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2012年2月

ミュージカル チェアーズ 最終回

この街には新参者や、昔からゲームに参加しているマジシャン達もいる。

フランスから移住して来たステファン・バネル、ドイツ人イリュージョ
ニストのジャン・ルーベン、それにテキサスのトルネードことスティー
ブ・ワイリックである。

ステファン・バネルは7年に渡ってMGMグランド内のクレイジーホース
パリでレギュラー出演し、有名なフランスのクレイジーホースガール達
との共演で、磨き抜かれた5分間のカードマニピュレーションを毎晩2回
演じてきた。
彼はパリスホテルの中の、簡素ながらも素敵なショールームで、彼独自
のショーをスタートさせた。たった3ヶ月の契約だとしても、彼のゴール
はこのストリップで名声を得ることだからだ。

ジャン・ルーベンは死に挑む大型イリュージョンをクラリオンに持ち込
んだが、それまでに閉鎖に伴い出て行かざるえなかったホテルやカジノ
は、グリークアイスル、レストリングホール、デビーレイノルズ、パドル
ウィール等である。こうして考えてみると、ホテルそのものがイス取り
ゲームをやっているのが現状である。
親友の綱渡り芸人をゲストに、ジャン・ルーベンは7月1日のオープンを
迎えて、ラスベガスで単独ショーをやれることに興奮していた。
しかしながらこの29歳の若者も、イス取りゲームの中で挫折をした。

「本当良い勉強になったよ。それ以外の何物でもない。この場所で人々を
惹き付けてチケットを売るのは容易ではないことを知ったよ。正直言って
この劇場が毎晩満席になるなんて期待はしていなかったけどね。」と彼は
思い上がることもなく、さばさばした印象のドイツ訛りで語った。

ルーベンはドイツではよく知られた存在ではあるが、アメリカにおいて
認めてもらう必要性を感じていた。
自国で有名であるだけではダメなのだろうか?
「僕には新しい挑戦が必要なんだ。ドイツは狭い。限界なんだよ。」
デビーレイノルズの独特の雰囲気の劇場に立って彼は言った。
「この劇場は可能性に満ちている。素晴らしいショールームだよ。後は
観客が入るだけなんだけどなあ…。」
興味深いことに、リック・トーマスがルクソールのショールームのこと
について全く同じことを語っていたが、この異国から来た若者は、多分
ラスベガスのベテランマジシャンが語った言葉をどこかで聞いたことが
あるのだろう。
本当に勝者のイスに座れたかどうかは、時間の経過が教えてくれる。

何度もイスを獲得しながら、その度に劇場の女神から見放され続けた男
がいる…スティーブ・ワイリックである。
スティーブは1996年にラスベガスにやって来た。
数年後、彼はかつてのファーストレディー オブ マジックことメリンダが
活躍したダウンタウンのレディーラックの劇場でショーを始めた。
2000年、彼はサハラへ移動する。ここはかつて、人々に素晴らしい感動
を与えたデューク・エリングトン、ルイス・プリマ、ジョージ・バーンズ
、バディ・ハケット、ジョニー・カーソン、バーバラ・ストリーサンドら
錚々たるスターが立ったステージだった。

2003年秋、サハラが「ワールド グレイテストマジック」を誘致すること
に伴い、スティーブはプラネットハリウッド(当時のアラジン)に移動、
ここでも彼の巨大イリュージョンのために大金をかけて改築がなされて、
「スティーブ・ワイリック マインドブロウ マジック」がスタートしたが、
1年のみの公演であった。

ベガスで最も成功した若いプロデューサーであるデビット・サックスに
よれば、スティーブはイス取りゲームに疲れたのだろうか、プラネット
ハリウッドに通じるミラクルマイルショッピングセンター(当時はデザー
トパッセージ)の一角のスペースを買い取った。伝えられるところでは、
投資家がキャッシュで買ってくれたとのこと。
スティーブはそのスペースに劇場やナイトクラブを造り、2007年春に
オープンさせたものの、2年後には莫大な赤字を抱えて彼の名を冠した
劇場は強制終了させられた。
現在はデビット・サックスシアターに様変わりして、ジョセフ・ガブリ
エルをメインに「ベガス! ザ・ショー」の公演が行われている。

