々は自身のデータベースの劣化に気づい
ていないのです。

テレビに出た過去を自慢するのも、遥か昔に受賞した栄光にすがるのも、若手
マジシャンを否定するのも、時代遅れの自分を認める恐怖から来る防衛本能に
過ぎないのです。
老害とは加齢や性格ではなく、無知をさらけ出して再び初心者になるコストを
払うことを拒否して意固地になった挙句、リスクだけが残った人の別称なので
しょう。

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成功体験の誤謬 2

前回からの続きです…

もう一つの理由は同業者の追随や模倣です。
例えば、デビューして一年目から活躍した野球やサッカーの選手でも、対戦
チームがすぐに対策を練って迎え撃つので、同じやり方があっという間に通用
しなくなることは、スポーツ界ではよくある事象です。
また、あのやり方で売れる、稼げると思えば、すぐに研究、模倣する輩が現れ
るのが世の常です。
平成初期のマリックブームの際の模倣の嵐はその典型でしょう。

地方においても似たり寄ったりで、例えば九州の営業プロの間では、一つの雛形
(出し物はもちろん、手順構成やギャグまで)が劣化した状態でいまだに慢延している
ようですが、私自身は早々に独自の主戦場に活動の場を移しているので、具体的
な影響を受けてはないものの、総じて他者との差別化は難しくなっているようです。
また、仕事に行き詰まったマジシャンが田舎の超能力(?)喫茶店の模倣をする
事例まであるようですが、生き延びるためとはいえ、ようやるわって感じは否め
ません。

過去の成功体験の記憶にすがりつく人が多いのは、はっきり言えば不安感が大き
いのでしょう。(経年劣化した大昔のコンテストアクトを捨てる勇気あるマジシャン
がほとんどいないのがその証左です)
それ故に、このままではいけないと思いつつも、新しい手順構成や曲で挑戦する
ことが怖くて、一歩を踏み出せないのです。
この傾向は特にベテランマジシャンに顕著で、実績と経験値を上げていく一方、
それらにすがりたくなるので、全く新しいものに一から取り組むことが難しく
なるのです。
なぜなら新しいものはウケた試しもなく、最初は常に小さい芽であり、育てる
ことに残り少ない貴重な時間を投じたところで大きくなる保証はないからです。
しかし、それらに新鮮な気持ちで取り組む気力を失えば、淘汰されていくのは
自明の理でしょう。

とはいえ、「言うは易し行うは難し」なのですが、先人達の晩年を見てきた感想は、
全盛期の演技に拘ったベテランほど「全盛期の本人」が今の自分に立ちはだかって
いるように見えます。(もちろん晩年において、年相応に似合う枯れた演技や熟成
されたクロースアップ等の例外はあるでしょう)
「人の振り見て我が振り直せ」ではありませんが、私自身は全盛期のアクトは綺麗
さっぱり断捨離して(もちろん未練タラタラでしたが)、年齢を重ねた現在の自分
を俯瞰で見る努力は怠っていないつもりではいます。

いずれにしても成功体験からの離脱は、お酒やタバコのように難しいことです。
離脱するのも成功体験にしがみ付くのも、各々の生き様次第なのでしょうね。

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成功体験の誤謬 1

マジシャンとしての活動を続けていると、遅かれ早かれ自分なりの成功パターン
というのが確立されていくものです。
成功パターンが確立されると、オファーを受けて本番に臨む際の自信と心の安寧
が得られるのは紛れもない事実でしょう。
しかし、成功体験の記憶に執着して「今後もこのパターンで大丈夫」と思い込んで
続けていると、早晩それは通用しなくなります。
特に現在のような変化の激しい時代であれば尚更です。

成功したのは、たまたま世の中の流れのタイミングが合っていたとか、的確な
アドバイスをくれるメンターがいたとか、年齢的な要素が影響したとか、その時
に恵まれたポジションにいたとか…様々な偶然の条件が重なっての結果なのだ
と思います。
ただ、このような条件は日々刻々と変化していくもので、その成功パターンに
拘泥しているうちに取り残されていくのです。

それには大きな理由が二つあると思います。

一つは世の中のコンプライアンスの問題…過去何度も当コラムで書いてきました
が、現在は火や動物を使ったショーが可能な会場は激減しています。
喫煙者も減った現在、シガレットマジックの類はほとんど見かけなくなりました。
私も昔は「スモークグラス」などを好んで演じていましたが、今やその道具も
どこに仕舞い込んだのかも思い出せません。(断捨離作業の過程で見つかるとは
思います)

