スキミング戦略 7

前回からの続きです…

私自身、若手の頃は生活のために、あらゆる環境での仕事のオファー受けて
きましたが、ある考えからお祭りやショッピングセンター等の不特定多数の
観客が無料で観覧できる現場は極力避けるようになりました。
(その理由は2021年5月の「マジックと愛車遍歴番外編2」で詳しく書きました)
そしてスキミング戦略を基にした戦術を立て、自分なりにステータスを向上
させるために、かつ自己実現のために一瀉千里に駆け抜けてきたつもりです。

しかし、どこに到達すればゴールなのか…偉そうなことを書いておきながら、
現実には自己評価すら曖昧模糊としているので、方位磁石のないこの業界で、
自分が今現在どのポジションに立っているのかは定かではありません。
「ビジネスとしてのマジック」に主眼を置けば「本流」のつもりではいますが、
マジック界という特殊な村社会では「傍流」と見られているかもしれません。

そもそもスキミング戦略に否定的で、中にはルサンチマンの本領を発揮する
人も一定数存在します。
逆に興味のあるマジシャンも一定数おられるでしょうから、その方々のため
に自分の考えを一つ吐露すれば、マジックビジネスにおけるスキミング戦略
は一朝一夕で成就するものでもなければ「このマジックをこのスタイルでこの
シチュエーションで演じればそれでOK」という最大公約数的な模範解答も
ありません。

ただはっきりしているのは、人生を左右するあらゆる場面で当てはまること
ですが、「戦略のミスは戦術ではカバーできない」ということ。
身近な例として、マジシャンが陥穽にはまりがちな事象…とにかく仲間うち
(ニッチ市場)で認められたくて、主戦場をそこに設定してしまう(戦略)と、どれ
だけ凄いテクニックを誇示しよう(戦術)が、経済的にはなかなか機能しない
ために、大した対価は得られないということ。
通常、ニッチ市場を狙うのであれば、そこにはビジネスとしての大きな見返
りの確信があればこそなのですが、そもそもマジック界自体がニッチなのに、
さらに自己満足に等しいニッチな部分には、それを望むべくもありません。

ところで、マジシャン同士が見せ合うと、見せてくれた相手に同意を得る
ことも仁義を切ることもなく、「見せてくれた」あるいは「見破った」という事実
が即「教えてくれたのだ」とか「このまま演じていいのだ」(ギャグを含めて)
という勝手な解釈に脳内で都合良く変換されることは異常だと思います。
(お気を確かに!)

閑話休題…

スキミング戦略のスタートは、まず業界の相場観に流されずに「ギャラを払う
側から見た時に、自分のショーはいくらが適正価格なのか」を考えることと、
「他のマジシャンと差別化できる売りとしての付加価値はあるのか」を確認
することです。
人間としての深みが醸成されないまま、パクリのジョークと凡庸なマジック
ばかりを演じてブランディングもできていない状態では、ギャラ交渉の際の
説得力に欠けることは言うまでもありません。
また「有名マジシャンのアレと同じことができます!」と売り込むのは、「売り」
ではなく「安売り」というレッテルを自ら貼った病的なほど下品なセールス
トークです。
(おだいじに!)

高価格帯を狙うスキミング戦略、低価格帯を狙うペネトレイティング戦略…
どちらのビジネスモデルを採るのかで生き様が投影されるのですが、どちら
でもない道…例えば、業界の相場に合わせて「クロースアップマジックから
イリュージョンまでの幅広いレパートリーで、あらゆる世代に夢と感動を
お届けします」…という中庸が一番無難なのかもしれません。

それも一つの生き様ではありますが…「記憶に残る幕の内弁当」はありません
から。

次回8(最終回)へ続く…


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スキミング戦略 6

前回からの続きです…

現在の市場を俯瞰した時に、この停滞した社会においては、リーズナブルな
マジシャンほど忙しいのでしょうか?…生活必需品ではなく嗜好品に近いと
も言えるマジックショーの場合は必ずしも当てはまりません。
世の中も幾分落ち着きを取り戻し、いわゆる営業出演も漸増しているようで
すが、あらゆる価格帯のマジシャンの仕事量が、コロナ禍以前に戻ったとは
まだ言えない状況ですし、第8波流行の兆しもあって予断を許しません。

また現在の日本経済はインフレが進行し、収入は増えないのに物価が上がる
というスタグフレーションに陥り、さらに歴史的な円安が追い打ちをかけて
います。
しかしどんな時代でも、景気に左右されない岩盤のような富裕層は一定数い
るもので、それが証拠に高級車や高級腕時計、宝飾品、絵画が売れまくって
います。

最近の日本経済新聞に「百貨店外商、40代以下に的」の見出しで主要な百貨店
が若い富裕層を取り込むことに注力しているとの記事が載っていました。
もともと外商は武家屋敷を回って注文を聞いた江戸時代の呉服屋にルーツが
あり、専任販売員が顧客宅まで通って、要望に手厚く応じるシステムです。

