マジック

サブタイトルについて

これまで当お知らせのサブタイトルは「パブリックショーの告知・ニュース
&考察」としていましたが、現在は「パブリックショーの告知」を削除して
います。(誰も気づいていないと思いますが…)

以前から、誰でも観覧できるパブリックな場にはめったに出演することも
なく、あえて告知する内容がほとんどなかったのも理由の一つなのですが、
さらに現在の活動が完全なクローズドの現場に特化されているからです。
それに伴って、マジッククラブ発表会のゲスト出演等のオファーもお断り
しています。
現在の主戦場は、場所も貸切状態の比較的少人数の宴席や、招待客のみの
イベントで演じることがほとんどなので、そのようなプライベートの類の
仕事をここで告知しても意味がありませんからね。

数年前から徐々に派手なステージ&イリュージョンの分野をフェードアウト
して、理想とするクロースアップ&サロンの演目構成に傾注してきました。
ずっと逡巡していましたが、幸か不幸かコロナ禍で改めて自分と向き合う
ことができたことによって、それが加速したということでしょう。
以前にも書きましたが、「ボリューム満点の定食屋」から「完全予約制の懐石
料理店」に業態転換したイメージですかね。
若い頃に作った十八番のアクトを止められずに、生涯それにしがみついた
ままのマジシャンを他山の石としたのも事実です。

万人ウケを排除して顧客層を絞り込んだことで、クロースアップに関しては
自分らしいパッケージが完成して、すでに稼動しています。
あとはサロンの構成…トリネタが決まらない限り他の演目構成を考えていて
も集中できないことが続いていたのですが、ようやく何をどのように演じる
のかという青写真は出来上がりました。
問題はそれをどう具現化するか…どんなに予算がかかっても完成させる価値
がある現象なのですが、さてどうなることやら。

今後は、これまでのスキミング戦略に基づいた活動にさらに注力します。
他人からは地下に潜って隠密活動をしているように見えるかもしれませんが
…間違いありませんね、その通りです。
これまでも周囲の視線など全く気にせずに活動してきたし、自らの年齢を
考慮すると、昔から思い描いてきた「晩年の生き方」を実現するためには、
迷わずに今行動を起こすことが焦眉の急であるし、マジシャンとしての残り
の砂時計の砂は、ここで落としていくことが最善であると判断しました。

魚に例えれば、海水か淡水かは関係なく、今の自分に合う水深と適度な広さ
の中で泳ぎたくなったってことでしょうね。

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マジックと自己表現

以前「ファッションと自己表現」について書きましたが、今回は「マジックと自己
表現について書いてみましょう。

マジシャンは一般人と違って、それが職業であれ趣味であれ、総合力やセンス
の集大成として、最も自己表現を発露しやすい芸能を取り扱っているのだと
思います。
マジックの現象はもの凄いパワーを秘めています…それゆえハマった時には
絶賛されて、スベった時には地獄を見ます。
どんなにお金をかけて衣装に凝ったとしてもテーブルや道具が貧相だったり、
そもそも技術が未熟だったりすると、一気にバランスが崩れてしまいます。

裕福なアマチュアの押入れや倉庫には、衝動買いしたマジック道具が溢れて
います。
自身が何者なのか、そして向き不向きを理解していれば、それらのほとんど
は買わずに済んだのかもしれませんが、あらゆるものに手を出して、次々に
レパートリーを増やすことが自己表現だという考え方もあるし、純粋な道具
コレクターかもしれないし、何よりもこのような顧客がマジックショップの
経営を支えているわけだし…まあこれには正解がないのかもしれません。

「生まれ変わるならこの人になりたい」と思わせるほどの憧れのマジシャンが
いるとしたら、その憧れの人はきっと自らを俯瞰から見ることに長けていて
己が何者でどこが強みかをしっかりと理解し、それがどうすれば観客に伝わ
るかを徹底的に研究し尽くした上で、衣装、メイク、BGM、セリフ、手に
する素材を吟味して完成させたアクトで自己表現をしているはずだし、その
結果、間違いなく稼いでいるはずです。