ところが突然、再びスティーブ・ワイリックに復活の風が吹いた。
ラスベガスヒルトンにおける初期の彼のショー「ウルトラマジシャン」が
復活することとなったのだ。新しいイリュージョンの調整のために、6月
29日のオープンには間に合わなかったものの、チケット販売は開始され、
オープンは7月27日である。
ヒルトンの優美なショールームに立つのは、もちろんスティーブが初めて
ではない。そこには潤沢な予算があり、偉大なマジックショーの歴史が
あり、エルビス・プレスリーのホームとしてベガスの財産なのである。

クルーズシップマジシャンのラリー&ラファエルはトライアンフに戻り、
2010年に3ヶ月にも満たない公演を行った。ブロードウェイミュージカル
「スパイダーマン」のように、トライアンフでは常にひとひねりある試演
が行われるのに、ついに公式公演とはならなかった。

ひとたびショーの打ち切りという引導を渡されれば、イリュージョニスト
達は言葉無く他のイスを探しに行かなければならない。
イス取りゲームの音楽が流れ始めるのだ。
「ショービジネス」という単語の「ビジネス」という名詞が、より大きく
心に響いた。「ビジネス」こそがイスの周囲を回らせる、気まぐれな歌の
タイトルなのだ。ゲームがスタートすれば誰かが成功し、また敗者もいる。

パーティーのゲスト(マジシャン達)が集まり、音楽(ショービジネス)
が流れ、イス(ラスベガスのショールーム)が決まる…という風に、ラス
ベガスのイス取りゲームはメリーゴーランドのように繰り返されるのだ。

終わり。


さて、4回に分けて全文をアップしましたが、最初に申し上げたように、
翻訳に自信のない箇所もありますので、気になる方はぜひ原文をお読みに
なることをお勧めします。

翻訳を終えて感じたのは、彼等のまさに退路を断つ覚悟で、ぶれずに進む
エネルギーの強さ、イリュージョニストとしてのプライドの高さです。
誤解を恐れずに言えば(もちろん自戒を込めて)日本には真の意味での
イリュージョニストなど存在しないのではないかと感じました。
臆面もなくイリュージョニストと名乗っていても、それは単にイリュー
ジョンを何台か持っているだけの普通のマジシャンなのです。

マリック氏曰く「日本人は昔から海外のマジシャンが考案したイリュー
ジョンをコピーしたり輸入したりしてきたんだけど、逆に日本人が考案
して世界中のマジシャンが演じているイリュージョンなんて一つも無い
し、イリュージョンは元来アメリカの文化で、そもそも日本人にはイリュ
ージョニストとしてのDNAは無いんじゃないのかなあ。」
ごもっとも。
実際に現代のイリュージョンのほとんどが、ジム・ステインメイヤーや
アラン・ウェイクリング等のほんの一握りのインベンターが考案して、
腕の良いビルダーが制作して、それが輸入あるいはコピーされてマジシ
ャン達の手に届いています。
ラスベガスのイスを狙うレベルのイリュージョニスト達は、自らのアイ
デアやデザインを直接考案者や工房に持ち込んで、オーダーメイドの
イリュージョンで勝負するのが常識で、既製品をネットで落札したり、
使い易けりゃコピーでもOKというレベルの自称イリュージョニストでは
まず太刀打ち出来ないでしょう。

でも、ラスベガスのマジック業界が低迷しているとはいえ、目標となる
「イス」があるだけ羨ましいかぎりです。
日本における「イス」はどこにあるのでしょう?
日本にもカジノ特区を作ろうという提言も出て久しいようですが、もし
実現すれば、そこに「イス」は現れるのでしょうか?

現れたとしても、自称イリュージョニスト達にそのイスを奪い合う気概
があるのか…あったとしても、欧米の本家イリュージョニストに秒殺され
て奪われるんだろうな。

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ミュージカル チェアーズ 3

過去何年もの間、ジェフ・ホブソン、ブレット・ダニエルズ、マーレイ
といったおなじみのマジシャン達が、ラスベガスでの単独ショーを実現
させようと挑戦してきた。

ホブソンも自分なりのやり方でイス取りゲームに参加し、ストリップに
おいて浮き沈みを繰り返してきた。
最初はバリーズにおいて、コミックマジックのライジングスターという
キャッチコピーでスタートした。
その後ハラスの「スペルバウンド」、さらにはマーク・ケーリン&ジン
ジャーと共に、北米最大のステージを持つリノで「カーニバル オブ ワン
ダー」に出演した。
ラスベガスに戻ってからは、「ワールド グレイテスト マジックショー」
や「アルティメット バラエティーショー」の司会者としても活躍した。

