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2009年6月

鳥の話 12

さて、タイハクオウムとベニコンゴウインコを飼い始めたわけですが、2羽
とも何歳か分からない成鳥で、ほとんど慣れることもなく、出現させるだけ
で精一杯でした。
試行錯誤で仕掛けを作り、噛み付かれないように格闘しながら仕掛けの中に
セットします。ストップウォッチで何分おとなしくしているかを測りながら
その強力な嘴で破壊することはないか、呼吸は大丈夫か、暴れたり絶叫した
りしないかを慎重に観察する日々が続きます。

大型鳥は鳩出しのクライマックスに出現…ということは出番の5分前には
セットして、10分のアクトであれば15分もおとなしく隠れていなくては
なりません。特にハーネスの場合は、ヘトヘトの状態で出ても困るからと
楽な仕掛けでは脱出するし、がっちりと固定すればスピーディーな出現は
望めないし、何より生命の危険があります。
飼ったことがない人には理解できないほど賢い鳥達なので、その仕掛けを
見ただけで、鳥かごから出て来るのを拒絶することにも悩まされました。
(本番直前に鳥のセットに手間取って、出番が遅れたこともありました。)
それまで鳩のエキスパートと自負していた知識がほとんど役に立たないこと
を思い知らされて、プライドがズタズタになるほどでした。
乗り物に例えましょう。
鳩が自転車ならば孔雀鳩はバイク、大型のインコやオウムは乗用車やダンプ
のような感覚です。自転車に乗れてもダンプを自在に運転できるとは限りま
せん。そんなこんなで、この年から約20年にも及ぶ大型鳥とのマジック人生
がスタートしたのです。

1991年、プロ転向のため大学病院を辞めました。信じられないかもしれ
ませんが、当時の研修医の月収は手取りで3万円程度でした。
(当時、本当に信じてもらえなくて、ちょっと高価な道具や衣装等を買うと
どうせ医者で儲かっているんでしょと皮肉を言われたものです。)
それでは生活できないから、若い医師は当直のアルバイトをするのです。
私の場合は、週末には必ずといっていいほど条件の良いマジックの仕事が
入っていたし、月に1〜2回はリゾートホテルのレギュラー出演、さらには
銀座での収入もありで同期の医師よりは金銭的には恵まれていた方でした。
大学病院時代の給与は一度も引き出したことがなかったので、退職後に
いくら貯まっているかと確認してみると…約90万円でした。
これを全額引き出して、この年のFISMスイス・ローザンヌ大会に参加する
ことにしました。もちろん出演が目的ではありません。今後のプロ活動の
ための知識の吸収と、必要な道具の調達のためでした。

この大会にはヨーロッパを代表するフランス人バードマジシャンのアルファ
が出演していたのも収穫でした。彼はずんぐりむっくりの体型で、決して
二枚目ではありませんが、ファイヤーを交えたそのダイナミックな演出や、
出現する鳥の数では他の追随を許さない独壇場の魅力があります。
少しだけ彼と話す機会がありましたが(彼はフランス語しか話せないので
、ほとんど身振り手振りでしたが…)、私が興味があったのは、彼独自の
仕掛けとかではなく、これだけの大量の鳥をどのように運んでいるのかで
した。見せてもらったのですが、駅のコインロッカーのように積み重なった
鳥かご(一体型)の底にキャスターが付いており、小さなアパートがその
まま移動している感じです。これを天井の高いワンボックスカーに積んで
移動しているとのことでした。ふと彼の手を見ると、鳥の爪による引っ掻き
傷だらけで、バードマジシャンとしての歴史を感じました。

翌1992年、アメリカでジョセフに匹敵するバードマジシャンを目撃します
…つづく。

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鳥の話 11

プロマジシャンならば、その努力の結果や評価はギャラに反映されること
によってある意味報われますが、会社の宴会や結婚式の余興では満足でき
なくなったアマチュアはどこでエネルギーを発散すればいいのでしょう。
そんなアマチュアにとってのコンテスト挑戦とは、自分の努力が客観的に
評価される絶好の機会です。受賞の肩書きを手に入れてプロになろうと
するアマチュアもいれば、賞の実績をアピールして良い仕事のオファーを
得ようとするプロなど、思惑は様々です。
マリック氏の言葉を思い出します。
「コンベンションでウケたいマジシャンは、できるかできないかにこだわり、
世間に眼を向けているプロは、不思議かどうかにこだわるんだよ」
この考察を読んでいる方がある程度のマニアやプロならば、氏の言葉の
意味はよく理解できることでしょう。コンベンションの客席はマニアやプロ
ばかりなのですから、不思議さをアピールするよりも客席の同業者が絶対
できない唸るような難しい技を見せた方がウケるわけです。(ジャグラー
の世界に近いかも知れません)しかし近年はアジア圏を中心に、卓越した
テクニックと超不思議な現象を併せ持つコンテスタントが増えつつあるのは
、やはり次世代の勢いを感じさせますね。

