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2022年10月

スキミング戦略 4

前回からの続きです…

私は1990年代初頭から、いわゆる豪華客船でのクルーズショーを行ってきま
した。
最初は1991年の「飛鳥」(現在は飛鳥II)だったと記憶しています。
プロとしての出演記録ノート(←2009年12月のエントリーです)を書き始めた
のが1992年からですので、それ以前の明確な記録はありません。
その後、「にっぽん丸」「ふじ丸」「ぱしふぃっくびいなす」や「スーパースター
ジェミナイ」等の外国籍の船まで、日本におけるクルーズショーの黎明期から
乗船して、先行者利益を得ることができました。

当時は予算も潤沢で、客層はリタイヤした富裕層が中心なので、ステータス
の面からもスキミング戦略を象徴するような現場でしたが、その後の景気
低迷でエンタメの予算も削られ始め、営業現場としてはコモディティ化した
と言えるでしょう。
ステージショーやクロースアップショーまでは仕事として理解できますが、
最近では早朝からマジック教室まで要求される場合もあるようです。
今日では、多くのマジシャンがプロフィールの実績として「豪華客船」と載せ
始め、逆に乗船したことがないマジシャンの方が少数かもしれない現状では
肩書きの売りとしては差別化できなくなりました。

近年、新型コロナウイルスのクラスターが発生したダイヤモンドプリンセス
号のネガティブイメージを完全に払拭できないまでもクルーズは静かに再開
しているようですが、本来の状態に戻るにはもう少し時間がかかりそうです。

老婆心ながら若いマジシャンにアドバイスをすれば…船内における行動は
意外とチェックされていて、パフォーマンスの評判以上にプライベートの
行動で評価が決まることも多いのです。(観光ではなく仕事で乗船しているの
ですから、客以上にはしゃいでいる様子をSNSにアップするのは控えた方が
賢明かなと思います)

典型的なNG例としては、知り合ったセレブな客に名刺を配りまくって仕事
のオファーに直接繋げようとしたり、客との距離を縮め過ぎて毎夜バーで
奢ってもらって個人的にマジックを見せたり、中には女性スタッフを口説く
などして女癖の悪さが噂になったマジシャンも…。

私はというと鳥たちと乗船することが多かったために、ほとんどの時間は
部屋にこもって世話をしていたし、娯楽としては図書室でアシスタントと
オセロゲームに興じる程度で、寄港地で下船して観光を楽しむこともほと
んどありませんでした。
ただ乗船中は運動不足になりがちなので、客が全員下船している間に甲板
を何周もウォーキングして一汗かいた後、大浴場を独り占めしていました。
客と観光地巡りをしたり、ましてや一緒に入浴するなど、決してするべき
ではないとは言いませんが、少なくともプロフェッショナルとしての私の
ポリシーの中では有り得ませんでした。
基本的には、客の目に触れるのはショーをしている間だけというのを徹底
していたつもりです。

湯船やサウナで客と談笑して素っ裸を見られた後に、煌びやかな衣装に身
を包んで颯爽とステージに現れたところで、そこに神秘性や凄み、まして
有り難み(←2010年8月のエントリーです)が生まれるはずがないのです。
この辺りの感覚はスキミング戦略の第一歩だと、私は固く信じています。

ところで、私の鳥たちは移動のために飛行機を始めとした交通機関におそ
らく日本一乗り慣れていたはずなのですが、あるクルーズでベニコンゴウ
インコが船酔いして、出番前のステージ袖で吐いているのを目撃した時は
驚きました…鳥も酔うんですよ。

次回5へ続く…

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スキミング戦略 3

前回からの続きです…

昔から全く変わっていない事象として、コンテストの受賞歴に目を向ければ、
世界的なコンテストで受賞したとしても世間で全く認知されない証左として、
テレビニュースにもならず、新聞にも載らず、一般人の間でも全く話題にも
ならないのは何故なのでしょう?(ストンと腑に落ちる理由を解説出来る方が
いるのであれば、ご教授頂ければ幸甚です)
この業界に長く身を置く者として、また若かりし頃は国内外のコンテストに
出て一喜一憂した者として、その辛苦や歓喜を理解できるだけに、受賞者が
世間に認知されないことは本当に残念で忸怩たる想いです。

