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2015年7月

いろいろと読んでみた

最近読んだ本の中から、いくつかレビューをざっくりと…。
 
 
・ 火花  又吉直樹 著  (文藝春秋)
 
今一番の話題作なので、時流に乗って芥川賞受賞の翌日に購入しました。
普段読むのは実用書、ビジネス書、医学書、投資関連本、たまにマジック
関連本というラインナップなので、小説の論評は面白いか否かだけでしか
判断できませんが…面白い!
特に芸人が読めば、様々な切ない想いが交錯することでしょうね。
多くの書評にも書いてありますが、その文学的表現は秀逸で、情景が頭の
中にカラーで出て来ます。
それだけに映画化しやすい小説で、配役も色んな芸人に当てはめて想像
してみると、面白さも倍増です。
 
・ 絶歌  元少年A 著  (太田出版)
 
話題作というより問題作ですね。
前半は自身の生い立ちからあの事件を起こして逮捕されるまで、後半は
再び社会に出てから現在までという二部構成になっていますが、肝心の
医療少年院に収監されていた期間の出来事は、完全スルー状態。
ここでどのような更生教育を受けて社会に出て来たかが重要なのに…。
その教育の成果がなかったからこそ、遺族感情を無視して出版すること
ができるのでしょう。
まあ、文体からも感じるように、小説家気取りのナルシストですな。
あの事件当時、マジックショーの出し物から、切断系イリュージョンを
全て封印したことを思い出しました。
 
 
・ 読んだら忘れない読書術  樺沢紫苑 著  (サンマーク出版)
 
今年のビジネス書のベストセラーです。
現在の日本人の平均読書量は一ヶ月に1冊でしかなく、月に7冊読めば、
日本人の上位4%に入ることになるようです。
まず、なぜ読書は必要なのか? 読書によって得られる8つのことについ
て書かれています…例えば、読書量と収入は比例しているという事実、
膨大な他人の経験や知識を1500円程度で買えるのは、自分で一から
スタートするよりは、はるかに時間短縮になって有益だということ。
「インプット量」で勝ち、「アウトプット量」で勝ち、自己成長のスピ
ードで勝てばライバルに圧倒的に差をつけることができる…そのための
第一歩が読書量を増やすこと。
そして読んだ内容を忘れないためには、脳科学研究のエビデンスとして
最初のインプットから7〜10日以内に3〜4回アウトプットすること。
(私もそのアウトプットの一つとして、レビューを書いているわけです)
私は、月平均10冊程度読みますが、著者の樺沢先生は30冊とのこと…
凄いなあ。
 
 
・ 「爆買い」中国人に売る方法  徐 向東 著 (日本経済新聞出版社)
 
私も都内での常宿が銀座なので、もうすっかりおなじみの光景となった
中国人観光客による爆買い…実は、日本人の中国人観光客対応は間違い
だらけで、大きなビジネスチャンスを逃しているという内容の本。
今後のインバウンド消費攻略のためには、必読書と言っても過言では
ないでしょう。
 
 
・ 日韓対立の真相  武藤正敏 著  (悟空出版)
 
近年の反日・嫌韓の世論の中で、多くのいわゆる「嫌韓本」(悪韓論、
恥韓論、呆韓論…)が出版され、大手の書店では平積みのコーナーが
できるほど売れているようです。
私もほとんど読みましたが、いずれもエキセントリックで、かの隣国
の日本に対する難癖や嫌がらせに辟易している諸氏にとっては、溜飲
が下がる思いでしょう。
しかし今回の本は、日韓外交戦の舞台裏で苦悩した、前・在韓国特命
大使が初めて沈黙を破っただけに、鬼気迫る史実が綴られています。
結局、韓国の歴史観は「自分が正しいこと」が前提であり、日本人は
アタマで考え、韓国人はハートで考えるから理解し合えないんです。
感情を揺さぶる大きな悲しみに直面した時、多くの日本人は黙って涙
を流し、韓国人は地面を叩いて転げ回り、大声で泣き喚く…こんなに
感情表現の違う人種を相手に、慰安婦問題や竹島問題を冷静に話し合
いで解決しようなんて、無理な話だなと感じるのは私だけでしょうか。
 
 
・ 笑韓でいきましょう  高 信太郎 著  (悟空出版)
 
韓国に対していちいち憤慨するのではなく、もう笑い飛ばしましょう
という主旨の本です。
爆笑エピソードが満載なのですが、二つ紹介しましょう。
ある日本人がなにげなく「韓国人は怒りっぽいからな」と言った途端
隣にいた韓国人が「ウソつくな! 我々は怒りっぽくない!!」と怒鳴
ったとか。
日本人がよく使う「すいません」は韓国では「ミアナムニダ」ですが、
ほとんど使われません…なぜなら彼等は謝らないからです。

