« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »

2021年9月

「〇〇力」

書店を覗くと「突破力」とか「交渉力」等、この手のタイトルの本が目立って
います。

私達は日々、様々な「〇〇力」を意識的あるいは無意識に、時には必要性を
感じてより強く発揮しながら生活しています。
例えば、新聞を読むには「読解力」、さらに深読みするには「洞察力」が必要
ですし、発行する側には「取材力」や「編集力」が必要となります。

コロナ禍においては、変異株の「感染力」には充分に注意する必要があるし、
そもそも日々の暮らしの中で、「生活力」や「忍耐力」さらには「人間力」さえも
試される大変な時代になってしまいました。
この不確実で混沌とした時代を生き抜くためには、複業・多業を実践する
マルチワーカーとしての「行動力」の重要性をひしひしと感じています。
ネット配信やクラウドファンディングの「発信力」や「集金力」も必要なので
しょうね。

自分を含めてですが、ある程度の年齢になると、病気や怪我はもちろん疲労
からの「治癒力」や「回復力」が明らかに劣ってきたことを自覚するし、何か行動
を起こす際に重い腰を上げる「瞬発力」や「持続力」の衰えも感じて愕然とする
ことがあります。
避けられない経年劣化とともに、人生の中で豪速球を投げられる場面や力が
なくなってきたのであれば、変化球を身に付ける「適応力」が必然となります。

映画「孤狼の血 LEVEL2」を鑑賞…当然なのでしょうが、役者陣の凄まじい
までの「演技力」に圧倒されました。
特に、演技の振り幅が大きいことは知ってはいましたが、鈴木亮平の悪魔の
ようなサイコヤクザの残虐な「遂行力」には唖然とするばかりで、その3日前に
観たあの「ソウ」の続編である「スパイラル」ですら、単なる拷問系イリュージョン
の新作発表会にしか思えないほど…。
イリュージョンクリエイターのジム・ステインマイヤーやアンドレ・コールが
本気で「創造力」を駆使して映画のための拷問系イリュージョンを考案したら、
ソウシリーズもより面白くなりそうな気がしますが…恐怖よりも不思議さが
勝るかもしれませんね。
映画といえば、10月公開の007の最新作も個人的には楽しみなのですが、
予告の多さからは、配給元の「宣伝力」を感じます。

マジシャンとして恵まれた容姿とセンスが先天的に備わっていれば、それに
越したことはありませんが、後天的に備えるべきは、数あるレパートリーの
中からその場に相応しい演目の「選択力」と「構成力」であるし、さらにステージ
の分野では「表現力」、クロースアップの分野では「説明力」が必須でしょう。

これらが欠如したマジシャンは、自己の「分析力」も欠如しているのか、往々
にして能力以上のことを演って達成感を得ようとする傾向が強いし、自分の
キャラクターも理解しないまま、王道マジックに改悪としか思えない演出を
加えるなど、何を伝えたいのかも意味不明で、知性の有無はおろか、この人
は大丈夫なのかと医学的に心配になることすらあります。

マジックには、身に付けるに越したことはない「〇〇力」もあれば、プロには
必須の「〇〇力」があるのです。

昔知ったことわざですが、重要な「〇〇力」が三連発で欠如すると、以下の
ような事象が起こるようです。

男女は…「想像力」の欠如で結婚し、「忍耐力」の欠如で離婚し、「記憶力」の
欠如で再婚する。
う〜ん、なんという「説得力」。

ちなみに、私の記憶力はまだそこまで欠如していませんので、とりあえずは
幸せを謳歌しています。

|

できない理由

恥ずかしながら若い頃から「できない理由」を言い訳にしてきました。

中高生の頃、ビリヤードボール(ミカメ製45ミリ径と55ミリ径)をちょっと
練習して挫折すると、できない理由として「手が小さいから…」、「指が短い
から…」とすぐに口にしていましたね。

1979年の高校2年生の夏、若かりしマリックさん(当時30歳)のビリヤード
ボールの演技を目の当たりにしました。
決して大きな手ではないマリックさんの目の覚めるような八ッ玉の演技に
衝撃を受けて、手の大きさのせいにしていた自分を恥じました。(今でも
時々この映像を観ては、目を覚ましています)

