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2021年5月

マジックと愛車遍歴 7 (後編)

もう暫くはクライスラー300Cツーリングと人生を共有しようと思っていた
矢先に(そりゃあ、2台も買ったのだから、通常の2倍は乗りたくなりますよ)、
予想もしなかった理由で乗り換えをすることになってしまいました。

実はこの頃から、近隣の小規模な仕事なら、道具は宅配便で送って手ぶらで
タクシー移動、ちょっと規模が大きければ弟子がミニバンで駆けつけてくれ
るために、自分の車は私用でしか乗らなくなっていました。
もちろん、東京や大阪でのテレビ出演やステージショーの際は、道具の運搬
の全てを運送会社に任せることにしていました。
現場に着いたら全ての道具がステージ袖に置いてあるし、ショーが終われば
運送会社の伝票と道具を預けて帰るだけで、営業出演において一番辛い作業
である搬入と搬出がないのですから、ギックリ腰が癖になりつつあった自分
には理想的でした。

これまではマジックの道具を積み込むということを第一義に、その荷室容量
を勘案しながらも、運転をする高揚感や所有欲や自己顕示欲を満たすことが
できることを条件に車選びをしてきたわけですが、次の車からは完全なプラ
イベート車にしようと決めた途端に、荷室容量という条件が外されることに
よって、選択肢が広がり過ぎて迷ってしまうのです。
ただし、仕事で使わないのであれば、節税のために経費として処理すること
はできなくなりますね。

もう年齢も50代の半ばだし、荷物は積めなくても構わないから、まだ一度も
乗ったことがない車高が低くて2シーターのスポーツカーにしてみるかと、
コルベットを見に行きましたが、地を這うような車高の低さと視界の悪さで
乗りこなす自信はありませんでした。(目線の高さが、前の車のテールランプ
くらいですよ)

もしも、あらゆる制約(年齢的、経済的…etc)を取り除いて、本当に欲しい車を
1台選べるとしたら、皆さんはどんな車にするでしょうか?
私は、映画「007 スペクター」の劇中車…アストンマーティンDB10ですね。
実はこの車は市販はされておらず、撮影用に8台、プロモーション用に2台
作られて、そのうちの1台がチャリティーオークションに出品されて、4億円
で落札されました。
劇中でのジャガーC-X75とのカーチェイスは、語り継がれることでしょうね。
メイキングは…コチラ

さてクライスラーに代わる車選びですが、ヤナセの担当者からは「純粋にドラ
イブを楽しむのであれば、新型ベンツCクラスのカブリオレがお勧めです。
来週に納車予定の現車があるので、是非見て下さい」との連絡があったので、
行ってみると、ボタン一つでルーフが畳まれてオープンカーに変身するカブ
リオレには、心が揺さぶられましたね。

カッコいいし気持ち良さそうだし、検討に値するので見積もりを受け取って
お別れが確定しているクライスラーで帰宅している途中でのことです…
街中では、クラスは違えど、やたらとベンツの多さが目につきます。
対向車を注視していると、似たような顔をした車と何度もすれ違うのです。
(それもそのはず…ベンツは2014年からずっと輸入販売台数が第1位なのです)
そして3車線の大きな交差点の赤信号で停車した時、対向車線にはベンツ、
さらに私の左右に停車したのもベンツだということに気づきました。
つまり三方をベンツに囲まれたのです。(後方は確認しませんでしたが…)

あまりの似た顔の多さと、そのグレードのピンからキリまでのカーストや
ヒエラルキーを考えているうちに、帰宅した時にはすっかり興ざめしてい
ました…もう、見積もりを確認することはありませんでした。

次回、8へ続く…

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マジックと愛車遍歴 7 (前編)

・ クライスラー 300C ツーリング (2009〜2016)

さて、ベンツVクラスから乗り換えた車とは…
案内されたヤナセのショールームには、車長5m、車幅2m弱の巨大な躯体で
悪い顔をした真っ黒の厳つい車が鎮座していました。
はいはい、ハリウッド映画で観たことがある顔です…必ず悪役が乗っていた
車です。
威風堂々としながらも、乗る人間はこちらが選ぶぜというくらいの強い視線
でガンを飛ばしてきます。
いいじゃないですか、乗ってみましょう…即決でした。
納車後すぐにガラスコーティングを施すと、いやらしいほどに黒光りして、
さらに「ちょい悪ラグジュアリー」な車になりました。

クライスラーといえば所詮アメ車でしょ、という偏見を持つ方もいると思い
ます…正直、私もそうでした。
見た目に惚れただけで、以前のルミナのように、乗り味や足回りにはそれほ
どの期待はしていませんでした。
ところがこの車は、ほぼドイツ車並みの操舵感を味わわせてくれました。
ドイツ車とアメリカ車を交互に乗り継いできたので、そのテイストの違いは
よく解ります。
実はこの300Cツーリングは、クライスラー史上の傑作と云われています。
なぜなら、この頃のクライスラーはメルセデスと提携しており、ダイムラー
クライスラーという合弁会社が、ヨーロッパのオーストリアの工場で生産
した車で、シャーシの基本構造はメルセデスの主力車であるベンツEクラス
と共有されていたのです。(その後、提携は解除されたので貴重な車です)
どうりでドイツ車のようなカチッとした足回りのはずです。
そして、クライスラーお得意の5.7リッターHEMIエンジンを搭載している
ので、とんでもないパワーを発揮します。
つまり、基本構造は安心のドイツ車で、エンジンと見た目は私好みのアメ
リカ車という理想的な組み合わせだったのです。
ただし、燃費は最悪で、ハイオクの街乗りでリッター3km程度です。
さらに排気量に伴う自動車税も高いし、とにかく維持費を気にしていたら
乗ってはいけない車です。

