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2021年4月

マジックと愛車遍歴 2 (前編)

・ フォルクスワーゲン サンタナ (1984〜1986)

サンタナはフォルクスワーゲンの代表的な大衆車でしたが、一時期は日産
と提携して、日産座間工場で生産されていたので、正確には日産製という
ことになります。
中古ですが、初めてのマイカーなので、気分は高揚しました。
マジックの腕はまだまだでしたが、一丁前の営業マジシャンの顔をして、
県外のイベントにも出演するようになっていたので、車は必須でした。

この頃の記録映像を確認すると、カードマニピュレーション、ファイヤー
シンブル、ダンシングハンカチーフ、リンキングリング、クライマックス
には爛漫を演じています。
当時はイリュージョンは演じていなかったので、大きなステージで派手な
出し物をリクエストされた時や結婚披露宴では、特大の豪華な毛花を出し
ていました。(ノスタルジーを感じさせる毛花のマジックは好きでしたね)

コンスタントにオファーは続いて、それはそれで有り難いのですが、この
まま営業先の環境や客層に迎合して、コテコテの営業マジシャンとしての
活動のみを続けていくことにも疑問を感じていたし、一度は海外のコンテ
ストにも挑戦したいという野心はずっと持ち続けていたので、その後は
鳩やファイヤーを主軸にしたコンテスト用の手順作りに専念しました。

そして1985年、コンテストに挑戦するために初渡米しました。
セントルイスでのミッドウェストマジックジュビリーのステージコンテスト
において、幸いなことに優勝することができました。
この時の第2位は、白人ながら歌舞伎メイクで和妻を演じたケン・ターナー、
第3位は、後に小規模ながらラスベガスのホテルのショールームで、アフ
タヌーンショーのレギュラー出演の仕事を得た、鳩出しが得意な黒人マジ
シャンのマイク・ダグラスでした。
表彰式後のバックステージでの打ち上げで、日本人の私が燕尾服、西洋人
のケン・ターナーが和服という、あべこべのコントラストを、みんなが
ネタにしてウケていたのが思い出されます。
さらにミシガン州でのアボットコンベンションのゲスト出演をして帰国後、
簡単な宣材を作って芸能プロダクション数社に売り込んでみると、次々に
営業出演のオファーが舞い込むようになりました。
サンタナのトランクは道具でいっぱいになり、助手席にはアシスタント、
後席は、鳩の指定席になりつつありました。

九州各地のイベントから声がかかるようになり、自分の写真がポスター
になったりフライヤーに載った時は、とにかく嬉しくて、それらは今でも
大切に保存しています。
ある日、大分県の小さなスーパーのチラシを目にしました。
福岡岩田屋の紳士服コーナーで、40万円もかけてビスポークした燕尾服
を着て、鳩を手にしてカッコつけている自分の写真が、ピエロや特売品
の写真と並んで印刷されているのを見た時に、なんとなく心がざわつき、
芽生えつつあった小さなプライドが傷ついたことを覚えています。
アメリカで賞を獲って、その実績で決まった仕事が田舎のスーパーでの
イベント(打ち合わせでは、大きなショッピングセンターだったはず)、
そして写真は特売品と並列…さらに30分の2ステージが条件だったはず
なのに、フライヤーには40分の3ステージと印刷されていました。
騙された…これは完全に舐められている、口約束で済ませた自分にも
責任の一端はあるにしても、マジックをやれる機会があるだけでも嬉
しいというマニア心を利用されていることの確信もありました。
約束もいい加減で、ヤクザのような芸能プロダクションが跋扈している
時代でした。
しかし、マニア心を利用しようとするのは、悪徳芸能プロダクション
だけではありませんでした。

次回、後編へと続く…

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マジックと愛車遍歴 1

過去には、私のマジック人生とは切っても切れない「鳥」と「チップ」に主眼
を置いた考察…「鳥の話」「チップ論」という二つの連載を書きましたが、
今回、ある意味では人生を彩りながら伴走してきた数々の「愛車」という切り
口から、時系列でマジック人生を回顧してみました。
運ぶ道具の量や、ショーの内容の変遷による大型化と縮小化…今振り返ると、
営業マジシャンとしての生き様が、そのまま愛車選びに投影されていました。

