« 見限る勇気 1 | トップページ | 気になるクルマ »

見限る勇気 2

前回は時代と年齢とコンプライアンスの変化と共に、マジシャンとしての
レパートリーの一部を見限る勇気が必要なことについて書きました。
そしてもう一つ、プロフェッショナルを標榜する上で大切なことがあります
…それは、自分の居場所を見限ること。

例えば、歌手には生涯歌い続けたい歌があるように、マジシャンには生涯
演じ続けたいアクトがあることでしょう。(もちろん私にもありました)
違う芸能を同じ切り口で語ることには無理がありますが…歌手における誰も
が知る全国的なヒット曲とは違って、誰もが知るマジシャンのアクトなど、
残念ながら無いに等しいのが現実です。
得意のアクトを長年に渡って演じ続けても、世間的な知名度も収入も上が
らず、その価値や拘りを理解してもらえずに忸怩たる思いをすることもある
でしょう。

ですからマジシャンは報われていないと感じると、自分の演技の価値を認め
てくれるマニアが集う場所に戻って行くのです。
これは帰巣本能というべきなのか、ショービジネスの世界での戦いに疲れる
と、やっと卒業したはずなのに、コンベンションという心地良い実家への
里帰りが我慢できなくなるのですね。
あるいはOB顔して母校に凱旋するような感覚でしょうか。
里帰りを我慢していた期間が長いほど、リバウンドも激しいことでしょう。
ただし戻った当初はちやほやされても、いつまでもそこに居座ると「老害」と
陰口を叩かれるようになるので、長居は禁物です。

歌手を始めとするほとんどのエンタメには、寂しい時にいつでも戻れるよ
うな「マニアだけの村」はありません。
翻ってマジシャンにはそれがあるからこそ、つい甘えてしまうのかもしれ
ません。
そして甘えが高じると、それまで一般社会に向いていた訴求力は加速度的
に衰えて、いざ自身のショーを開催する際も同業者やマニアやアマチュア
をあてにしてチケットをさばいてもらったり、集客をお願いするように
なってしまい、客席はいつも村の住人ばかりという顛末が待っています。
そうなると、「アマチュアに生かしてもらっているプロ」という典型的構図が
完成するわけです。
この世からマニアやアマチュアが一人もいなくなれば生命維持装置を失う
も同然で、果たしてどれだけのプロが生きていけるのでしょうか?

大上段に構えて、いかにプロフェッショナルを自認しようが、最終的には
「客席のマニア率や身内率」がそのマジシャンの「本物のプロ度合い」にリンク
しているような気がします。

ショービジネスの世界…第一線に立ち続けて安定した収入を稼ぎ続けようと
思えば、その厳しさは若い一時期にマジック村のコンテストで受賞すること
の比ではないことは論を俟ちません。

自立したプロに脱皮するには「村を見限る勇気」も必要です。

|

« 見限る勇気 1 | トップページ | 気になるクルマ »

マジック」カテゴリの記事