そこそこの荷物は積めるので、マジックの仕事でも重宝はしたし、打ち合
わせ場所のファミレスの駐車場に入ると、窓際に座る客がガン見するなど、
とにかく目立つ車でした。
走行中、前の車のルームミラーにこの顔が映るとすぐに道を譲ってくれるし
(普通に走っているだけで煽っているように見えるとしたら、昨今の社会
問題に鑑みると要注意ですね)、割り込まれた記憶はほとんどありません。
そんな意味でも、デカい割には運転しやすい車でした。

得意絶頂で乗り回して3か月経ったある日、この車と私を悲劇が襲います。
2009年7月の当お知らせで詳細を書いておりますので、ご一読ください。

「良い事と悪い事」

さて、この2代目にもピカピカのコーティングを施したものの、先代と全く
同じでは気が済まないので、個人輸入したパルテノングリルを装着すると、
これがまた、先代以上の威圧感を醸し出しました。
筋の悪いロールスロイスというか、なんちゃってマフィアというか…。
この車は、宣材写真にも登場させました…コチラ

2代目の納車から7年が経ったある日、ヤナセの担当者から一本の電話が…
「大切なお話がありますので、ご自宅に伺ってもよろしいでしょうか?」
忙しいので、用件は電話で事足りることではないのかと問うと…
「対面でお話しなければならないので、なんとか時間を作って下さい」
これは只事ではないなと思い、来てもらうことにしました。

当時は、タカタ製エアバッグの不具合問題がニュースになっていたことも
あって、さては何かリコールが発生して修理が必要になることの謝罪かな
と予想していましたが、まるで違っていました…
「ヤナセがクライスラーの取り扱いを停止することになりました。暫くは
メンテナンスの対応はできますが、近い将来のフルサービスや車検は受け
られなくなります。ベンツに代わる車として、私どもの方からこの車をお
勧めし、それも2台も購入して頂いたのに申し訳ありません。ついては、
これを機に買い替えを検討していただけないでしょうか?」

はいはい、迷うことなく検討が始まりました。

次回、後編へ続く…




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マジックと愛車遍歴 6 (後編)

10年に渡る良き思い出が濃密に詰まったベンツVクラス…実は、この車と
別れる時が来たら、自分の人生も一度棚卸しをして、リセットしようと
考えていました。

私は、それまでの自身の経験や、先人達の栄枯盛衰の人生を観察したり、
謦咳に接したりした結果、究極の不安定な職業であるマジシャンは、臆病
であるべきだと確信していました。
リーマンショックや震災やコロナ禍によって、いみじくもその不安定さが
露呈してしまいましたが、こうした災禍は、今後も必ず繰り返されること
でしょう。
ですから、「自分が生きている間に、こんなことが起きるとは思わなかった」
などという発言は、今後の未来においては泣き言にしか聞こえず、意味を
持たなくなりそうな気がします。

昔、ここで書いた文をもう一度書きます…

「臆病であることは大切です。木陰のカサッという音で危機を察知して、
脱兎のごとく駆け出す鹿は、きっと長生きできるはずです。能天気に草
を食べ続ける鹿は、天敵に襲われるか、猟銃で撃ち殺されるのです」

用心深くて臆病な私は、当時こんなことを考えていました…

「自分のようなローカルマジシャンに、これだけ多くの営業出演のオファー
があるだけでも有り難いのに、様々なテレビ番組に呼ばれて、順風満帆に
やってこれたのは奇跡に近い。
健康も含めて、こんな良い状態がずっと続くはずがない。
10年前には最新と云われたイリュージョンもコモデティ化し、コピー製品
も蔓延り、あえてそれに手を出すセコいマジシャンや、安いだけが売りの
マジシャン、さらに本当に脅威に感じる若手も台頭してくるだろう。
今後の戦略としては、営業では動物や火気を使ったマジックはやりづらく
なるだろうから、バードマジックはテレビ用だけにブラッシュアップして、
営業は量より質で勝負するために、キャラクターを活かしたトークを中心
として、小回りの効くサロンマジックの分野を確立し、ターゲットを絞り
込んで、さらに先鋭化したスキミング戦略に舵を切ろう。
年齢もまもなく50代に突入する…きっとイリュージョンを運ぶのも演じる
のも無理はできなくなるだろう。
幸い体力的にも経済的にも余裕がある今のうちに、将来に向けてマジック
以外の収入源を確保するための一手も打たねばならない。
ここで新型Vクラスに乗り換えてしまうと、元を取るために今までの路線
を続けてしまう可能性が高いし、リクエストをされ続ければ、辞め時を
逸してしまう。
無駄な服を買ってしまわないためにクローゼットをわざと狭くするように、
今後は車の荷室容量を縮小して、強制的にイリュージョン中心の営業形態
からの離脱を図ろう。
それでもイリュージョンをやらなければならない時は、弟子にミニバンで
協力してもらえばいいし、いざとなったらレンタカーや運送会社に頼む手
もあるし…うん、そうしよう!」

このように決心した私は、ヤナセの担当者に伝えました…「ライフスタイル
が変わるので、もうミニバンは必要ない。適度に荷物が積める程度のラグ
ジュアリーなワゴン車はないのか?」と。
「それならこちらへどうぞ」と案内された別棟のショールームに、デーンと
鎮座していた車に一目惚れをしたのです。

次回、7へ続く…

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マジックと愛車遍歴 6 (前編)

・ メルセデス ベンツ Vクラス (1999〜2009)

ルミナに未練を残しながらも、アウディ以来、7年ぶりにヤナセとの付き合い
が再開しました。
当時のアウディの担当者が喜んだのは言うまでもありません。
(この年から現在に至るまでヤナセとの付き合いが続くことになります)

