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2017年7月

真夏の出来事と思い出

今回の九州北部豪雨…多くの方々から心配してくださる電話やメールを
頂戴しましたが、幸いなことに私の近隣エリアでは目立った被害はあり
ませんでした。(最初のメールを受信した夜は、大雨の中洲で絶好調で
夜のクラブ活動の真っ最中でした…せっかく心配してもらっているのに
なんとまあ間の悪いこと)
そういえば2009年7月の福岡市内を直撃した豪雨で、買ったばかりの
愛車を水没させた苦い出来事をつい思い出しましたよ。
今回の豪雨は激甚災害にも指定され、復興には年単位の覚悟が必要かと
思われますが、被災者の方々には改めてお見舞い申し上げます。

しかし巷間云われるように、近年の異常気象は本当に困りもので、まず
四季を感じにくくなっていますよね。
冬物の衣類を片付けた途端に暑くなって、せっかく買った春物はいつ着
ればいいのでしょうか。(いまや春秋物って必要?)
さすがにこの猛暑では外を歩く気にはならず、室内で経口補水液OS-1を
飲みながらルームウォーカーを利用しています。
鳥達も少々バテ気味なので、調教も控えめです。

若い頃は炎天下でのイベントや夏祭りで幾度となくマジックショーを演
りましたが、あの頃の暑さはなんとか耐えられたけど、近年の暑さでは
絶対に無理!(年齢的にも自殺行為)
あの頃の暑さでさえも、屋外ステージに置いていたイリュージョンの剣
の取っ手が熱くて触れないくらいでしたから。
プールサイドのショーでは、ステージに上がった海パン一枚の裸足の
少年が、コンクリートのステージ床の熱さに耐えかねて走り回って演技
が成立しないこともありましたねぇ。(フライパンで炙られてるような
ものですから)
またあの当時の音源はカセットテープでしたから、音響ブースのデッキ
に直射日光が当たってテープが伸びきり、BGMのテンポが速くなったり
遅くなったり…毎年この季節になると、炎天下での営業の苦い思い出が
走馬灯のように駆け巡ります。

当時、生活のためと割り切ってはいても、望まざる仕事を受けるしかな
い立場と、自分の力量を100%発揮できない環境で評価されることには
忸怩たる思いもありました。(そういう時に限って同業者が観に来てい
たり…そりゃ太陽の下よりもシャンデリアの下で演りたくなりますよ)
あくまでも自分の考え方ですが、こういう現場を続けていても、自分が
目指すステージには繋がるとは思えなかったので、次第に引き受けなく
なったわけです…これは結果的に正解でした。

その後、現在のスキミング戦略に必然的に繋がるように現場の選び方は
変遷しながら先鋭化していくのですが(まずショッピングセンターや夏
祭り等の無料で不特定多数の観客が集う現場からは早々に撤退しました)
、その戦略に関しては別の考察として書く機会があるかもしれません。
以前は思い返すことすら嫌でしたが、今はエアコンの効いたリビングで、
真夏の屋外営業で四苦八苦しながら演じている若い自分(20代の頃)の
映像を酒の肴に、ツッコミを入れながら晩酌するのも、懐かしいやら恥ず
かしいやらと、この歳になってやっと楽しめるようになりましたねぇ。

今年の2月、17年連れ添った老猫が旅立った寂しさからようやく立ち直り
かけていたこの夏、自宅の物置の下で2匹の仔猫を保護しました。
ペット病院に連れて行ったところ、1匹は保護するのが数日遅れていたら
危ない状況だったとのこと。
さて落ち着いたら里親を探そうと思っていましたが、情にほだされて2匹
とも飼うことにしました。(名前はまたもや腕時計ブランドにちなんで、
クンツとノアと命名)
これで現在合計4匹…この2月までは3匹飼っていたのでそれほど変わら
ないかなと。
多少の増減はありながらも、もう30年もあれだけの大型鳥達と猫達との
生活を続けているので、ここで1匹増えようが1羽増えようが、あまり
日常生活の支障は感じないものです。