はるか先の未来、完全なキャッシュレスや禁煙の時代が訪れたと仮定して、その
未来の人達が「シガースルーコイン」の映像を見たとしたら、「何に何を貫通させて
いるのだろう?」と思うかも知れませんね。

また現代は、どぎついギャグや下ネタ(スポンジボールのあのクライマックス等)は
もってのほかであることは言わずもがなです。
これらのマジックの成功体験は、取り巻く環境や社会の常識の変化に屈する形
で否応なく通用しなくなります。

次回2へ続く…

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レアな道具発見

さて、ここのところ断捨離の話題を多く書いているのですが、先日断捨離を
している最中、貴重な道具(ギミック)が見つかりました。


約30年前になりますが、日本テレビ「特報王国」という番組のワンコーナーで
評判となった「栗間太澄の新たなる挑戦」シリーズを記憶されている方も多いの
ではないでしょうか。
マリックさんそっくりの超魔術師である栗間太澄に挑戦する人のビデオを募集
するという企画があり、この中で顔出しをせずに手だけで演じる「謎の男」が
タバコを使ったマジックで2度出演したことがありました。(実は、あれは私です)

今回の断捨離で、2度目の登場時に演じた「ライジングシガレット」のギミック
(世界に数個しかない珍品)が見つかり、懐かしさのあまり、自身がナイトクラブ
でのライヴで演じている映像(1991年)や特報王国の映像を見つけて感慨に
浸っておりました。

親しいマジシャン仲間に映像を送ったところ、誰もが不思議がる優れたマジック
なのですが、あれから30年経った現代では世相も大きく変化して、タバコのマジ
ック自体が世間に受け入れられそうにもないのは残念ですねえ。

だからこそ、現代でも通用するレパートリーのブラッシュアップが必要と考えて
実践している最中なのですが、今後の断捨離でも、レアな道具が出てくることは
楽しみでもあります。

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マジックセッション

先日、ふじいあきら、ゆうきとも、小林俊晶ら(他アマチュアマジシャン)と新宿の
居酒屋で会食、昔話や最近のマジック界の話題で盛り上がりました。(かなり古い
話題には、ふじい&ゆうきの両名しか追いて来れませんでしたが…)
お腹を満たした後は、最近開拓した静かなレストランバーに移動して、マジック
セッションを行いました。

ここでは、私が最前線で演じているクロースアップマジックの数々…第三者の
カード当て、40年演じている預言マジック、ネイルライターの考察、エリスの
リングのバレない演出、ワンデックで演じるドゥアズアイドゥ、マニア騙しの
ドゥアズアイドゥ、アンビシャスカードにおける一技法、オリジナルと自負して
いるエニーカードインノートパッド等を彼らに披瀝し、分かる範囲での原案者の
確認、同じ演出をしているマジシャンの有無の確認、そして何よりも私の演技に
おける彼らの率直な感想を求めました。(私が自信満々で演じた4Aの出現を失敗
した時、大笑いするゆうきともを久しぶりに見ました)
研究者としてもパフォーマーとしても経験豊富な彼らが、先輩である私に忌憚
なく率直な意見を述べてくれたことで、大きな刺激をもらいました。
(優秀で信頼できる後輩ドクターに健康診断をしてもらった気分ですね)

以前から当コラムで断捨離について書いていますが、私のマジックにおける
断捨離は、イリュージョンに留まらずクロースアップマジックのレパートリー
にも及んでいるため、これまで演じてきたマジックの棚卸しを行い、今後の
人生で演じ続けたいものだけを厳選し、それらだけをブラッシュアップして
いるわけです。
この歳になって新たにレパートリーを増やしたところで、長年演じてきた演目
の安定感に並ぶには相当な時間がかかるはずだし、納得できる頃には演じる
機会はなくなっているか、とっくに引退しているでしょう。
レパートリーの多さを誇示するマジシャンも、本番では大抵決まった演目ばか
りを演じているのが現状です。
自分が何者かを理解していないマジシャンほど、次々と似合いもしないレパー
トリーを増やして、そのマジックの本質を突き詰めることもなく食べかけの
演目ばかりで散らかり放題になりがち。
実践の現場における引き出しの多さで重要なのは、「客と丁々発止のやりとりが
できるワードセンス」や「リカバリーのセンス」や「場を支配する能力」である
はずです。