2003年、ホブソンはエクスカリバーにおいて単独ショーを実現させる。
ショーのタイトルは「マネー&マッドネス」。
その印象的なマニピュレーションと狂気に満ちたキャラクターで評判と
なった。
ホブソンは言う。「僕は、ラスベガスがこれから10年先も成長し続ける
ものだと信じていたんだ。景気が悪くなれば、おのずと利益は望めなく
なるし、モンテカルロのランス・バートンのショーの終焉は、我が国の
経済が後退していることのアナウンスでもあるんだよ。」
ホブソンはほどなくベガスのイス取りゲームから撤退して、通常の営業
出演やクルーズシップへとシフトした。

ウィスコンシンを拠点とするブレット・ダニエルズも、アトランティック
シティー、ブロンソン、ピロキシ、あるいはツアーという形ではあるが、
中国においてイス取りゲームに参加してきた。

現在は閉鎖されているが、2008年、彼はサハラホテル・カジノにおいて
「ワシガン」というショーを制作して、ストリップにイスを獲得した。
しかし、彼の公演は閉鎖直前の数週間のみという結果に終わる。
彼はホテル側と労働組合との劣悪な労働紛争に巻き込まれ、半年契約の
はずが、たった21日間という短命公演に追い込まれ、過去このステージ
で行われた様々なショーの中のひとつに過ぎないものとなってしまった。

ダニエルズはイスからクッションを放り投げてゲームから撤退して嘆いた。
「すごく良いショーだったのに…。たとえ服の毛玉のようにむしり取られ
ようが、僕はイリュージョニストとしての誇りを持っている。皆が好きな
デレン・ブラウンが殺人事件をモチーフにしたショーを演じているけど、
実は僕の方が先だったんだ。でもさらにしっかりした作品を作るためには
良い作家が必要だったろうけど、半年契約がこじれていなかったならば、
公演はもっと長く続いていたと思うよ。」

今後、このイス取りゲームに参加する意志があるマジシャン達に対して、
何かアドバイスをと尋ねると、彼の答えは驚くほど誠実なものだった。
「僕にはゲームに勝つ秘訣は分からないよ。演出家のデビット・サックス
やナザン・バートンを見てみなよ。僕なんかよりもずっと理解してるよ。」
ブレットは、彼のショー「ワシガン」の機材の全てをしっかりと保管して
おり、飛躍する次のチャンスを虎視眈々と狙っている。

2002年、フロンティアの12.95ドルのアフタヌーンショーに奇抜な白髪
とお洒落なメガネで現れた男がいる。
マーレイにとっては、この年の4ヶ月間だけがベガスにおける最初で最後
の主役期間だった。
「僕は、シークフリード&ロイが何年も演じてきた伝説的なホテルの主役
になれたんだ。それまでの僕は全くの無名だったし、全くの無名の歌手が
テレビに露出したことで、数週間でアメリカンアイドルにのし上がる場面
も見てきたよ。」
マーレイ自身、この20年間全くの無名であったことにフラストレーション
が溜っていた。
ほどなく彼は、彼自身がチケットゲームと呼ぶイス取りゲームのやり方を
学んでいく。
彼に尋ねてみた。「結局あなたは誰も見た事がないような、チケットを
売りさばくやり手のセールスマンだったということではないですか?」
マーレイは言った。「僕は若い頃、20もの賞を獲得し、このストリップ
にひしめく76ものショーと闘うために、たくさんのチケットを売るように
頑張って実現してきたんだ! それでも突然終わってしまったんだ。」

彼はベガスを離れ、様々なライブショーやテレビ出演をしている。
彼がベガスで頑張っていた9年間よりも知名度が上がっているということ
は、結果的には彼にとっては良かったのかもしれない。

続きは次回。

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ミュージカル チェアーズ 2

もう一人、長い間猛獣を使ってベガスで活躍する、ダーク・アーサーに
ついて触れておこう。
ダークのイス取りゲームの歴史はバリーズに始まり、リビエラ、シルバー
トン、プラザ、トロピカーナ、そして最近はオーシーズである。
「虎を飼うと何故か移動が始まる」とはベガスのジンクスかもしれない。

ラスベガスのマジックの変遷を辿ると、最も古く最も斬新なショーである
シークフリード&ロイに行き着く。
彼等もイス取りゲームでフロンティアからミラージュへと移動した。
1981年9月にフロンティアにおいて始まった「ビヨンド ビリーフ」と
いう彼等のショーは、1982年ステージショーにおけるベスト オブ ラス
ベガスに選ばれている。
ホワイトタイガーはおろか、80羽の鳩、9頭の猛獣、馬やニシキヘビ、
さらには象まで登場して観客を釘付けにした。これが1980年代である。

