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チップ論 2

前回に続いてのチップ論2ですが、今回は私の経験談を中心に、かなり
生々しく下品かつ嫌味な内容だと受け取る人もいるであろうし、自分の
タブーにも触れることになりかねないし、マジシャンの固有名詞を出さ
ざる得ないエピソードも含まれるので、書きおろすには若干の抵抗があ
りました。(今回のエントリーに関しては、名前が出てくるマジシャンの
方々には当時の史実を確認して許可を取っています)
                                      
私が銀座のクラブやレストランバーに出演していたのは、27〜44歳
(1989〜2006年)までの実質17年間です。(最初の2年間はセミプロ
としての立場でした)
私のようなローカルマジシャンが東京それも銀座に進出できたきっかけ
はMr.マリック氏の推薦があったからでした。
高級クラブで通用するマジシャンをとのオファーをマリック氏の事務所
が私に振ってくれたことが始まりでした。
当時すでに中洲のクラブで実績を積んでいたのも理由だったのでしょう。
                                      
もちろん私の拠点は福岡なので銀座まで通っていたのですが、常勤と
いうわけではなく、クラブの周年記念、ママの誕生日、クリスマスや季節
ごとのイベント等、3〜5日連続の出演を年に5〜6回というパターンで
スタートしました。
当時は銀座のマジックバーもたしか老舗の2〜3店舗しかなく、レスト
ランではなく高級クラブでテーブルホッピングをするマジシャンは皆無
だったらしく、客のほとんどが眼前でマジックを観るのが初めてだった
のか評判を呼び、姉妹店を含めて出演店舗も次々に増えていきました。
ところが姉妹店はともかくライバル関係にある複数のクラブに二股三股
かけるわけにもいかなくなり、後年はマリック氏の事務所から派遣して
もらう形で、ふじいあきら氏やRYOTA氏、弟子のRintaroらと共に手分
けしながら出演していたものです。(彼等は言わば銀座の戦友ですね)
                                      
1991年に大学病院を退職し、本格的にプロ活動を開始するにあたり
腐心したのがスタイルやキャラクター作りでした。
「医師ライセンスを持つプロマジシャン」という「異端」を売りにすると
しても、まさか高級クラブに白衣で出演するわけにはいきません。
まず決めたのが、スーツ姿でも敢えて「ドクターズバッグ」を携行する
こと…それまでのマジシャンは100%アタッシュケースでしたから、
最初は違和感(やはりスーツにドクターズバッグはダサく感じましたね)
があったものの、テーブルホッピングの際には両足の間に置いて上部
から道具を出し入れできるし、ラピングできる便利さは重宝しましたね。

ドクターズバッグを携えテーブルに着く度に「はい、お待たせでした、
往診ですよ〜」という先手を打った導入も年配の富裕層が多かった
せいか、そこそこ受け入れてもらえていました。
相手の脈を測りながらカード当てを演じる等、ドクターというアドバン
テージを生かす演出を考えていました。
ドクターというのは診察で患者の身体に抵抗なく触れる(エッチな意味
ではありませんよ)習性がありますから、そこからウォッチスティールが
キラーエフェクトとして発展していったという事実もありますね。
その延長線上に「ドクターならでは」のギャグが生まれていきました…
「これが消える瞬間が見えた方は遠慮なく見えたと仰って下さい、紹介
状なら無料で書きますので良い病院を紹介します」
「こないだ見えたと仰った方はまだ入院しています」
さらにパフォーマンス終わりに立ち去る際には、
「お大事に!」
「お気を確かに!」
まあ現在ではあちこちのマジックバーを中心によく耳にするギャグにな
ってしまいましたが、特に発言主がドクターでなくてもウケるのは事実
のようですねぇ。
ドクターズバッグも、現在では多くのテーブルホッパーが常識のように
携行しているのを見ると隔世の感がありますが、これに関しては知り合
った1994年頃、その便利さに目覚めて早速アタッシュケースから切り替
えたふじいあきら氏の絶大な影響力が、その後の雛形として多くの若手
マジシャン達に及んでいることは間違いないでしょう。
                                      
私が銀座デビューした頃は、あの日本史上最大の宴会であるバブルは
弾けた直後だったものの、まだまだ熱狂の余韻はありました。
客足が減ったと巷間云われていましたが、減ったのは金持ちに奢っても
らっていた人達(このレベルの客にはチップを出す余裕はありません)
だけで、バブル前からちゃんと自分の金で遊んでいる上客だけが残って
雰囲気も良く、チップの渡し方も嫌味なく実にスマートな人が多かった
記憶がありますね。
中洲のクラブでも演じてきた経験があるとはいえ、やはり銀座は違うな
と感じたのは、チップを出す客の多さとその額でした。
一晩のチップが10〜30万(平均20万)でギャラと合わせると一晩合計
40〜50万というのが続いたのです。
ギャラは労働の対価としてキープし、浮世で貰ったチップなんて元々無
かったものとして浮世に還元すべく、客がチップをつい出してしまう様
に仕向けてくれたホステスさん達にキックバックしたり、アフターに連
れて行ったり、普段は扉を開けることも憚られる高級クラブやレストラ
ンで使いまくりましたね。(良くも悪くも現在に至る夜のクラブ活動の
習慣は、この頃醸成されてしまったわけです、はい)
また馬鹿な散財をして…と思う方もいるでしょうが、それによって大枚
を払う客の気持ちも把握できたし、背伸びしながら未知の体験をするこ
とでセレブリティとの接し方にも役立って、現在のマジックビジネスに
直結していることを考えれば生きたお金だったなと思いますね…やはり
勉強は自腹を切らなきゃ身に付かないってことですね。
                                      
一方キープしたギャラで生活することはもちろん、海外からイリュージ
ョンを取り寄せたり大型鳥を次々に増やしていたわけですが、そういう
目立つ行動や言動をしていると、真実を知らない口さがない一部の同業
者からは、やっかみなのか「あいつはどうせ医者で稼いでるんだろう」
などと 根拠の無い陰口を散々叩かれたものです。
そういうやっかむ人に限って昔も今も誰も憧れない暮らしをしているも
のですが…。
                                      
では何故銀座のクラブから足を洗おうと思ったのか…その一つは、次第
にやさぐれていく自分を自覚できたから。
最初はちゃんと完成されたルーティンを演じようとしていた自分が、無
意識に効率良くチップを「回収」しようとしていたのか、いつの頃からか
酔客に合わせた一発ギャグや下ネタでお茶を濁していた現実とそんな
自分と正直に向き合った時の嫌悪感…。
                                      
銀座デビューした頃、まだ純真(?)だった自分も次第にやさぐれて、
チップを貰うのが当たり前という感覚になっていき、チップを出さない
客に対して不機嫌な表情をした自覚もありました。
そしてついには一晩のチップが10万以下だと、今夜はついてないなと
すら思うようになっていました。(いやはや、このやさぐれ方は天罰が
下るレベルですよね)
                                      
まあ、ここまでのことなら接客業としての意識改革をすれば解決できた
はずなのですが、チップという魔物は私のプライドをズタズタに引き裂
き始めました…続きはチップ論3で。
                                      
                                      
                                      

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