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有り難み

私が海外のマジックコンベンションに参加し始めた1980年代、その広大
なディーラーブース(マジック道具の販売会場)に驚きながら色々な道具
を見て歩いていた時のこと…その昔NHK「世界のマジックショー」で観た
憧れの外国人マジシャンが売り場に立っていました。
慌てて記念写真を撮り、サインをもらって感動に浸っていました。

ところがそのマジシャンが、翌日も翌々日もずっと売り場に立って道具の
販売をしているのです。
そして大会最終日のガラショーに颯爽と登場したのですが、それまでに
毎日長時間、それも物を販売してお金のやり取りをしている生々しい姿を
見てしまっているからでしょうか…なんか感動しないのです。
わざわざ海を渡って、初めて生で観たそのマジシャンの姿がステージ上で
あったならば、感動もひとしおだったかもしれません。

マジックの世界にどっぷりと浸かってコンベンションに参加するうちに、憧れ
のマジシャンが道具を売っている姿は珍しくなくなり、そのような光景はごく
当たり前のように感じて麻痺してくるわけですが、私はなにもマジシャンが
ディーラーをやるべきではないと主張しているわけではありません。
ある程度の名声のあるパフォーマーとしての顔とディーラーを兼ねている
マジシャンであれば、売り場にはアルバイトを雇うなどの工夫をして、なる
べく露出度を減らした方がステージ上の姿に有り難みが増すのではないか
と思うのです。

大物マジシャン(自称でもOK)であればあるほど、その存在感、神秘性、
オーラを維持するためには、絶対に露出度のコントロールが必要ではない
でしょうか。

数年前にジョニー・ハートを見たさにイギリスのコンベンションに参加した
ところ、大会期間中、会場のロビーやディーラーブースのどこを探しても
姿が見えないのです。ようやくその姿を見れたのは、最終日のショーの
ステージでスポットライトを浴びているその時間だけでした。
マニアにちやほやされたくて、用事もないのにウロウロしているマジシャン
とは大違いで、まさに枯渇感を煽られました。
(単に忙しくて出番前に駆け込んで、次の用事のためにさっさと帰っただけ
かもしれませんが…)

例えば、老人が息を切らせて何百段もの石階段を登り、やっと神社の境内
に辿り着いてお賽銭箱にお金を入れ、手を合わせて祈願する、そしてまた
何百段も下って行く…そんな姿を気遣って、お賽銭箱を神社の最寄りの
バス停前に移動させたらどうでしょう?
そこに有り難みがあるでしょうか?
とてもご利益があるとは感じられません。

自らわざわざ苦労して目的地に辿り着き、稀少な体験をして満足する…
有り難みってそんなものだし、エンターティナーとしてのマジシャンが自ら
のイメージを構築していく際にも重要なファクターです。


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