鳥の話 9
1986年アメリカから帰国すると、仕事としての出演依頼がポツリポツリ
と舞い込むようになりました。特に売り込んだわけではなかったのですが、
知人の結婚披露宴や大学の教授から依頼された学会の懇親会等で演じて
いるうちに、次第に芸能プロダクションやホテルの担当者に知られるように
なったものと思われます。
しかし、仕事の依頼は30〜40分程度のショーがほとんどです。
ずっとコンテストを対象に作ってきた演技時間は、10分にも届きません。
不慣れなトークマジックや、それまでは興味すらなかったタイプのマジック
にも手を付けなければ30分はもちません。それゆえオープニングに鳩を
演じた後は尻すぼみなっていく始末。お客様に楽しんで頂こうという余裕
は無く、なんとか30分もたせようという後ろ向きなショーばかりしていた
ような気がします。それでも世の中はバブルに向かっていたこともあり、
出演依頼は増える一方で、家庭教師のアルバイトをしていた同級生とは
比較にならないほどの収入を得る月もありました。
こういう時に注意しなければならないのは「営業ズレ」です。
楽して稼げればそれでいいと思うと、鳩の調教もおろそかになり、失敗
するよりはマシとばかりにお手軽な方法を選ぶようになります。
コンプライアンス上、鳩が出せない環境でない限りは、流されないように
自分で納得できる鳩出しをやるように心がけていました。
まだまだやりたいことがあったので、このままズルズルと営業マジシャン
になるわけにはいかなかったのです。お金が絡んで営業でウケることが
最優先の生き方に慣れてしまうと、こだわりの演技のために心のエンジン
をかけてモチベーションを高めるには、かなりのエネルギーを要します。
学生セミプロマジシャンとしてある程度のお金が貯まると、またムクムク
と病気が頭をもたげます…オウムを飼いたい…しかし、以前にオウム
(キバタン)で懲りている私が、その代わりに飼ったのは…ふくろう。
大きさもオウムとほぼ同じで、たまにホ〜と鳴く程度なので集合住宅でも
問題ありませんでした。思ったほど凶暴ではなく(慣れていない大型の
インコやオウムの方がよほど危険です。)、扱いやすかったのですが、
なにしろ肉食の猛禽類なのでエサが大変でした。毎日生肉を食べさせ、
たまに大学の薬理学教室から実験で余ったマウスをもらってくることも
ありました。アクトのクライマックスで出現させたりしていたのですが、
全身が茶系の保護色なので、インコやオウムと比較すると鮮やかさや
高級感で劣るのは否めません。しかし、大型鳥のハーネスを研究する
機会ができたことは決して無駄ではありませんでした。
その後、大きさではふくろうには劣るものの、扱いやすい孔雀鳩を2羽
手に入れて次のステップへと進んで行くことになります。(孔雀鳩は
一般的にマジックで使用される銀鳩の2〜3倍の大きさで、尾羽根が
孔雀のように広がっています。)
孔雀鳩といえば、絶対に触れておかねばならないマジシャンがいます…
ダーク・アーサー。 初めて見たのは1981年PCAMロサンゼルス大会
の模様がNHKで放送された時です。
色鮮やかに染められた孔雀鳩を、ベアハンドで立て続けに4羽出現させ、
コーン状に丸めたスティール板から溢れるように10羽以上出現させた
のです。さらにセキセイインコ、チャボ、アヒルと続き、アヒルが巨大な
ダチョウに変化するという、とんでもなくパワフルなバードアクトでした。
その後はテレビやコンベンションでも見かけることはなかったのですが、
1995年バハマのホテルで出演しているとの情報が入ったので、すぐに
バハマまで飛びました。(福岡→関空→ロサンゼルス→シカゴ→マイアミ
→バハマと乗り継いで36時間もかかってしまいました。着いた時には
少し髭が伸びていましたね)
初めて見てから14年が経ち、その演技内容は虎やヘリコプターを出現
させるなど、すっかりイリュージョニストに変貌していましたが、コーン
からの孔雀鳩の出現は演じ続けていたので嬉しかった記憶があります。
近年はラスベガスの様々なホテルに不定期で出演中です。
1986年末、孔雀鳩を手に入れた私は、翌年のコンテストに向けて
新たなアクトを作り始めました…つづく。
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