そりゃあ、上辺だけをコピーしても敵うわけがないのです。
それはサイレントアクトだけではなく、爆笑を生み出すトークでも同様です。
他人のウケている演技に影響されると、本人には全く似つかわしくない毒舌
やブラックジョークを吐いて大火傷するのが関の山だし、そんなマジシャン
を現に何人も見てきました。

コピーする者は、憧れのマジシャンが何故そしてどうやってそこに辿り着い
たのかを理解していないどころか、自身が何者かも理解しないまま、他人の
演技や演出をリスペクトすることなく、あたかもレストランのメニューに
見立てて「今日は何を食べようかな、あれ美味しそうだな」程度にしか思って
いないのです。
そしてパクったギャグを連発しながらコピー道具を嬉々として演じます。

タチが悪いのは演出を盗むことです。
その優れた演出やセリフや使い方に憧れたからこそ、その道具をネットで
探してしまうのです。
その演技を見ていなかったら、興味も示さずに永遠に見過ごしていた道具
だったでしょうに。
そして先人が工夫したことも評価せず、その道具は元々そうやって使うもの
なのだと頭に刷り込まれているのです。

コピーと自己表現は決して繋がることはありません…なぜなら「自己」が欠落
しているからです。

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初夏の諸々

相変わらず慌ただしく動き回っておりますが、大阪では久しぶりに敬愛する
レジェンドマジシャンのジョニー広瀬さんと二人でお好み焼き会食。
この春出版された本の話題等、古き良き時代の史実を知るマジシャンの話は
貴重でした。
数年ぶりの会食でしたが、お元気そうで何よりでした。

熊本のホテルのイベント出演を終えたふじいあきらが福岡へ…で、いつもの
ように夜の中洲のパトロール。(最近月一で中洲で飲んでないか?)
食事ですが、前回彼を連れて行って気に入ったらしく、ぜひ今回もとあえて
リクエストされたアットホームなレストランが、残念ながら6月末で閉店
とのこと。(70過ぎのママさんが一人で切り盛りしているので、体力的にも
限界らしいのです)
この店での食事も今回が最後となりそうだったので、連れて行ったことの
ないクラブのホステスさん2人を誘って4人での同伴としました。
絶品の料理(特にオムライス)の数々に皆さん大満足のようでした。

新進気鋭の美男美女マジシャン、峰龍&Riricoが福岡へ…私の自宅でイリュー
ジョンをメインとした指導。
二人ともに優れたフィジカルを持っているので、あっという間にコツを掴ん
だようです。
5月に指導した田中大貴もそうですが、長引くコロナの影響で特にステージ
マジシャンには暫く受難の時期が続くかもしれませんが、今のうちに将来
に向けての仕込みをしておくことが肝要ですね。
夜には馴染みのステーキハウスで美味しいお肉を堪能しました。

思い返すと自分は一旦行きつけの店ができると、結構長いお付き合いを続
けるもので、今回閉店するレストランには22年通いましたし、ステーキ
ハウスには30年以上通っています。
美容室に至っては、なんと37年のお付き合いです。
コロナ禍で行きつけのクラブも数軒閉店したし、落ち着いたら新規開拓も
必要なのかなと…まあ、そんな気力もいつまであるのやらですが。

体力的な理由で閉店するレストランのママさんによると、長年の常連客達
からは閉店しないでほしいと懇願されたそうですが、私は「お疲れ様でした」
と言うのが精一杯でした。
なぜなら私自身も還暦を迎え、自らの体力と今後の需要を熟考して道具の
断捨離やレパートリーの整理を行う中で、「えー! あれをやめちゃうんです
か?」「まだまだできるでしょ、もったいない!」という声を多く頂戴した
からです。
多くは本心からの声でしたが、中には明らかな社交辞令もありましたね。
周囲の声が耳に入ると決心が揺らぐので、独りでさっさと進めています。
そりゃあ永遠に続けられるものなら続けたいですよ…しかし私のマジックは
伝統芸能ではないので、「まだあんなことやってる」と言われる前の引き際
が肝心なのです。(クルマの免許返納と同じなのです)

