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誕生日に思う

誕生日…ついこの間迎えたはずだったのに、もう一年経ったわけですよ。
歳は取りたくないもの…と巷間よく云われますが、この歳になった自身
を顧みると、それなりに人生経験を積み、常識的な範囲ではあるけれど
物事の道理も理解し、世間の理不尽な事象も甘んじて受け入れ、諦める
ことも覚えたせいか気持ちがブレることも少なくはなりましたが、今更
ながら思いを馳せることは色々とあるもので…。

カルロス・ゴーン氏が日本経済新聞のコラム「私の履歴書」に寄稿して
いた一文です…
よくあることだが、嫌いだった人には「ああ、こんなに重要だったのだ」と
後で気づかされることが多い。嫌いということの背景には何か重要なこ
とが隠されている。それは後になってわかる。

私の場合、若い頃から多くのマジシャン群像の謦咳に接することに恵ま
れたのは大変有難いのですが、まあ若かった上に好き嫌いが特に激しい
性分なので、諸々思い当たる節を反省しながら、今後機会があれば久闊
を叙したいと思います。

さて、毎年誕生日を祝いながらも常に頭の片隅にあるのは、人間として
歳を取ることのメリット(世間に対しての「売り」の部分)とは何なのか
ということ…一般的ビジネスにおいては経験値に基づいた信用や信頼感、
俳優であれば渋い役やそのまま老人役がハマるであろうし、演歌におい
ては酸いも甘いも経験したであろう年配歌手が歌うと心に響きますしね。
マジシャンの場合、加齢に伴いスピーディーなイリュージョンやアクト
の動きが衰えてくる分、年相応な台詞や説得力のある演出の研究に傾注
することになるのでしょうか。
しかし、本人が「クラシックカー」を気取りながらも、他人からは車検も
通りそうもない廃車寸前の「中古車」にしか見えなくなることが一番痛い
わけです。

一般的な経済の観点から考察しても、老人という範疇に入ることは喜べな
いでしょう。
価値というものは需要と供給のバランスによって決まるという鉄則に基づ
けば、今後間違いなく訪れる超高齢化社会においては、供給が需要をはる
かに上回って老人の価値は底なしの暴落を続けていくであろうことは論を
俟ちませんから。

いつぞや覚えたアメリカンジョークを紹介しましょう…

3歳の時に大切なことは、おしっこを漏らさないこと。
10歳の時に大切なことは、友達をつくること。
20歳の時に大切なことは、上手にセックスすること。
30歳の時に大切なことは、金を稼ぐこと。
40歳の時に大切なことは、金を稼ぐこと。
50歳の時に大切なことは、上手にセックスすること。
60歳の時に大切なことは、友達をつくること。
70歳の時に大切なことは、おしっこを漏らさないこと。

私個人の気持ちとしては、生物学的にはやはり歳は取りたくないもの。
残念ながら老いを止める方法がないのであれば、せめて老いを意識しない
生き方が肝要なのでしょうね。
現状に満足することなく、貪欲に幸せを追い求め、寝食を忘れて打ち込み
続けられる仕事や趣味があれば、少なくとも忍び寄る老いの足音など気に
せずに暮らせるはず。

しかしこれ、逆説的に考えれば、自分がいつかきっぱりとマジックをやめ
る日が来たとしたら、それは本当に自己実現できて幸せになってしまった
証左なのかも知れません。
長年服用していた薬を必要としないほどの健康体になるように、あれだけ
好きだったマジックを必要としないほどに心が安定してしまったというこ
とだから…でも近い将来、現実にそうなることを望むもう一人の自分が
内在していることも紛れもない事実。

たぶん、本当に老いるってそこから始まる気がします。

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