« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年3月

BEAUTIFUL TO DRIVE

3月27日、アストンマーティン福岡主催のワンデーツーリングに参加しま
した。
このエントリーは帰宅後すぐに書いています。

前日の26日は荒れ模様の天候だったので、どうなることかと危惧していま
したが、27日は朝から晴天に恵まれました。
アストンマーティン福岡を9時30分にスタート…長崎自動車道を飛ばして、
佐賀県嬉野市の和多屋別荘に到着。
豪華なランチと記念撮影の後は、ゴールである祐徳稲荷神社を目指します。
到着後は記念撮影して現地解散となりました。

前回の一泊二日のツーリングと比べたら、あっという間の時間でしたが、
こんな機会でもないと、自分ではなかなか訪れる場所ではありませんね。
新鮮な空気を味わえたし、パノラマルーフを全開で走ったので、桜が満開
の風光明媚な景観を堪能できました。

しかし前回を上回る総勢15台のアストンマーティンの車列はまさに圧巻で、
現在デリバリーされている様々な車種が揃いました。

このPVのような感じですかね…コチラ

ツーリングに参加する楽しみは、普段の街乗りではなかなか発揮できない
アストンマーティンのポテンシャルを、高速道路やワインディングロード
で存分に味わうことにありますが、もう一つの楽しみは、他のオーナーの
方々と親睦を深めることにあります。
今回驚いたのは、28年前に私が会員制のレストランバーでレギュラー出演
していた頃のお客様が声をかけてこられたことです。
あの頃、マジシャンと観客という立場で知り合った二人がオーナーとして
ツーリングで再会するとは、感慨深いものがあります。
私がまだ本名で活動していた頃の名刺を見せてくださったので、改めて
Dr.ZUMAの名刺を差し上げました。

ツーリングの前に、偶然にもCS放送の映画専門チャンネルで、ダニエル
クレイグ版007が4作まとめて放送されたので、一気に観ました。
「カジノロワイヤル」「慰めの報酬」「スカイフォール」「スペクター」…
娯楽大作として熱狂的なファンも多いシリーズですが、昨年公開された
「ノー・タイム・トゥ・ダイ」まで含めると、新旧のアストンマーティンを
まとめて観れるという、また別の意味でも楽しめました。
往年の名車DB5はもちろん、DB9、DB10、V8ヴァンテージ、DBSスーパー
レッジェーラ、そして最新のヴァルハラ…いずれも品があって実に美しい
のですが、それも敵役のクルマ(アルファロメオ、アウディ、ジャガー、
ディフェンダー…)のカッコよさも相まってのことだと思います。
愛車DBXはまだ映画には登場していませんが、SUVなのでカーチェイス
をするのではなく、新しいジェームスボンドがバカンスを楽しむクルマ
として、チラッとでも登場すると嬉しいですね。

納車から半年が経って、現在の走行距離は約1.800kmです。
前車のキャデラックの年間走行距離は約3.000kmでしたから、ペースは
やや上回っていますね。
DBXは長時間の運転でも全く疲れを感じないほど快適な乗り心地なので、
もうちょっと乗る時間があればなあとは思いますが、無理をせずにマイ
ペースで楽しむことにします。

|

アンチの本質 2

前回からの続きです…

職業柄、マジックの情報が入ってくるのは当然のこととして、他にも興味
がある事象にはアンテナを張っているので、特にクルマや腕時計の情報が
よく入ってきます。

まあどの分野にもアンチは存在するもので(常在菌のようなもの)、クルマ
の世界でアンチが口にすることといえば…このエンジンは他社から供給を
受けているから純血ではないだの、プラットホームは他の車種と共有して
いるからオリジナルではないだの…。
腕時計の世界のアンチはもっと細かい一言居士がいて…ブランドの歴史が
どうのこうの、ムーブメントやエボーシュがどうのこうの、資産価値や
リセールバリューがどうのこうのと…ホントうっせえなあ。
まずはアンチの対象を所有してから言えって話ですよ。