プロ活動を始めると必ず陥る言い訳があります。
「こんなのができても営業向きではないから…」、「お金にならないから…」、
「客が理解するには難しすぎるから…」 etc
そんな弱い自分と向き合いながら、一つずつ解決してなんとかここまで
来た人生です。

投資が好きな私が最近よく感じるのは、日経平均株価が31年ぶりの高騰で
市場が盛り上がる中、ちょっと利益が出たと話題にすると、往々にして
「自分には元手がないから…」と投資のかけらも勉強していない人に限って
口にしがち。
元手があれば確実に利益が出るのなら、一定の資金さえ準備できれば損失
を計上する人は一人もいなくなるわけで…そんな甘い世界ではありません。
試しにその言い訳をする人に100万でも預けて自由にやらせたら、あっと
いう間に蒸発させてしまう可能性が大です。
この場合の言い訳の正解は「元手がないから…」ではなくて「全く勉強して
いないから…」あるいは「全く興味がないから…」でしょう。

物事に向き合う際に、なんとかできる方法を考えるよりも、まずできない
理由が次々と口から出てくる人と話した時の苛立ちといったら…ホントに
貴重な時間を返せという気分。(口からカードなら楽しいのですが…)
「何か始めようにも資金がないから…」、「良い環境の現場がないから…」、
「いつも酔客相手だから…」 etc
そして最近は何でもかんでも「コロナだから…」

コロナ禍以前からそれほど忙しくもない人に限って「自分はマジックしか
できないので…」と平然と宣いますが、マジック舐めてんのかって話ですよ。
理由を問うこともありませんが、どうせ「バイトの時間に起きれないから…」
「いい条件の仕事がないから…」、「マジック以外のスキルがないから…」と
息を吐くようにできない理由が出て来るに決まっているのです。
夜の世界で、楽して小遣い稼ぎをするという「ぬるま湯」に浸かり過ぎて、
指も脳もふやけてしまったのでしょう。

他には取り柄はないけどマジックだけは得意と気宇壮大に語るナルシスト
のマジックは…大抵できてませんから。
そのことに本人が気付いていないところがまたイタイのですが、「受け身」を
知らずに柔道の試合に出続けているうちに、痛覚が喪失したのかも知れま
せん。
マジック界はリハビリの場でもなければ、普通の仕事ができない社会不適
合者の駆け込み寺だと思われたら、いい迷惑です。

話は少し逸れますが、クラウドファンディングも玉石混合の状態。
一例を挙げれば、確固たるボランティア精神があるのなら自分達が一肌脱
げばいいだけなのに、コロナ禍で経済的に苦しいせいか、イベントをダシ
に他人の金を集めるのみならず、さらにオブラートに包んで美談に仕立て
上げて感謝までされようとする企みが透けて見えると、本当に興醒めです。
こんな悪手が何度も通用するとは思えませんが、これは「やる理由」が胡散
臭くて、とにかくみっともない!
どんなに優秀で好感度が高かろうが、勇気を持って「やってはいけない理由」
を進言し、諭してくれる常識人が周囲にいないことが致命傷なのでしょう。
…とりあえずこの話題はここまで。

そもそも、「できない人」に共通しているのは、メールの返信や電話の折り
返しが遅いこと…。
本人が持ちかけた重要な案件でも、平気で半日や一日遅れて連絡してきて
「すみません、バタバタしてました」が定型文になっています。
こちらは「忘れていたか仕事が遅いからバタバタしてんだろ。どうせ暇な
くせに」と内心ボヤいています。

「できる人」は忙しい中でも「後ほどこちらから連絡します」と即折り返し
をするものです。
これは一流ブランドで売り上げがトップクラスの担当者や車のディーラー
では顕著ですし、マジックの仕事上で知り合う優秀なスタッフにも共通
して言えることです。
そして彼らに無理を承知でお願い事をした時…最初からできない理由を
口にすることはなく、結果はどうあれ、なんとか実現・成就するように
奔走してくれます。

悪手のクラウドファンディングの例を挙げるまでもなく、人はあまりにも
暇になって不安を感じると、ろくでもないことが頭によぎる弱い生きもの
です。

ですから巷間云われる「仕事は、忙しい人に頼め」は正解なのです。

 

|

マルチワーカー 3 (完結編)

