受賞する意味 1
久しぶりにマジックコンベンションに参加して来ました。
懐かしい顔もちらほら見かけて、それなりに楽しんだり思案したり…。
先日の震災による津波でマジック道具が全部流されたので、また買いに
来たというお客さんがいたとのこと…マニアパワー恐るべし。
コンベンションでは恒例のコンテスト表彰式…受賞者が名前を呼ばれて
ステージに上がりトロフィーを受け取る姿は本当に嬉しそうで、心から
祝福したくなるものです。
私も20代の頃、国内外のコンテストに挑戦して、優勝した時には高揚
してドヤ顔にもなったし、入賞すら出来なかった時は、しばらく立ち直
れないほどへこんだものです。
それほどコンテストに入れ込んでいた私ですが、フィギアスケートと
同様に、数値で評価しづらく芸術性も重要視されるマジックを、他人の
評価に委ねて競うことには、実は懐疑的です。
(矛盾してますよね…でもコンテストは見てて面白い)
以前の考察「鳥の話11」の冒頭でも述べましたが、プロはその報酬に
よって評価されるし報われもするのですが、アマチュアの場合は努力の
成果や実力を確認したり、プロ転向への自信やきっかけとしてのコンテ
ストの存在意義は大きいと思います。
以前「島田晴夫の本」の中で、1973年FISMパリ大会において、当時
パリ在住で高い評価を得ていた八田加寿雄氏がコンテストで入賞できな
かったのを目の当たりにした島田氏は「プロはコンテストに出演するべ
きではないとつくづく感じた」と書いておられます。
現在のコンテストはプロ・アマ関係無く競うことが多いのですが、本来
コンテストというのはアマチュアの目標や楽しみであって、コンテスト
の思い出作りはアマチュア時代に終わらせておく方が賢明なのではない
でしょうか。
もちろんプロにとっても実績作りに必要だという考え方もあるでしょう。
しかしアマチュアの楽しみを奪ったり、逆にアマチュアに破れるかも
しれないというリスクを背負ってまで出演する価値があるのかという
考え方もあります。
実績作りいう面から考えても甚だ疑問です。
現在は国内外で年間に何回のコンテストが開催され、何人の受賞者が
量産されているのでしょうか。
マジシャンのプロフィールを調べてみると、かなりの割合で何らかの賞
を受賞しています。(どうでもいい個人的な疑問…マジシャン達の受賞
数とマジシャン達に保有されているフローティングテーブルの数はどち
らが多いのでしょう?)
無論、国内の地方のコンテストとFISMに代表される国際的なコンテスト
を同一に論じるのはいかがなものかという意見もあるでしょう。
しかし共通して言えるのは、どちらで受賞しても残念ながら一般人には
全く認知されていないし、優勝したとしても新聞等のメジャーなマスメ
ディアに取り上げられることは皆無です。
その世間の認知度の低さを利用しているのでしょうか…コンテストで
優勝すると、いとも簡単に「世界チャンピオン」と名乗るマジシャンが
いかに多いことか。
ある地方都市には、アマチュア数人で競ったコンテストで優勝しただけ
で「世界グランドチャンピオン」と名乗る方もいるようです。
学生さんならともかく、自称プロがそこまで名乗るならば、それなりに
他のプロがひれ伏すほどの知名度と生活レベルを見せつけて、あこがれ
の存在となってマジシャンのステータスを向上させる義務があって然る
べきでしょう。
しかし営業出演、バーにレクチャー、ショップにネット通販等、マジック
に関するありとあらゆることを生活の糧にして生きているのが現実。
これ、一般人から見たら「マジシャンて世界一になってもそんな感じ?」
とネガティブなイメージを抱かれるのがオチでしょう。
少なくとも我々は、マジシャンとしてはその方以下という評価をされても
仕方ないわけだし、世界グランドチャンピオンにはぜひ威厳のある立ち振
る舞いをしていただきたいものです。
毎年のように量産される「世界チャンピオン」が、あのランスバートンと
同列に語られるはずがありません。
あくまでも「その大会のコンテストの参加者の中で、最も評価が高かった
マジシャン」という謙虚さが必要なのではないでしょうか。
ついつい辛口の文章になってしまいましたが、口に出さないだけで同意
される方も少なからずいらっしゃると思います…続きは次回。
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