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9月14日は晴れたり降ったりと不安定な天候でしたが、フランク・ミュラー
福岡には多くのセレブなお客様がお越しになりました。

「時」をテーマに、フランク・ミュラーの腕時計を実際に使ったり、モチーフ
にしたマジックを演じましたが、何らかのお題を条件にされた方が、何でも
演じていいですよと言われるよりも、やりがいを感じるものです。
また腕時計好きの私としては、ショーの合間に高級時計を見ることで、目の
保養になりました。

そんな中で感じた事を少々。
セイコー、シチズン、カシオに代表される国産メーカーの腕時計は、世界に
誇る機能や操作性を備えてはいるのですが、スイスやドイツの機械式腕時計
…例えばパテック・フィリップやランゲ&ゾーネのような歴史に裏打ちされ
た重厚感や、フランク・ミュラーやロジェ・デュブイに代表されるアバンギ
ャルドなデザインセンスの面を比較したら、正直まだまだと言わざるを得ま
せん。(あくまでも主観や好みの問題ですよ)
これは家電の分野において、高くてもインテリアとしてオシャレな外国製の
家電が売れていることからも頷けます。
特に車の分野では、厳ついキャデラックや色気漂うマセラティのようなデザ
インセンスを持つ車が、少なくとも私が生きている間に国産車で具現化され
るとも思えません。

センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入って来た場合、センスの悪い国
の人々は、入って来た商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を
抱くと云います。
しかし、その逆は起こらないんですよね。
ここでの「センスのよさ」とは、それを持たない商品と比較した時に、一方
が啓発性を持って他を駆逐していく力のことですから。
これって、マジックの世界でも結構当てはまる気がします。

でも腕時計に関して言えば、何かしらを表象する働きが確かにあるのです。
例えば、愉しみのためにドライブする人間は、決して自動車に運搬されて
いるわけではありません。
むしろ目的のないドライブは、自分の感情を自由に解放してくれますからね。
腕時計好きにとっては、それと同じ事が言えるのです。
そういう意味では腕時計は多分に、自己肯定的な生、言ってみればニーチェ
的な力強い生を生きるための道具であるのではないか…とさえ思えてしまい
ます。ちょっと大げさ過ぎましたね。

マジシャン仲間から、高級時計なんて必要ないでしょと言われることもあり
ますが、そんなこと言ったら身も蓋もないし、マジックだって絶対に必要な
ものではないのだから、決めつけは天に唾するも同然ではないでしょうか。
自分も含めてマジシャンというのは、世の中を近視眼的に見てしまいがちな
ので注意が必要だと常々感じています。
時計業界で動く金額は、マジック界のそれとは比較にならないほど巨額で、
世界的な腕時計のコンベンションのスケールは、マジックコンベンションを
遥かに凌駕するほどです。

まあ、なんだかんだ言っても商売というのは、売る側の説得と客の納得で
成立しているのですから…。


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