仕事上の荷物の多さを考えると、もはやミニバン以外に選択肢はなく、福岡
輸入車ショーで見たシボレーアストロやクライスラーボイジャーも候補として
検討しましたが、今回は安定のベンツVクラスを選択しました。
車体はほぼ四角の形状で、後席は1席ずつ取り外しが可能なので、全ての席を
取り外して板張りにすると、広大な荷室が誕生します。
パワーはというと、荷室が空の状態で走れば何の不満もないのですが、図体が
デカい割には2.8リッターのエンジンなので、荷物満載で走る時は物足りなさ
を感じましたね。
ただ、あくまでもミニバンである以上、ブイブイいわせて走る車ではないので、
まあこんなものでしょう。
しかし、トラブルが多かったルミナの後で、それもヤナセから納車された新車
のベンツというだけで、絶対に穴を開けるわけにはいかない仕事で使う上では
常に安心感がありましたね。
晩年のルミナでは、ちゃんと時間通りに現場入りするという当たり前のことが
不安で、家を出る前のマインドセットにも悪影響を及ぼすほどでしたから。

この頃に演じていたイリュージョンは…
オリガミ、ウェイクリングソーイング、ポールレビテーション、ダンボール、
ラダーレビテーション、スリーソードサスペンション、シースルーギロチン、
ダイヤモンド、バードスルーミラー、ブルームサスペンション、ミラーボール、
ジャム、レボリューション、アキュパンクチャー、ウォークスルースティール、
バードキャノン、ボウソーイング、オープンスクリーン、アシスタントリベンジ、
バードトゥーガール、バードクレーン、トリセクション、カッティングエッジ、
ノーフィート、バズルブロック…

これらの中から常に2〜3台は運んでいたので、ベンツVクラスの広大な荷室は
重宝しました。
規模の大きなイベントで多くのイリュージョンを運ぶ時には、弟子のミニバン
と二台で移動したり、イベント会社がトラックを手配してくれました。

このベンツVクラスに乗った10年間が、マジシャンとして最も脂がのって動き
回った期間です。
様々な思い出が、まさに走馬灯のように駆け巡ります。
エピソードを語るとキリがないので、個人的に最も印象に残っていることを…

何度かアマチュアマジッククラブの発表会のゲスト出演をしましたが、2001年
でしたか、ちょっとした打ち合わせがてら、そのクラブの例会に顔を出した
ことがありました。
地方のマジッククラブは、どこも年配者の同好会といった風情なのですが、
たまたま若い大学生がいました。
話しかけたところ、緊張したのか寡黙なタイプでしたが、そのマジック熱は
伝わってきました。
それなら例会終わりに自宅へ招待してあげようとしたところ、彼は例会会場に
自転車で来ていたために躊躇していたので、彼の自転車をVクラスの荷室に積
んで自宅へ招待し、帰りは彼の下宿近くまで自転車と一緒に送り届けました。
その後、社会人となった彼とは、2回もイギリスのブラックプールのマジック
コンベンションに行ったり、今でも私のショーに裏方として駆けつけてくれた
り、マリックさんとも何度も会食を共にするなど、アマチュアながら別格と言え
るほど親しく付き合っています。
これもあの時、悠々と自転車を積めるVクラスに乗っていたからこそ始まった
付き合いなのだなあと回想しています。

こうして10年も活躍したベンツVクラスにも、さすがに不具合が出てきました。
そろそろ次の車の検討に入った時、ヤナセの担当ディーラーから、やや大型化
された新型Vクラスを勧められました。
普通なら新型に乗り換えるのが自然な流れとなるのでしょうが、この頃の私は
マジック人生において、大きな転機を迎えていたのです。

次回、後編へ続く…



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マジックと愛車遍歴 5 (後編)

1994年FISM横浜大会のオファーが、マリックさんとセットで舞い込みます。
結局はマリックさん共々、FISM出演をお断りすることになったのですが、
実はこの時、私には大きなレギュラー出演の仕事が決まりかけていたのです。

当時、すでに銀座のクラブでテーブルホッピングをやっていたのですが、毎週
火曜日の夜は、福岡の完全会員制のレストランバーに出演していました。
この店には約3年出演しましたが、私が辞めて1年後にバブル崩壊のあおりで
閉店したようです。
名前も看板も無く、入り口の真っ黒な扉は常に施錠されており、高額な年会費
を支払った会員だけに鍵が渡されて自由に出入りできるという、隠れ家好きの
優越感をくすぐるバブリーなお店で、当然一見様はお断りで、会員の同伴者で
あれば入店できるシステムでした。
週末の夜は来客は多いので、統計上で最も来客が少ない火曜日の集客のために
出演して欲しいとのことで引き受けましたが、結果3年間、火曜日が最も来客
が多かったという実績を作れたことは大きな自信になって、そのノウハウは、
銀座でも活かされることになります。
毎週火曜日(月に4回)の収入だけで、サラリーマンの月収を凌駕する好条件
だったので、有難かったですね。

この店には富裕層や福岡の政財界人、コンサートで福岡を訪れたアーティスト
や芸能人も多数来店していたのですが、ある夜、ダイエーの中内社長が来店さ
れて、私のことを気に入ってくださり、福岡ドーム(現在のPayPayドーム)内の
レストランバーのステージにレギュラー出演して欲しいと中内さん本人から
直接依頼されました。
トップダウンで即決でした。
昔から幾度となく体験してきましたが、それなりの人物が集う場所で演じない
限り、それなりの仕事にはなかなか巡り合えないのです。
ハイボールを飲みながら上司の悪口で盛り上がるサラリーマン達が集う居酒屋
で、噴水カードで名刺をばら撒いても、おそらく一本の仕事にも繋がらないで
しょう…悪口を言われている、その上司クラスが集う店でばら撒かなきゃ。
ホント、戦略のミスは戦術ではカバーできないのです。

さて、そのレギュラー出演の具体的な打ち合わせや準備期間とFISMの開催日程
が重なったのです。
「ドームのレギュラー出演」と「FISMのゲスト出演」、別の角度から解釈をす
れば…「安定の高額ギャラ」と「マジック業界だけに通用する名誉」(名誉と言
えるのかも甚だ疑問ですが)…どちらを選択するかは、プロマジシャンとしての
生き様次第なので、そこに絶対的な正解はないと思いますが、私は前者を選んだ
までです。(プロフィールの実績が一行増えたところで、食えませんからね)
翌年にはホークスのファン感謝デーの「鷹祭り」のゲストとして、ドーム球場の
数万人の観客の前でイリュージョンを演じる機会にも恵まれました。