マスター オブ インポッシブルを目指すイス取りゲームはテンポを増して
虎と一緒にイスの周囲を回り始めた時代である。

スティーブ・ウィンがミラージュをオープンさせ、シークフリード&ロイ
が新しいショーをスタートさせた1990年は革命的な年となった。
ラスベガスにやって来るコンサートツアーは、モダンな影響をもたらした
ものの、レ・ミゼラブルに代表されるようなブロードウェイのショーは、
ラスベガスでは受け入れられなかった。
シークフリード&ロイは、メカニカルドラゴンを始め実績のあるベガスの
舞台演出の第一人者、ジョン・ネイピールを探し求めたのである。

現在はもう一つ、シルク・ドゥ・ソレイユの「ミスティア」に代表される
マジックショー以外のものがベガスのエンターテインメント界の柱となっ
て、そのメガショーの制作費に多額の予算が投じられている。

プロデューサーはショーという製作物に予算をかけてきたわけであるが、
それはもはや当たり前ではなくなり、時代は変わってしまった。

1980年代後半カジノのショールームはいわゆるハコモノであり、カジノ
の側が予算を出してショーを誘致していたものだが、現在は貸し劇場と
して出演者側にレンタルするようになってきている。
これでは宣伝費、チケット販売、衣装、道具、ダンサー、動物の維持費、
ステージスタッフ、音響や照明のスタッフ、オペレーター、受付等全ての
費用を出演者側が負担することとなり、カジノに雇われているのとは比較
にならないほどの予算が必要となってしまう。

さらにもっと酷い条件がある。
客の入りが良くなければ、カジノの側が一方的にショーを終了させること
ができるのだ。
カジノの経営者は、より魅力的で集客力のあるエンターティナーに貸して
集客し、カジノにお金を落としてもらいたいのだ。
これこそが、カジノがショールームを持つ理由なのである。
いくつかのカジノでは、条件はほぼ同じで宣伝費とステージスタッフの
費用のみは負担してくれる場合もあるが、集客力のないショーはあっと
いう間に消えてしまう運命にある。

1981年、ビル・コスビーやトニー・オーランドと一緒にラスベガスヒル
トンに出演したデビット・カパーフィールドは「今日ではケーブルネット
ワークや自身のショールームで、リアリティーのあるショーをやろうと思
えば可能だ。」と言う。
CBSでの3回の特番の後、カパーフィールドはこう言った「テレビで有名
になることは簡単でも、だからってチケットが売れるとは限らない。」
やがてカパーフィールドは、クリスタル・ゲイやシェキー・グリーンらと
共にラスベガスの常連となっていく。
彼は現在、年間40週間はMGMグランドに出演している。

ストリップから10マイルも離れた地方のラウンジで働いていた、読心術
のゲリー・マッコムリッジのことをあなたはどう思うだろうか。
メンタリストであるゲリーのイス取りゲームの始まりは、願いむなしくも
続かなかったスターダストシアターの一角にあったランバートカジノラウ
ンジであった。宣伝に一切予算をつけてもらえないままの終了であった。
目隠し状態のままイス取りゲームの音楽が鳴り始めた。
彼はかつてオレンジ ショーツ オブ ガールズがロングラン公演をしていた
フーターズホテルのショールームへと向かった。
そして彼は、まるで自分自身の事を予言していたかのごとくストリップで
仕事を得て、現在はプラネットハリウッドのVシアターに出演している。

現在の時点では14のマジックショーが公演されており、ベガスでマジック
が絶滅しているわけではない。
ゲームのプレイヤーの何人かは多くのショーが移り変わる中、しっかりと
イスを保持して安定したショーを続けている。

クリス・エンジェルはルクソールでデビューして留まっている。
正確にはストリップには面してはいないが、ホテルの壁面等51もの広告
が溢れて、この街で最も成功してロングランを続けているのは、リオの
ペン&テラーである。
それとキング オブ ラフタヌーン(笑うと午後をミックスした造語)こと
ハラスのマック・キングもラスベガスの顔である。
これらのショーはがっちりとイスを確保し、他のマジシャン達がイス取り
ゲームに入り込む余地を与えない。

