« クリスマスマジックショー in 福岡 | トップページ | つまらない医師のプライド »

マジックとリアリティ

そもそもマジック自体が虚構の世界なのだからリアリティが必要なのか
という疑問がありますが…必要だと思います。では、映画も虚構だからと
いう理由で下手な演技や出来の悪いCGを見せつけられると、感情移入も
出来ません。

24歳の夏、私はアメリカ西海岸で開催されたマジックコンベンションのコン
テストにチャレンジしました。その時のアクトは、鳩・火・フラワー(毛花)
で構成し、調教した鳩をわざわざ日本から持ち込んでの演技で、そこそこの
手応えを感じたのですが…入賞出来ませんでした。
落ち込んでいる私にMr.マリック氏が声をかけてくれました。
その時のアドバイスを覚えている限り忠実に記載します。
「入賞出来なかった大きな原因が一つある。あなたが使った素材を見ると
鳩と火は自然物(人間が創造した物ではない)、逆に毛花は人工物でしょ、
鳩と火であれだけシリアスに構成されたアクトの中に、突然毛花が出て来た
ために、一気にシリアスさとリアリティが無くなったんだよ。」…ガーン!
実写の映画の中に突然アニメのキャラクターが登場する作品がありますが、
あれで一気にリアリティが無くなるのと似た感覚です。

一般的に、マジシャンが使用する「花」は本物ではなく、着色した鳥の羽を
束ねたいわゆる「毛花」です。…なぜでしょう?それは本物の花は寿命も短く
デリケートで扱いや隠したりするのが大変だからという理由に他なりません。
だから扱い易い毛花を使うのです。
毛花に限らず、本物が存在するのにあえてニセ物を使う場合は、マジシャン
サイドの都合だと思ってまず間違いありません。
(例外があります。シークフリード&ロイが使用したメカの怪獣や、島田氏の
ドラゴンイリュージョンは、この世にその本物が存在しないという現実から考
えれば、都合でニセ物を使っているという断定は出来ません。また賛否両論
ありましたが、ジャック武田氏がぬいぐるみの中に猿や犬を入れて、この世
に存在しないピンクパンサーや恐竜、果ては河童までも出現させた演技は、
個人的には最高にウケました。)

しかし私は今でも毛花のマジックは大好きです。毛花が醸し出す良い意味
でのベタなマジック臭さは何とも言えない魅力とノスタルジーを感じます。
ですから一切のリアリティを排除して、ひたすら毛花を出し続けるサムソン
や故ブラックストーンJrの演技には感心します。映画に例えるならば、アニメ
映画のようで、明るく楽しいマジックショーとしては有りだと思います。
(毛花ばっかり出すマジックを鳩に置き換えれば、ゴム鳩ばっかり出すことに
なるのかな???…それも楽しいかも。)

私は、人工物の全てがリアリティが無いと主張している訳ではありません。
例えば私が好んで演じているお札のプロダクションについての考察です。
お札そのものは人間が作った物で、自然物ではありません。
しかしマジシャンが使う人工物の中では、観客に親しみがある点では最も
説得力のある素材です。
観客の眼前で破れば、そのインパクトはカードの比ではありません。
ステージ上で、次々にお札を出現させるマジックを演じる際に、私はマジック
用のお札ではなく、全て本物を使用しています。しかし、どうすれば本物と
信じてもらえるのか、観客に一枚づつ手渡して確認してもらう訳にもいかず、
その表現方法に悩んでいました。
ある一時期、自らのセコさからマジック用のニセ札を使ってみましたが、なん
となく後ろめたく、客に悟られる前にさっさと片付けようとしている自分に
気付きました。結局は、本物を使えば演技態度に自信が滲み出て来ます。
それと重要なのは、丁寧に扱い、お札を出し過ぎないこと(ただ多く出せば
良いってものではなく、適度な量があるということ)、それを確信できた
のは、ある若手マジシャンの演技を観た時でした。ひたすらお札を出し続け、
それを床にバラまき、手作りっぽい水槽ほどの異常に大きな箱いっぱいに
お札を出現させ、最後に巨大なお札のファン(扇)を出したのです。
これを観て誰が本物のお札を使っていると思うでしょうか?
百歩譲って本物を床にバラまいたとしましょう。しかし最後に巨大なニセ札の
ファンが出た時点で、ウケたとしてもリアリティの観点からは台無しです。
マジシャンサイドの都合で作った「道具」だという事が明らかだからです。
(本物のお札ならともかく、巨大なお札なんて客から見れば無価値!)
さらにリアリティを追求すれば、演じる場所も重要です。誤解を恐れずに
言えば、決して裕福でもなさげな若手マジシャンが、それほどギャラが出そう
にもないショッピングセンターの観覧無料のイベントで、大量のお札を出して
本物に見えるでしょうか? 本物に見えたとしても、そんなお金持ちなのに、
なんでこんな場所で営業やってるのだろうと思われるのがオチでしょう。