アンチの大半は往々にしてマニア歴も浅く、ネットの受け売りをさも自分
の考えのように、したり顔で語っているに過ぎないのです。

そもそもリセールバリューを最優先したり投資目的で所有して、丑三つ時
に一人眺めてニタ〜としている人達と、将来の価値など度外視して心底惚
れ込み、ガシガシ日常使いするために所有している人達とが「嗜好品の議論」
で噛み合うはずがないのですよ。
クルマでも時計でも自分の所有物のリセールバリューの優位性を語る時点
で、心底惚れ込むどころか、買う時から手放す時のことを考えている証左
だし、クルマのボディカラーも本当は好きな色があるのにリセールバリュー
優先で無難な色を選ぶ人から「偽りのクルマ愛や時計愛」を語られたところ
で、真剣に耳を傾ける気にはならないのです。

でもまあ、これらのアンチはその分野に興味が有り過ぎて、自分の知識
や拘りを披瀝したいという欲望の結果なので、まだ傾聴に値する余地は
あるのかも知れません。

タチが悪いのは、世の中を斜に構えてみることがカッコいいと思っている
のか、本当は欲しいのにそれが叶わないからなのか「くだらない、そんな物
に拘るのは自分に自信がない証拠だ」と頭から否定や批判を展開する人種
です。
そして「どうせ仮想通貨とか怪しげな稼ぎ方をしているに違いない」などと
根拠なき決めつけをしがちです。
高額品購入を自慢げに見せつける一部のYouTuberの動画を観過ぎたため
に同一視して、苛立っているのではないかと思ってしまうほどです。

ひたすら地道に働いて、悩みに悩んで購入した人を偏見の目で見るべきで
はありません。
あぶく銭ではなく努力の結果でやっと入手した時の喜びは格別なものです。
山に例えるなら、麓から自力で登った時に見える景色と、ヘリコプターで
頂上に降り立った時の景色では、全く同じ景色なのに見え方や彩度が全然
違ってくるものです。

軽々しい批判をしてくる人達は、それをやったことがないし所有したこと
がない場合が殆どです。
自分の仕事や趣味が批判された時、それが論理的なものではなくて、ただ
「くだらない」だの「意味がない」だのって批判は、「ああ、やったことも持った
こともないんだな」と冷めた目で見ておけばいいでしょう。

ただこうした人達の内面を観察していくと、実は心の中に気に食わない誰
かが先にいて、その気に食わない人がやっていることや持っている物が
記憶と紐づけられて、間接的に嫌いになったり否定したくなる…という
心理が働いているようです。
要するに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってことです。

そうなると、もはや「アンチ」ではなく「ルサンチマン」なので論外です。

|

アンチの本質 1

「アンチ」とは、「反〜」「対〜」「抗〜」を意味するヨーロッパ諸語の接頭辞
ですが、身近なところではアンチエイジング、つまり抗老化という意味で
使われたりします。
アンチエイジングはともかく、どちらかというと「アンチ」はネガティブな
イメージで使われていることは否めません。

大きな権力や勢力に対するレジスタンス的な使い方もされてきました。
例えば、プロ野球で巨人が圧倒的に強かった時代のアンチ巨人とか。
しかし同じ土俵で競うスポーツにおいては、贔屓のチームの応援の裏返し
という意味もあるので、比較的ポジティブな使い方とも言えるでしょう。

巷間耳にするアンチは、無責任で一方的な否定が多い気がします。
大体アンチの勢力が出現する時点で、その対象はメジャーである証拠だし、
それは有名税のようなもので、好きな芸能人と嫌いな芸能人のランキング
上位に同一人物が入っていることも珍しくありません。
そもそも万人に好かれようとする時点で無理があるし、アンチがいないと
熱狂的なファンもいないものです。
アンチにとっての対象が何を発信しているかが気になって、ついSNSを覗い
てしまうこともあるでしょう…つまり無視できない存在でもあるのです。

私のマジック人生の中で目撃した最も熾烈なアンチの嵐は、平成の幕開け
と同時に日本中を席巻したMr.マリック超魔術ブーム…久しぶりのスターの
誕生にマジック界がこぞって応援してくれるのかと思いきや、嫉妬の悪魔
に取り憑かれた連中がまさに「アンチマリック」となって、秘密を週刊誌に
暴露したり、あんなの俺にもできるとばかりに類似番組に出演したり…。
そのくせちゃっかりとブームにだけは乗っかってお金儲けに勤しんでいま
したねえ…なんだかんだ言っても「またブームが来ないかなあ」と他力本願
なマジシャンが多いと感じます。