思い入れのあるアクトは捨てられない…それは理解できますが、過去の例、
特にコンテストの受賞歴があるマジシャンは、そのアクトに対する愛着と
自己評価が異常に高くて、加齢と共に演技やBGMが陳腐化しようとも時が
止まったかのように、そのアクトと心中するのかと思うほど演じ続けると
いう傾向があります。
しかし全盛期と比較すると痛々しくも見えるし、若き日のアクトに生涯
しがみついているということは、それを超えるものを作れなかったことの
証左であると同時に、人生の末路は往々にして後輩達が憧れるようなもの
にはなりません。
一般人の認知度ゼロの受賞歴で同業者のマウントを取ったり、過去の栄光
(?)のノスタルジーに浸ることなくアップデートしていくマジシャンほど
成功しているのは歴史が証明しています。

6月21日、後輩マジシャンYOHEYが配信しているYouTubeコンテンツの
BARアルケミスト トークショーに出演。
高橋ヒロキ、三志郎を交えて、あっという間の2時間でした。
タブー無しのLIVE配信が条件で引き受けたので、「ZUMAをナマで喋らせて
大丈夫なのか?」という懸念もあったようですが、そこは常識的な範囲で
収めたつもりです。
物足りないと感じた方々も、バーナム効果で被弾したと自覚した方々も
ご視聴ありがとうございました。(今後も笑顔と夢と感動を届けるべく精進
していくつもりです)
内容に関しては、後日このブログで補足的に振り返ってみようと思います。

それではみなさん、暑い日が続きますがどうぞご自愛ください。

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ファッションと自己表現 2

前回からの続きです…

ご存知の方もいるとは思いますが、40代半ばまでの私は、ヘアスタイルは
オールバックで、黒系のスーツを纏って強面のキャラクターで仕事をしてい
ました。(その筋の人にも見えるからか、NHKでふじいあきらと共演した際
には、彼から業界の「若頭」と紹介されたほどです)
長年銀座を主戦場にしていたせいか、酔客から絡まれないように、あるいは
舐められないように、そしてステージではイリュージョンやインパクトの強い
大型鳥達の存在感に負けないようにという戦闘モードが常にON(スーパー
サイヤ人状態)になっていたのだろうと回顧しています。

17年も働いた銀座からの撤退後に、見かけをソフトにキャラ変しようにも
最初はどこから手をつけていいのかも分からず、流行りの男性ファッション
誌等で随分勉強したものですが、やはり実際の売り場でトレンドの服を見て
触って、スタッフから様々なアドバイスをもらうのが一番の勉強になります。

ブティックのスタッフに服の用途を相談すれば、親身にコーディネートを
提案してくれるし、その上で自分が何者であるかを考え、その限界を理解
して理想と現実のギャップと向き合えば、被服費の無駄遣いはしなくて済む
はずです。(還暦を迎えた現在は、小綺麗なジジイであることを心掛けて
います)
さらに自分のキャラクターを理解してくれた上でアドバイスをくれるセンス
の良いスタッフが担当になれば心強いものです。(ハットを被るようになった
のも「似合うと思いますからハットデビューしましょうよ」というスタッフ
からのアドバイスによるものでした)

服はネットで買う人も増えていますが、その結果のリコメンドでは自分で
理解している嗜好の範疇を出ないので、視野が狭くなってしまいます。
本もそうですが、類似の本のリコメンドよりはリアルな書店で思いがけず
出会う本の方が、人生に彩りを添えることに貢献します。
特にハイブランドの服や腕時計ともなれば、造詣の深いスタッフとの雑談
も含めて五感で体感できるコミュニケーションもできることを考えると、
圧倒的にリアルに軍配が上がります。

自分の担当のスタッフと一緒に選んだ服や腕時計を、ブティックを出る際
にそのブランドの紙袋で手渡される…実はそれも大切な思い出のスタート
になると同時に、正規店で買ったという満足感と自信も得られるのです。
同じ物をネットで見つけて安く買えたとしても、その服や腕時計に何の
思い入れもない宅配便のおじさんに手渡された瞬間から始まる歴史には
高揚感もないし、全くの別物です。(正規店で購入しない人は、どこで
購入したのか、担当は誰なのかを尋ねられることがストレスになります)

