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鳥の話 12

さて、タイハクオウムとベニコンゴウインコを飼い始めたわけですが、2羽
とも何歳か分からない成鳥で、ほとんど慣れることもなく、出現させるだけ
で精一杯でした。
試行錯誤で仕掛けを作り、噛み付かれないように格闘しながら仕掛けの中に
セットします。ストップウォッチで何分おとなしくしているかを測りながら
その強力な嘴で破壊することはないか、呼吸は大丈夫か、暴れたり絶叫した
りしないかを慎重に観察する日々が続きます。

大型鳥は鳩出しのクライマックスに出現…ということは出番の5分前には
セットして、10分のアクトであれば15分もおとなしく隠れていなくては
なりません。特にハーネスの場合は、ヘトヘトの状態で出ても困るからと
楽な仕掛けでは脱出するし、がっちりと固定すればスピーディーな出現は
望めないし、何より生命の危険があります。
飼ったことがない人には理解できないほど賢い鳥達なので、その仕掛けを
見ただけで、鳥かごから出て来るのを拒絶することにも悩まされました。
(本番直前に鳥のセットに手間取って、出番が遅れたこともありました。)
それまで鳩のエキスパートと自負していた知識がほとんど役に立たないこと
を思い知らされて、プライドがズタズタになるほどでした。
乗り物に例えましょう。
鳩が自転車ならば孔雀鳩はバイク、大型のインコやオウムは乗用車やダンプ
のような感覚です。自転車に乗れてもダンプを自在に運転できるとは限りま
せん。そんなこんなで、この年から約20年にも及ぶ大型鳥とのマジック人生
がスタートしたのです。

1991年、プロ転向のため大学病院を辞めました。信じられないかもしれ
ませんが、当時の研修医の月収は手取りで3万円程度でした。
(当時、本当に信じてもらえなくて、ちょっと高価な道具や衣装等を買うと
どうせ医者で儲かっているんでしょと皮肉を言われたものです。)
それでは生活できないから、若い医師は当直のアルバイトをするのです。
私の場合は、週末には必ずといっていいほど条件の良いマジックの仕事が
入っていたし、月に1〜2回はリゾートホテルのレギュラー出演、さらには
銀座での収入もありで同期の医師よりは金銭的には恵まれていた方でした。
大学病院時代の給与は一度も引き出したことがなかったので、退職後に
いくら貯まっているかと確認してみると…約90万円でした。
これを全額引き出して、この年のFISMスイス・ローザンヌ大会に参加する
ことにしました。もちろん出演が目的ではありません。今後のプロ活動の
ための知識の吸収と、必要な道具の調達のためでした。

この大会にはヨーロッパを代表するフランス人バードマジシャンのアルファ
が出演していたのも収穫でした。彼はずんぐりむっくりの体型で、決して
二枚目ではありませんが、ファイヤーを交えたそのダイナミックな演出や、
出現する鳥の数では他の追随を許さない独壇場の魅力があります。
少しだけ彼と話す機会がありましたが(彼はフランス語しか話せないので
、ほとんど身振り手振りでしたが…)、私が興味があったのは、彼独自の
仕掛けとかではなく、これだけの大量の鳥をどのように運んでいるのかで
した。見せてもらったのですが、駅のコインロッカーのように積み重なった
鳥かご(一体型)の底にキャスターが付いており、小さなアパートがその
まま移動している感じです。これを天井の高いワンボックスカーに積んで
移動しているとのことでした。ふと彼の手を見ると、鳥の爪による引っ掻き
傷だらけで、バードマジシャンとしての歴史を感じました。

翌1992年、アメリカでジョセフに匹敵するバードマジシャンを目撃します
…つづく。

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