またマジシャンの中にはタネや仕掛けに頼らずに、技術だけで演じること
に酔いしれる「アンチギミック」のスライハンドマジシャンも若手を中心に
見受けられます。
シェルコインはもちろんエキストラカードすら邪道だとするストイックな
美学に拘るタイプですね。
私も若かりし頃はクソマニアで、一組のカードと4枚のハーフダラーだけを
使うことに拘り、トリックデックやギミックコインを使う(頼る?)マジシャン
を見下していた時期もありました。
アマチュアであれば自己満足なので問題はありませんが、プロの立場では
一般客にそこを強調してもほとんど意味がないでしょう。
せいぜいカードとコインを客に調べさせて仕掛けがないことを納得させて、
どうだ!と胸を張られても、ちょっとねえ…。
ある程度の現象は網羅できても、優れたトリックデックやギミックコイン
が起こす強烈な現象は再現できないのです。
アンチギミックという拘りが収入にプラスに働くとは思えないし、プロと
して稼ぐためには、手段を選ばずにあるものは使わないと損なのです。

私が若手の頃、まさにアンチギミックやスライハンドの職人的な先輩方も
おられましたが、失礼を承知で言わせてもらえば、総じて暮らしぶりは
楽なようには見えませんでした。
アンチギミックやスライハンドマジシャンがどんどん稼いで、豪邸でも建
てて若手に夢を見せつけてくれれば説得力もあるのでしょうが…。

プロがまず掲げるべきは自らの「アンチ貧困」です…その先にマジシャン
大好物の「感動や笑顔」を語る余裕と説得力があるのだと思います。

次回2へ続く…



|

人様が決めること 2

前回からの続きです…

「アピールしない人は強い」というエピソードとして、現役時代のイチロー氏
が新天地への移籍会見で「これからも応援宜しくお願いします…とは絶対に
言いません」と話したことがありました。
応援は自分から頼み込むものではなく、黙っていても人が応援したくなる
存在であらねばならない、との決意表明だったのです。

「人様が決めること」と割り切るのは案外難しく、我々は周囲にどう見られて
いるかを気にしながら生活をしているのがむしろ普通でしょう。

マジシャンとしての私はというと、他人の人生を左右するほどの影響力も
責任感も無いのだから、利己主義だと思われようが徒党を組むことなく、
自分ができることに専念する…その結果、人が喜んでくれたり、さらには
感動してくれたらこんなに嬉しいことはない、という一貫したスタンスで
活動してきたつもりです。
この世に生を受けたからには、自分の人生は自分を楽しませるためにある
のだという考え方を中心軸にしています。
そんな私にオファーをするか否かは「人様が決めること」だし、イベントの
趣旨や予算や客層を吟味してそれを受諾するか否かは「私が決めること」…
それだけのことです。

ただ、「いい人」や「凄い人」と思われたいのは悲しいかな「人の性」…
そこが一部のマジシャンの盛ったプロフィールや実績アピール、さらには
コンプレックスに起因する受賞歴の詐称という形になって滲み出てくる
のでしょう。
興味を持たれるためにアピールし過ぎて、自らハードルを上げるどころか
墓穴まで掘ってしまっている人って多いと思います。
総じて稼いでいるマジシャンは、努力の過程を恩着せがましくアピール
することはしません。
セコいマジシャンはやたらと技術をひけらかして、チップやお酒が欲し
そうなアピールをします。

一部のマジックバーが路上マジックで呼び込みをすることはあっても、
名のある店が呼び込みをするなど寡聞にして知りません。
レストラン選びをする際に、美味しさアピールが過ぎる店は自演の胡散
臭さを感じるからこそ、食べログで「人様が決めた」評価を参考にする人
が多いのです。(最近は食べログも信用されておらず、インスタを参考に
する場合が多いようです)
そもそも人はアピールされ過ぎると「天の邪鬼」になりがちなのです。