前回からの続きです…

コロナウィルスが日本に上陸した頃、多くのマジシャンは楽観的に捉えて、
毎夜宴の真っ最中でした。(特に「アリとキリギリス」のキリギリスタイプの
マジシャン)
護るべき家族がいたり危機管理ができているマジシャンほど事態を深刻に
受けとめて早めに動き、専業プロという薄っぺらな見栄など捨てて複業を
始めるなどしてマルチワーカーへと転身していった印象です。
宴が次々に中止になり店が休業になるに及び、酒で脳が溶けたキリギリス
もさすがに「これはただ事ではない」と危機感を持つに至ったようです。

1999年、神奈川県の玄倉川の中州でキャンプをしていた産廃処理会社の
社員やその家族が、増水による再三の避難勧告を無視してキャンプを続行、
水かさはあっという間に胸元まで増して多くが流され、13人が死亡した痛
ましい水難事故を思い出しました。
検索したら動画もありましたが自業自得なのに「早く助けろよ!」と怒鳴る
おじさんには閉口しましたね。
まだまだ大丈夫というバイアスがかかってしまった典型例でした。
コロナの増水によって中州に取り残されたマジシャンの運命は…。

ここまでコロナ禍が長引くとは思っていなかったのか、ついこの間まで
「あいつはマジックで食えなくなったからバイトを始めた」と他人をディス
っていた自称専業プロほど困窮し始めて、ディスった手前、今更動きが
取れなくなって、ますます困窮するという負のスパイラルに陥るのです。

マジック以外の収入に頼ったら本物のプロではない…と、資格も免許も
不要な職業の虫眼鏡が必要なほどの小さなプライドに拘泥し、カッコを
つけて「芸人たるもの末路哀れは覚悟の前」と有名落語家の名言をパクって
はみたものの、いざ仕事がなくなるとジタバタしているのが現実です。
ガス欠や故障で立ち往生しても、保険やJAFにも入っていないために、
助けも呼べない状態です。
そんな生き方を選択したのも自業自得ですから、もしその場に遭遇した
としても、一瞥して通り過ぎるのが賢明でしょう。(情けは人の為ならず)
荒んだ空気を纏いながら「俺は専業プロだ!」と叫んだところで、世間の
人から苦笑いされながら「でしょうねえ」と言われて終わりです。

専業プロとしての生活が困窮したからといって他人を利用したり、タネ
明かしをしたり、コピー商品を販売したり…業界に迷惑をかけてイメージ
やステータスを貶めてまでマジシャンという職業にしがみつく必要がある
のか、その行動は本当にマジックを愛しているのか、利用しているだけな
のか…今一度、己の人生と真摯に向き合うべきだと思います。

せっかくの働き盛りの人間が、国からの支援金やあてもないオファーを
待ちながら、眉間にシワを寄せた顔で真っ白なスケジュール表と残高が
減っていく通帳とにらめっこをして、座して死を待つような日々をいつ
までも過ごしてはいけません。
40代までであればまだ伸びしろもあるので、早めに行動を開始するべき
でしょう。
50を過ぎると新しいことを始める気力や体力も衰え、経済的なリスクも
伴って選択肢がグッと狭まる上に、特にブルーカラー系の仕事は体力的
に辛くなるので、資格や何らかのスキルがあれば、ホワイトカラー系の
仕事を模索する方が賢明でしょう。
老年期にさしかかると、日々の暮らしを工夫しながら、なんとか年金を
受給できるまで逃げ切るしかないのですが、キリギリスの中には自分が
歳をとるなんて想像もしていなかったせいか、若い頃から年金を納めて
いない者も多く、全く受給できないか、受給できたとしても子供の小遣
い程度であることを知ると愕然とするのです。
(早く年金定期便を確認して、現実を直視すべきです)

マジックにおけるSDGs、つまり持続可能なマジシャン人生のためには
何が焦眉の急なのか、どのようなビジネスモデルを構築すべきなのか…
大きな課題を突きつけられています。
変化の大きな時代に安定して大好きなマジックを続けるためにも、一つ
の職業だけを人生の屋台骨にするよりも、個人の経営の多角化が必要
ではないでしょうか。
マルチワーカーとして収入の柱を複数持ち、合わせ技やハイブリッドで
生きるのが当たり前の社会になろうとしています…ていうか、もうなって
います。