リアル店舗で実物を確認してネットで最安値を探すのは、家電くらいに
しておきましょう。

やはり、リアル店舗を回遊して思いがけない出会いをする経験が大切だと
感じるのは、自己表現のために本当に大切なものは無駄だと思えるものの
中に隠れていることが多いからです。
すっかり「おうち時間」という言葉も馴染んでしまいましたが、あえて自己
表現をするために気分が上がる服を着て出かけて、街並みの彩度が上がる
感覚を味わうことは、最高の気分転換と最良のデトックスになるような
気がします。
そういう意味でも「無駄」は無駄にならないのです。

なんとなく着る服やなんとなく着ける腕時計には、なんとなく以上の価値
は見出せないはずです。

なんとなく演じているマジックは…言わずもがなです。

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ファッションと自己表現 1

若い頃は金銭的な余裕も無く、当時の優先順位として、収入のほとんどは
マジックの道具やステージ衣装に費やしていました。
必然的に普段着には無頓着にならざる得ない状況でしたね。

生活に余裕が出てきた壮年〜中年期を迎える頃からの富裕層をターゲット
にしたスキミング戦略を練るにあたり、打ち合わせの場や会場入りする際
の普段着にも、いや普段着にこそ出費して、それなりの「身なり」をすること
の重要性に気づき始めました。

例えば、ステージ上で出現させる宝石や紙幣はダミーでも逃げきれますが、
プライベートで身に着けている宝飾品や腕時計がバッタ品だとバレたなら
ば、信用は一気に失墜します。

一般的に、服に限らず腕時計やバッグや靴、メイクを含めてファッション
は何らかの形でその人を表現する媒介になっています。
人を見かけで判断すべきではないとは言っても、世間では「身なり」である
程度値踏みされるのが現実です。
それなりに格付けされているホテルやレストランでは、案内される客室の
グレードや座席に位置に大きな影響を与えることもあります。

その中でも身体に寄り添ってほぼ一体となる服は、本人が意図するしない
に関係なく、その「人となり」を表現するものであると言っても過言ではない
でしょう。
ハンガーにかかっている時点では「服」でも着た途端に「身体の一部」に変化
します。
他人から無理やりに着せられたとしても、事情を知らない他人から見れば
その人のセンスの発露であると理解されます。
たとえ服装に無頓着だとしても、その無頓着なこと自体が自己表現となる
のです。

就活をしている学生を面接する企業側からすれば、エントリーシートから
の情報や本人から直接聞いたエピソード等の情報と合わせて、その学生の
外見が意味する、あるいは発信しているメッセージを読み取ろうとする
はずです。
学生が企業にアピールする情報は全て「私はこんな人です」という主張や
メッセージになります。
「いやいや自分では外見にそこまで深く意味を込めていません」と言った
ところで、相手は必ずそう取ります。
本当はそれが分かっているからこそ、金髪にして遊んでいた学生が就活
時期になると黒髪に戻してピアスも外すのです。
そして金太郎飴のごとく、リクルートスーツが売れまくるのです。

就職したい学生も仕事が欲しいマジシャンも同様で、どんな外見で勝負
するかは自由ですが、「その外見で、相手にどう思われたいか」を伝える
必要があります。
「伝えたいこと」が本人の思い通りに伝わる外見なら問題はないでしょう。
買い物をしていると店員に間違われて質問される人がいますが、本人が
意図せず店員に間違われるのは決して愉快なことではないでしょうが、
残念ながら他人からはそう見える「身なり」だったのです。

一部上場企業の社長が謝罪会見の場でギラギラのブランド時計を着けて
いたら、本心から謝罪しているようには見えないはずです。
近年では、度重なる交通違反や無免許運転で辞職した女性都議会議員が、
謝罪会見の場に真っ赤なニットを着て白いシャネルの腕時計を着けて
現れたこともバッシングされていました。
どんな場で何を身に纏うかで「人となり」を判断されるのです。

私の経験上、スキミング戦略を意図、あるいは重要視するマジシャンで
あるならば、身なりに注意を払うこと…フォーマルであれカジュアルで
あれ、まずは清潔感が絶対条件です。
見かけではなく、マジックさえ上手ければいつかは売れる、いつかは
稼げる…そう信じて生きるのはもちろん自由ですが、その自信満々の
マジックを最良の場所で見てもらう機会を得るためにも、「身なり」を
軽んじてはいけません。

次回2へ続く…


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プロ・アマの区別って?