私もアマチュア時代はお金のために頑張っていたわけではなかったので、
パーティーに招かれて小遣いのような謝礼をもらうよりも、マニアに認めら
る方が嬉しかったわけです。それゆえ1988年FISMオランダ・ハーグ大会
には出演したかったのですが、医師国家試験を半年後に控えての挑戦は無理
があるとして断念しました。
人生の岐路のタイミングが悪かったと思えばそれでいいのです。
例えば、4年に一度のオリンピックに身体のピークが合わなかったり、怪我
をしたアスリートの悔しさとは比較にもならないと思うからです。
ただ、どうしても我慢できずに観客としては参加してしまいましたが…。
観に行っただけでも良かったなと思えたのは、あのミッチ・ウイリアムスが
完璧なダブアクトを演じたにも関らず入賞できなかったのならば、私など
ではとても無理だと納得できたことです。やはりランス・バートン以降の
ダブアクターに対するハードルは高くなっているなあと実感しました。

1989年、無事に医師国家試験に合格し、最も慌ただしい数年間が始まり
ました。研修医としての激務をこなしながらも細々とマジックの練習や鳩の
調教は続けていましたが、世は空前のMr.マリック超魔術ブームのせいか
先輩や同僚の結婚式で鳩出しを演じる機会がある以外は、要求されるのは
スプーン曲げなどのサイキック現象がほとんどという時代でした。またこの
年の暮れから少しずつ銀座の高級クラブでの出演が決まり始め、超多忙なが
らも収入は劇的に増えていきました。

その後、ようやく一戸建てに引っ越す時が訪れました。
これで大型のインコやオウムが飼える…しかし、事はなかなか上手く運び
ません。当時は簡単に理想の大型鳥が見つかる状況ではないのです。
ワシントン条約で輸出入が厳しく規制されている上、国内にはブリーダーが
ほとんどいない時代で、慣れる可能性のある幼鳥を待っていても入手できる
保証は無く、その時にペットショップにいる鳥を買うしか選択肢はありません
でした。しかも希少価値があったので、慣れていなくても高額でした。
そしてついに、慣れていないタイハクオウムとベニコンゴウインコを飼うこと
になりました…つづく。

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内田貴光 in 福岡

世界屈指のマニピュレーターであり、現在TV放映中のコマーシャル
「パチンコ CR石川さゆり」で話題のマジック界のプリンス・内田貴光
が、フィネスマジシャンズクラブの発表会にゲスト出演します。
ショービジネスの世界に軸足を置く彼が、発表会のゲストとして出演
することはめったにありませんが、今回私からの依頼を快諾してくれ
ました。世界を舞台に磨き上げられたテクニックをお見逃し無く!

フィネスマジシャンズクラブ 第19回発表会
 アクロス福岡 円形ホール
 2009年7月5日(日)
 12:30 開場  
 13:00 開演
 入場無料


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鳥の話 10

1987年秋、第6回エキサイティングマジックコンテストにチャレンジ
することになりました。
この大会はMr.マリック氏の主催で、1977年の第1回以降、1年おきの
ペースで開催され、多くのプロを輩出してきましたが、1988年頃から
テレビでマリック氏がブレイクし始め、マニアの世界からは距離をおいて
タレント活動に忙殺されるようになったために最後となったこの回にギリ
ギリで間に合いました。

アメリカでの失敗を省みた私は、毛花等のリアリティの無い素材を手順
から排除し、鳩とファイヤーを軸によりシリアスなアクトの完成に没頭
しました。BGMもより荘厳な曲に変更しました。
しかし、医学部の5年生のカリキュラムは病院実習もあり超多忙な生活
を送っていました。毎晩11時過ぎの帰宅後夜中2〜3時まで練習と鳩
の調教、朝7時には大学病院といった日々です。(夜中にゴトゴトと歩き
回ったりBGMを流して練習していたために、さすがに階下の住人から
苦情が来ました。)

今回のアクトのコンセプトは「変化」でした。つまり、「鳩出し」ではなく
「鳩への変化」です。具体的には次のような現象です。
・スタンドにかかったスカーフが鳥かごに変化
・手袋を投げると鳩に変化
・小さなシルクがセキセイインコに変化
・セキセイインコを投げると鳩に変化
・白いボールが鳩に変化
・ファイヤートーチが孔雀鳩に変化
・孔雀鳩がスカーフに変化

これらの現象の間に、フィクルファイヤーやカードをアクセントで入れる
構成にしました。クライマックスの孔雀鳩打ち消しは鳩が大きいだけに
かなりの練習が必要でしたが、私が演じてきた感覚では銀鳩の2羽消しの
方が難しい気がします。
結果はなんとか優勝することが出来た上に、年末には1988年のお正月
に放送されるTBS「スーパーマジックショー」の収録、さらにはこの演技が
全日空のスカイビジョンで放映されることになりました。
ところが、この優勝を最後に学業に戻る決意をしていた私に悪魔の囁き…
1988年FISMオランダ・ハーグ大会コンテスト出演の話が…。

翌年の春には医師国家試験が控えており、同級生達は皆試験モードに
入っています。もうマジックに時間をさく余裕は無くなっていました。
しかし研修医として大学病院に勤務すれば、もうこの先何年も海外の
コンベンションに参加することは不可能になるでしょう。
さあ、どうしよう…つづく。

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映画のご案内

昨年ロケに参加し、私がほんの少しだけバーテンダー役で出演した映画
「三十九枚の年賀状」が、6月20日(土)からシネマート六本木にて公開
されます。よろしかったら観てあげて下さい。

詳しくはここをクリック。

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