またナザン・バートンは、ここ数年浮き沈みを繰り返しながらもなんとか
フラミンゴに落ち着いたようである。

ベガスでは、豪華なレビューショーの中の呼び物として、マジシャン達が
スポット出演をしてきたが、現在でもそのようなレビューショーはいくつ
か行われている。
ジョセフ・ガブリエルとその妻キャタリンは、ベガスの黒幕的立場となり
プラネットハリウッド「ベガス! ザ・ショー」の中で鳥を飛ばしている。

またバギーパンツのコメディマジシャンことトニー・ダグラスは、彼なり
に手探りをしながらもリビエラのトップレスショー「クレイジーガール」
に出演している。

続きは次回。

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ミュージカル チェアーズ 1

1980年代後半〜2000年代前半、毎年のように、あるいは年に数回は
訪れていたラスベガスから足が遠のいているのは何故なのだろう…と
考えていました。
あの当時、コンベンションに参加したりトップクラスのマジシャン達の
ショーを観て刺激の余韻を残しながら、現地ラスベガス、ロサンゼルス
あるいはニューヨークのイリュージョンビルダーの工房に寄って、新し
い道具を発注して帰国するのがお決まりのコースでした。
もちろん若い頃の自分よりは刺激のハードルは上がっているし、次第に
方向性も決まって行って、地道に鳥の調教にいそしんでいたというのも
遠のいた理由ではあるのですが、やはり自分の中でのラスベガスの魅力
が低下したというのが最大の理由です。

ラスベガスのマジック界を牽引していたシークフリード&ロイやランス
バートンも引退し、その穴を埋めるほどのスターが不在のままでは寂し
い限りです。
たまに観に行きたくなるショーの情報が入っても、あっと言う間に公演
が打ち切りなっていたりして、わざわざ出掛ける気も萎えてしまいます。
また、娯楽が主要産業である街が世界不況の影響をモロにかぶって、街
全体の勢いが衰えていることも否めません。
ネバダ州の失業率は全米最悪の14%を越える状況で、カジノ全体で動く
金額もマカオに抜かれて久しいようです。

そんな折、創刊から20年以上経つ「MAGIC MAGAZINE」の2011年9月
号に気になる記事が掲載されていたことを思い出して、真剣に読み返し
てみました。

MUSICAL Chairs(イス取りゲーム)と題されたSTEVE DALY氏による
寄稿文は、ラスベガスのマジシャン達(特にイリュージョニスト)が
自分の居場所を獲得するためにもがいている現状を克明にレポートした
ものです。
特に興味深いエピソードを抜粋して、ここに紹介しようと思いましたが
全て興味深かったために全文を翻訳したので、何回かに分けてアップ
していきます。
ただし、仕事の合間や機中で流し読みをしながらメモ書きした程度で、
さらに私の英語力不足(正直こちらが問題ですな)もあって、完璧な
翻訳ではないことは御了承下さい。それでは第1回目をどうぞ。


ラスベガスのイス取りゲームへようこそ。
最近のストリップ(ラスベガスのメインストリート)のカジノのショー
ルームでは毎月のように音楽が止まって、マジシャン達のシャッフルが
行われている。
ラスベガスの通りは4.2マイルに渡ってネオンが輝き、ショーガールや
マジシャンがひしめき合っているが、彼等はそう簡単にはイスには座れ
ない。
初期のラスベガスのエンターテイメントは、ネオンやスロットマシンの
ある場所では、常に呼び物とされてきた。
特に1985〜1995年の10年間、ストリップはマジックショーで溢れて
いた。マジックが最も熱かった時代である。
ランス・バートン、カービー・バンバーチ、そして31年以上も活躍した
シークフリード&ロイは、ラスベガスのキングオブマジックと言えよう。
ランスがモンテカルロホテルと13年間を100万ドルで契約したように、
長期契約が当然の時代であった。
しかし、そのような長期契約は例外的となり、同じショールームで演じ
続けながらラスベガスに居続けるのは困難な状況となった。

リック・トーマスの例を示そう。
彼のショーはこの15年間、トロピカーナからスターダスト、オーリンズ
からサハラ、そして現在はプラネットハリウッドのサックスシアターと
チェスの駒のようにアップダウンを繰り返している。
さらには9月にオープン予定のリック・トーマスシアターに向けてのリモ
デルのために、リビエラのスプラッシュショールームへの移動が予定され
ている。彼の頻繁な移動は、伝統的なカジノのショーに災いをもたらす
のではないか…と暗示されていたが、決して迷信ではなかった。
彼が去った後、スターダストとサハラが閉鎖されたのである。

