ミュージカル チェアーズ 最終回
この街には新参者や、昔からゲームに参加しているマジシャン達もいる。
フランスから移住して来たステファン・バネル、ドイツ人イリュージョ
ニストのジャン・ルーベン、それにテキサスのトルネードことスティー
ブ・ワイリックである。
ステファン・バネルは7年に渡ってMGMグランド内のクレイジーホース
パリでレギュラー出演し、有名なフランスのクレイジーホースガール達
との共演で、磨き抜かれた5分間のカードマニピュレーションを毎晩2回
演じてきた。
彼はパリスホテルの中の、簡素ながらも素敵なショールームで、彼独自
のショーをスタートさせた。たった3ヶ月の契約だとしても、彼のゴール
はこのストリップで名声を得ることだからだ。
ジャン・ルーベンは死に挑む大型イリュージョンをクラリオンに持ち込
んだが、それまでに閉鎖に伴い出て行かざるえなかったホテルやカジノ
は、グリークアイスル、レストリングホール、デビーレイノルズ、パドル
ウィール等である。こうして考えてみると、ホテルそのものがイス取り
ゲームをやっているのが現状である。
親友の綱渡り芸人をゲストに、ジャン・ルーベンは7月1日のオープンを
迎えて、ラスベガスで単独ショーをやれることに興奮していた。
しかしながらこの29歳の若者も、イス取りゲームの中で挫折をした。
「本当良い勉強になったよ。それ以外の何物でもない。この場所で人々を
惹き付けてチケットを売るのは容易ではないことを知ったよ。正直言って
この劇場が毎晩満席になるなんて期待はしていなかったけどね。」と彼は
思い上がることもなく、さばさばした印象のドイツ訛りで語った。
ルーベンはドイツではよく知られた存在ではあるが、アメリカにおいて
認めてもらう必要性を感じていた。
自国で有名であるだけではダメなのだろうか?
「僕には新しい挑戦が必要なんだ。ドイツは狭い。限界なんだよ。」
デビーレイノルズの独特の雰囲気の劇場に立って彼は言った。
「この劇場は可能性に満ちている。素晴らしいショールームだよ。後は
観客が入るだけなんだけどなあ…。」
興味深いことに、リック・トーマスがルクソールのショールームのこと
について全く同じことを語っていたが、この異国から来た若者は、多分
ラスベガスのベテランマジシャンが語った言葉をどこかで聞いたことが
あるのだろう。
本当に勝者のイスに座れたかどうかは、時間の経過が教えてくれる。
何度もイスを獲得しながら、その度に劇場の女神から見放され続けた男
がいる…スティーブ・ワイリックである。
スティーブは1996年にラスベガスにやって来た。
数年後、彼はかつてのファーストレディー オブ マジックことメリンダが
活躍したダウンタウンのレディーラックの劇場でショーを始めた。
2000年、彼はサハラへ移動する。ここはかつて、人々に素晴らしい感動
を与えたデューク・エリングトン、ルイス・プリマ、ジョージ・バーンズ
、バディ・ハケット、ジョニー・カーソン、バーバラ・ストリーサンドら
錚々たるスターが立ったステージだった。
2003年秋、サハラが「ワールド グレイテストマジック」を誘致すること
に伴い、スティーブはプラネットハリウッド(当時のアラジン)に移動、
ここでも彼の巨大イリュージョンのために大金をかけて改築がなされて、
「スティーブ・ワイリック マインドブロウ マジック」がスタートしたが、
1年のみの公演であった。
ベガスで最も成功した若いプロデューサーであるデビット・サックスに
よれば、スティーブはイス取りゲームに疲れたのだろうか、プラネット
ハリウッドに通じるミラクルマイルショッピングセンター(当時はデザー
トパッセージ)の一角のスペースを買い取った。伝えられるところでは、
投資家がキャッシュで買ってくれたとのこと。
スティーブはそのスペースに劇場やナイトクラブを造り、2007年春に
オープンさせたものの、2年後には莫大な赤字を抱えて彼の名を冠した
劇場は強制終了させられた。
