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2023年4月

こだわりの小物

誰もが知るハイブランドの製品を所有すると、初めはテンションが上がる
ものの、服なども含めてロゴマークが悪目立ち(ロゴドン)すると、煩くて
他のものと合わせづらくなり、最終的にはブランド名をアピールしなくても
質感が良いものが欲しくなるという変遷を辿るものです。
(グッチのキャップにバレンシアガのTシャツを着てドルガバのスニーカーを
履いてヴィトンのバッグを持てば、立派な広告塔のピエロです)

私は長財布や小銭入れ、あるいはセカンドバッグやトートバッグ等…出か
ける際に持ち歩く小物に関して結構こだわりが強く、特にクロコダイルと
パイソンは同素材のセットアップで揃えないと気が済まないほどです。
(セットアップ病という確定診断がついています)

様々なブランドを所有してきましたが、近年は目立つロゴがなくても強い
オーラを放つ「あるブランド」のものを使う頻度が増えています。
それは欧米のブランドではなく、知る人ぞ知る国内ブランド…「池田工芸」

ホームページは…コチラ

クロコダイルは「ポロサス」という最高品質のスモールクロコダイルを使用し、
その製作技術と相まって、ふっくらした丸みと艶のある斑には別格の美しさ
があります。
いずれの製品も「大人の男」に相応しい貫禄とオーラを備えていますが、一歩
間違えるとオーラどころか「オラオラ系」にも見えなくもないので注意が
必要です。

その池田工芸からクロコダイル×パイソン「ラグジュアリーレザースニーカー」
が発売されました。
ナチュラル、ブラック、ホワイトの三色展開で限定生産なのですが、実は
数年前からナチュラルカラーで同柄のトートバッグを使用していたために
セットアップ病が再発、約一週間に渡る闘病の末、病に敗北してオーダー
してしまいました。

スニーカーのページは…コチラ

6月15日頃から順次発送とのこと。
まあオーダーしてしまったものは仕方がないと開き直りつつ、オラオラ系
マジシャンにだけはならないように注意しながら、届くのを楽しみにして
います。
はあ、物欲は尽きまじ…

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気になるクルマ

2023年4月14日〜16日に幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシル
において、めっちゃ気になるクルマが出展されました。

「フータン グランド アルバイシン」…1991年にスペインのサンタフェで設立さ
れた少数生産の自動車コーチビルダーがハンドメイドで製作したクラシカル
な出で立ちの高級スポーツカーです。
なんと現行のマツダ ロードスターのスペイン仕様(左ハンドル)をベースにした
カスタマイズモデルです。
つまりメカニックは安心の日本製で、外見は独特のレトロ感が漂うスペイン
テイスト。
ボディカラーやシート素材、縫製やバイピングなどはオーダーメイドで自分
好みにカスタマイズすることで、世界に一台、自分だけのクルマを製作する
ことが可能なわけです。
セカンドカーで所有できたら最高だな…と思いましたが、価格帯は絶対的に
メインカーの領域なので怯んでおります。
しかし、この艶めかしさはたまりません。

ホームページは…コチラ

近年はSUVの人気が高まっており、ロールスロイス、ベントレー、ポルシェ、
アストンマーティン、マセラティ、ランドローバー、ランボルギーニなどの
ラグジュアリーブランドがフラッグシップとなるSUVを市場に投入して覇権
を争っています。
そしてついに、真打登場とばかりにフェラーリがSUVを発表しました。
その名は「フェラーリ プロサングエ」(フェラーリ自体はSUVとは認めておらず、
初の4ドア4シートモデルと定義しているようですが、どう見てもSUVです)

ホームページは…コチラ

5000万円という価格にもかかわらず、発表と同時に現車も見ずに世界中の
セレブがオーダーしているようで、その流麗なスタイルやスペックは流石
フェラーリだなと思っていましたが、最近ネットや専門誌で見る度に何か
違和感や既視感を覚えるようになりました。
このモヤモヤは一体何なのか…やっと分かりました。
トヨタの新型クラウン スポーツにそっくりなのです。
今やネットでもツッコミが増えています。

その記事は…コチラ

最近のヘッドライトはLEDが多用されて、小さくても十分な光量を確保でき
るためにデザインの自由度が向上して、線のような目をした顔のクルマが
増えているわけです。
ヘッドライトだけではなく、グリルの形状も大きく影響します。
マセラティの新しいSUVグレカーレとホンダのZR-Vもよく似ていますね。

実用性よりも嗜好性を重視して選んだクルマであればこそ、他の車種と
間違われることは勘弁してもらいたいところです。

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見限る勇気 2

前回は時代と年齢とコンプライアンスの変化と共に、マジシャンとしての
レパートリーの一部を見限る勇気が必要なことについて書きました。
そしてもう一つ、プロフェッショナルを標榜する上で大切なことがあります
…それは、自分の居場所を見限ること。

