スキミング戦略 5
前回からの続きです…
夜の街に目を向ければ、私は17年間(1989〜2006年)に渡って、銀座のクラブ
でクロースアップマジックを演じてきました。
(詳細は「チップ論」において書きましたのでご参照下さい)
銀座デビューした当時は世の中をMr.マリック超魔術ブームが席巻していま
した。
それでもまだ世間の人はクロースアップマジックというものに馴染みも無け
れば、テーブルホッピングという概念もありませんでした。
まだ免疫が無い当時の客は眼前で起こる現象に素直に驚き、次第に評判を呼
んで、有難いことに潤沢な報酬を頂戴しながら次々に出演店舗が増えていき
ました。
銀座のクラブというフィールドにおいては、充分な先行者利益を享受できた
と思います。
この17年の間、福岡と東京を頻繁に往復する過程で、ふじいあきら、ゆうき
とも、庄司タカヒト、後年にはRYOTA、高橋ヒロキ、そして北原禎人ら優れ
た後輩たちと知り合い、彼らの実力を目の当たりにして、自分がローカルの
井の中の蛙であったことも思い知ったと同時に、お尻に火が点きましたね。
近年ではハーフムーンのヒデ、そしてメイガス…彼らのような進化し続ける
ベテラン勢からも刺激をもらっています。
閑話休題…
高額チップが飛び交っていたあの時代も今は昔…その後の景気低迷で高級
クラブの勢いも衰え、マジックバーも激増したせいか、夜の街でマジックを
楽しむことはもはやスタンダードとなり、スキミング戦略を練る余地は少な
くなったと言えるでしょう。
さらに近年はコロナ禍が夜の街に大きな打撃を与えてしまいました。
今になって歩んできた道を振り返ると、景気も良くて好き放題にやれた寛容
な時代を駆け抜けて果実を食い尽くしてしまい、ペンペン草すら生えていな
い感もあります。
現在のようなコンプライアンスに縛られる窮屈な時代(動物やファイヤーを
使用するマジックが制限されたり、お笑いでも身体的特徴をいじることや
痛みを伴う罰ゲームが忌避され、人を傷つけない笑いにシフトされる等)に
自分が二十歳だったとしたら、あくまでもビジネスを第一義として考えた
場合、プロ活動には魅力を見出せずにアマチュアのままでいたかもしれま
せん。
私が幸運だったのは、マリックさん、ジョニー広瀬さん、サコーさん、清水
一正さんら偉大な先輩方に影響を受けて可愛がられたこと、また時代背景
の追い風や競合者も少なかったこともあって、ホテルや劇場でのステージ
ショー、クルーズショー、クラブでのクロースアップショーと様々な分野で
先行者利益を享受できたわけで、その気になりさえすればスキミング戦略を
採りやすかった時代と言えるのかもしれません。
どの時代に、どんな環境でこの世に生を授かり、どんなマジシャンの影響
を受けたかによって、確かに運・不運はあるとは思いますが、それだけで
結論が出るほど単純なものでもないでしょう。
どんなマジシャンをメンターとするのかも本人のセンスの発露であるし、
ブームの時でも波に乗れなかった人は多いし、この不確実な時代にあって
は、どの世代でも戦略なき人は青色吐息なのですから。
次回6へ続く…
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