先頃鬼籍に入られたアントニオ猪木氏の自著「猪木寛至自伝」(新潮社)には
次のような一節があります…「ボクシングであれば大新聞が記事にする。
しかしプロレスは絶対に取り上げない。どんなに人気があっても、私たち
は世間から蔑まれているのだ」…なにやら芸能界におけるマジックの扱われ
方に似ているような気がします。

世間的に知名度のない肩書きをズラリと並べて「俺はチャンピオンだ!」と
アピールしても、営業ギャラがさほど上がるわけでもなく、現実の仕事と
してはスキミング戦略に該当する場に呼ばれることは稀で、主戦場は相変
わらずコンベンションのゲストやマジックバーだったりで、実際の暮らし
ぶりからは、その栄光の肩書きが経済的に機能しているとは思えません。
結果、その価値を理解してくれる仲間内で賞賛する甘美に酔いしれ、覇業
を誇りながらも、生きるためにはペネトレイティング戦略を練るしかなく
なるのです。

お笑い界の賞レースでは500〜1000万円の優勝賞金が用意される上に、
その後の努力次第ですが、「売れる」という未来を約束されているからこそ
新陳代謝が加速して業界全体が活性化しているのです。
そしてここが大事なのですが、その新陳代謝を損なわないように、大御所
が賞レースに出て新人の邪魔をすることはありません。(もし審査員クラス
が出てきたら、忖度の嵐が吹き荒れてドン引きになるでしょう)
翻ってマジック界はどうなのでしょう?…敵は同業マジシャンではなくて、
他分野のエンタメなのですから、ショービジネスのリングに一瀉千里で突
き進む姿を見せつけるべきだと思うのです。

一般人から「世界的なコンテストで受賞したら、賞金はいくらくらい貰える
のですか?」と訊かれて困惑したマジシャンも多いのではないでしょうか?
私も幾度となく質問されたことがあって、「いや賞金はなくて名誉(?)だけ
なんですよ。副賞として次回の大会のゲストになれる程度で、トロフィー
を手に帰国しても、空港にマスコミやファンが待ち受けているなんてこと
はありません。せめて普段のギャラを少しでもアップするきっかけになれ
ばいいのですが…」と答えると、大抵の人は「えっ、自腹で海外まで行った
のに、そんなものなんですか?」と驚きます。(個人的にはピアノのショパン
コンクール程度の権威と知名度があればなあ…と思うところです)

今後プロを目指す世代に対してどうすれば「受賞したら(経済的に安定した)
素晴らしい未来が待っている」と自信を持って示せるのでしょうか?
何故こんな現状なのか…世間への発信よりも内輪で盛り上がって完結して
満足しているせいなのか、あるいは「色モノ」や「河原乞食」のイメージで、
稼がなくても「芸人の美学」として現状を受け入れたままの日本のマジシャン
の社会的地位が低過ぎるのか…マジック界全体で再考すべきではないかと
思います。

次回4へ続く…

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スキミング戦略 2

前回からの続きです…

前回のエントリーでは、スキミング戦略に基づいて充分な先行者利益を獲得
後に、ビジネスモデルがコモディティ化して差別化と収益化の効率が低下した
時点で、その分野への注力の縮小、あるいは撤退するようにしている…と書き
ました。
これまでのステージショー、クルーズショー、酒席でのクロースアップショー
等を例に挙げて、どのように心と行動が変遷したのかを数回に分けて書きま
しょう。

クソがつくほどのマジックマニアだった私は、学生時代に国内外のコンテスト
で優勝した経験はありましたが、それだけでは飽き足らず、やはり己の芸が
いくらで売れるのかという世間の評価こそが、アマチュアという立場では味
わえないプロとしての醍醐味だ…と当時から、そして今でも思っています。
(プロになって以降もコンテストに出続けるのも、いきなりマジックバーで
働くのも各自の生き様であるし、それでプロの醍醐味を味わいながら食べて
いけるのであれば結構なことです)
ですから、本当は稼ぎたいのにお金の話題を避けて、安易に「夢と笑顔と感動」
を第一義とする人がいくらプロを名乗っても、精神的には「良い人に思われたい
アマチュア」なのだと思います。