ところで、筋金入りのカーマニアや車好きの有名人や富裕層ならば、豪華な
ガレージに同時に複数台を所有したり、数十台の高級車を乗り換えてきた方
がいるのも珍しいことではありません。
もし私がこの程度(車格や台数)の遍歴を「愛車自慢」として書いたとしたら、
そのレベルの方々からは、きっと鼻で笑われることでしょう。
ですから、これはあくまでも「愛車遍歴」なのです。
ただ、どんなに素直に本心を吐露しても、正直に書いても、物事を斜めから
しか見ない人も一定数はいるもので…それはそれで仕方がないですね。
ここに書いたことは全て事実であり本心なのですから…。

なお、車名横のカッコ内は、愛車の保有期間です。
それでは出発です…


・ ベスパ (1981〜1984)

いきなり車ではなくてスクーターですみません。(一応愛車という括りなの
で、これに付随した回想は書きましたが、四輪車としてはカウントしません)
オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」でお馴染みになった
スクーターですが、個人的にはテレビドラマ「探偵物語」で松田優作が乗り
回していた印象の方が強いですね。

私はワインレッドのベスパに乗っていましたが、50〜100ccのモデルは、
ウインカーがハンドルの両端に付いているためにぶつけやすく、一度破損
させたことがあります。
後にも先にも乗った二輪車は、この一台だけです。
ノーヘルでもお咎めなしの、ゆる〜い昭和の群像が思い出されます。
ガソリンを入れる度に特定のオイルを補給しなくてはならないという面倒
臭い一面もありましたが、それを差し引いても魅力的なスクーターでした。

この頃は、斜めがけのショルダーバッグにクロースアップの道具を入れて、
声がかかればホームパーティーでも飲食店でも、フットワーク良く動き
回っていました。
自身の記録映像を確認すると、5〜6人の友人を相手に、マットを敷いての
地上戦…カップ&ボール、コイン、カード、スポンジボール等の王道を、
きちんと演じていた自分に少し驚きましたが、まだまだキャラクターの
確立というレベルには程遠い印象でしたね。

1983年末、こっそりと(集合住宅だったので)数羽の鳩を飼い始めました。
鳩を飼うのは初めてではありません…実家暮らしの高校時代の3年間は、
文化祭で鳩出しをやりまくってノウハウの蓄積があったので、久しぶり
の鳩出しも、問題なく再スタートをすることができました。

当時はクロースアップマジックという分野は、まだまだ市民権を得ていな
かったので、依頼されるのはほとんどがサロン〜ステージマジックでした
が、いかんせんスクーターでは道具、衣装、鳩カゴを運ぶのは不可能です。
そこでステージショーの依頼があると、車を持っている友人に手伝っても
らっていましたが、さすがに毎回お願いするわけにもいかず、ついに人生
初のマイカーを購入することになります。
納車と同時にベスパは友人に譲渡しました。

次回、2へ続く…

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マリックがきた!! 出演のお知らせ

マリックがきた!! Mr.マリック公式YouTubeに出演しました。

なにしろマリックさんとは40年以上にも渡るお付き合いなので、二人で
語り始めたら、面白エピソードは尽きることがありません。
収録は、危ない話で大いに盛り上がりました…生配信でなくてよかった。
前編と後編の二回に分けての配信ですが、それぞれの回で一つずつですが
クロースアップマジックを演じています。とりあえず前編は…コチラ


近況もちょっと…
ガレージの電動スウィングアップゲートの工事が終了。
近所の子供が家の前の路上でサッカー遊びをするので、車にボールが当た
る危険性もあったし、空き巣のニュースがあったり、最近はリレーアタック
という車のキーから出る微弱電波を利用した車の盗難も横行しているよう
なので、防犯カメラとの相乗効果で、一定の抑止力は確保できたのではない
でしょうか。
リモコンを一個余分にオーダーしたので、車の中からも家の中からもゲート
の開閉が可能となって、大変便利です。
離れた所からボタンを押すだけで、スーッと開閉する様子は、秘密基地の
ようで楽しいし、無音なので、夜中でも近所迷惑にならない優れものです。
ただ、左右に支柱が立ったので、慣れるまでは車庫入れが慎重になります。
年末に納車される予定の新車は、車幅1998mmなので、なおさら注意が
必要になりそうです。


