人様が決めること 1
常日頃から感じてはいるものの、誤解を恐れずにいざ意思表示をするとなると
多少憚られる事象があった時に、まさに同意できる言語化されたものを見つけ
ると、溜飲が下がります。
少し前ですが、日本経済新聞のコラムにそれを見つけました。
タイトルは…「アピールしない人は強い」
昨年の大谷翔平選手の凱旋記者会見…「子供たちに勇気を与える活躍だったの
では?」という内容の質問に「プレーする側としては、夢を与えようとか、元気
を与えようみたいなものは全く考えていない」と答えました。
「そう受け取ってもらえたら嬉しい」とは言ったものの、自分のプレーに何を
感じるかはそれこそ「人様が決めること」と心しているのです。
自分から勇気を与えようなどとはおこがましい…と。
翻ってマジシャンには「お客様に感動を伝えたい、笑顔にしたい」と臆面もなく
アピールする人が一定数存在します。
仕事を獲得するためのアピールが前のめりになっているのでしょうが、いざ
演技となると客席の反応など関係なく、優越感に浸って自己陶酔する人が
いるのも事実。
オファーの仮が決定になると本人が感動し、ギャラが振り込まれると本人が
笑顔になるという程度の自己完結が現実なのです。
「人を笑顔にしたい」という理想は間違ってはいないし、むしろ崇高だと言える
でしょう。
ですが、それをマジシャンの第一義のモチベーションとしてアピールするのは
軽佻浮薄で、学生が就職試験のエントリーシートに書いたり、面接で話したり
するのと同レベルであって、まともな社会人からは「だから?それで?」などと
突っ込みどころ満載なのです。
まず抽象的だし、食品メーカーの「食卓に笑顔を」的な広告コピーのようで大き
く出過ぎなのです。
わざわざアピールしなくても、どんな仕事でも社会貢献を通じて「笑顔をつくる」
チャンスは少なからずあるはずです。
ただあくまでも、その笑顔は具体的な仕事の先にあることで、目的として設定
するにはあまりにも空虚でしょう。
そして、「どうせなら笑顔はこの人から届けてもらいたい」と、配達人も人様が
決めることなのかもしれません。
「子供たちのために」というオブラートで本心を糊塗してアピールする悪手の
クラウドファンディングは言うに及ばず、偽善とまでは言いませんが、「被災
地に元気を届けます」という大義名分の下、タレントがわざわざ被災地に赴い
て押し付けがましいパフォーマンスの後、「逆にこちらが元気を頂いちゃい
ました」という光景も辟易するというか…マスコミのカメラがなくても継続
して慰問を続けている本気のタレントは別として、他人の不幸につけ込んだ
アピールは興醒めします。
特に日常の中でパフォーマンスや特技を披露する機会が少ない愛好家の慰問
は、慰問される側よりも本人が満足して喜んでいる場合もありますしね。
皇族の慰問は別格として、被災地にとって真に役立つ、つまり自らアピール
する人ではなく被災者側が心から求める(人様が決める)人以外は、めった
やたらと動いてはいかんのです。
そういえば10年前にも同様のことを書いていました…プロ・アマ論 3
次回2へ続く…
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