私が本名でプロ活動を始めた頃、口さがない同業者の「どうせあいつは医者
だから」とか「医者が道楽でプロごっこをしている」という陰口に辟易していた
時、それを察知して真っ先にプロとして認めて応援してくださったマリック
さんから現在の芸名を戴いたのは1994年のことでした。

アマチュア時代は親身に接してくれた地元の先輩マジシャン方が、私がプロ
宣言をして競合者になった途端に手の平を返すように冷たくなり、ギャラを
横並びで合わせるように懐柔したり、中には私を呼び出して直接「迷惑だから
プロになるな」と理不尽な説教をした人もいましたね。(縄張り意識の強い
地方あるあるなのかもしれませんが、皆生き抜くのに必死だったのでしょう)
私の心の中では「この人たちに口出しをさせず、仕事の獲り合いを避けるため
には、価格帯で被らないように自分が向上するしかない」という戦の篝火の
ようにメラメラとした炎が揺らめいていました。

高校生の頃から鳩をメインとしたダブアクトを手がけ、20代後半に自宅を
建てて調教の環境が整ったところで、最終的には大型鳥のみを使った完全な
バードアクトの完成を目指しました。
(詳細は「鳥の話」で書きましたのでご参照下さい)

実際にバードアクトを売りにした時点で、新規参入障壁が高くて競合者の
出現は当面は考えられない独壇場であったし、さらに海外にオーダーした
オンリーワンの道具やイリュージョンを導入したことで、結果的に長期に
渡って営業の現場で潤沢な先行者利益を得ることができました。
世間に迎合してブームに流されたり、本当は好みでもないのに稼ぎやすい
演目に傾注するのではなく、自分の演りたいことでスキミング戦略が成就
したことは、充実した時代だったと回顧しています。

しかし現在、体力的に若い頃のような無理ができなくなったこと、コンプ
ライアンスの縛りでショーに動物を使いづらい世の中になったこと、鳥を
使った後発マジシャンもちらほらと現れたこと、コピーイリュージョンが
蔓延する時代になったこと…これらの理由が絡み合って、少なくとも私に
とっては、かつてほどの魅力は感じられない市場となりました。

2010年代初頭から、このままのレパートリーを売りにするのは難しくなる
だろうと予想し、2020年代に入って還暦を迎える頃には、その時代の年齢
と体力とコンプライアンスに合わせた演技にシフトするべく準備を進めて、
物量作戦ではないスキミング戦略を練り始めて完成しつつあります。

次回3へ続く…

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スキミング戦略 1

私はビジネス上の指針として、機会ある度に「スキミング戦略」という言葉
を使ってきました。
マジックビジネスに関してはもちろん、他の仕事においても基本的には
その戦略に基づいた戦術を採っています。

そもそもの意味は「ビジネスモデルの導入期において、富裕層をターゲット
として高価格を設定することで、先行者利益を獲得すること」という理解で
構わないと思います。
それに対して、低価格を設定することを「ペネトレイティング戦略」と言い
ます。

スキミング戦略に踏み切る際には、3つの条件を考慮する必要があります。
1. 価格が高すぎて、売れ行きが悪くならないように注意すること。
2. 新規参入障壁が高く、競合者の出現が当面無いと考えられること。
3. 需要の価格弾力性が低くて、高価格品の購入者が期待できること。

振り返ると、私は若い頃にはスキミング戦略というものすら知らず、特に
これらを意識することなく活動していたのですが、自分が理想とする働き
方を実践しながら、労力と価値に見合った報酬を獲得しようとする過程で、
いつの間にかこの路線を選択していたというのが正直なところです。
その結果一つ言えるのは、他人の報酬を気にしてしまうと、業界の相場と
いう非常識な常識に流されて、自らが価格設定することを躊躇してしまう
恐れがあること。
そして現在の方針としていることは、充分な先行者利益を獲得後に、ビジ
ネスモデルがコモディティ化して差別化と収益化の効率が低下した時点で、
その分野への注力の縮小、あるいは撤退を検討するようにしています。