還暦を迎えた頃から残された人生の時間の貴重さを鑑みた時、人様に迷惑を
かけないことを大前提にワガママに生きようと決めています。
もう居心地の良いクラブのお酒しか飲みたくないし、美味しいものしか食べ
たくないし、高揚する車しか運転したくないし、愛でる時計しか着けたくな
いし、お気に入りの服しか着たくないし、興味無い人や気を遣う人とは会食
したくないし…の方針のもと絶賛実践中なわけですが、この流れに乗れば、
今後はマジックを演じる際にも、自身が好きなマジックのみ(もちろん好きなだ
けという独りよがりではなく、ウケることが大前提)を演じようと決断した次第
で、そのためのセッションだったわけです。(ふじいあきらからは、今後も時々
セッションをやりたい、ゆうきともからは、再考察しているテーマもあった
ので刺激になった、小林俊晶からは、エリスのリングを
つい買ってしまいま
した…とのメールが届きました)

今回のセッションは、私にとっても久しぶりの刺激となったので、彼らに
感謝しています。
若い頃は先輩に見てもらってフィードバックを請うことは抵抗がなくても、
この歳になれば周囲のほとんどは後輩ばかりになってしまうので、プライド
が邪魔をして批評されることに抵抗があるのは当然です。

しかし信頼感さえあれば、それが先輩であれ同世代であれ後輩であれ、マジ
シャンとしての健康診断を委ねる大切さを再認識した夜でした。


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ターゲットを定める 2

前回からの続きです。

ある飲食店経営者の著書の中に次のような一節がありました…

どんな店づくりをしたいのか、どんなお客様を集めたいのか、何を特徴にした
いのか…まず何をやりたいのかという思いをメニューに込めることが大事です。
そのメニューをもとに必要な厨房設備や食器のテイスト、備品数など全てが決
まっていきます。もしそれがなければ、方向が定まらない中途半端な店づくり
になってしまうということです。いい店には、「この店のコレを食べたい」「この
季節になったらあの店のアレだ!」というメニューが必ずあります。


どうでしょう…マジシャンに置き換えても全く同じことが言えるのではないで
しょうか。
どんなマジシャンになりたいのか、どんな演目を十八番にしてどんな観客を
ターゲットにしたいのか。
それを基に己の芸を磨くことはもちろん、衣裳や道具はどの程度のクオリティ
や規模のものを揃えなければならないのか…それらを真剣に考えることによって
自身のイメージするマジシャン像というものが定まっていくのだと思います。
その結果として、アレが観たいからあのマジシャンを呼ぼう、この演目はみんな
やってるけどあのマジシャンでなきゃダメなんだ、今度のパーティーにはあの
マジシャンこそ相応しい…とブランディング構築がなされていくのでしょう。

ところで、名店と呼ばれる一流の鮨屋には自然と富裕層が集まるようになり、
その客層を満足させるために「おまかせ」と呼ばれるコースが生まれたと云わ
れています。
お客様に「何が食べたいですか?」と聞いた後に指定されたものを出すのではなく、
とにかくその時期に一番美味いもの、大将がいいと判断したものを出すわけです。
名店は接待で使われることが多いことから、自分で食べたいものを選ぶよりも
大将を信頼して任せるというわけですね。(富裕層はおまかせの価格を聞くような
野暮なことはしません)

マジシャンも「おまかせ」されるようになればしめたもので、オファーがあった際
に、私はパーティーの主旨や客層をリサーチした上で、全て任せて頂いて最も相
応しい演目を構成して臨むように心がけていますし、近年は報酬に関しても値切
られた記憶はありません。
その代わり、おまかせのマジックはそのマジシャンのベストなのですから、ウケ
なかったとしても、その評価は甘んじて受け入れなければなりません。

昔は仕事欲しさから迎合して、クライアントの要望にできるだけ応えていました
が、その結果はどうなったかというと、動物NGの会場なのに「鳥を飛ばしてほしい」
とか、直前になって「うちの社長をマジックで出現させてほしい」「誕生日ケーキを
出してほしい」などとクライアントのワガママや無茶振りを増長させがちでした。
それらを乗り越えたところで、付け焼き刃なマジックなどで高い評価を得ることは
ありません。
またそのようなクライアントに限って値切って来る傾向があります。

