ミュージカル チェアーズ 2
もう一人、長い間猛獣を使ってベガスで活躍する、ダーク・アーサーに
ついて触れておこう。
ダークのイス取りゲームの歴史はバリーズに始まり、リビエラ、シルバー
トン、プラザ、トロピカーナ、そして最近はオーシーズである。
「虎を飼うと何故か移動が始まる」とはベガスのジンクスかもしれない。
ラスベガスのマジックの変遷を辿ると、最も古く最も斬新なショーである
シークフリード&ロイに行き着く。
彼等もイス取りゲームでフロンティアからミラージュへと移動した。
1981年9月にフロンティアにおいて始まった「ビヨンド ビリーフ」と
いう彼等のショーは、1982年ステージショーにおけるベスト オブ ラス
ベガスに選ばれている。
ホワイトタイガーはおろか、80羽の鳩、9頭の猛獣、馬やニシキヘビ、
さらには象まで登場して観客を釘付けにした。これが1980年代である。
マスター オブ インポッシブルを目指すイス取りゲームはテンポを増して
虎と一緒にイスの周囲を回り始めた時代である。
スティーブ・ウィンがミラージュをオープンさせ、シークフリード&ロイ
が新しいショーをスタートさせた1990年は革命的な年となった。
ラスベガスにやって来るコンサートツアーは、モダンな影響をもたらした
ものの、レ・ミゼラブルに代表されるようなブロードウェイのショーは、
ラスベガスでは受け入れられなかった。
シークフリード&ロイは、メカニカルドラゴンを始め実績のあるベガスの
舞台演出の第一人者、ジョン・ネイピールを探し求めたのである。
現在はもう一つ、シルク・ドゥ・ソレイユの「ミスティア」に代表される
マジックショー以外のものがベガスのエンターテインメント界の柱となっ
て、そのメガショーの制作費に多額の予算が投じられている。
プロデューサーはショーという製作物に予算をかけてきたわけであるが、
それはもはや当たり前ではなくなり、時代は変わってしまった。
1980年代後半カジノのショールームはいわゆるハコモノであり、カジノ
の側が予算を出してショーを誘致していたものだが、現在は貸し劇場と
して出演者側にレンタルするようになってきている。
これでは宣伝費、チケット販売、衣装、道具、ダンサー、動物の維持費、
ステージスタッフ、音響や照明のスタッフ、オペレーター、受付等全ての
費用を出演者側が負担することとなり、カジノに雇われているのとは比較
にならないほどの予算が必要となってしまう。
さらにもっと酷い条件がある。
客の入りが良くなければ、カジノの側が一方的にショーを終了させること
ができるのだ。
カジノの経営者は、より魅力的で集客力のあるエンターティナーに貸して
集客し、カジノにお金を落としてもらいたいのだ。
これこそが、カジノがショールームを持つ理由なのである。
いくつかのカジノでは、条件はほぼ同じで宣伝費とステージスタッフの
費用のみは負担してくれる場合もあるが、集客力のないショーはあっと
いう間に消えてしまう運命にある。
1981年、ビル・コスビーやトニー・オーランドと一緒にラスベガスヒル
トンに出演したデビット・カパーフィールドは「今日ではケーブルネット
ワークや自身のショールームで、リアリティーのあるショーをやろうと思
えば可能だ。」と言う。
CBSでの3回の特番の後、カパーフィールドはこう言った「テレビで有名
になることは簡単でも、だからってチケットが売れるとは限らない。」
やがてカパーフィールドは、クリスタル・ゲイやシェキー・グリーンらと
共にラスベガスの常連となっていく。
彼は現在、年間40週間はMGMグランドに出演している。
ストリップから10マイルも離れた地方のラウンジで働いていた、読心術
のゲリー・マッコムリッジのことをあなたはどう思うだろうか。
メンタリストであるゲリーのイス取りゲームの始まりは、願いむなしくも
続かなかったスターダストシアターの一角にあったランバートカジノラウ
ンジであった。宣伝に一切予算をつけてもらえないままの終了であった。
目隠し状態のままイス取りゲームの音楽が鳴り始めた。
彼はかつてオレンジ ショーツ オブ ガールズがロングラン公演をしていた
フーターズホテルのショールームへと向かった。
そして彼は、まるで自分自身の事を予言していたかのごとくストリップで
仕事を得て、現在はプラネットハリウッドのVシアターに出演している。
現在の時点では14のマジックショーが公演されており、ベガスでマジック
が絶滅しているわけではない。
ゲームのプレイヤーの何人かは多くのショーが移り変わる中、しっかりと
イスを保持して安定したショーを続けている。
クリス・エンジェルはルクソールでデビューして留まっている。
正確にはストリップには面してはいないが、ホテルの壁面等51もの広告
が溢れて、この街で最も成功してロングランを続けているのは、リオの
ペン&テラーである。
それとキング オブ ラフタヌーン(笑うと午後をミックスした造語)こと
ハラスのマック・キングもラスベガスの顔である。
これらのショーはがっちりとイスを確保し、他のマジシャン達がイス取り
ゲームに入り込む余地を与えない。
またナザン・バートンは、ここ数年浮き沈みを繰り返しながらもなんとか
フラミンゴに落ち着いたようである。
ベガスでは、豪華なレビューショーの中の呼び物として、マジシャン達が
スポット出演をしてきたが、現在でもそのようなレビューショーはいくつ
か行われている。
ジョセフ・ガブリエルとその妻キャタリンは、ベガスの黒幕的立場となり
プラネットハリウッド「ベガス! ザ・ショー」の中で鳥を飛ばしている。
またバギーパンツのコメディマジシャンことトニー・ダグラスは、彼なり
に手探りをしながらもリビエラのトップレスショー「クレイジーガール」
に出演している。
続きは次回。
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