一流ブランド店や高級時計店、高級車ディーラーの売り上げ成績が優秀な
スタッフは、商品の優位性や性能を必要以上にアピールすることはなく、
それを所有した後の人生がいかに充実して心豊かになるかを、リアルに
想像できるような接客をします。
そして提供する商品が高額であるほど、最終的にはお客様が決めること
であるとしっかり認識しています。
そしてここが重要です…ライバルのブランドやメーカーを決して貶したり
はしません。

全ては「人様が決めること」…と飄々として、ことさらにアピールしない
人やブランドが本当に強いことは、混沌とした世の中でこそ結果が示し
ています。

余談です…
中洲のクラブで飲んだ際、隣に座った入店して間もない若いホステスさん
から質問されました…「ちょっと耳にしたんですけど、お客様はマジシャン
なんですって? いつもはどこの路上でやってるんですか?」
「路上でやったことはなーい!」と強めにアピールしたことは言うまでもあり
ません。

|

人様が決めること 1

常日頃から感じてはいるものの、誤解を恐れずにいざ意思表示をするとなると
多少憚られる事象があった時に、まさに同意できる言語化されたものを見つけ
ると、溜飲が下がります。
少し前ですが、日本経済新聞のコラムにそれを見つけました。
タイトルは…「アピールしない人は強い」

昨年の大谷翔平選手の凱旋記者会見…「子供たちに勇気を与える活躍だったの
では?」という内容の質問に「プレーする側としては、夢を与えようとか、元気
を与えようみたいなものは全く考えていない」と答えました。
「そう受け取ってもらえたら嬉しい」とは言ったものの、自分のプレーに何を
感じるかはそれこそ「人様が決めること」と心しているのです。
自分から勇気を与えようなどとはおこがましい…と。

翻ってマジシャンには「お客様に感動を伝えたい、笑顔にしたい」と臆面もなく
アピールする人が一定数存在します。
仕事を獲得するためのアピールが前のめりになっているのでしょうが、いざ
演技となると客席の反応など関係なく、優越感に浸って自己陶酔する人が
いるのも事実。
オファーの仮が決定になると本人が感動し、ギャラが振り込まれると本人が
笑顔になるという程度の自己完結が現実なのです。

「人を笑顔にしたい」という理想は間違ってはいないし、むしろ崇高だと言える
でしょう。
ですが、それをマジシャンの第一義のモチベーションとしてアピールするのは
軽佻浮薄で、学生が就職試験のエントリーシートに書いたり、面接で話したり
するのと同レベルであって、まともな社会人からは「だから?それで?」などと
突っ込みどころ満載なのです。
まず抽象的だし、食品メーカーの「食卓に笑顔を」的な広告コピーのようで大き
く出過ぎなのです。
わざわざアピールしなくても、どんな仕事でも社会貢献を通じて「笑顔をつくる」
チャンスは少なからずあるはずです。
ただあくまでも、その笑顔は具体的な仕事の先にあることで、目的として設定
するにはあまりにも空虚でしょう。
そして、「どうせなら笑顔はこの人から届けてもらいたい」と、配達人も人様が
決めることなのかもしれません。

「子供たちのために」というオブラートで本心を糊塗してアピールする悪手の
クラウドファンディングは言うに及ばず、偽善とまでは言いませんが、「被災
地に元気を届けます」という大義名分の下、タレントがわざわざ被災地に赴い
て押し付けがましいパフォーマンスの後、「逆にこちらが元気を頂いちゃい
ました」という光景も辟易するというか…マスコミのカメラがなくても継続
して慰問を続けている本気のタレントは別として、他人の不幸につけ込んだ
アピールは興醒めします。

特に日常の中でパフォーマンスや特技を披露する機会が少ない愛好家の慰問
は、慰問される側よりも本人が満足して喜んでいる場合もありますしね。
皇族の慰問は別格として、被災地にとって真に役立つ、つまり自らアピール
する人ではなく被災者側が心から求める(人様が決める)人以外は、めった
やたらと動いてはいかんのです。

そういえば10年前にも同様のことを書いていました…プロ・アマ論 3

次回2へ続く…

|

« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »