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すっぱいぶどう 1

すっぱいぶどうはイソップ童話の一つで、キツネとぶどうとも言うらしい
ですね。
あらすじは、キツネがたわわに実った美味しそうなぶどうを見つけ、食べ
ようとして飛び上がるものの、ぶどうの位置が高過ぎて何度トライしても
届かない…結局キツネは怒りと悔しさで、「どうせあのぶどうはすっぱくて
まずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去るというもの。

フロイトの心理学では、防衛規制・合理化というらしいのですが、簡単に
言えば、物、地位、金銭、階級等、自分の手が届かない対象がある場合、
その対象を価値がない、あるいは低級で自分には相応しくない物として諦
めて、心の平安を得るという意味。

SNS上では高額品購入の記事をアップするだけで、謎の自分ルールを規範
とする監視員から教育的指導を食らって、やれ「リア充自慢だ!」との罪状で
「似非セレブ」のレッテル貼りをされるという被害者が出ることがありますが、
常識的には、セレブではない監視員にはレッテル貼りをする資格はありま
せん。
また「所有物を自慢げにSNSにアップする人間は、自分に自信がない奴だ」と
断定調のブログを目にしたことがありますが、少なくとも私の知る腕時計や
車の愛好家は、皆さん自信に満ち溢れた成功者だらけで、SNSで所有物を
紹介する人も多いし、誰一人としてその手の紹介記事にいちいち噛み付く
人などいないのですが…。
おそらくそれらを所有したことがない投稿者こそ、何を根拠に断定している
のかを説明できない限り、キツネ臭がプンプン漂うのです。

ブランド品、腕時計、車…これらを無駄であると断言するのなら、その全て
をやり尽くした人だけが、経験則を基に発言する権利があるのです。
従って、「無駄だ」ではなく「無駄だった」という過去形で。

そもそも誰にも迷惑をかけずに、ましてこのご時世に経済まで回して多額の
納税をしている人が、個人の人生を充実させるために購入したものをSNSに
アップした程度で、どこに貶される要素があるのでしょうか。

このような一連の感情の根源は一体何なのでしょう…それは「嫉妬」に他なり
ません。

よくある例では…知人が宝くじに当たったとなると、表向きは「おめでとう」
と言いながらも内心では「急に大金を手にすると、不幸な末路が待っている」
などと素直に喜べない心理。(実は本人もこっそり買っていたりします)

マジックの世界ではコンテストの功罪が語られますが、技量的には受賞
とは縁がなさそうなマジシャンに限って、「受賞してもプロとして将来の
成功が約束されたわけではない」と言って、コンテストに興味を示さない
そぶりをする若手もいます。
稼ぐために、さっさと営業マジシャン(特に酒席の)になったタイプに多い
ようですが、その言葉の端々からは、受賞した同世代に対する嫉妬心が
見え隠れしています。
若くしてギャラを頂戴するというプロ活動を始めてしまうと、挑戦したく
てもアマチュアや学生に負けるわけにはいかないという陳腐なプライドの
陥穽に嵌ってしまうのでしょう。

私個人の経験則に沿った意見としては、若い頃の一時期、期限を区切って
思いの丈を詰め込んだ演技に集中してコンテストに挑戦することは、同じ
目標を持つ戦友と肝胆相照らすこともできるなど、有益なことも多々ある
ことを考えると、やってみるべきだと思います。
コンテストに挑戦した上で、受賞した戦友に嫉妬することは、ごく健全な
精神状態ではないでしょうか。

さて、「コンテスト受賞者の将来の成功は、約束されたわけではない」…
これは受賞歴のあるマジシャン全員の、その後の暮らしぶりを数十年に
渡って追跡調査して、エビデンスを示した上での発言であれば説得力が
あるのでしょうが…断片的なその後の様子から推察すれば、まあ当たらず
とも遠からずでしょうね。

なぜなら、マジックの賞は足の裏のご飯粒のようなものだから…とらない
と気持ち悪いけれど、とったところで食えないわけですから。

次回2へ続く…

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