毎年年末には「プロ野球戦力外通告」という番組が放送されて、そこでは
家族の人生をも巻き込んだ悲喜こもごものドラマが展開されます。

プロ野球選手のおよそ8割は主体的に引退を決めるのではなく、所属する
球団に解雇され、他に契約してくれるチームも見つからず、結果的に引退
を迫られています。
日本においてプロ野球選手を名乗るには、12球団のどこかと契約して所属
しなければなりません。
つまり「自称プロ野球選手」は存在しないわけです。
資格が必要な職業であれば、無資格で「自称◯◯」として対価を受け取って
業務を行えば、法に抵触する可能性があるし、悪質な場合には逮捕される
こともあります。

翻ってマジシャンの場合、どこかの事務所に所属する義務やライセンスも
必要ないからか、いつの間にかプロ活動を始めていつの間にか消えていく
人も多く(業界への参入と退出が容易)、かなりお手軽で他の業界のプロとは
覚悟と悲壮感が違う、つまりプロ意識のレベルが違い過ぎると言っても
過言ではないでしょう。

一般人の中には、プロマジシャンになるには幾多のハードルがあり、選ば
れし者だけが狭き門を通るに違いないと信じて疑わない人が少なくありま
せん。(いつでも誰でもなれるのに…ああ、心苦しい)
以下のような質問をされたマジシャンも多いことでしょう…
「やはり手が器用でないとプロにはなれないんでしょ?」
「誰かに弟子入りするんですか?」
「専門学校があるのですか?」
「免許が必要なんですか?」
「タネや仕掛けは自分で考えるのですか?」
「特許があるのですか?」
…プロを名乗るのにあたってそんなものが必要ないからこそ、飲食店界隈
や路上で自称プロが増え続けるのです。

若手の頃はそもそも的な質問や失礼な質問もありました…
「マジシャンて食えるの?」
「昨夜テレビでやってたマジックのタネわかる? あんたできる?」
…マジシャンあるあるではないでしょうか。

過去にもマジシャンが「プロ・アマ論」を語りながら、その時々の自分の
立ち位置に都合の良い定義をする傾向がありました。
「出演ギャラ以外にマジックと関係ない収入を得ていればセミプロだ!」と
断言しておきながら、仕事がなくなると節操もなくネタ販売やレクチャー
に奔走しても、「これはプロの仕事だからセーフ」…とかね。
アルバイトで食いつないでいるお笑い芸人が職業を問われた際に「お笑い
芸人やってます」という返答を違和感なく受け入れているのに、なぜに
マジシャンだけが「専業プロ」の定義に拘るのでしょうか?

マジックバーのマスターってどんな立場なのでしょうか?
プロとしての営業出演には興味がなく、最初から飲食店をやることが夢
だったという人もいるでしょう…とはいえ、オファーがあれば店を閉めて
までオイシイ営業出演を優先する人も多いようですが…。
営業プロとしての仕事だけで生活が成り立つほどの出演オファーがない
ことを見越して飲食店を始めた事例(おそらくこれが最多でしょう)と、
飲食店を始めた自称アマが店でマジックを見せる事例…これらのどこに
違いがあるのでしょうか?
役所から営業許可証を交付された上で、確定申告等の書類上の職業も
社会的な認識も「飲食店経営者」ではないでしょうか?
対外的に標榜するプロかアマかは、結局は自己申告に過ぎないのですよ。

近年の私はあえてマルチワーカーを標榜していることもあって、もはや
プロだのアマだの、ましてやセミプロだのパートタイムプロだのと区別
するのは無意味ではないかとさえ思うようになりました。
お気軽に演じて自身が楽しむのがアマで、職業として真摯に向き合って
対価を得るのがプロという理想的な区別も現状では意味をなさないと
思います。
純粋にマジックを愛してやまない真摯なアマもいれば、マジック業界の
ステータスを貶めるだけのプライドのかけらもないプロもいますからね。