最悪なのは「素人の思いつき」を要求されることです。
ある立食パーティーで「乾杯と同時にショーをスタートしてほしい」というタイム
スケジュールを提案されたことがありました…立食パーティーでは、乾杯が終わ
れば空腹な客が料理に群がってショーなんて見るわけがないことすら素人の幹事
は考えが及ばないのです。
この時は幹事を強く説得して乾杯後30分経ってからのスタートに変更して事なき
を得ましたが…まあ、過去には色々とありました。

ところで「すし」の漢字表記には「寿司」と「鮨」の二種類が使用されるのが一般的
です。
「寿司」の方は、例えば冠婚葬祭や祝宴のように、他の料理も色々出されるような場で
食べる「すし」のこと。
一方で「鮨」は、鮨だけの専門店で食べられる「すし」です。

マジシャンとしてスキミング戦略をベースとする私は、迷わず「鮨」を標榜する道を
選択しました…それによって自ずとターゲット(理想とする客層と現場)が定まった
のは言わずもがなでした。

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ターゲットを定める 1

2024年11月16日に「相応しい現場を選ぶ」というタイトルのコラムを書きました…
あるマジックがウケるためには、それに相応しい現場で演じることが肝要である
という内容でした。
このコラムはアクセス数も多く、現役でプロ活動をしているマジシャンからも
一定の賛同を得たようです。
もちろん例外もあります…パフォーマーがメジャーであれば、現場がホテルで
あろうが、ホールであろうが、ショッピングモールであろうが、その知名度と
求心力でどんな演目でも観客の集中力や理解力を増幅させてウケることは可能
だということです。(言うなれば力業もできるということですね)

今回は「ターゲットを定める」として自身が最も見せたい演目で評価を得たければ、
それに相応しいターゲットを選ぶことが重要だとする考察です。
一定の経験値があるマジシャンならば、「この客にはこの演目」「今夜のパーティーなら
この演出」という具合に本能的にそれを理解し実行しているはずです。

まず理解しておかなければならないのは、先に述べたように、メジャーならその
知名度で集客できるので、最大公約数的な演目でどんな場所や客層でも通用する
のですが、そうでなければ、ある程度は自分がどんなタイプでどんなターゲット
に相応しいマジシャンであるかを自覚する必要があるのです。

夜職で酒席にどっぷりと浸かったマジシャンの中には、素面の客に酔客と同様の
馴れ馴れしい接客をしたり、場違いな下ネタでドン引きさせたり、嫌がる女性客の
心情を度外視して薄汚れたスポンジボールを握らせたり、昭和の駄洒落を連発
して客が苦笑いするしかない場面等を多く目撃して来ました。(もちろん私も数多の
失敗をやらかしています)
現在ではコンプライアンスでアウトなものも多いのですが、それぞれの演目が
ダメなわけではなく(不潔は論外です)、これらの事象はその武器がターゲットに
刺さらなかった…と言うよりも、そもそも定めたターゲットが間違っていたと
いうことです。

またテレビ番組においては、どんなに寒いマジシャンでもそのターゲットである
ゲストタレントが気を遣って大げさに盛り上げてくれる傾向があることから(それが
タレントの仕事ですからね)、テレビ慣れしていないマジシャンは本気でウケている
と勘違いすることもあるでしょう。

まずは生活していくことが最優先で、どんな客層でもどんな現場でも引き受け
ざる得ないという現実もあるとは思いますが、一度立ち止まって、自分という
マジシャンはどんな主戦場に相応しいマジシャンなのか、どんな客層や現場を
ターゲットとするべきなのかを見つめ直す時間は必要だと思います。
自己分析の後、所謂正統派スタイルのマジシャンには向いていないことを自覚
したのか、潔く燕尾服を脱いで、園児をターゲットにしたパフォーマーに鞍替え
して成功した人も知っています。

自分にとって生きやすい生態系…魚に例えるなら、せめて自分が海水魚なのか
淡水魚なのかくらいは自己診断しておいた方がよろしいかと…

次回2へ続く…

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技術の普遍的価値

現在の米国では、音響装置の修理技師や配管工、空調整備技士などの所謂技術者
の収入が爆上がりして「ブルーカラーミリオネア」と呼ばれているようです。
必ずしも10億ドル単位の収入があるわけではないにしても、ごく一般的なホワイ
トカラーがAIに仕事を奪われて稼ぐ機会が減少する一方、ブルーカラーの労働者
が金持ちになるチャンスが膨らんでいる状況を指しています。

