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チップ論 3

20代の頃、たいして高くもないスーツに身を包み、虚勢を張っていた若き
マジシャンは、高級クラブの客にとっては応援したくなる可愛い存在に思
えたのかもしれません…客の年齢層からすれば息子くらいでしょうから、
「これで美味しいものでも食えよ」ってノリでチップを手渡してくれる人が
ほとんどで、何の抵抗もなく有難く頂戴していたものです。

 

当然のことながら、客の大半が目上だったのに自分が歳を重ねていけば、
年下の客が増えていきます…お金に色は無いと言い聞かせながらも、年下
からのチップには違和感を覚え始めました。
私が30代後半の頃でしょうか、世はITバブルとなり、大人の社交場である
高級クラブには似つかわしくない20代のいかにもIT長者然として敬語も使
えない慇懃無礼な若い客がちらほらと増えてきました。
彼等にとってのチップとは「相手に対する心づけ」という意味合いなどは
微塵も無く、周囲やホステス達に財布の分厚さを見せつける「見栄」その
ものなのです。

 

明らかに10以上も年下がチップを手渡すことなくポンッとテーブル上に投
げ出し、ある時は紙幣が床に落ちて、それを「ありがとうございます」と言
いながら拾っている自分は今どんな顔をしているのだろうと思うと惨めに
なりました…「これはダメだ、稼げばいいってものではない、心が壊れる、
40過ぎたらこんなの耐えられない」…と感じ始めました。
ある意味チップに踊らされてきた報いかもしれません。

 

「ほら、チップあげるからさっきのマジックもう一回やれよ」…この台詞を
中年の客が若手マジシャンに言うのと、若い成金客がベテランマジシャン
にぶつけるのとではプライドの傷つき方の深さがまるで違うし、治癒する
のにも時間がかかるってことです。

 

チップの渡し方にも客の個性が如実に現れるもので、私は密かにABCとい
うマナーのランク付けをしていました。(チップを頂戴する立場でありなが
ら客を値踏みすることは本来はいけないことですが…)
それぞれの割合はAランク10%、Bランク80%、Cランク10%というとこ
ろでしょうか。
まずBランクの客は、普通に財布から一万円札を出して「ありがとう、楽
しかったよ」と言いながら手渡してくれます…大部分はこんな感じですよ。
次にAランクの客はというと、いつの間にか小さく畳んだ紙幣を用意して
おり(フィンガーパームの位置です)、私の去り際に握手を求めて周囲や
ホステスにも気づかれないほどスマートな渡し方をするタイプで、総じて
立ち振る舞いや言葉使いも紳士的で店からも大切に扱われていましたね。
またチップを渡すのが習慣化されている客は、最初からポチ袋を準備して
いたものです。

ではCランクの客はというと、選んだカードを返さなかったり道具にすぐ
手を出すなどして散々絡んだ挙句、今更最後だけ紳士的な一面を見せよう
というのか、「いやあ感動したよ」とか言いながら小さく畳んだ紙幣を強引
に握手しながら手渡すというタイプ…これ、密かに手渡すつもりはなく、
連れやホステスに「ほら、チップあげてる太っ腹な俺を見て見て!」という
ポーズで、こちらもカチンとくるし周囲も引いてしまうパターン。

 

普通に手渡してくれればいいのに何故そんな三文芝居をするのでしょう…
この手の客は両手で包み込んで握手しながらねじ込むように渡そうとする
場合が多いのですが、誰にも紙幣が見えないのをいいことに、周囲には
一万円札と思わせての実は千円札というパターンがほとんどなのですよ。
費用対効果としては優れた手法だなと褒めてあげたいところですが、以前、
本当は気が小さいくせにあまりにも失礼な絡み方をしたことに対してお灸
をすえる意味で、小さく畳んだ紙幣を受け取った瞬間にわざとテーブル上に
落としたことがありましたよ。
当然ホステス達も「えっ、銀座のチップでまさかの千円札? セコ!」って
感じでドン引きしていましたが…まあ、ケチと臆病は治らないので。

 

例外的にDランクの客もいるようで、私と同世代のあるマジシャンのエピ
ソードです…若い客が「チップを一万円あげようと思ったけど、あんたの
マジックだと五千円だな」と札を破って半切れを渡し「残りの五千円が欲
しかったらもう一つ見せてよ」と言ったそうです。
グッと堪えてもう一つ見せると「う〜ん、今のは二千五百円だな」と言いな
がら手元の半切れをさらに半分に破ったとか…。

 

さらに某後輩マジシャンのエピソードです…あるテーブルでの演技後、再び
そのテーブルの客に呼ばれたので訝しげに伺うと、少し離れた位置に立つ
ように命じられ、そこに一万円札の紙飛行機を投げられて「ほら、拾えよ」と
言われたそうです。
まあこの二例のような酷い客は滅多にいませんが、事程左様に成金の絡み
方はえげつないものなのです。

 

若手の頃は耐えられた礼を失した客の態度が歳を重ねる度に赦せなくなり、
チップを出されてもカチンとくる…潮時です。
周囲には40歳までに銀座を引退する事を宣言し、各店舗にも告げました。
ただ長く世話になったクラブから年に一度だけでもとお願いされてその店
のみ延長、44歳(2006年)までかけてフェードアウトしていったというのが
実情です。

 

ただもうあの頃からマジックバーなるものが爆発的に増えて、夜の街では
眼前でマジックを観ることが珍しくはなくなり、コモディティー化の波に
飲み込まれることにも抵抗がありました。
またデフレの影響で一部の勝ち組の店を除いてはかつてほど高級クラブの
勢いはなくなっていたので、自分がまだやる気満々であってもやや高めの
ギャラ設定をしている以上、そのうちお払い箱になるかもなと肌で感じ始
めて、需要がある今のうちに撤退した方が格好がつくだろうと判断したの
も事実ですね…年齢や時代、色んな意味で潮時だったのでしょう。
その後「酒席の格」よりも「客層の格」に主眼を置いたスキミング戦略に舵
を切ることになったのです。

 

そもそも銀座の高級クラブではチップをどう受け取ることが正解なのか…
教科書はありませんから暗中模索で独自の雛形を構築していきました。
ご存知の方はご存知のように、私は少々(?)毒を吐く傾向がありますから
それを堂々とキャラにして、客の顔色や性格を観察しながら毒の濃度を調
節しつつ、時にはかなりえげつない手法でチップを頂く(巻き上げる?)こ
ともありました。
ただそれはブラックはブラックなりに己のキャラクターをしっかり把握し
た上で、責任を取れる自分だけがギリギリで逃げ切れる手法であることを
正しく伝えず、後輩マジシャン達に少なからず悪影響を与えてしまったこ
とは大きな反省点ですね。
火傷した方々…ごめんなさい、お大事に!

 

でも、自分のキャラクターに合わないのに「パクリや受け売りのきわどい
トークやギャグ」で客を怒らせたりドン引きさせる事故原因の大部分は、
想像力の欠如に基づく安直さやマジシャンとしてのスペックの低さに起因
していることがほとんどなので、自己責任なんですけどね。

 

さあ、このテーマは次回チップ論4で完結します。

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