紅白出場クラスの歌手が、高級クラブのVIPルームのカラオケで、完全な
プライベートで熱唱しているのを何度も見かけたこともありますし…
もっとフレキシブルに考えて、一人の「マジシャンを名乗る者」が「対価を
得て演じる時はプロ」、「趣味で演じている時はアマ」でいいのかもしれま
せんよ。

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マジシャンのプライド 3

前回からの続きです…

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と云われるように、プライドを捨て
なければ成長できない場面も多々あります。

また人生にはプライドとメリットが火花を散らす場面もあるのです…

大晦日の紅白歌合戦では、毎年同じ歌ばかり繰り返し歌う大御所の歌手が
いたものですが、本人は一発屋だと思われないように新曲を歌いたい旨を
打診しても、楽曲はNHK側からリクエスト(指定)されるのだという話を聞
いたことがあります。(その歌手の最大のヒット曲の場合がほとんどです)
その話が事実であれば、「それを歌わなければ出演する価値はない」と宣告
されているに等しいわけです。
持ち時間も短い上に楽曲を指定されるなど、プライドを傷つけられて忸怩
たる思いをしてまで出演するのは、引き換えに大きなメリットがあるから
に他なりません。
昔は演歌歌手が紅白に出れば、それを看板に翌年は全国ツアーができると
言われていたものです。

私は通常の営業出演では、事前情報をできるだけ集めて、客層やステージ
環境や持ち時間によって最適なショーを構成しているせいか、いちいち演目
を指定されることは滅多にありません。(コンプライアンスの関係上、動物や
ファイヤーマジックをNGとされることはありましたが…)
ただし、テレビ出演においては手順の短縮や演出を指定されることがある
ので、それはできる限り受け入れてきました。
それもこれも出演することに大きなメリットがあるからこそです。

一方で、メリットもない上に見返りも期待せずに了承したボランティア
出演の好意を踏みにじられたり、手順構成に口を挟まれて自尊心を傷つけ
られても黙っていたら、プライドのかけらもないことを自ら標榜している
ようなもので、それ以降も同様の扱いを受けても仕方ありません。
例えるならば…長年のボランティアの好意によって甘やかされて贅沢に
なってしまった難民は有り難みを忘れ、パンでは満足せずに平然と肉を
要求するようになります。
人のアイデンティティーを否定し、善意を雑に扱うような不届きな相手
とは直ちに距離を置くべきでしょう。
乱暴な言い方ですが…舐められたら終わりです。

プライドを持つというのは、改めて自分の価値を自分で確認するために
必要不可欠なものだと思います。

自分のことを誰よりも理解して大切に想ってくれる人は…「プライドを堅持
した自分」なのです。

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マジシャンのプライド 2

前回からの続きです…

一流ホテルや劇場で演じてこそ映えるアクトを持っているとして、決して
ステータスが高いとは言い難い屋外のお祭りの舞台で、そのアクト指定の
オファーがあったとしたら、プライドのあるマジシャンとして受諾すべき
でしょうか?
角度や広さ等の物理的な問題やギャラなどの条件はクリアできているもの
として…そのような場所でやるのかやらないのかだけの問題としてです。
(シャンデリアの下か、盆提灯の下か…)

プライドが赦さず、一流の場所でしかやりたくない人は断るでしょうし、
逆にどんな場所でもやることがプライドだという人もいるでしょう。
またプライドなんて関係なく、ギャラさえ貰えばいつでも何処でもOKと
という現実的な人もいるでしょう。
明確な正解はないかもしれないし、どちらも正解かもしれません。
ただ私個人としては、チャニング・ポロックやシルバンが盆提灯の下に
立っている姿など想像したくはありません。

若い頃、あるパーティーの二次会に顔だけでも出して欲しいと言われて
行ったところ、拍手で迎えられてマジックをやらざる得ない空気が作られ
ていたことがありました…罠です。
期待して拍手した人達には罪はないので、不愉快さを隠して少しだけ演じ
ましたが、若い頃だから耐えられたものの、ある程度の年齢やそれなりの
立場になって嵌められるとしたら、プライドの傷つき方も深くなります。
このようなシチュエーションでパフォーマンスをやるのもやらないのも、
「プライドが赦さないから」で通用するでしょう。
これも正解はないかもしれないし、どちらも正解かもしれません。