しかし私が思うに、お札以上にリアリティを表現するのが難しいのは宝石の
プロダクションです。ステッキがネックレスに変化したり…シルクから宝石が
溢れ出たり…もし大金を投じて本物の宝石を使ったとしても、誰が信じてくれ
るでしょうか。費用対効果を考えた場合、最も割りに合わない素材でしょう。
私自身も手順を構成して数年演じてみましたが、結局止めてしまいました。
(個人的にはリアリティはどうあれ、宝石が似合う日本人マジシャンは、
敬愛するジョニー広瀬氏唯一人だと思います。)

ついでにもっと述べましょう。マジックカタログを眺め過ぎると感覚が麻痺
してきます。クス玉とは何でしょう?一般人のイメージでは、紐を引くと二つ
に割れて祝いの垂れ幕が出て来る直径数十センチの玉という物ですが、
マジシャンの言うクス玉とは、ただ板バネを貼付けた紙を組み合わせて、
広がると丸く見えるだけの物です。取り出し用シャンデリアとは何でしょう?
小さな電球一個に陳腐なビーズをぶら下げた直径30センチ程度の物体を
自慢気に出して、誰が「あっシャンデリアだ!」と驚いてくれるでしょうか。
全てマジシャンサイドが都合良く作って、これがクス玉だ!、これがシャンデ
リアだ!と言い張ってるだけで、一般人のリアリティとはかけ離れていると
思いませんか?

今回はステージマジックの考察を記載しましたが、もちろんクロースアップ
マジックを始め、全ての分野に当てはまる事です。各々は優れたマジック
でも、続けて演じるとどうなるかという事を考慮した方が良いのでは?
ベタベタのカードマジックやスポンジボールの後に、額に汗しながら真面目
にスプーン曲げを演じても、そこにリアリティはあるのでしょうか?
その場では自分はどんなキャラクターのマジシャンなのでしょうか?
もっと極端な例えをすると、サイキックの分野の第一人者であるマリック氏
やユリ・ゲラー氏が突然鳩を出したとしたら、これまでせっかく築いてきた
リアリティは…

リアリティという観点から見ると、ウケる素材でも…まぜるな危険!
あると思います。

(追記)
私の考察の中には、Mr.マリック氏の名が頻繁に出て来ます。これは30年
以上に及ぶお付き合いの中で、私のマジックに対する哲学に大きな影響を
与えて頂いた事実がある以上、その歴史抜きには語れないからです。
他人の受け売りを、さも自分の考えのように語る者を多く見て来ました。
そんな立派な考えを持っているのに、なぜ今のような程度の立場に甘んじて
いるのだろうと感じるマジシャンがいました。後からその考えが他人の受け
売りだと分かった時はがっかりさせられます。ここでは私なりの考えと他人
からの助言によってそのような考えに至った事をしっかりと区別していき
たいと思います。
悩んでいる私をいつも救ってくれたマリック氏の的確なアドバイスは私だけに
対するもので、他人に当てはまる事ではないと思っていましたが(また他人に
話すのはもったいないと思っていました。)、人生の折り返しを過ぎた私に、
多くの若手マジシャン達がメールや電話で、時には自宅を訪れて様々な相談
をしてくれる現在、全てのマジシャンに当てはまる事なのだと感じています。
今後このコーナーを通して、他のマジシャンの方々の参考になればと、過去の
マリック氏のアドバイスを少しづつ思い出しながら記載していくつもりです。

   
    
    

.

|

« クリスマスマジックショー in 福岡 | トップページ | つまらない医師のプライド »

マジック」カテゴリの記事