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鳥の話 11

プロマジシャンならば、その努力の結果や評価はギャラに反映されること
によってある意味報われますが、会社の宴会や結婚式の余興では満足でき
なくなったアマチュアはどこでエネルギーを発散すればいいのでしょう。
そんなアマチュアにとってのコンテスト挑戦とは、自分の努力が客観的に
評価される絶好の機会です。受賞の肩書きを手に入れてプロになろうと
するアマチュアもいれば、賞の実績をアピールして良い仕事のオファーを
得ようとするプロなど、思惑は様々です。
マリック氏の言葉を思い出します。
「コンベンションでウケたいマジシャンは、できるかできないかにこだわり、
世間に眼を向けているプロは、不思議かどうかにこだわるんだよ」
この考察を読んでいる方がある程度のマニアやプロならば、氏の言葉の
意味はよく理解できることでしょう。コンベンションの客席はマニアやプロ
ばかりなのですから、不思議さをアピールするよりも客席の同業者が絶対
できない唸るような難しい技を見せた方がウケるわけです。(ジャグラー
の世界に近いかも知れません)しかし近年はアジア圏を中心に、卓越した
テクニックと超不思議な現象を併せ持つコンテスタントが増えつつあるのは
、やはり次世代の勢いを感じさせますね。

私もアマチュア時代はお金のために頑張っていたわけではなかったので、
パーティーに招かれて小遣いのような謝礼をもらうよりも、マニアに認めら
る方が嬉しかったわけです。それゆえ1988年FISMオランダ・ハーグ大会
には出演したかったのですが、医師国家試験を半年後に控えての挑戦は無理
があるとして断念しました。
人生の岐路のタイミングが悪かったと思えばそれでいいのです。
例えば、4年に一度のオリンピックに身体のピークが合わなかったり、怪我
をしたアスリートの悔しさとは比較にもならないと思うからです。
ただ、どうしても我慢できずに観客としては参加してしまいましたが…。
観に行っただけでも良かったなと思えたのは、あのミッチ・ウイリアムスが
完璧なダブアクトを演じたにも関らず入賞できなかったのならば、私など
ではとても無理だと納得できたことです。やはりランス・バートン以降の
ダブアクターに対するハードルは高くなっているなあと実感しました。

1989年、無事に医師国家試験に合格し、最も慌ただしい数年間が始まり
ました。研修医としての激務をこなしながらも細々とマジックの練習や鳩の
調教は続けていましたが、世は空前のMr.マリック超魔術ブームのせいか
先輩や同僚の結婚式で鳩出しを演じる機会がある以外は、要求されるのは
スプーン曲げなどのサイキック現象がほとんどという時代でした。またこの
年の暮れから少しずつ銀座の高級クラブでの出演が決まり始め、超多忙なが
らも収入は劇的に増えていきました。

その後、ようやく一戸建てに引っ越す時が訪れました。
これで大型のインコやオウムが飼える…しかし、事はなかなか上手く運び
ません。当時は簡単に理想の大型鳥が見つかる状況ではないのです。
ワシントン条約で輸出入が厳しく規制されている上、国内にはブリーダーが
ほとんどいない時代で、慣れる可能性のある幼鳥を待っていても入手できる
保証は無く、その時にペットショップにいる鳥を買うしか選択肢はありません
でした。しかも希少価値があったので、慣れていなくても高額でした。
そしてついに、慣れていないタイハクオウムとベニコンゴウインコを飼うこと
になりました…つづく。

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