ただし、肩書きが複数あったとしても中身が肝心です。
プロフィールに、これでもかとばかりに多くの肩書きを見せつける人は
胡散臭くて信用されません。
それはオファーの獲得に前のめりなマジシャンの、盛りに盛った実績や
プロフィールを見れば一目瞭然です。

盛り癖のある人は、実は苦しいのにSNSで「根拠や証拠に乏しいリア充の
日々」を発信しがち…不安な時期にそんなフェイク情報に惑わされて焦った
り嫉妬をしてはいけません。
実態は、必死で生きる生活臭が換気したくなるほど充満して蒸せ返って
いるのですから…。

住宅展示場のモデルルームがオシャレで綺麗なのは、そこに人が住んで
いないからです。

|

マルチワーカー 2

前回からの続きです…

まず初めに…「好きなマジックで稼ぎたい」のと「好きなマジックだけをして
稼ぎたい」とは大違いです。

ファジーな立場で営業活動をこなす人が多いマジック界には、他の職業では
あまり馴染みがない「フルタイムプロ」とか「パートタイムプロ」とか、一般人
からすればプロなのかアマなのかはっきりしない表現を耳にします。
この場合のパートタイムプロは、まさにマルチワーカーの範疇でしょう。

専業プロで稼ぐことが困難となった時、心の底からマジックを愛して続けて
いきたいと思うのであれば、その「好きなマジックを続けるため」に他の仕事
で稼いでみせるという気概があってもいいのではないでしょうか?
立ち位置を明確にしているアマチュアマジシャンは、まさに趣味である好き
なマジックを続けるために、日々マジックとは関係のない仕事に打ち込んで
いるではありませんか。
それすらできないのであれば、その自称プロの「マジックの好きさ度合い」は
アマチュア以下だったということです。

その程度のことは認識していないと、マジックだけしかやりたくないなんて
一般社会からは怠惰な「甘え」にしか見えないのです。
甘えたマジシャン人生を続けるのであれば、実家も出ずに一生親のスネを
かじる、ヒモになると割り切って嫁さんに働いてもらう、マジック好きの
金持ちのスポンサーに頭を下げて腰巾着になる、飲み屋の道楽オーナーに
雇ってもらってオーナーと酔客に媚びを売る、大義名分を掲げたクラウド
ファンディング(おそらくリターンは期待できない)で金を集める、同業者
の迷惑を顧みずにタネ明かしを始める、コピー商品を販売する…
選択肢は多いようですが、果たしてそこにはプロとしての矜持はあるので
しょうか?
あるいは、アフターコロナでまたマジックブームが来ないかなあ…なんて
他力本願の淡い期待を抱いているのかも知れません。
巷間ゼロコロナにはならないであろうことが共通認識となりつつある現在
においては、ずっとウィズコロナとなることを覚悟すべきです。

プロが他の仕事を始めるとプロの顔ではなくなるという意見がありますが、
大いに同意できる部分はあります…確かに、長年に渡って芸一本で食べて
きた一級のプロの顔から滲み出る迫力やオーラは、一朝一夕で完成したり
安易に模倣できるものではありません。
その凛々しい顔を人生の晩年まで維持できるのであれば、それに越したこ
とはないでしょう。
しかし残念なことに、仕事が減って生活に窮した特に中高年プロの卑屈な
顔ほど醜悪なものもありません。
色褪せた己の芸を過大評価し、危機管理もせずに、その不甲斐なさを棚に
上げて、政府や世間に八つ当たりをしても何の解決にもならないでしょう。

プロマジシャンは、頑なにマジック専業で食べていかなくてはならない
のでしょうか?
ハイブリッド車のように、ガス欠になった時には電気や他の動力で走って
はいけないのでしょうか?