ただ一つ大きな変化が…Amazonで猫の砂を注文する頻度は明らかに増え
ました。(今日もポチッと)

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言 霊

元来は無信教の自分ですが、なぜか言霊だけは信じてしまいがちです。
言葉の力はホント不思議なもので、口にした瞬間から自らを支配し始め、
その言葉が「口癖」の域にまでなってしまうと自分自身を洗脳して強い
「思い込み」を喚起し、人生を大きく変えるパワーとなるのでしょう…
「言霊」と云われる所以ですね。

以前のエントリーでも「良い仕事を引き寄せる習慣がある」と書いたこと
がありますが、その源は「そう思い込む」ことや「行動すること」であり、
そのまた源は「言霊」であると確信しています。
マジシャンでも重要なショーやコンテストの出番直前に「大丈夫、自分
ならできる! 絶対に上手くいく!」なんて呟いて己を鼓舞させることも
あるのでは?
あるフィギアスケート選手が「演技前にちょっとでも不安を口にすると、
転倒する確率は明らかに高くなりますね」と雑誌のインタビューで答えて
いるのを読んだことがあります。
ならば「どうせ…」、「…さえあれば」、「…したのに」、「もう歳だから…」
等のネガティブな言葉は極力口にしない方がいいのかもしれませんね。

言霊の影響力を考えれば、昔の武勇伝や苦労話も控えるべきだし(昔の
苦労話を自慢する人は、大抵今も苦労しているものです)、絶対にそう
なりたくないNGワードという意味で有名な諺があります。
それは…「貧乏暇無し」
これ、金銭には執着していないという謙虚さが美徳とでも思っているのか
敢えてアピールするかのように簡単に挨拶代わりに使う人もいますが、
経済学の観点からは、暇が無いほど忙しければ貧乏からは解放されなけれ
ば辻褄が合わないわけで、そうなっていないのであれば、マルクス主義に
おける「労働者」の状況だと定義されるのです。

では何故そのような状況になってしまったのか…以下のような原因が考え
られるようです。
・ 気付かないうちに資本家に搾取されている。
・ 生業なのに、アルバイト並みに効率の悪い仕事に就いている。
・ 要領が悪すぎて、他の人よりも時間がかかってしまう。
・ 賃金を稼ぐことよりも、ボランティアに近い労働に生きがいを感じる。
・ 頼まれると断れない性格で、他人のためにばかり動き回る。
(なんかマジシャンに当てはまることが多いなあ…)

日本人は子供の頃から、お年玉を貯金すると褒められたり、本来お金は
汚いもので、金儲けに勤しんでいる大人はいかがわしくてなんとなく悪い
人というイメージを植え付けられているせいなのか、そもそも金銭に関し
ては談論風発からは遠い人種ですよね。(仕事の打ち合わせの際にも、
なかなか肝心のギャラの話にはならないことも多いですしね)

閑話休題…「貧乏暇無し」は、本当に余裕のある人が使うのであれば普通
に謙遜として聞こえるのですが、そうでなければ、清貧を気取りながら
「自分は無能である」と宣言しているも同然で、口癖として使い続ければ、
ますます悲惨な状況に陥っていく危険性が大なのです。
他にも「拙宅」とか「粗品ですが…」とか、ましてや自分の配偶者を「愚妻」
などと呼ぶのは日本人だけではないでしょうか。(言霊の力で本当にそう
なってしまうと思うとゾッとしますね)

謙遜は日本人特有の誇れる文化かもしれませんが、一歩間違えるとネガ
ティブワードにしか聞こえないこともあるわけだし、自己主張の強い
外国の友人達の口からは謙遜の類の言葉を聞いたことがありませんしね。

事程左様に、日本人の(善かれと思って)譲歩する国民性が、隣国の被害者
ビジネスや図々しい覇権主義を助長させているのは論を俟たないでしょう。
ネガティブな口癖がある人は、天国に行っても不満を見つけ続けるもの…。
自分の人生にとって最良の言霊は何なのか…真剣に向き合う価値はあると
思います。

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