例えば、歌手には生涯歌い続けたい歌があるように、マジシャンには生涯
演じ続けたいアクトがあることでしょう。(もちろん私にもありました)
違う芸能を同じ切り口で語ることには無理がありますが…歌手における誰も
が知る全国的なヒット曲とは違って、誰もが知るマジシャンのアクトなど、
残念ながら無いに等しいのが現実です。
得意のアクトを長年に渡って演じ続けても、世間的な知名度も収入も上が
らず、その価値や拘りを理解してもらえずに忸怩たる思いをすることもある
でしょう。

ですからマジシャンは報われていないと感じると、自分の演技の価値を認め
てくれるマニアが集う場所に戻って行くのです。
これは帰巣本能というべきなのか、ショービジネスの世界での戦いに疲れる
と、やっと卒業したはずなのに、コンベンションという心地良い実家への
里帰りが我慢できなくなるのですね。
あるいはOB顔して母校に凱旋するような感覚でしょうか。
里帰りを我慢していた期間が長いほど、リバウンドも激しいことでしょう。
ただし戻った当初はちやほやされても、いつまでもそこに居座ると「老害」と
陰口を叩かれるようになるので、長居は禁物です。

歌手を始めとするほとんどのエンタメには、寂しい時にいつでも戻れるよ
うな「マニアだけの村」はありません。
翻ってマジシャンにはそれがあるからこそ、つい甘えてしまうのかもしれ
ません。
そして甘えが高じると、それまで一般社会に向いていた訴求力は加速度的
に衰えて、いざ自身のショーを開催する際も同業者やマニアやアマチュア
をあてにしてチケットをさばいてもらったり、集客をお願いするように
なってしまい、客席はいつも村の住人ばかりという顛末が待っています。
そうなると、「アマチュアに生かしてもらっているプロ」という典型的構図が
完成するわけです。
この世からマニアやアマチュアが一人もいなくなれば生命維持装置を失う
も同然で、果たしてどれだけのプロが生きていけるのでしょうか?

大上段に構えて、いかにプロフェッショナルを自認しようが、最終的には
「客席のマニア率や身内率」がそのマジシャンの「本物のプロ度合い」にリンク
しているような気がします。

ショービジネスの世界…第一線に立ち続けて安定した収入を稼ぎ続けようと
思えば、その厳しさは若い一時期にマジック村のコンテストで受賞すること
の比ではないことは論を俟ちません。

自立したプロに脱皮するには「村を見限る勇気」も必要です。

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見限る勇気 1

またもや誕生日を迎えてしまいました。
昨年、後輩マジシャン達が盛大に還暦祝いのサプライズパーティーを催して
くれてから、あっという間に一年が経ったわけです。
昨夜0時を過ぎた頃から次々に届くお祝いのメッセージに感謝しています。
(持つべきは信頼できる友と後輩ですね…あと、クラブのおネエ様方も)
今年は誕生日当日に健康診断の予約が取れたので、受診して来ました。
血液検査の結果は後日受け取ることになりますが、血圧、胸写、心電図、
尿検査、聴視覚検査等は全て正常でした。

私達は産声をあげた瞬間から死への道程を歩み続けるわけで、フライトに
例えれば、老いというマイレージを貯め続けるようなもので、それには誰も
抗えません。
それでも個人的には、少なくとも同世代よりは健康的で若々しく小綺麗な
ジジイを目指しているところであります。

しかしまあ歳を重ねる度に、近い将来にマジシャンとして諦めなければなら
ないこと、棄てなければならないもの…等々を考えてしまいます。
新しいことを取り入れてもいますが、もう時代と年齢とコンプライアンスに
そぐわないものは省いていかないと、レパートリーを維持するだけでも負担
が大きくなるだけですから…レストランのメニューからひっそりと消える
料理のようなものですかね。
社交辞令なのか「まだまだやれるでしょ」と励まされることもありますが、何事
も5年後10年後を見据えて、早め早めに動いてきたことが大正解だった人生
なので、自身の判断には迷いはありません。

他人の振り見て…の一例として、往年のスター達が全盛期のヒット曲を歌う
BSの番組を観ましたが、彼らの全盛期を知っているだけに、声のかすれや
緩慢になった動き等「抗えない老い」が気になって、せっかくの歌が頭に入って
来ないことがショックでしたねえ。

プロ野球選手のように戦力外通告を受けたり、限界を悟った瞬間に自分から
スパッと辞めることができればいいのでしょうが、エンタメは味がなくなった
のにいつまでも吐き出せないガムのようにダラダラと続けてしまいがち。
本人だけはまだ味を感じているのでしょう。

「無理なくできる」ならともかく、「今でもなんとかできる」というレベルに
なってしまったとしたら、趣味ではなく仕事としての評価である以上は、
ギャラを頂戴するには値しないと自覚するしかありません。
その時は「自分を優しく見限ってあげる勇気」も必要だと思います。

思い出と戦っても勝ち目はないのですから、老いは受け入れるしかありま
せん。
今の自分に焦点が合わず、遠い過去が綺麗に見えるのは…「心の老眼」です。

2へ続く…

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