以前、「鳥の話」と「チップ論」という二つの連載を書きましたが、近く新たな
連載をアップする予定です。
現在時間を見つけては執筆中ですが、おそらく7〜8回の連載になると思い
ます。
前の連載とは全く違う切り口でマジック人生を回想できたので、良き備忘録
にもなりそうです。

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必要なもの? 欲しいもの? 2

前回からの続きです…

日常生活の上で、決して必要とは言えないブランド品や高級機械式時計や
高級車が、このコロナ禍でも販売好調なのは何故なのか…最近の日経新聞
の記事によると、海外旅行に出るのが難しくなり、富裕層らの消費意欲が
貴金属などの高級品に向いている…とありましたが、その事象はおそらく
「必要だから」などと言い訳をせずに、自分に正直に「欲しい」と言える人達
が、実はいかに多いかの証左なのでしょう。

時間を知るためにはスマホで確認すれば済む現代で、腕時計コレクターが
「時間を知るために腕時計は何本も必要なのだ」なんて言い訳をしたとすれば、
そんなのは自分自身に対しても絶対に通用しないのです。
本音は、ただただ「何本も欲しい」だけなのですから。

「車は単に移動手段の中の一つである」という人にとっては、それは必要か
否かというだけのものに過ぎません。
電車やバスの交通網が発達して、駐車場代も高い都会においては全く必要
がないものかもしれませんが、田舎に住む人にとっては必要不可欠なもの
でしょう。
便利な都会に住んでいながら、高級車を何台も所有する富裕層は、欲しい
車を集めて所有欲を満たしていることは明らかなのですから、日常生活に
絶対に必要だなんて見え透いた言い訳は、自分に対しても他人に対しても
しないはずです。(ただし腕時計や車に関しては、所有欲ではなく投資目的
で買う人も多く存在します)

私は27歳の時に現在の家を建てました。
それはどうしても一戸建てが欲しかったわけではなく、目標とするバード
アクトの完成を目指して、多くの鳥を飼って調教するには、集合住宅では
無理で、一戸建てが必要だと判断した結果だったのです。
この時だけは「必要なもの」が「欲しいもの」を凌駕した瞬間でした。
明確な目的と人生設計があったからこその「必要不可欠」なものだったとも
言えるでしょう。
都会の利便性や戸建ての維持管理費をトータルで考えた場合、あれだけの
動物を飼わなければ、戸建てなどには拘らず、気軽な都心のマンションに
住んでいたことでしょうね。

しかしその甲斐あって、今日に至るまで、長年に渡ってバードマジックを
演じ続けて充分過ぎる収入を得ることができたし、多くの道具の保管が
可能になりました。
また、集合住宅ではありがちな、隣人を気にすることなく夜中でもBGMを
流しながらの稽古もできました。(特に夜中のコインラダーは気が引けます)
結果、レパートリーは次々に増えていき、やりたかったマジックはほぼ
網羅することができました。
そして仕事が軌道に乗って、経済的にも時間的にも余裕ができた時点から
投資等の金融リテラシーを身に付ける勉強をしたり、既存資格のアップ
デートやブラッシュアップをしたりと、将来に遭遇するかもしれない荒波
に備えて複業の準備をしてきたつもりですが、現に、リーマンショックや
コロナ禍の荒波にも耐えうる防潮堤を築くことができたと思います。
アリとキリギリスという童話がありますが、アリというベースを人知れず
育てながら、スポットライトの中ではキリギリスのように振る舞えるのが
理想的なマジシャン像であると、今でも信じて疑いません。
こう書くと、またリア充自慢とか、若い頃から計算高く生きてきたように
思われがちですが…あの頃は、ただただ夢中だったのです。