ドームのレギュラー出演がスタートすると、客席は毎回マジックマニアで埋ま
りました。
後に弟子入りすることになるRintaroも毎回観に来ていました。
余談ですが、1996年、ジョニー広瀬氏の推薦で、大阪のNGK(なんばグランド
花月)に一週間出演した際にも、Rintaroは観に来ました。(夜中のパン工場で
バイトをして、交通宿泊費を捻出したらしいです)
ある日の出演後、故 安田悠二氏とお好み焼きを食べている時に、「弟子希望の
学生が福岡から来てたんだよね」と話したところ、安田氏から、「福岡から大阪
まで観に来るほど入れ込んでるなら、弟子入りを断わられても絶対にプロに
なるはずやから、ZUMAさんが引き受けて、プロの道を教育するべきやで」と
説得されたことを覚えています。
大学卒業と同時にRintaroが弟子入りすることになり、その際にマリックさん
が彼に直接、様々なアドバイスをしてくださいました。

話は戻って、レギュラー出演はステージショーだったので、ドームの搬入口に
愛車のルミナと幾度となく通ったわけですが、そんな良き思い出を紡いできた
ルミナも、5年を過ぎた頃から大変な不具合を生じるようになりました。
時を同じくしてダイエーが破綻してソフトバンクが事業継承し(盛者必衰)、
そのレストランバーも改装するというタイミングでレギュラー出演は終了した
のですが、新生ホークスの納会でもメインショーを任されることになりました。
打ち合わせの際に、「ホークスのパーティーなので、オウムではなくて鷹を出せ
ませんか」とムチャ振りされて困ったのも良き思い出です。

さてルミナですが、営業出演の帰りに二度ほど立ち往生したことがあります。
一度目は、福岡市内の目抜き通りで、ボンネットから突然白い煙を吹き出し、
近くのガソリンスタンドに駆け込みました。
二度目は高速道路を走行中、みるみる速度が落ちて止まりかけたので、何とか
パーキングエリアに避難しました。
頼りにしていたJAFを呼んだものの、全くの役立たずだったので、これを機に
脱会しました。
いずれも出演帰りだったのが不幸中の幸いで、このままでは仕事に穴を開けか
ねないと思い、乗り換えの検討に入りました。

手放すことが決まった時に、Rintaroが「ルミナは、弟子入りした時から憧れ
た車なので、僕が引き継ぎたいです」と宣言したものの、知り合いの自動車
整備工から「絶対に維持できないからやめとけ」と言われて、泣く泣く諦めた
ようでした。
ルミナの最後の一年は、なぜか雨の日には動かなくなりましたね。
維持費は大変でしたが、出来が悪い子ほど可愛い…そう思わせる車でした。

次回、6へ続く…


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マジックと愛車遍歴 5 (前編)

・ シボレー ルミナ APV (1992〜1999)

1990年代はミニバンが世界の市場を席巻し始めました。
日本の市場でのブームのきっかけとなったのが、トヨタのエスティマです。
打倒エスティマとして、日産はセレナを、ホンダはオデッセイを投入しました
が、街中にはどんどんエスティマが増えていった印象です。
タマゴのような流線型が美しく、セダンの亜流であるワゴンと比較して車高が
高く、後席を畳めば荷室はかなりの容量となります。
さらに商用車と違い、乗り心地も良くてステータスも高いとなれば、売れない
わけがありません。
知り合いのマジシャンでも二人が購入していました。
私もミニバンを検討していましたが、街中で増えすぎたエスティマは、他人と
被りたくない天邪鬼な私の意識の中からは、早々に候補から消えました。

年に数回は渡米していたのですが、実は渡米する度に見かける、あるミニバン
が気になって仕方ありませんでした…それがシボレー ルミナ APV
まさにアメリカンミニバンといった風情で、画像のように新幹線300系の先頭
車両のような形状が印象的です。
ラスベガスやロサンゼルスの街中で見かける度に、「あれは何という車だろう、
営業出演をあの車で周りたいなあ」という想いは強くなり、停車している車体
に近づいて、車名をメモするほどでした。

そして帰国後、輸入実績のある業者を見つけて輸入したのです。
その時点で、国内には4台しかないとのことでした。
内装は、VIP送迎用に室内をカスタムするスタークラフト社が手掛けており、
木目の内張や照明、後席用のテレビまで装備する豪華なものでした。
結局は、後席を取り外して荷室にしたので、何の意味もありませんでしたが…
まあ自己満足ですね。

この頃は、地方のリゾートホテルでレギュラー出演もしていたので、年間走行
距離はかなり伸びていたはずです。
ただ、ルミナの乗り心地は決して褒められたものではなく、古き良き時代の
アメ車の大らかでフワフワした感じでした。
特にアウディというドイツ車の後でしたから、高速安定性などは比べるべくも
なく、大量に荷物を積んだ時の高速道路でのカーブでは、危険を感じるほど
不安定だったし、燃費も最悪でした。
しかし、それらの欠点を差し引いても、恋い焦がれた車を輸入した達成感と
マジシャンとしての自己顕示欲を大いに満たしてくれる車でした。
日本では珍しい形状とブラックカラーも相まって、街中では二度見どころか
三度見されるほどで、このルミナにATAケース満載で搬入口に現れた時に、
出迎えたホテルの責任者やイベント会社の担当者から、「こんなに車や道具に
拘るマジシャンは見たことがありません」と言われた時は、たとえ社交辞令で
あったとしても、素直に嬉しかったですね。

この頃、ある後輩が、古い商用車にコピーの手作りイリュージョンを積んで
営業出演をしながら、プライベートではスポーツカーを乗り回しているのを
見て、「本末転倒だ…まずは仕事で必要なものにお金を使わなきゃ…あれでは
いつまで経ってもステータスは上がらないだろうな」と思っていました。