専業プロであることのプライドに拘泥する中高年は、今の若手と違って、
きっと過去にそれなりにオイシイ思いを謳歌してきたがために、忘れる
ことができないのでしょう…それは、くすぶり続ける自我なのです。

残酷なようですが、思い出と戦っても勝てないんですよ。

次回3へ続く…

|

マルチワーカー 1

職業のあり方が主と副の2つだけという形にとどまらず、多くの仕事を並行
して手掛ける「マルチワーカー」が活躍する時代になっています。

私自身もここ10年以上の実践や経験から、数年前より「複業」(複数の本業
を持つこと)について何度も書いてきました。(以前にも書きましたが、現在は
マジックを含めて5つの収入源をなんとか確保しています)
マジシャンとして充分に稼いできたという自負はありますが、予想だにし
ない人生の紆余曲折や社会情勢の変化という波に翻弄される小舟のような
職業であることも経験してきたことから(忘れもしない1998年…通帳の残高
がほぼ底をついて焦りまくったことがあります)、昔から「複業」あるいは
「多業」の重要性を強く認識していました。

初めこそ、ギャラを下げるなどしてマジシャンのステータスを落とすこと
がないように、安定した収入源を増やすのが主目的だったのですが、実は
人間関係やスキル、社会に貢献する感覚など、お金以外にも多くの「資本」が
それぞれの仕事にひも付き始めるのが醍醐味にもなっていきました。
充てる時間や仕事の種類のバランスをとるのが重要ですが、マルチワーク
をうまく機能させた時のリスク分散の効果の大きさを、今回のコロナ禍に
おいて改めて実感しています。

日本経済の基盤である自動車産業においても、ガソリン車一辺倒からの
リスク分散が顕著になってきました。
2030年代には、全ての車がガソリン車からEVを主流とした新エネルギー
車に置き換わると言われています。(個人的に感じる言い方をすれば…車の
白物家電化でつまらなくなりそう)
ですから一部の車好きは、最後の生産になるであろうV8やV12エンジンを
搭載したモンスターカーに、今のうちに乗っておこうと焦っているのです。
(私もその一人ですが、例えると近い将来にウナギやマグロが食べられなく
なると言われて、慌てて食べたくなった感じですかね)

現在はハイブリッド車や水素自動車が注目されていますが、まさに過渡期
であり、車の動力源の複業化とも言えるのではないでしょうか。
動力がエンジンからモーターに置き換えられると、大手メーカーに供給
することで生きてきたエンジン専業の下請けは、業態転換をせざるえない
でしょう。
自動車産業の裾野は広大ですから、その影響は計り知れませんが、変化
することが決定事項として事前に周知されているのであれば、その衝撃に
対する策を練る時間はあるはずです。(突然の地震ではなく、台風の規模や
進路が予想できるわけですから)

時々こんな夢を見ます…大きな橋を渡っている時、背後から橋が崩落し始
めたので慌てて駆け出し、ギリギリで向こう岸に渡りきったところで目が
覚める…実際に時代やコンプライアンスから逃げ切っている世代で、その
自覚があるからこそ目覚めた時に安堵しているのでしょう。

私自身がマジシャンとしては時代遅れで、一旦壊れると修理費もかかるし、
燃費の悪いガソリンがぶ飲みの旧車であることの自覚もあるし、これまで
培って得意としてきた分野のマジックが廃れて、コンプライアンス上も演
じ辛くなっていることを肌で感じ始めた頃には、生き延びるために盤石の
体制を整えていたつもりです。
世の中の変化を敏感に読み取り、ハイブリッドなマジシャン人生を準備し
ておけば、たとえガス欠になったとしても電気や他の動力に切り替えて、
走り続けることができます。
専業プロというプライドに拘った挙句、ガス欠で路上で立ち往生するよう
な惨めな姿を晒すようなら本末転倒です。
世間の人は颯爽と走る姿を見ているのであって、動力源など見ていません。

人生の歩み方はもちろん、マジックの演目も、古典は古典として残しつつ
時代やコンプライアンスや客層に合わせてフレキシブルに切り替えられる
柔軟性が必要です。
時代はもの凄いスピードで変化しているのですから。

次回2へ続く…


|

すっぱいぶどう 2

前回からの続きです…

他人がある趣味や嗜好品に夢中になっているのに、それに水を差すように、
自分が経験したことがない事象、あるいは所有したことがない嗜好品を頭
から否定することは、キツネ認定との誤解を招く元になります。