ところで、昔から私が「不正解」だと感じている事象があります。
一部のプロですが、プロとしてのプライドを放棄して、資金力のあるアマ
にべったりと甘えている(飼い慣らされている)事象。
そのアマを本心ではパフォーマーとしては少しもリスペクトしていないの
に、その財布目当てでちやほやしておだてるプロがいるからこそ、アマが
プロを束ねて主導権を握るような事象が起こるのです。
そのアマがお金持ちではなく資金提供しなくても付き合っているのか?…
金の切れ目が縁の切れ目のような付き合い方をするプロは昔から存在して
います。

「最近のアマはプロを舐めている」と愚痴をこぼすプロがいますが、自分達が
そのようなアマを作り上げてきたのです。
資産家のアマにネタを買ってもらったり、レクチャーに呼ばれて宴席で
接待されて有難がっていれば、舐められて当然です。

かつて地方の温泉場で開催されるコンベンションの宴会では、アマチュア
マジッククラブの会長連中がプロを呼び捨てにして、プロ達がペコペコ
しながらビールを注いで回る醜悪な光景が繰り広げられていたものです。
若い頃、このような光景を見た私は「こりゃダメだ、バカバカしい」と自室
に戻って部屋飲みをしていました。
大御所や先輩プロのそんな姿を見た若手が、アマに頭が上がらなくなる
のは当然の帰結でしょう。

全てはプロのプライドの無さが生み出す事象なのです。

次回3に続く…


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マジシャンのプライド 1

マジシャンにとっての「プライド」…それは個々のマジシャンの生き様の中
で醸成されていくものだと思います。
プライドは自身の格付けとも言えるでしょう。

俳優業界の格付けは、映画のエンドロールを見ればよく分かります。
主演、準主演、脇役、エキストラ、最後に大御所という順番が一般的です
ので、各俳優が持つプライドと順番は、ほぼ一致していることでしょう。
今は脇役の俳優でも、いつかは主役や大御所のポジションを目指すモチベ
ーションになるはずです。
現に昔の映画を観た際に、あの大物がこんなちょい役で出ていたのかと
気づくこともあります。(本人にとっては黒歴史かもしれませんが)

複数のマジシャンが出演するポスターやフライヤーを目にした時、写真や
名前の大きさや配置によって、そのマジシャンのポジションや主催者から
の扱われ方が窺い知れるし、誰が校閲をしたのか…主催のマジシャンによ
る差配であれば、その思惑が透けて見えることもあります。
若い頃はプライドなど持つべくもなく、出演する機会があるだけでも嬉し
くて、写真の大きさや出演順やギャラなどは気にならないでしょう。

それが善いか悪いかは別として、私は昔から序列や楽屋の位置や広さまで
気にする方でした。
営業出演の際の控室に固有名詞ではなく、十把一絡げのごとく「余興控室」と
書かれていると(自分の名前は余興じゃねえぞと)モヤモヤしていました。
そしてそれらの感情は、間違いなくマジシャンとしてのステータスをわず
かですが上げるためのモチベーションになっていたし、そのためには見栄
やハッタリも必要な場面があることも体験しました。

プライドの発露として「見栄を張る」ことと「ステータスを示す」ことの意味を
混同されることがあるので確認しておくと、見栄を張ることは「身の丈以上
のものを他人にアピールすること」で、ステータスを示すことは「本来の地位
を見せること」です。

様々な先輩方を反面教師として、プライドが高すぎるのも低すぎるのも
問題であることも学びました。
招待するために私が送ったエコノミーの航空券がお気に召さずに「なんで
ファーストクラスじゃないんだ!」と憤怒の電話をかけてきた大御所もい
れば、手渡された新幹線のグリーン車のチケットを密かに払い戻しして
自由席に変更し、差額をポケットに入れていたセコい先輩もいましたね。
そもそも論を言わせてもらえば、他人に金を使わせてアップグレードを
要求するのではなく「自腹でファーストクラスやグリーン車に乗る人」が本当
の勝ち組だと思うのですが…。

