老 害
老害とは、「自説を曲げずに価値観を押し付け、怒りっぽくて話が長い年長者」
というのが一般的なイメージではないでしょうか。
いつでしたか、20代のマジシャンが30代のマジシャンのことを老害とディス
っているのを聞いて唖然としたことがあります。
これは何歳からが老人と定義するのかといった切り口では説明できること
ではなく、10年スパンの世代間闘争、あるいは嫉妬やギャップ等の要素も
綯交ぜになっているのではないかと推察します。
あるいは世代とは関係なく、嫌いな人間の発言は、ど正論であっても意地
でも受け入れたくないから否定するという、感情に起因する場合もあるで
しょうね。
自戒を込めて回顧すれば、上の世代は場数を踏んできたというアドバンテ
ージと自負があるせいか、下の世代がやることをまず否定することから入
りがち。
例えとしてはマジシャンでも料理人でも小説家や芸術家でもいいのですが、
下の世代が「これどうでしょうか?」と作品を見せてお伺いを立てたが最後、
飛んで火に入る夏の虫なのです。
上の世代は内心「完璧だ」と思っても、己の権威の発露なのか、自分色に
染めないと気が済まないのか、はたまた単なる嫌がらせなのか…とりあえず
否定して、どうでもいい部分を変更させたりするものなのです。
延々とケチをつけて最終的に収拾がつかなくなると、自己嫌悪に陥ったのか
「もう最初のでいいよ!」と軽い逆ギレでもして、結局元に戻って大事な時間
が溶かされることも…。
ただですね、「これは本当に何とかしてあげないと」という親心からの否定
やアドバイスもあるので、そこはしっかりと吟味、取捨選択をしていかな
いと、無駄を簡単にスキップできたはずなのに、人生遠回りすることにも
なりかねません。
マジック界では、演者が求めてもいないのにそれを否定し、お節介なアド
バイスでもしようものなら即、老害認定されるでしょう。(明確な師弟関係
があれば別です)
逆に厄介なのが、こちらが批評するつもりもないのに感想を求められる時。
演技の感想を求めてくる人は、褒められることが大前提で心の準備をして
いる場合がほとんどですから、まともに貶すと恨みを買うだけで、ろくな
ことはないし、かといって自分の意思に反して歯が浮くように褒め称える
のも忸怩たるものがあるし…ですから私は批評することはほとんどありま
せん。
「熱演だね」とか「あんなにセットが面倒くさいのをよくやるよね、大変
でしょう」…程度ですね。(但しどんな苦言でも受け入れる信頼関係が構築
されている後輩には、遠慮なく本音を話します)
最近のことですが、タネ丸見えの悲惨な「鳩出し」を見せられた後、「フィード
バックをください!」と求められた時は呆れ返りましたね。(内心は…今見た
こと全てを眼球から洗い流したいからアイボン買ってきて)
自身を振り返ると、30代半ば頃から当時の若手(ふじいあきら、ゆうきとも、
庄司敬仁…その下の世代だとRYOTA、高橋ヒロキ…)の台頭には正直焦りがあり
ました。
光陰矢の如し…彼らも今や立派なアラフィフで老害の資格十分です。(ゴメン)
彼らの卓越したテクニックや技法やアイデアやアプローチを見る度に、当時
銀座であれだけ荒稼ぎしていたのに、自分がやっていることが陳腐に感じて、
これも知っとかなきゃ、あれも出来るようにならなきゃと焦るのですよ。
でも付け焼刃で焦って習得した演目など、銀座の現場では通用しないこと
が多かったですね。
さらに令和時代の若手は、物心ついた時からインターネットはあるし、アナ
ログ人間の私は情報量に関しては全く敵うべくもないのですから、近年は
達観して時代の流れに引きずられることもなくなりましたが…あ、こういう
愚痴のようなくだりが下手をすると「俺たちの時代にはそんな便利なものは
なかったんだ。それでも俺たちは頑張って…」てな具合に価値観を押し付ける
武勇伝に変換されて老害認定されてしまうのですよ。
老害とは…「枯渇することのない承認欲求と既得権を失う不安感」に起因して
いると私は解釈しています。
しかし最も危険で迷惑な老害は、「危なっかしい運転をしながらも免許返納
しない暴走老人」で決まりでしょう。
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