その昔、本当は欲しいだけで「あまり使うことはないだろうな」と自覚して
いながら、「そのうちに絶対に必要になるから」と自らに言い訳をしながら
買い集めたマジック道具やイリュージョンがどれだけあったことか…。
しかし思い返すと、出番が頻繁にある稼ぎ頭だった「必要なイリュージョン」
よりも、出番も滅多になくて下手したら元も取れていない「欲しかっただけ
のイリュージョン」を演じる時の高揚感や満足感たるや…格別でした。

努力は夢中には勝てないし、必要なものは欲しいものに勝てないのです。






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必要なもの? 欲しいもの? 1

今年の誕生日…クラブでの飲み会はもちろん、自分へのプレゼントも無し。
今年は特に必要なものも欲しいものも無かったという理由もあるのですが、
(今はとにかく時間が欲しい)、冷静に考えると、誕生日だのクリスマスだの
と、風物詩に合わせて買い物をする(させられている)のも、経済を回す
ために仕立て上げられたイベント事を買い物の理由にして、散財してしまう
罪悪感を軽減させているだけではないかと思うわけです。
その時期が来たら、何かを買うという習慣や脅迫観念に支配されていただけ
で(バレンタインデーやホワイトデーは完全に業界の作戦に乗せられてます)、
本来は必要になった時や欲しい時に買えばいいだけなのですから。

元来、日本人は、お金について語ることが苦手で偏見を持ちがちな民族です。
お金は汚らわしい、お金の話をするなんてはしたない、貯金をする人は堅実
で投資をする人は怪しい、お金儲けをしている人はきっと悪いことをしてい
るに違いない…日本人の意識の根底には、子供の頃に貰ったお年玉を貯金し
たら褒められて、浪費したら叱られた等の刷り込みや、育った家庭のお金に
対する向き合い方もあるのでしょうが、はっきり言えるのは、幼少期からの
金融リテラシーの教育機会の喪失が原因と言えるでしょう。

マジックの仕事の打ち合わせでも、延々と世間話が続いて、肝心のギャラの
話題にならないこともしばしば。
明確な意思表示ができなかった若手の頃は、ギャラの額も曖昧なままに仕事
を引き受けてしまうこともありましたね。

お金の使い方は、「必要なもの」か「欲しいもの」のどちらかに集約されると
言っても過言ではないでしょう。
どちらに使うのが正解なのでしょうか?…実はほとんどの場合、使っている
本人は、「これは仕方がない出費だ」と認識しているのですが、それは間違い
なく「贅沢」か「必要」を誤認している結果だと思うのです。

生活に必要不可欠な電化製品が、修理不可能な壊れ方をしたのならともかく、
まだ充分に使えるのに、最新のエアコンの方が電気代が安いからとか、ドラム
式洗濯機の方が時短になるとか、新車の方が燃費が良いし、そろそろ車検も
近づいているからとか…本当は欲しいだけのものを、必要だからという理由
で糊塗して、必要とは言えない買い物をしようとしている罪悪感を少しでも
軽減させようとしているだけではないでしょうか。

まず順番が逆なんですよ。
お金を稼ぐのは、食べていくためであるのは言うまでもなく、自分がやりた
いことをやる、欲しいものを手に入れるためでしょう。
生活必需品は迷うことなく買わなければならないものだし、最初から言い訳
なんて要らないのです。
自分の欲求を満たすために我慢してお金を得る、自分の労力と時間を差し出
して賃金を得る…それが仕事なのです。
であるならば、自己実現して満たされるためにも、自分のやりたいことや欲
しいものにお金を使うのが道理でしょうに。
これは必要なものだと自分に言い訳をしながら無駄な出費をしてしまうこと
に、多くの人は気づいていないのです。
だって、今までそれがなくても生活できていたわけですから、それは生活に
必要なものではなくて、精神の安定のためにも欲しいものであると認めて、
自分自身に対して「欲しい!」と叫べばいいのですよ。

でも罪悪感って厄介で、ついつい言い訳しちゃうんですよねえ。

ただし、お金の使い道をSNSで公開すると、手料理などの質素なコト消費は
セーフで、ブランド品や腕時計や車への出費は「リア充自慢だ」と断罪する
謎の自分ルールを規範とするパトロール隊から教育的指導をされることがあ
りますから要注意です。

2へ続く…。

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