ショーはステージの上だけではなく、ジョニーハートのように、家を出た時
から始まっているのだと常々思っていたので、口さがない同業者から「あいつ
のやり方はハッタリだ」とか「本当は他の仕事で稼いでいるに違いない」と陰口
を叩かれようが、ルサンチマンの遠吠えなど全く意に介しませんでした。

車やATAケースだけではなく、演技のクオリティーでも道具の豪華さでも、
しっかりと爪痕を残し続けた結果、評価もギャラもうなぎ登りで、ローカル
ながらテレビのレギュラー番組も決定し、銀座のクラブの出演回数も増えて
頻繁に上京するなど、バブル崩壊もどこ吹く風…マジシャンとしての黄金期
を迎えつつありました。

次回、後編へと続く…

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マジックと愛車遍歴 4

・ アウディ クワトロ ツーリング (1991〜1992)

本題に入る前に…人と車の関係には二つのパターンがあると思うのです。

一つ目は、人は自分にふさわしい車を選ぶのか…欧米に行くと人と車が一致
してるんですよねえ。
カリフォルニアでメルセデス ベンツSLにブロンド美女が乗っていたり、ロン
ドンで銀髪の紳士がジャガーを操っていたりすると、カッコいいなあと思って
しまいます。
もう一つは、車が人の行動を変えるのか…私はこれに賛同します。
違法改造された車を暴走族から没収して、パステルカラーの可愛い軽自動車を
与えたら、あそこまで傍若無人な走りをするでしょうか?
例えばですよ、ブリオーニのスーツを着てベントレーに乗り込めば、郊外の
回転寿司屋には行きづらくなって、一流ホテルの駐車場に車を停めて、ホテル
内の寿司屋か銀座の寿司屋に行くようになるはずです。
そして、そういう暮らしを維持するためにも、日々精進するモチベーションに
繋がるのだと思います。

さて本題です…
現在でこそ、おしゃれなミニバンやSUVが主流となりましたが、平成の初頭
では、荷物を運ぶことに主眼を置けば、いわゆる商用車が第一選択肢という
時代でした。
しかし前回書いたように、スキミング戦略をとり始めていたエエカッコしい
の私にとっては、商用車は絶対にNGでした。
セダンでは荷物が積めないし、商用車では乗り心地は悪い上にショーの現場
に行くにはカッコつかないし…という双方の悩みを解決したのが、この時代
に流行ったステーションワゴンというセグメントでした。
当時の国産車ではスバルのレガシーが売れ始めており、外国車ではベンツ、
BMW、アウディ、ボルボがワゴン車の市場に参入し始めていました。

1991年、レジェンドから乗り換えたアウディ クワトロ ツーリング…新居を
建てたばかりなのに、ヤナセから新車のアウディを買うなど、かなり調子に
乗っていました。
実はお恥ずかしいエピソードを吐露しますが、当時本当に調子に乗っていて、
さらにセカンドカーとして、昔から憧れていたダイムラーダブルシックスも
購入しようと、ある輸入会社に300万円の手付け金を払っていたのですが、
振込み直後にその会社が倒産して、すったもんだがありました。
この輸入販売会社の社長とは、たまたま中洲のクラブで客同士で知り合って、
その会社のパーティーにマジックの営業出演で呼ばれたこともあったために
信用していたのですが、その頃には既に会社は傾いており、どうやら計画倒産
だったようで、被害者は私一人ではありませんでした。
弁護士に依頼して、奇跡的に全額取り戻せたから良かったものの(着手金と
成功報酬として、それぞれに一割の30万円ずつを支払いますから、正確には
240万円の返金)、ちょっと浮かれ過ぎてましたね…反省。
やはりイリュージョンや腕時計と同様に、正規店で買わなきゃダメですね。

さてワゴン車選びですが、多くのショールームを見て回った感想はというと、
荷室容量の大きさや実用性ではボルボ、狭いけどスタイリッシュさではBMW
だったような記憶があります。

では、なぜアウディだったのか…それは知性を感じさせる車だったから。
(冒頭に書いた、車は人の行動を変えるという思考が影響しています)

アウディはベンツやBMWのように主張が強い車ではなく、どちらかというと
アンダーステイトメントで控えめなイメージで、「頭が良くて運動神経抜群の
秀才系の車」という印象を持っていました…ということは、勤務先を辞して、
完全にプロフェッショナルとしての活動を始めた私自身が、そういうイメージ
で見られたかったのだろうし、アウディのイメージにふさわしい立ち振る舞い
をするように、自分をいざなっていたのでしょう。
確かにこの車に乗っていた頃は、黒い燕尾服を纏ったジェントルマンな佇まい
で、友人の結婚披露宴や学会のレセプションでクラシックな鳩出しを演じたり、
トークマジックでも毒を吐かず、紳士然と振舞おうとしていた気がします。

しかし実際の自分は、アウディのようなエリート系ではなく、目立ちたがり屋
でイケイケのアメ車のような性格だったので、紳士然として振る舞うことが
窮屈になったのも事実です。
アウディは、車としてのまとまり感は見事で、高速安定性は、さすがドイツ車
と思わせるものでしたが、私のキャラクターがアウディに合わせることができ
ずに、運転していても気分が上がらなくなっていました。

また、この頃にはバードマジックをメインにし始めたために、鳩はもちろん、
複数の大型鳥のケージも積むようになった上に、道具のほとんどをATAケース
に収納すると、さすがのワゴン車でも荷室容量が足りなくなってしまったこと
も、たった一年で手放すことになった理由です。
ただ、一年しか乗っていないアウディはリセール価格も良くて、次の車を購入
する際の出費は少なくて済みました。

余談ですが、当時は本当に天狗になっていて、「良い服を着て、良い車に乗って、
ATAケースで道具を運んでます!」とマリックさんに自慢したところ、一言で
打ち返されました…「あのねえ、本当の一流マジシャンは道具と一緒には動かな
いんだよ」…鼻っ柱が折れる音がはっきりと聞こえました。

