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ミュージカル チェアーズ 3

過去何年もの間、ジェフ・ホブソン、ブレット・ダニエルズ、マーレイ
といったおなじみのマジシャン達が、ラスベガスでの単独ショーを実現
させようと挑戦してきた。

ホブソンも自分なりのやり方でイス取りゲームに参加し、ストリップに
おいて浮き沈みを繰り返してきた。
最初はバリーズにおいて、コミックマジックのライジングスターという
キャッチコピーでスタートした。
その後ハラスの「スペルバウンド」、さらにはマーク・ケーリン&ジン
ジャーと共に、北米最大のステージを持つリノで「カーニバル オブ ワン
ダー」に出演した。
ラスベガスに戻ってからは、「ワールド グレイテスト マジックショー」
や「アルティメット バラエティーショー」の司会者としても活躍した。

2003年、ホブソンはエクスカリバーにおいて単独ショーを実現させる。
ショーのタイトルは「マネー&マッドネス」。
その印象的なマニピュレーションと狂気に満ちたキャラクターで評判と
なった。
ホブソンは言う。「僕は、ラスベガスがこれから10年先も成長し続ける
ものだと信じていたんだ。景気が悪くなれば、おのずと利益は望めなく
なるし、モンテカルロのランス・バートンのショーの終焉は、我が国の
経済が後退していることのアナウンスでもあるんだよ。」
ホブソンはほどなくベガスのイス取りゲームから撤退して、通常の営業
出演やクルーズシップへとシフトした。

ウィスコンシンを拠点とするブレット・ダニエルズも、アトランティック
シティー、ブロンソン、ピロキシ、あるいはツアーという形ではあるが、
中国においてイス取りゲームに参加してきた。

現在は閉鎖されているが、2008年、彼はサハラホテル・カジノにおいて
「ワシガン」というショーを制作して、ストリップにイスを獲得した。
しかし、彼の公演は閉鎖直前の数週間のみという結果に終わる。
彼はホテル側と労働組合との劣悪な労働紛争に巻き込まれ、半年契約の
はずが、たった21日間という短命公演に追い込まれ、過去このステージ
で行われた様々なショーの中のひとつに過ぎないものとなってしまった。

ダニエルズはイスからクッションを放り投げてゲームから撤退して嘆いた。
「すごく良いショーだったのに…。たとえ服の毛玉のようにむしり取られ
ようが、僕はイリュージョニストとしての誇りを持っている。皆が好きな
デレン・ブラウンが殺人事件をモチーフにしたショーを演じているけど、
実は僕の方が先だったんだ。でもさらにしっかりした作品を作るためには
良い作家が必要だったろうけど、半年契約がこじれていなかったならば、
公演はもっと長く続いていたと思うよ。」

今後、このイス取りゲームに参加する意志があるマジシャン達に対して、
何かアドバイスをと尋ねると、彼の答えは驚くほど誠実なものだった。
「僕にはゲームに勝つ秘訣は分からないよ。演出家のデビット・サックス
やナザン・バートンを見てみなよ。僕なんかよりもずっと理解してるよ。」
ブレットは、彼のショー「ワシガン」の機材の全てをしっかりと保管して
おり、飛躍する次のチャンスを虎視眈々と狙っている。

2002年、フロンティアの12.95ドルのアフタヌーンショーに奇抜な白髪
とお洒落なメガネで現れた男がいる。
マーレイにとっては、この年の4ヶ月間だけがベガスにおける最初で最後
の主役期間だった。
「僕は、シークフリード&ロイが何年も演じてきた伝説的なホテルの主役
になれたんだ。それまでの僕は全くの無名だったし、全くの無名の歌手が
テレビに露出したことで、数週間でアメリカンアイドルにのし上がる場面
も見てきたよ。」
マーレイ自身、この20年間全くの無名であったことにフラストレーション
が溜っていた。
ほどなく彼は、彼自身がチケットゲームと呼ぶイス取りゲームのやり方を
学んでいく。
彼に尋ねてみた。「結局あなたは誰も見た事がないような、チケットを
売りさばくやり手のセールスマンだったということではないですか?」
マーレイは言った。「僕は若い頃、20もの賞を獲得し、このストリップ
にひしめく76ものショーと闘うために、たくさんのチケットを売るように
頑張って実現してきたんだ! それでも突然終わってしまったんだ。」

彼はベガスを離れ、様々なライブショーやテレビ出演をしている。
彼がベガスで頑張っていた9年間よりも知名度が上がっているということ
は、結果的には彼にとっては良かったのかもしれない。

続きは次回。

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