さらにみっともないエピソードとしては…
地方の講習会で頂戴したお土産を次の地方の講習会の主催者に、さも自分
がお土産として買って来たように手渡してバレてしまったマジシャン…。
悲惨な現場でパフォーマンスをしてきたことを武勇伝の如く若手の前で語
る底辺自慢をするマジシャン…。
調子に乗って師匠ホッピングを繰り返し、信用を失うマジシャン…。
若手でもないのに終電を逃すとタクシー代をせびるマジシャン…。

まあ色んな人がいるものですが、「ケチ」と「臆病」という病は一生治りません
からね。

次回2へ続く…


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アンチの本質 1

「アンチ」とは、「反〜」「対〜」「抗〜」を意味するヨーロッパ諸語の接頭辞
ですが、身近なところではアンチエイジング、つまり抗老化という意味で
使われたりします。
アンチエイジングはともかく、どちらかというと「アンチ」はネガティブな
イメージで使われていることは否めません。

大きな権力や勢力に対するレジスタンス的な使い方もされてきました。
例えば、プロ野球で巨人が圧倒的に強かった時代のアンチ巨人とか。
しかし同じ土俵で競うスポーツにおいては、贔屓のチームの応援の裏返し
という意味もあるので、比較的ポジティブな使い方とも言えるでしょう。

巷間耳にするアンチは、無責任で一方的な否定が多い気がします。
大体アンチの勢力が出現する時点で、その対象はメジャーである証拠だし、
それは有名税のようなもので、好きな芸能人と嫌いな芸能人のランキング
上位に同一人物が入っていることも珍しくありません。
そもそも万人に好かれようとする時点で無理があるし、アンチがいないと
熱狂的なファンもいないものです。
アンチにとっての対象が何を発信しているかが気になって、ついSNSを覗い
てしまうこともあるでしょう…つまり無視できない存在でもあるのです。

私のマジック人生の中で目撃した最も熾烈なアンチの嵐は、平成の幕開け
と同時に日本中を席巻したMr.マリック超魔術ブーム…久しぶりのスターの
誕生にマジック界がこぞって応援してくれるのかと思いきや、嫉妬の悪魔
に取り憑かれた連中がまさに「アンチマリック」となって、秘密を週刊誌に
暴露したり、あんなの俺にもできるとばかりに類似番組に出演したり…。
そのくせちゃっかりとブームにだけは乗っかってお金儲けに勤しんでいま
したねえ…なんだかんだ言っても「またブームが来ないかなあ」と他力本願
なマジシャンが多いと感じます。

またマジシャンの中にはタネや仕掛けに頼らずに、技術だけで演じること
に酔いしれる「アンチギミック」のスライハンドマジシャンも若手を中心に
見受けられます。
シェルコインはもちろんエキストラカードすら邪道だとするストイックな
美学に拘るタイプですね。
私も若かりし頃はクソマニアで、一組のカードと4枚のハーフダラーだけを
使うことに拘り、トリックデックやギミックコインを使う(頼る?)マジシャン
を見下していた時期もありました。
アマチュアであれば自己満足なので問題はありませんが、プロの立場では
一般客にそこを強調してもほとんど意味がないでしょう。
せいぜいカードとコインを客に調べさせて仕掛けがないことを納得させて、
どうだ!と胸を張られても、ちょっとねえ…。
ある程度の現象は網羅できても、優れたトリックデックやギミックコイン
が起こす強烈な現象は再現できないのです。
アンチギミックという拘りが収入にプラスに働くとは思えないし、プロと
して稼ぐためには、手段を選ばずにあるものは使わないと損なのです。

私が若手の頃、まさにアンチギミックやスライハンドの職人的な先輩方も
おられましたが、失礼を承知で言わせてもらえば、総じて暮らしぶりは
楽なようには見えませんでした。
アンチギミックやスライハンドマジシャンがどんどん稼いで、豪邸でも建
てて若手に夢を見せつけてくれれば説得力もあるのでしょうが…。

プロがまず掲げるべきは自らの「アンチ貧困」です…その先にマジシャン
大好物の「感動や笑顔」を語る余裕と説得力があるのだと思います。

次回2へ続く…



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