現在はデビット・サックスシアターに様変わりして、ジョセフ・ガブリ
エルをメインに「ベガス! ザ・ショー」の公演が行われている。
ところが突然、再びスティーブ・ワイリックに復活の風が吹いた。
ラスベガスヒルトンにおける初期の彼のショー「ウルトラマジシャン」が
復活することとなったのだ。新しいイリュージョンの調整のために、6月
29日のオープンには間に合わなかったものの、チケット販売は開始され、
オープンは7月27日である。
ヒルトンの優美なショールームに立つのは、もちろんスティーブが初めて
ではない。そこには潤沢な予算があり、偉大なマジックショーの歴史が
あり、エルビス・プレスリーのホームとしてベガスの財産なのである。
クルーズシップマジシャンのラリー&ラファエルはトライアンフに戻り、
2010年に3ヶ月にも満たない公演を行った。ブロードウェイミュージカル
「スパイダーマン」のように、トライアンフでは常にひとひねりある試演
が行われるのに、ついに公式公演とはならなかった。
ひとたびショーの打ち切りという引導を渡されれば、イリュージョニスト
達は言葉無く他のイスを探しに行かなければならない。
イス取りゲームの音楽が流れ始めるのだ。
「ショービジネス」という単語の「ビジネス」という名詞が、より大きく
心に響いた。「ビジネス」こそがイスの周囲を回らせる、気まぐれな歌の
タイトルなのだ。ゲームがスタートすれば誰かが成功し、また敗者もいる。
パーティーのゲスト(マジシャン達)が集まり、音楽(ショービジネス)
が流れ、イス(ラスベガスのショールーム)が決まる…という風に、ラス
ベガスのイス取りゲームはメリーゴーランドのように繰り返されるのだ。
終わり。
さて、4回に分けて全文をアップしましたが、最初に申し上げたように、
翻訳に自信のない箇所もありますので、気になる方はぜひ原文をお読みに
なることをお勧めします。
翻訳を終えて感じたのは、彼等のまさに退路を断つ覚悟で、ぶれずに進む
エネルギーの強さ、イリュージョニストとしてのプライドの高さです。
誤解を恐れずに言えば(もちろん自戒を込めて)日本には真の意味での
イリュージョニストなど存在しないのではないかと感じました。
臆面もなくイリュージョニストと名乗っていても、それは単にイリュー
ジョンを何台か持っているだけの普通のマジシャンなのです。
マリック氏曰く「日本人は昔から海外のマジシャンが考案したイリュー
ジョンをコピーしたり輸入したりしてきたんだけど、逆に日本人が考案
して世界中のマジシャンが演じているイリュージョンなんて一つも無い
し、イリュージョンは元来アメリカの文化で、そもそも日本人にはイリュ
ージョニストとしてのDNAは無いんじゃないのかなあ。」
ごもっとも。
実際に現代のイリュージョンのほとんどが、ジム・ステインメイヤーや
アラン・ウェイクリング等のほんの一握りのインベンターが考案して、
腕の良いビルダーが制作して、それが輸入あるいはコピーされてマジシ
ャン達の手に届いています。
ラスベガスのイスを狙うレベルのイリュージョニスト達は、自らのアイ
デアやデザインを直接考案者や工房に持ち込んで、オーダーメイドの
イリュージョンで勝負するのが常識で、既製品をネットで落札したり、
使い易けりゃコピーでもOKというレベルの自称イリュージョニストでは
まず太刀打ち出来ないでしょう。
でも、ラスベガスのマジック業界が低迷しているとはいえ、目標となる
「イス」があるだけ羨ましいかぎりです。
日本における「イス」はどこにあるのでしょう?
日本にもカジノ特区を作ろうという提言も出て久しいようですが、もし
実現すれば、そこに「イス」は現れるのでしょうか?
現れたとしても、自称イリュージョニスト達にそのイスを奪い合う気概
があるのか…あったとしても、欧米の本家イリュージョニストに秒殺され
て奪われるんだろうな。
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