昔は物欲の塊だったのに断捨離をして、最小限の持ち物だけで暮らすミニ
マリストになった人の本を読んだことがあるのですが、その著者の場合は、
体型までミニマリストになるなど、本人の経験則に基づいていることから
説得力を感じた一方で、過去に物欲にまみれて暮らした形跡もなく、最初
から上から目線で優位性を語るミニマリストからは、本当は欲しくても買
える経済力がないために、そう振舞って精神のバランスをとるしかないの
かなと思わせるキツネ臭が、ほのかに漂ってしまうのです。

もちろん金で買えるものが全てではなく、金で買えない価値があるものも
無数にあることは論を俟ちません。
それを踏まえた上で、ある本の一文が印象に残っています…「金で買えない
ものの価値は、金で買えるたいていのものを手にして初めてわかる」

私は興味がないので、釣りやゴルフは嗜みませんが(喰わず嫌いであること
は自覚しているので、やればきっとハマるのでしょうね)、自分が興味がない
からという理由で、他人の趣味や嗜好を否定したことはありません。
自分がやったこともないことを簡単に結論づけたり否定することは、おこ
がましい上に説得力もないし、そもそも他人が好きでやっていることに口
を挟んで必要以上に否定すれば、実は興味があるくせにできないか、やる
余裕がないから嫉妬していると思われて、ルサンチマンのレッテルを貼ら
れるのがオチなんですよ。

一般的に嫉妬の対象となるのは、顔が思い浮かぶ程度の比較的身近な知人
や同業者が多いようです。
それまで同業者として気軽に話せていた人が、一夜にしてスターになって
遠い存在になってしまったら…

1989年、Mr.マリック超魔術ブームが日本中を席巻したあの頃、どれだけの
同業者が嫉妬をして足を引っ張ったか…当時マリックさんのスタッフとして
特番制作のお手伝いをしていた私は、最も近くで同業者達の無節操な行動
を目撃していました。

ライバル局で類似番組が続々と制作されるのはもちろん、独自の世界観を
確立してそれぞれの道を歩む姿をリスペクトしていた諸先輩方が、スター
ダムにのし上がったマリックさんの演出を批判をしながらも、草木が靡く
ようにちゃっかりとブームには乗っかって、ある者はサングラスをかけて
袖捲りをして「なんちゃってマリック」に成り下がり、一夜漬けで覚えたで
あろう超魔術を、本人も理解していないメンタルマジックのワードを羅列
しながら拙い台詞で演じ始めました。(ほとんどの映像を保存していますが、
見直すと、まあおぞましい限りです)
また、アンチマリックの旗印の下、暴露の道に活路を見出して、超魔術を
茶化す輩も跳梁跋扈し始めました。
マジックショップは一斉にメンタルマジックグッズを中心に販売するよう
になり、それらのショップを非難していたショップまでが、とうとう最後
にはブームに乗っかって悪魔に魂を売る始末。
まさにMr.マリックの登場を発端として、嫉妬に狂ったキツネが大量発生
し、見たくもなかった本性が顔を出すというカオスの時代でした。

世界に目を向けても同様の事象は起こっているようですが、翻って例えば
デビット・カパーフィールド、ジークフリード&ロイ、ランス・バートン等に
代表されるような、ラスベガスで大成功を収めて巨万の富を築いたスター
マジシャンに嫉妬する自意識過剰な人はめったにいないでしょう…これ、
別次元まで突き抜けると「嫉妬」ではなくて「羨望」や「憧れ」に変わって
しまうという証左です。

ドラフト会議で指名されなかった選手が、意中の球団から指名された同級
生に嫉妬することはあっても、大谷翔平に嫉妬することはないでしょう。

つまり「嫉妬する」のは身近で手が届きそうだから「舐めてる」のであって、
裏返すと「嫉妬される」のは手の届きそうな対象(つまり射程圏内)として
「舐められてる」と言えるのでしょうね。
「なんであいつのギャラは高いんだ」とか「なんであいつにテレビのオファー
が来るんだ」というレベルの感情が典型でしょう。

「突き抜ける」ことは無理でも、「舐められてるけど嫉妬される」程度になれ
れば、人生は意外と楽しいのかも知れません。

ぶどうの立場で考えると、最後はキツネに食べられたとしても、「う〜ん、
悔しいけど美味い」と言わせれば、ぶどう冥利に尽きるに違いありません。




|

« 2021年8月 | トップページ | 2021年10月 »