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スキミング戦略 2

前回からの続きです…

前回のエントリーでは、スキミング戦略に基づいて充分な先行者利益を獲得
後に、ビジネスモデルがコモディティ化して差別化と収益化の効率が低下した
時点で、その分野への注力の縮小、あるいは撤退するようにしている…と書き
ました。
これまでのステージショー、クルーズショー、酒席でのクロースアップショー
等を例に挙げて、どのように心と行動が変遷したのかを数回に分けて書きま
しょう。

クソがつくほどのマジックマニアだった私は、学生時代に国内外のコンテスト
で優勝した経験はありましたが、それだけでは飽き足らず、やはり己の芸が
いくらで売れるのかという世間の評価こそが、アマチュアという立場では味
わえないプロとしての醍醐味だ…と当時から、そして今でも思っています。
(プロになって以降もコンテストに出続けるのも、いきなりマジックバーで
働くのも各自の生き様であるし、それでプロの醍醐味を味わいながら食べて
いけるのであれば結構なことです)
ですから、本当は稼ぎたいのにお金の話題を避けて、安易に「夢と笑顔と感動」
を第一義とする人がいくらプロを名乗っても、精神的には「良い人に思われたい
アマチュア」なのだと思います。

私が本名でプロ活動を始めた頃、口さがない同業者の「どうせあいつは医者
だから」とか「医者が道楽でプロごっこをしている」という陰口に辟易していた
時、それを察知して真っ先にプロとして認めて応援してくださったマリック
さんから現在の芸名を戴いたのは1994年のことでした。

アマチュア時代は親身に接してくれた地元の先輩マジシャン方が、私がプロ
宣言をして競合者になった途端に手の平を返すように冷たくなり、ギャラを
横並びで合わせるように懐柔したり、中には私を呼び出して直接「迷惑だから
プロになるな」と理不尽な説教をした人もいましたね。(縄張り意識の強い
地方あるあるなのかもしれませんが、皆生き抜くのに必死だったのでしょう)
私の心の中では「この人たちに口出しをさせず、仕事の獲り合いを避けるため
には、価格帯で被らないように自分が向上するしかない」という戦の篝火の
ようにメラメラとした炎が揺らめいていました。

高校生の頃から鳩をメインとしたダブアクトを手がけ、20代後半に自宅を
建てて調教の環境が整ったところで、最終的には大型鳥のみを使った完全な
バードアクトの完成を目指しました。
(詳細は「鳥の話」で書きましたのでご参照下さい)

実際にバードアクトを売りにした時点で、新規参入障壁が高くて競合者の
出現は当面は考えられない独壇場であったし、さらに海外にオーダーした
オンリーワンの道具やイリュージョンを導入したことで、結果的に長期に
渡って営業の現場で潤沢な先行者利益を得ることができました。
世間に迎合してブームに流されたり、本当は好みでもないのに稼ぎやすい
演目に傾注するのではなく、自分の演りたいことでスキミング戦略が成就
したことは、充実した時代だったと回顧しています。

しかし現在、体力的に若い頃のような無理ができなくなったこと、コンプ
ライアンスの縛りでショーに動物を使いづらい世の中になったこと、鳥を
使った後発マジシャンもちらほらと現れたこと、コピーイリュージョンが
蔓延する時代になったこと…これらの理由が絡み合って、少なくとも私に
とっては、かつてほどの魅力は感じられない市場となりました。

2010年代初頭から、このままのレパートリーを売りにするのは難しくなる
だろうと予想し、2020年代に入って還暦を迎える頃には、その時代の年齢
と体力とコンプライアンスに合わせた演技にシフトするべく準備を進めて、
物量作戦ではないスキミング戦略を練り始めて完成しつつあります。

次回3へ続く…

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