さあ、折れた鼻の治療を終えたら、気を取り直して、イケイケのアメ車へと乗り
換えです。

次回、5へ続く…

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マジックと愛車遍歴 番外編 2

90年代の話に戻ります…新居を建てたばかりの私は、とにかく稼ぐ必要が
あったので、オファーがあればどんな仕事でも受け入れていましたが、自分
が納得する演技を提供して、その上で満足できるギャラを得るには、やはり
ステージ環境が良くないと不可能だと思うようになりました。

過酷な炎天下のお祭りのステージでの出番直前、司会者がプロフィールの
受賞歴を読み上げている最中に、心の叫びが聞こえます…「あー、ハードルが
上がってしまった。今からやるお祭り用の演技で評価されたくない。でも、
どんな環境でも対応できると豪語した自分の責任なのだ。もうこんな現場の
仕事は断ろう。ここで燕尾服でカッコつけても滑稽なだけだ。シャンデリア
の下で理想の演技をやろう」

当時の音源はカセットテープだったために、炎天下のイベントではテープが
伸びて、冗談のようにスローなBGMが流れてしまうこともあれば、ショー
の最中にゲリラ豪雨に見舞われて、衣装や道具もびしょ濡れになり、ダンボ
ールイリュージョンの箱も濡れて崩れかけたこともあったし、大抵のお祭り
の楽屋はテントなので、悪ガキ達が入れ替わりで覗きに来て道具に触ろうと
するわ、気がつくと道具やイリュージョンに蟻の集団が登って来るわ、夜の
出番ではテント内の照明に虫は集まるわ…まるで障害物競争のような環境で、
ベストパフォーマンスなんてできるわけがないのです。

その後、私は生意気にも「今後は一流ホテルやテレビや豪華客船や劇場の舞台
にしか立たない。ショッピングセンターや野外のお祭りなどは絶対にNGだし、
一般客向けの観覧無料の仕事は受けない」と決意し、現在に至るスキミング戦略
を練り始めます。
ビジネスモデル構築のための「戦略」が決まれば、それを具現化させる「戦術」
も決まります…それは自分にできる範囲で、これまでよりもワンランク上の車
や衣装や道具に予算を投じて、シャンデリアの下にふさわしい手順作りに傾注
することでした。

仕事には必ず戦略と戦術がつきものですから、昔の私のように、オファーが
あれば何でも引き受けるというのも一つの戦略なので、否定はしませんが、
あるレベル以上の仕事に特化しようと思えば、諦めなければならない仕事も
あるはずで、断ったり撤退することも重要な戦術なのです。
私は銀座のクラブに出演している間は、クラブに迷惑をかけないように細心
の注意を払って、受注する案件を精査していました。
大衆店で安いギャラでやっているという類のネガティブな噂は、すぐに伝播
しますからね。

例えばあるマジシャンに、ホテル主催で一人数万円のディナーショーの案件
が舞い込んで決定したとしましょう…ところがディナーショーの前日、ホテル
近隣のショッピングセンターのふれあい広場的なイベントスペースで、その
マジシャンが、買い物客相手の観覧無料のマジックショーをやっていたと
したら…ホテルサイドがそれを知ったらどう思うでしょう?

現実にこんなことがありました…某ホテル主催の私のショーのゲストに、ある
後輩マジシャンを推薦して提案し、企画は実現に向けて順調に進行していた
ところ、私も知らなかったのですが、ショー本番の数日前に観覧無料の野外
のお祭りイベントに、その後輩が出演する予定であることが発覚したのです。
ホテルサイドはそのチラシを入手しており、次回の会議の席で「私どもの大切
なお客様からお金を頂戴しておきながら、すぐ近くで無料で観れるマジシャン
の芸を提供するわけにはいかない」という理由でボツになってしまいました。

今回のショーに対する私の意気込みや、後輩の演目はお祭りとホテルとでは
別物であることも懇々と説明しましたが、覆すことはできませんでした。
仕事の選り好みをできない立場の後輩にも生活があるので、責めるわけにも
いかず、ボツになった理由は話せませんでした。

戦略のミスは、戦術ではカバーできないのです。

次回、本編4へ続く…





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マジックと愛車遍歴 番外編 1

今回と次回は「番外編」として、いくつかの印象的なエピソードを…

私の知人で、結構羽振りのいい経営者がいるのですが、プライベートでは
フェラーリを操り、仕事で取引先を訪問する際にはプリウスに乗り換え、
腕時計もわざわざ高級時計からアップルウォッチに着け替えているとか…
なぜそのような面倒なことをするのかと問うと、取引先から儲けていると
思われて、反感を買うことを恐れているのだとか。

翻って欧米においては、仕事に励んで堂々と手に入れた物は、成功と納税
の証としての羨望と尊敬の対象であって、それを妬まれないようにという
理由で隠す行為など、ほとんど見られないようです。(なにしろ成功者が
結婚した自慢の美女を、トロフィーワイフと呼ぶほどですから)

この経営者の行為は、奥ゆかしい日本人の気質として賞賛されるべきこと
なのでしょうか?…私はちょっと気にし過ぎだと思いますね。
生き様次第でしょうが、適度に空気を読んで、極端なTPOからの逸脱さえ
しなければ(葬儀会場にフェラーリで現れるとか)何ら遠慮する必要はない
のではないかと思います。
人生は短いのだから、好きなものとできるだけ長い時間を過ごす方が幸せ
ではないでしょうか。
そこまで他人の視線に気を遣わなければならないのであれば、大豪邸は
人目につかない山奥に建てるしかないでしょうに…秘密基地じゃあるまいし
フェラーリはサンダーバード4号ですか? ジェットモグラタンクですか?