具体的な例としても枚挙に暇がありません…マンハッタンに住む弁護士の自宅に
音響機器の修理工がポルシェに乗って現れ、数千ドルの修理代を稼いだり、アパ
ートの水漏れ修理では2時間の作業で800ドル(約12万円)を稼いだ…等々。
この金額は妥当なのか…知識のない消費者はただ言われるままに支払うだけに
なるのでしょう。
配管工に至っては今や医者よりも収入が高いようです。

まあ、空調設備の仕事などは、真夏の酷暑の中でも屋根裏で作業したり、カビ
臭い床下に潜り込んだりと過酷な上に、細かな手作業を伴いますよね。
AIがそんな仕事を肩代わりできるとはとても思えません。
我が家でも数ヶ月に及んだ駐車場の外構工事において、職人の技術や仕事の過酷
さを間近で見せてもらいました。

アマゾンを解雇された男性はかつて「肉体労働はいずれロボットに奪われるだろう」
と、リスキリング制度でプログラミングを習得しました…「それなのに今は知的労働
や創作活動をAIが担い、人間は配管工への再リスキリングが必要になっている」と
ため息をついているという記事もありました。
 AIにはできない技術を持つ「エッセンシャルワーカー」の需要は今後益々増えること
でしょう。

高額な授業料を支払ってやっと卒業したエリート大学生が職にあぶれ、高卒ブル
ーカラーは引っ張りだこ…米国はすでにそんな状況にあるのです。
米労働省の統計では、ブルーカラーの仕事で賃金が最も高いのはエレベーターや
エスカレーターの設備・修理工で、年間所得は中間値で10万6580ドル(日本円で
1600万円)に上るそうです。

米国で大金持ちになるのは知識階級の人間というこれまでの常識が崩れつつあり
ますが、米国で起こった事象は日本でも起こることが多いので、日本でも技術者
を目指して手に職を付けるために高専の志望者が増えているのも頷けます。
(NHK「高専ロボコン大会」や「魔改造の夜」は欠かさず観ています)

ではマジシャンという技術者はどうかというと、ギャラが爆上がりという兆候は
見られません。
それは生活していく上で必要とされているものではないから…。

真夏にエアコンの効いた部屋でマジック番組を楽しんでいる最中に、エアコンが
故障したら…もうマジックなんてどうでもよくないですか?

この歳までマジックをやってきて感じるのは、マジシャンのギャラを上げるのに
必要なのは技術の優劣ではなく、「実生活には無用な贅沢品であるマジック」を売る
ためのブランディングの巧さなのだと確信しています。
結局、何をやるかよりも誰がやるかで価格は変動するということです。

 



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ゴールデンタイムとピーク

以前、私は当コラムの中で、マジシャンのゴールデンタイムは35~45歳では
ないかと書きました。
もちろん個人差はあるし、クロースアップマジシャンとイリュージョニスト
では同じマジシャンといえども職種として比べようがないほどの相違もあるで
しょう。(特にフィジカル面では)
それを踏まえた上で、観客をコントロールしたり、場を支配する経験値、営業
を何本もこなせる体力面を総合してのゴールデンタイムという意味です。

ではゴールデンタイムは人生のピークなのでしょうか?…私はそうは思いません。
もちろんそれらが一致している人もいるでしょうが、あくまでも私の理解では、
充実感とは関係なく自他ともに認める「最も活躍していた時期」(最も露出して稼いだ
期間)がゴールデンタイムで、稼ぎなど関係なく「充実していると自分が思える瞬間」
がピークなのだと思います。

私自身、若い頃のようにバードアクトやイリュージョンを主軸としなくなった
ことには一抹の寂しさを感じていますが、それに代わって、コンパクトなパッ
ケージショーが好評を得ていることに、これまでの経験が結実した証左として
大きな充実感を得ています。

アスリート(例えば野球選手)であれば、現役で注目を浴びて稼いでいる時こそが
まさしくゴールデンタイムと言えるのでしょうが、現役時代は特筆するほどの
成績を残していなくても、その後指導者となって後進を育てて名監督として評価
されたならば、その人にとってはそこが人生のピークであるとも言えるでしょう。