「ルクソールがオープンした時のことを覚えているかい?」とトーマス
が聞いて来た。
いくつかの駄作のショーの後、「イマジン アンド ウインズ オブ ゴッド」
が始まった時に、人々は場所が最悪だと言っていた。
トーマスは笑いながら繰り返した。「僕は言い続けている。良いショー
なら当たる。良いショーが必要とされているだけなんだ。」
後にブルーマングループがやって来て、彼の言ったことを証明した。

トーマスのイス取りゲームは、2005年、彼が懸念していたトロピカーナ
の閉鎖決定から始まった。その懸念は、具体的に月単位の契約になった
ことで現実のものとなった。そして彼はスターダストへと移動する。
2006年時点での詳細は不明だが、現在の彼の話ではスターダストへ移動
する際に、2年契約でお願いしたいと通達されたという。
彼は正式な決定事項と理解した。

「このショールームは素晴らしい歴史があり、カジノは多くの人々から
愛されてきたんだ。」リック・トーマスは、長い間イス取りゲームの
プレイヤーとなることを望んできた。
「僕は恵まれてるよ。ベガスに15年もいるんだから。でも今は2ヶ月も
恵まれない人が多いよ。」初夏に移動し、秋にはまた移動した時のこと
に話が及ぶと彼は言った。
「ストレスだよ! 本当にストレスだ! でも悪い事ばかりではないよ。
それにどう対処していくかだよ。変わらずに地に足を着けて行くさ。」

続きは次回。

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本の紹介

飛行機移動が多いせいか、必然的に読書量が増えています。
置き場に困るので基本的には読んだら捨てる派なのですが、最近読んだ
本の中で、本棚に残して何度も読み返したい3冊を紹介します。


「生命の未来を変えた男 山中伸弥 IPS細胞革命」
            NHKスペシャル取材班 編著 文藝春秋 刊

京都大学の山中教授の研究によって、いまやメディアにその言葉が登場
しない日はないほど注目されている「人工多能性幹細胞」について、
決して平坦ではなかった道のりと共に詳しく解説されている本です。
最もノーベル賞に近いと云われる山中教授がなぜ医者を目指したのか、
そして整形外科医になったものの、不器用であまりの手術の下手さに
病院内で「ジャマ中」と揶揄され挫折した等の意外なエピソードも盛り
込まれています。
またNHK「クローズアップ現代」キャスターの国谷裕子氏、「知の巨人」
ことジャーナリストの立花隆氏との対談も大変興味深い内容です。
私自身が勉強している美容・再生医療分野でも、幹細胞を用いた治療が
脚光を浴びています。
この分野の研究内容が本格的に実用化されたら、それはまさにリアルな
マジックそのものです。


「腕時計のこだわり」 並木浩一 著 ソフトバンク新書

世界のメジャーブランドの紹介や、SEIKOによる正確で安価なクオーツ
式時計の攻勢で、一時期は絶滅しかけたスイスの機械式時計が、手間が
かかって高価にもかかわらず、なぜ復興して世界的なブームに至ったの
かという歴史的考察等、対象は腕時計初心者からムーブメントに詳しい
マニアまであまねく網羅しています。(クオーツ式マジシャンと機械式
マジシャンに置き換えて読むとまた面白い)
また私がなぜ腕時計にシンパシーを抱くのか、他人に上手く説明出来ず
にモヤモヤしていたものが実に的確に表現されており「あー、そうそう
これなんだよ」って感じでスッキリしました。


「ウケる手品」 ゆうきとも 著 ちくま新書

著者は改めて紹介するまでもない「日本マジック界の知の巨人」ゆうき
とも氏です。
マジックに詳しい方がこの本をなにげにパラパラと見ただけならば、おそ
らくただの入門書かと思うことでしょう。
ゆるいタイトル(本人は不本意だそうですが…)とは裏腹に著者の意図
を汲み取れば、そこに紹介されているトリックという武器が決して木刀
ではなく、切れ味鋭い日本刀であることを再認識するはずです。
これまでの入門書との最大の相違点は、単に日本刀(トリック)を羅列
するだけではなく、その危険な刃物の特徴、用途、安全な取り扱い方や
効果的なぶった切り方の解説に重心を置いている点でしょう。
長年マジックをやっている人ほど、殺傷能力のある武器の危険性を忘れて
ややもすると玩具のように扱いがちです。
その強力な武器を扱う立場であるマジシャンならば、プロ・アマ問わず
必読の一冊です。


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