マジシャンとしての私は、目立ってナンボで稼いでナンボ、華やかさを見せ
るのが芸能の世界では当然だと思っていたので、もし私がスーパーカーに
乗ったとしても、少なくともそのことで一般人からは反感を持たれることは
ない…と当時から、そして今でも確信しています。
私の性格ならペネロープ号、できることならバットモービルで街中を疾走
したいくらいです。
憧れたイギリスのマジシャン、ジョニーハートはロールスロイスで楽屋入り
をしていたのは有名な話です…夢がありますよね。

超有名タレントが運転しながら「やっちゃえ◯◯」と呟くCMを見かけますが、
私生活ではその国産車ではなく、高級外車に乗っているのを目撃されたら
気にするのでしょうか?
また、そのタレントの好感度は下がるのでしょうか?
CMはビジネスとして割れ切れるのでしょうね…以前、ANAのアンバサダー
としてCMに出まくっていたアスリートを、JALの機内で見かけましたから。

アスリートで思い出しましたが、野球の日本シリーズでMVPを獲得した選手
や、ゴルフのトーナメントで優勝した選手に、スポンサーの自動車メーカー
から新車がプレゼントされるシーン(大きなキーのレプリカを進呈します)を
見た時に、その選手が実はでっかいベンツに乗っているのを知っていると、
「今この車をもらっても正直ありがた迷惑だな」とか「女房用にちょうどいい」
とか「売り飛ばすとバレるかな」とか思っているのではないかと妄想してしま
います。

とにかく高級車に乗ろうと思えば、世間のルサンチマンをいちいち気にして
いてはキリがありません。
嫉妬深い人間は自分の物差しを他人に押し当てて、そこから外れる人を異端
として糾弾しますから。

次回、番外編2へ続く…

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マジックと愛車遍歴 3 (後編)

1988年は、営業出演をする上で、色々と考えさせられた年でした。
お正月のTBS特番やANAの機内のスカイビジョンに出演すると、博多駅前
のホテル(現在は存在していない)で、人生初のディナーショーが決定したの
です。(それはそれは嬉しくて、このフライヤーも大切に保存しています)

当時始めたばかりのダンボールイリュージョン(TBSの特番で共演させて頂い
たマリックさんが演じていて、憧れたのが始めたきっかけです)や、1988年
FISMオランダ ハーグ大会で仕入れた空中浮揚(邯鄲夢枕)等をかき集めて
一時間のショーを構成して道具を搬入しました。
愛車のレジェンドでは一度で運びきれずに、二往復した記憶があります。

この時の搬入口でのことです…車から道具を降ろしている時、隣に停まって
いるトラックからは、次々にATAケースが搬入されていました。
後から知ったのですが、それらは私のショーのための音響・照明機材だった
のです。
これはダメだ、と打ちのめされました…だって、自分のショーを裏方として
支える機材が立派なケースで運ばれているのに、自分の道具はといえば…
薄汚れたキルティングの布やプチプチビニールで運ばれているのですから。
はたしてどちらがショーの主役なのか…本末転倒な気がして、かなり惨めな
気分になったことを、はっきりと覚えています。

ホテルやイベント会社の担当者が搬入口で出迎えていて、道具の搬入を手伝
ってくださったのですが、何か申し訳ないやら恥ずかしい気持ちになって
しまったのです。
搬入口での様子は観客の目に触れることはありませんが、オファーを頂いた
ホテルやイベント会社からの視線も意識するようにマインドがセットされた
日でしたね。
もうね、家を出る時からショーは始まっていたのですよ…お金はかかるけど
いつかは全ての道具をATAケースに収めようと決心しました。

現在でこそ、正規のイリュージョンや高価な道具は最初からATAケースに
収納されていることは当然とされていますが、ATAケースに数万から十数万
もかけるくらいなら、予算を道具代に回したいと思うのも人情でしょう。
ただし、コピーした道具のためにATAケースを製作する余裕があるのなら、
まずは正規の道具に買い直すべきでしょう。

大切な道具であればあるほどATAケースに収めた方が賢明です。
私は沖縄から北海道まで全国でショーをやりましたが、まずATAケースで
あれば、運送会社が安心して預かってくれます。
プチプチビニールで包んだ道具は預かってもらえたとしても、配送先では
破損している恐れもあるし、送り返す際に仕事先での梱包も面倒です。

生活の糧である道具を大切に扱わないどころか、そもそもお金をかけない
プロは論外ですが、観客の目に触れることがないケースにもちゃんとお金
をかければ、道具を大切に扱っているのだという意識の高さを、見ている
人はしっかりと見てくれているものです。

さて、積み込む道具も次々に増えていき、4ドアセダンのレジェンドには
入りきれなくなって、ワゴン車へと乗り換えることになります。

次回、番外編へ続く…

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マジックと愛車遍歴 3 (前編)

・ ホンダ レジェンド (1986〜1991)

レジェンドは現在でもホンダのフラッグシップカーですが、この初代モデルは
ホンダ初の3ナンバーの大型セダンとしてデビュー、ライバルはトヨタのクラ
ウンや日産のセドリックと位置付けられていたはずです。
当時は、ホンダのプレリュードやトヨタのソアラが絶対的なモテ車として人気
の車種だったのですが、特に車でモテようなどという下心は微塵もなく、自分
の中ではレジェンドというネーミングと、ややオッサン臭いけれど、威風堂々と
した佇まいに惚れた上に、充分なトランク容量も魅力的な車でした。
世の中の景気の良さは異常で、日本がバブルに突入する前夜の雰囲気でした。

1987年、マリックさんが主催した最後のコンベンションのコンテストで幸い
にもグランプリを獲得し、その受賞アクトをテレビで演じたせいか、営業の
現場でそれを求められるようになりました。
しかし、この鳩とファイヤーのコンテストアクトは、コンテスト本番とテレビ
出演以外では演じていません…なぜなら、特定の環境下でなければ演じられ
ないから。
コンテスタントなら理解してもらえると思いますが、コンテストアクトを営業
先で求められても、照明や角度等のステージ環境が整っていないと演じられな
いというジレンマに苛まれます。
仕事欲しさに受賞を売りにした時点で、それを求められるのは自明の理なので
自業自得なんですけどね。