一般人の立場でも高収入のエリートサラリーマンがやりたいことを諦めきれずに、
一念発起して独立や起業した場合に、サラリーマン時代よりも収入が少なくても
日々のやりがいを感じることができれば、そこがピークだと言えるでしょう。

若い時期のアドバンテージである体力に任せて汗水垂らして稼いだ年収一千万円
の達成感も理解できますが、地道に働き続けて70代で350万円を得る達成感が
それに劣るはずはないのです。

人生を歩む過程では、報酬の額と充実感が比例しなくなる時が遅かれ早かれ訪れ
るのですから、収入面のみを人生のピークの指標とする必要はありません。
つまり人生のピークとは、決して単純な数字面での優劣で比較できるものではなく、
晩年まで達成感や充実感を得られることだと思います。
「あの頃がピークだったなあ…」と黄昏れる人生はあまり充実しているとは思えません。

人生はフルマラソン…スタート直後から無理に先頭集団に加わってすぐに脱落する
よりも、ピークを先に延ばし、充実感を右肩上がりにして、自分が納得したタイム
でゴールテープを切るのが一番幸せなのかなあと思うのです。

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シン 「プロ・アマ論」

現在の私自身が二刀流、時には三刀流で働いていることもあって、改めてプロ
マジシャンとアマチュアの違いとは何なのかと考えることが増えました。

そこで14年も前に当コラムで3回に渡って書いた「プロ・アマ論」を読み返した
ところ、まあ当時は若い分、かなり尖った書き方をしているものの、基本的な
考え方は現在とほとんど変わっていませんでした。

興味のある方はバックナンバーからどうぞ。
「プロ・アマ論」 (2011年5月6日)
「プロ・アマ論 2」 (2011年10月15日)
「プロ・アマ論 3」 (2012年7月10日)

遠い昔、私が大学病院を辞してプロマジシャンとして活動を始めた矢先に感じ
たのは、マジシャンという職業が市井においては、まともな仕事として認知
されていないということでした。
プロ活動のために大学病院を辞めたと告げると「わあ、勿体ない」と言う人が
ほとんどでしたが、大学病院の勤務医の収入など知れたもので、マジシャンに
転職した方が遥かに稼げるという自信と確信を持っていたし、実際にその通り
になりました。
活躍の幅が広がるにつれて、口さがない一部のマジシャンは「どうせ医者で稼い
でいるに違いない」と陰口を叩いていましたが…。
また「マジックをやってます」と言うと「良い趣味をお持ちですねえ」…「いや、
収入源がマジックなのです」と言うと「え、マジックで食えるんですか?!」等
のやりとりは日常茶飯事でした。
それもこれも資格不要の職業であることに起因しているという結論に落ち着き
がちなのですが、
お笑い芸人も歌手も資格不要であることに鑑みれば、やはり
マジックというのは、芸能の中でもマイナーで、れっきとした職業としてすん
なりと認知させるのは難しい方だと言えるでしょう。

アマチュアの場合は履歴書の「趣味欄」にマジックと書き、プロならば「職業欄」
にマジシャンと書くはずです。
ところが、クレジットカードやパスポートの申請や重要書類の職業欄に堂々と
「マジシャン」とか「奇術師」と書くプロはほとんどいません。
いざとなると何か引け目でもあるのか、手続きを万事支障無く運ぶためなのか、
多くは「自営業」とか「飲食店経営」などと書いてお茶を濁しているのが現実です。

そのくせ、古い考えに拘泥している「自称プロマジシャン」の中には、マジック
関連以外の収入がある人を断固として「純粋なプロ」として認めたがらず、あえて
差別化して「セミプロ」とか「パートタイムプロ」と呼ぶ人もいます。
若手お笑い芸人の多くは芸能では食えないために、収入のほとんどはお笑い
とは関係のないバイト頼みのはずですが、それでは彼らのこともプロではない
と言い切っていいのでしょうか。

著名な画家、フィンセント・ファン・ゴッホの場合はどうだったのか…ゴッホは
死ぬまで絵を描き続けたのですが、その生涯で売れた絵はたったの1点だけ
でした。
自らの作品ではまともに稼げなかったわけで、それをあえて職業と言っていい
のかどうか?
では絵を描くことは、彼にとっては好きでやっているだけの趣味だったのか?
「我こそが本物のプロだ!」と自認する方々に問うてみたいものです。

結局、世間がマジシャンを見る目の多くは「趣味以上、職業未満の仕事」ということ
でしょう。

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より以前の記事一覧