マジックと愛車遍歴 5 (前編)
・ シボレー ルミナ APV (1992〜1999)
1990年代はミニバンが世界の市場を席巻し始めました。
日本の市場でのブームのきっかけとなったのが、トヨタのエスティマです。
打倒エスティマとして、日産はセレナを、ホンダはオデッセイを投入しました
が、街中にはどんどんエスティマが増えていった印象です。
タマゴのような流線型が美しく、セダンの亜流であるワゴンと比較して車高が
高く、後席を畳めば荷室はかなりの容量となります。
さらに商用車と違い、乗り心地も良くてステータスも高いとなれば、売れない
わけがありません。
知り合いのマジシャンでも二人が購入していました。
私もミニバンを検討していましたが、街中で増えすぎたエスティマは、他人と
被りたくない天邪鬼な私の意識の中からは、早々に候補から消えました。
年に数回は渡米していたのですが、実は渡米する度に見かける、あるミニバン
が気になって仕方ありませんでした…それがシボレー ルミナ APV
まさにアメリカンミニバンといった風情で、画像のように新幹線300系の先頭
車両のような形状が印象的です。
ラスベガスやロサンゼルスの街中で見かける度に、「あれは何という車だろう、
営業出演をあの車で周りたいなあ」という想いは強くなり、停車している車体
に近づいて、車名をメモするほどでした。
そして帰国後、輸入実績のある業者を見つけて輸入したのです。
その時点で、国内には4台しかないとのことでした。
内装は、VIP送迎用に室内をカスタムするスタークラフト社が手掛けており、
木目の内張や照明、後席用のテレビまで装備する豪華なものでした。
結局は、後席を取り外して荷室にしたので、何の意味もありませんでしたが…
まあ自己満足ですね。
この頃は、地方のリゾートホテルでレギュラー出演もしていたので、年間走行
距離はかなり伸びていたはずです。
ただ、ルミナの乗り心地は決して褒められたものではなく、古き良き時代の
アメ車の大らかでフワフワした感じでした。
特にアウディというドイツ車の後でしたから、高速安定性などは比べるべくも
なく、大量に荷物を積んだ時の高速道路でのカーブでは、危険を感じるほど
不安定だったし、燃費も最悪でした。
しかし、それらの欠点を差し引いても、恋い焦がれた車を輸入した達成感と
マジシャンとしての自己顕示欲を大いに満たしてくれる車でした。
日本では珍しい形状とブラックカラーも相まって、街中では二度見どころか
三度見されるほどで、このルミナにATAケース満載で搬入口に現れた時に、
出迎えたホテルの責任者やイベント会社の担当者から、「こんなに車や道具に
拘るマジシャンは見たことがありません」と言われた時は、たとえ社交辞令で
あったとしても、素直に嬉しかったですね。
この頃、ある後輩が、古い商用車にコピーの手作りイリュージョンを積んで
営業出演をしながら、プライベートではスポーツカーを乗り回しているのを
見て、「本末転倒だ…まずは仕事で必要なものにお金を使わなきゃ…あれでは
いつまで経ってもステータスは上がらないだろうな」と思っていました。
ショーはステージの上だけではなく、ジョニーハートのように、家を出た時
から始まっているのだと常々思っていたので、口さがない同業者から「あいつ
のやり方はハッタリだ」とか「本当は他の仕事で稼いでいるに違いない」と陰口
を叩かれようが、ルサンチマンの遠吠えなど全く意に介しませんでした。
車やATAケースだけではなく、演技のクオリティーでも道具の豪華さでも、
しっかりと爪痕を残し続けた結果、評価もギャラもうなぎ登りで、ローカル
ながらテレビのレギュラー番組も決定し、銀座のクラブの出演回数も増えて
頻繁に上京するなど、バブル崩壊もどこ吹く風…マジシャンとしての黄金期
を迎えつつありました。
次回、後編へと続く…
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