営業の現場では30分程度を求められるのが普通なのですが、コンテストアクト
はせいぜい7分程度の構成です。
ですからコンテスト受賞者とは言っても、いざ現実の営業の場に立つと、時間
をもたせることが第一義になってしまうのか、マジックバーに入店したばかり
の素人同然の若手と変わらない演目ばかりになりがちなのです。

私も営業先で受賞アクトを求められて悩んだ立場ですから、クオリティーの
高い営業用のアクトを作って、受賞アクトを演じなくてもクライアントを納得
させることに腐心していました。(フィギアスケート選手が、毎回息が詰まる
ような競技用の演技をするのではなく、エキシビションや、お金が取れる豪華
なアイスショー用の演技を作るようなものです)

後には営業先の環境や条件に迅速に適応できるように、数々のアクトを作って
いきました…恵まれた環境で演じる鳩フルセットのアクト、一日に複数回演じ
るためのリセットが簡単なアクト、ボディロードを一切排除した動きやすい
アクト、屋外イベントでの風や角度に強いアクト、ショーの中盤で演じる紙幣
やコインのアクト…色々な素材や現象を組み合わせてアクトを作っている過程
が最も楽しく、ステージマジシャンとしての醍醐味を感じる時です。

既製のイリュージョンは、誰が演じても根本的な現象は同じなので、ライバル
が使っていないBGMを探したり、独自の演出を加える(実はこれが大事)など
して、他のマジシャンとの差別化を図るのに腐心します。
トークマジックは最もキャラクターをアピールできるので、自分が何者なのか
を俯瞰で観察して、自分に合うマジックを徹底的にやりこなして、テッパン芸
にしてしまえばこっちのものです。(言うは易く行うは難しですが…)

他人の営業をこっそり観に来て、ギャグから演出までを丸ごとコピーする輩も
いますが、全く本人のキャラに合っていないし、もしウケたとしても、そこに
達成感はあるのでしょうかね…ホント寂しい輩人生だと思います。
本人はオマージュだのインスパイアされただの言い訳をしても、それは紛れも
なくパクリですから!
それと「僕もステージアクトをやってます」という若手がいたので、内容を確認
すると、ボーリング球出して3本リングやってテーブルを浮かしてますとのこと…それはアクトではなくて、商品紹介ですから!

次回、後編に続く…

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マジックと愛車遍歴 2 (後編)

出演条件をはっきりと提示しない、あるいは守らないという、怪しげな芸能
プロダクションとは距離を置き始めたわけですが、思い返すとマジック業界
にも似たような側面がありました。

コンテストで賞を獲ったり、この業界でちょっとでも注目されようものなら、
すぐにコンベンションやイベントのゲスト出演の声がかかるようになります。
それはそれで光栄なのですが、私が若手の頃は「このイベントに出られるだけ
でも名誉だと思いなさい」とか「若いくせに、出演条件の話をするなんて生意
気だ」という上から目線の雰囲気が充満していました。
(現在はどうなのかを知る由もありませんが…)

ギャラはおろか交通宿泊費等の条件すらもはっきりしないコンベンションや、
「マジック界を一緒に盛り上げよう」とか「勉強になるから」という大義名分を
振りかざすオファーがあった時に、引き受けるのも断るのも自由なのですが、
同業者にウケることが至福だというマニア心が利用されている(可能性がある)
ことだけは、肝に銘じておくべきでしょう。

「自分を認めてくれるマニアの世界」というぬるま湯に浸かり続けることは、
それはそれは気持ちが良くて、のぼせてしまうことはよく理解できます。
気がつくと、指先も脳もふやけています。
アマチュアならば、一生浸かり続けても構いません…なぜなら、そのお湯に
浸かるためにマジックを趣味にしたのですから。

しかしプロであるならば、ぬるま湯に浸かり続けたその先に、どのような
未来が待ち受けているのか…先人を他山の石とすれば明らかでしょう。
プロを自称するものの、若い頃から利用され、搾取され、結構な年齢になる
までマニアの世界にどっぷりと浸かり続けたマジシャンで、幸せそうな顔を
した人を、私は見たことがありません。
次第に精神的にも経済的にも余裕がなくなり、アマチュアに道具を売りつけ
たり、押し売りのような指導をしながら糊口をしのぎ、他人の生き様を妬み、
見るからに卑屈な顔へと変貌していくのです。

「なぜプロになってしまったのか…アマチュアのまま趣味として続けていれば
よかったのに」…生活に窮したマジシャンの家族や元同僚は囁きます。
ではなぜ「趣味」を「仕事」にしてしまうのか…それは以前にも紹介した、作家
の村上龍氏のこの言葉に凝縮されています。

「趣味」の世界には心を震わせ、精神をエクスパンドするような失望も歓喜も
興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った
作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまりそれは
我々の「仕事」の中にしかない。

そんなこんなで、幸か不幸か若くして様々な体験をした挙句、腕よりも意識
の方が先にプロフェッショナル化していった時期でした。

この当時はまだイリュージョンは演じていなかったので、道具を運ぶには
4ドアセダンのサンタナで充分でしたが、実はこの車にはかなり悩まされ
ました。
ある知人に紹介された中古車店から、かなり安く購入したのですが、これは
事故車ではないかと勘ぐりたくなるほど不具合も多く、おまけにマニュアル
車で不便を感じていたので、2年で手放しました。
修理をする度に、紹介してくれた知人と会った際にその話題で気まずくなり、
申し訳なさそうな顔をされるのが嫌で、なんとなく疎遠になっていきました。
それ以降、車に関しては、紹介したりされたりは避けて、自己責任で購入
した方がいいなと思うようになりました。
お互いに悪気はないのに、人間関係が気まずくなる…これも人生勉強でした。
(車もそうですが、紹介したマジシャンがポンコツだったという報告も最悪
ですけどね)
そして、次の車は5年間営業出演に寄り添ってくれることになります。

次回、3へ続く…







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