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間接自慢

「間接自慢」…最近、新聞で知りました。
最初は「関節自慢」と読み間違って、関節の柔らかさを自慢することかと
勘違いしてしまいました。
 
実際の意味は、SNS上にアップする写真に「ちょっとだけ自慢を写りこま
せる」ことのようです。
ある例では…若い女性がショッピングを楽しんだことをSNSにアップして
写真中央には数個の紙袋が写っている。
一見、なんでもない写真だが、隅を見ると撮影した本人のきれいにネイル
された足元が写っている…実は、このネイルを「自慢」したかったという
具合。
別の例では…ある若者がツイッター上に掲載したドライブ途中に車中から
撮った東京タワーの写真には「大好きな東京タワーがゆっくり見れてよか
った」というつぶやきが載っている。
しかし、本人が見てほしいポイントは東京タワーとは別にある。
タワーが主役ならもっと寄った写真を撮ればいい。
写真はなぜかちょっと引いていて、左ハンドルが写りこんでいる。
ハンドルの中央を見るとフェラーリの馬のマーク…つまり、フェラーリを
間接自慢していることを見抜かれて「主役はタワーではなくて、お馬さん
でしょう」というコメントが続々書き込まれた…。
 
これって、現在の人間関係がソーシャルメディアでつながり過ぎた「ソー
シャルメディア村社会」になってしまった証左でしょうね。
一言つぶやけば、あっという間に拡散してしまう怖さはあれど、あからさ
まな自慢をして目立ちたくはないが、ちょっと自慢をして優越感を保って
いたい…そんなジレンマから生まれたのが「間接自慢」なのでしょう。
つまり、ソーシャルメディア村社会から村八分になる覚悟まではないとい
うこと。
 
美容クリニックを受診する人の心理はまたちょっと複雑で…顔に手を加え
たことがバレたくはないけれど、せっかくきれいになったのに誰にも気付
かれなかったら、それはそれで寂しいとかね。
 
今年の2月、銀座でのエピソード…ある自称実業家が、たまたま某超有名
マジシャン(私が強引にお誘いしてしまった)と遭遇し、舞い上がって
一緒に写真を撮ってもらった直後、フェイスブックに、あたかも待ち合わ
ていたかのように「今夜はなかなか濃いメンバーで飲んでいます」と写真
をアップし、「凄いですね」というコメントを沢山もらって悦に浸るなん
てのは、調子に乗って「盛り過ぎ」だって。(私もヒデ氏も唖然でした)
 
普通はもっと可愛げがあるもので、出番前のステージ袖の一コマに「清水
買い」したイリュージョンやATAケースを写りこませたり、本来は人知れ
ずやるべきなのに、「今日は○○にボランティア出演でした」とわざわざ
SNSで報告…とかね。
マジシャンの場合、「バレないこと」が絶対命題かつ最も得意なはずの
職業なのに、「間接自慢」というか「間接虚勢」の隠し方のテクニックは
タネと違ってイマイチなんですよねぇ。
いっそ「直接自慢」した方がスカッとするはずなのに…こんな小さなマジ
ック村でも、村八分が怖くて嫌われたくないのでしょう。(いや、むしろ
小さい村だからこそ怖いのかな…あちこちに愛想良くしとかないと食べて
いけないしね)
 
しかし、非難を恐れて自慢だと認定されかねない事柄を一切アップできな
いとすれば、そもそもSNSなんて成り立たないと思うんですよ。
だって「自分の日常を知ってほしい」という理由でアップし、「あの人の
ことが気になる」という欲求でブログ等を覗いているわけですから、見た
り見られたりが前提であれば、そこに若干の「化粧」が施され、「自慢」
が挿入されるのは仕方がないでしょう。(盛り過ぎはダメよ)
本当は「直接自慢」したいのに、「嫌われたくない」、「イタい奴と思わ
れたくない」とビクビクしながらSNSを続けることは、精神衛生上良くな
いと思いますよ。
 
まあ、匿名で他人を貶すことでストレスを発散するような輩は、薬物中毒
さながらにターゲットを探し求めているし、嫌いな人であれば余計に気に
なるのか、やめときゃいいのにその人のブログ等をわざわざ覗いて、やる
事なす事全てにカチンときちゃうんだから。(いやはや、まるで日本が
やる事に、いちいち難癖つけてくる韓国みたい)
 
私はアナログ人間なので、一方通行の当お知らせ以外にはSNSを一切して
いないので、幸いこの類のことで悩まされることはありませんが(ご意見
は直接メールで来ますしね)、こんなご時世では、例えばツイッターに
「腕時計を買った」とアップするだけでもボコボコにされかねないわけで
すよ。
でも、人生の中で腕時計を買うのは比較的大きなトピックなわけで、それ
すらアップできなかったら、日記なんて読者がカチンとこないように気を
遣う退屈な内容ばかりになっちゃうでしょうに。
「ラーメン食べました」ならセーフで、ラーメン食べてる写真になにげに
腕時計が写りこんでいたら…即アウトってか?
 
ちょっと話が脱線しますが、とんねるずの番組で、芸人にいきなり自腹で
高級腕時計を買わせる企画をやっていますが、あれが面白くて毎回楽しみ
にしています。(毎週やってほしいくらい)
 
過日、一連の「間接自慢」の事象を友人の精神科医とお茶した際に話して
みたところ…それは「頑張っているのに報われていない」というコンプレ
ックス、そして何より人間の根源にある「承認欲求」に起因しているんで
すと。
 
ところで、スライハンド好きなマジシャンがよくやる「フラリッシュ」は
そこそこイケてる自分をなにげに認めてほしい間接自慢?
それともダイレクトに器用さを見せつける直接自慢?
 

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