マジックと愛車遍歴 5 (後編)
1994年FISM横浜大会のオファーが、マリックさんとセットで舞い込みます。
結局はマリックさん共々、FISM出演をお断りすることになったのですが、
実はこの時、私には大きなレギュラー出演の仕事が決まりかけていたのです。
当時、すでに銀座のクラブでテーブルホッピングをやっていたのですが、毎週
火曜日の夜は、福岡の完全会員制のレストランバーに出演していました。
この店には約3年出演しましたが、私が辞めて1年後にバブル崩壊のあおりで
閉店したようです。
名前も看板も無く、入り口の真っ黒な扉は常に施錠されており、高額な年会費
を支払った会員だけに鍵が渡されて自由に出入りできるという、隠れ家好きの
優越感をくすぐるバブリーなお店で、当然一見様はお断りで、会員の同伴者で
あれば入店できるシステムでした。
週末の夜は来客は多いので、統計上で最も来客が少ない火曜日の集客のために
出演して欲しいとのことで引き受けましたが、結果3年間、火曜日が最も来客
が多かったという実績を作れたことは大きな自信になって、そのノウハウは、
銀座でも活かされることになります。
毎週火曜日(月に4回)の収入だけで、サラリーマンの月収を凌駕する好条件
だったので、有難かったですね。
この店には富裕層や福岡の政財界人、コンサートで福岡を訪れたアーティスト
や芸能人も多数来店していたのですが、ある夜、ダイエーの中内社長が来店さ
れて、私のことを気に入ってくださり、福岡ドーム(現在のPayPayドーム)内の
レストランバーのステージにレギュラー出演して欲しいと中内さん本人から
直接依頼されました。
トップダウンで即決でした。
昔から幾度となく体験してきましたが、それなりの人物が集う場所で演じない
限り、それなりの仕事にはなかなか巡り合えないのです。
ハイボールを飲みながら上司の悪口で盛り上がるサラリーマン達が集う居酒屋
で、噴水カードで名刺をばら撒いても、おそらく一本の仕事にも繋がらないで
しょう…悪口を言われている、その上司クラスが集う店でばら撒かなきゃ。
ホント、戦略のミスは戦術ではカバーできないのです。
さて、そのレギュラー出演の具体的な打ち合わせや準備期間とFISMの開催日程
が重なったのです。
「ドームのレギュラー出演」と「FISMのゲスト出演」、別の角度から解釈をす
れば…「安定の高額ギャラ」と「マジック業界だけに通用する名誉」(名誉と言
えるのかも甚だ疑問ですが)…どちらを選択するかは、プロマジシャンとしての
生き様次第なので、そこに絶対的な正解はないと思いますが、私は前者を選んだ
までです。(プロフィールの実績が一行増えたところで、食えませんからね)
翌年にはホークスのファン感謝デーの「鷹祭り」のゲストとして、ドーム球場の
数万人の観客の前でイリュージョンを演じる機会にも恵まれました。
ドームのレギュラー出演がスタートすると、客席は毎回マジックマニアで埋ま
りました。
後に弟子入りすることになるRintaroも毎回観に来ていました。
余談ですが、1996年、ジョニー広瀬氏の推薦で、大阪のNGK(なんばグランド
花月)に一週間出演した際にも、Rintaroは観に来ました。(夜中のパン工場で
バイトをして、交通宿泊費を捻出したらしいです)
ある日の出演後、故 安田悠二氏とお好み焼きを食べている時に、「弟子希望の
学生が福岡から来てたんだよね」と話したところ、安田氏から、「福岡から大阪
まで観に来るほど入れ込んでるなら、弟子入りを断わられても絶対にプロに
なるはずやから、ZUMAさんが引き受けて、プロの道を教育するべきやで」と
説得されたことを覚えています。
大学卒業と同時にRintaroが弟子入りすることになり、その際にマリックさん
が彼に直接、様々なアドバイスをしてくださいました。
話は戻って、レギュラー出演はステージショーだったので、ドームの搬入口に
愛車のルミナと幾度となく通ったわけですが、そんな良き思い出を紡いできた
ルミナも、5年を過ぎた頃から大変な不具合を生じるようになりました。
時を同じくしてダイエーが破綻してソフトバンクが事業継承し(盛者必衰)、
そのレストランバーも改装するというタイミングでレギュラー出演は終了した
のですが、新生ホークスの納会でもメインショーを任されることになりました。
打ち合わせの際に、「ホークスのパーティーなので、オウムではなくて鷹を出せ
ませんか」とムチャ振りされて困ったのも良き思い出です。
さてルミナですが、営業出演の帰りに二度ほど立ち往生したことがあります。
一度目は、福岡市内の目抜き通りで、ボンネットから突然白い煙を吹き出し、
近くのガソリンスタンドに駆け込みました。
二度目は高速道路を走行中、みるみる速度が落ちて止まりかけたので、何とか
パーキングエリアに避難しました。
頼りにしていたJAFを呼んだものの、全くの役立たずだったので、これを機に
脱会しました。
いずれも出演帰りだったのが不幸中の幸いで、このままでは仕事に穴を開けか
ねないと思い、乗り換えの検討に入りました。
手放すことが決まった時に、Rintaroが「ルミナは、弟子入りした時から憧れ
た車なので、僕が引き継ぎたいです」と宣言したものの、知り合いの自動車
整備工から「絶対に維持できないからやめとけ」と言われて、泣く泣く諦めた
ようでした。
ルミナの最後の一年は、なぜか雨の日には動かなくなりましたね。
維持費は大変でしたが、出来が悪い子ほど可愛い…そう思わせる車でした。
次回、6へ続く…
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