大学卒業後、私は研修医として大学病院に勤務するかたわら、自身のマジ
シャンとしてのスキルと市場の需要を勘案しつつ、プロに転向した場合の
成否のシミュレーションを繰り返していました。
熟考した結果、イケると踏んだ私は、辞表を提出してプロマジシャンと
しての活動をスタートしたわけです。
決して好きが高じて闇雲にスタートしたわけではありません。

冒険しない人生は後悔する…つまりカッコつけて「退路を断つ」のではなく、
「退路がある強み」を最大限に生かして、アマチュアとしての活動に終止符
を打ち、あえてスキミング戦略を採るプロマジシャンとしての真価を世に
問うてみたくなったのです。

退路を断つというのは、実は選択肢が無くなってそうせざる得なくなった
人が、その現実を糊塗して、自らの意思であるかのように正当化あるいは
美化している場合がほとんどです。
そしてそのような人は追い詰められると、往々にしてペネトレイティング
戦略を採りがちです。
明確な意志決定の上に安全な退路がいくつもあった方が堅実な人生である
ことは言うまでもなく、逃げ道も補給路も断たれた兵士のように、座して
死を待つことは、決して潔い美学だとは私は思いません。

次回2へ続く…

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サブタイトルについて

これまで当お知らせのサブタイトルは「パブリックショーの告知・ニュース
&考察」としていましたが、現在は「パブリックショーの告知」を削除して
います。(誰も気づいていないと思いますが…)

以前から、誰でも観覧できるパブリックな場にはめったに出演することも
なく、あえて告知する内容がほとんどなかったのも理由の一つなのですが、
さらに現在の活動が完全なクローズドの現場に特化されているからです。
それに伴って、マジッククラブ発表会のゲスト出演等のオファーもお断り
しています。
現在の主戦場は、場所も貸切状態の比較的少人数の宴席や、招待客のみの
イベントで演じることがほとんどなので、そのようなプライベートの類の
仕事をここで告知しても意味がありませんからね。

数年前から徐々に派手なステージ&イリュージョンの分野をフェードアウト
して、理想とするクロースアップ&サロンの演目構成に傾注してきました。
ずっと逡巡していましたが、幸か不幸かコロナ禍で改めて自分と向き合う
ことができたことによって、それが加速したということでしょう。
以前にも書きましたが、「ボリューム満点の定食屋」から「完全予約制の懐石
料理店」に業態転換したイメージですかね。
若い頃に作った十八番のアクトを止められずに、生涯それにしがみついた
ままのマジシャンを他山の石としたのも事実です。

万人ウケを排除して顧客層を絞り込んだことで、クロースアップに関しては
自分らしいパッケージが完成して、すでに稼動しています。
あとはサロンの構成…トリネタが決まらない限り他の演目構成を考えていて
も集中できないことが続いていたのですが、ようやく何をどのように演じる
のかという青写真は出来上がりました。
問題はそれをどう具現化するか…どんなに予算がかかっても完成させる価値
がある現象なのですが、さてどうなることやら。

今後は、これまでのスキミング戦略に基づいた活動にさらに注力します。
他人からは地下に潜って隠密活動をしているように見えるかもしれませんが
…間違いありませんね、その通りです。
これまでも周囲の視線など全く気にせずに活動してきたし、自らの年齢を
考慮すると、昔から思い描いてきた「晩年の生き方」を実現するためには、
迷わずに今行動を起こすことが焦眉の急であるし、マジシャンとしての残り
の砂時計の砂は、ここで落としていくことが最善であると判断しました。

魚に例えれば、海水か淡水かは関係なく、今の自分に合う水深と適度な広さ
の中で泳ぎたくなったってことでしょうね。

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