私はスキミング戦略の一環として、外商の顧客を対象としたマジックショーを
幾度となくやってきました。
その客層は一つの百貨店で概ね年間に一千万円以上の買い物をする人達で
すが、確かに近年は若い層が増えている印象でした。
それを裏付けるように記事によると、特に消費意欲の伸びが著しいのが30代
から40代の比較的若い層で、伊勢丹新宿本店の外商顧客のうち、44歳以下
の合計購入額はコロナ前の19年度比で5.4倍に増えたそうです。
実は驚くべきことに、ロールスロイスの購入者も40代が最も多いのです。
そして夫婦揃って高所得のパワーカップルが、タワーマンションを購入してい
ます。
ニューリッチとでも言うのでしょうか、この比較的若い富裕層が日本の経済
を回しているのです。

巷間、「失われた30年」と云われるように、年収水準が30年に渡って横ばいの
の日本は、中間層の消費力がほとんど成長していないわけですが、富裕層に
目を転じると状況は違っていて、仏コンサルティング会社キャップジェミニに
よると、日本で資産を100万ドル(約1億5000万円)以上保有する富裕層は
365万人で、米国に次いで2位で、3位にも2倍以上の差をつけています。

実はそれだけの富裕層がこの日本には存在しているのですが、野村総合研究所
では、日本の富裕層向けにサービスを提供するシステムやサービス(エンタメを
含めて)がまだまだ足りておらず、需給バランスのズレが生じているという
ことです。
富裕層の属性も多様化して、従来型の商品を入手するだけでは需要を満たせ
なくなり、自分達だけで「特別なものを体験する」という富裕層向けのコト消費
が必要となると言われています。

こんな千載一遇のチャンスに、スキミング戦略を採って積極的に富裕層にアプ
ローチするマジシャンがほとんど見当たらないのは勿体無いことなのです。

次回7へ続く…

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スキミング戦略 番外編

「スキミング戦略 4」においてクルーズショーについて書きましたが、その直後
にタイムリーかつ少しショックなニュースが飛び込んできました。

豪華客船「ぱしふぃっくびいなす」の事業終了、会社解散の報…
運航する日本クルーズ客船によると、今年12月27日〜2023年1月4日の
沖縄や奄美を巡るニューイヤークルーズが最終運航になるとのこと。

「ぱしふぃっくびいなす」は1998年の就航以来、多くのマジシャンが乗船し、
各々に様々な思い出があることだと思います。
数百人収容のメインホールや、天井の低いナイトクラブのこじんまりと
したステージで演じた思い出が走馬灯のように蘇るマジシャンも多いので
はないでしょうか。
私が頻繁に乗船していたのは2000年代で、国内クルーズはもちろん、上海
やウラジオストクに寄港した海外クルーズも懐かしく思い出されます。
特にナイトクラブでのバードアクトで、オオバタンやコンゴウインコが客席
全体を低空で旋回飛行する様は目に焼き付いています。

事業終了の原因としては、やはりコロナ禍において2年間の運休を余儀なく
されて売り上げが立たなかったダメージは大きく、今年3月の運航再開後も
需要回復は難しかったようです。
日本のクルーズ客船はシニア層の顧客の強い需要に支えられているのですが、
「コロナが完全に収束するまで我慢しよう」という慎重かつ真面目な日本人の
気質というのも需要回復の遅れの理由と言えるでしょう。
なにしろ政府からは「原則屋外ではマスク無しでもOK」との通達があるのに、
外国人観光客が驚くほどにマスクをしている日本人が多いという事象は、
やはり同調圧力に弱い国民性が垣間見えると言ってもいいでしょうね。

さらに他のクルーズでも言えることですが、乗船前のPCR検査の手間や、
検査のために前乗りした客の宿泊費も大きな負担となっていたであろうし、
万が一、航行中に船内でクラスターが発生した時に、寄港地を所管する
自治体から着岸を拒否されて洋上で漂流せざる得ない懸念があることも
要因だったようです。
やはりコロナ蔓延初期に「ダイヤモンドプリンセス号」が着岸してその対応
に右往左往した横浜市のネガティブイメージが払拭されていないのでは
ないでしょうか。

先日、「にっぽん丸」に乗船した後輩マジシャンのショーの映像を見せてもら
いましたが、ドルフィンホールのステージと客席の境界に大きなアクリル板
がずらりと並んでおり、まるで水槽の熱帯魚を鑑賞しているようでした。
照明の反射で客席から見づらくならないように考慮して、斜めに立てては
いるものの、そのせいで演者からは客席が全く見えない状況になっている
とか…。
さらに客をステージに上げる際には、ソーシャルディスタンスを徹底
するために、客をステージ上の決められたサークル内(野球のネクスト
バッターズサークルのような)に立たせて、一定の距離を保つのがルールと
なっているそうです。

つくづくやりづらい環境になりましたが、そんな手枷足枷の状態でも努力
をした結果、パフォーマンスの評判や船内での立ち振る舞いの高評価を得て、
それを誇示したところで、貴重な仕事場そのものが沈んでしまっては元も
子もありません。
これからコロナの第8波の流行も懸念される現在、我々エンタメは不沈艦
となるための戦略を立てることが肝要かと思います。

次回6へ続く…





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スキミング戦略 5

前回からの続きです…

夜の街に目を向ければ、私は17年間(1989〜2006年)に渡って、銀座のクラブ
でクロースアップマジックを演じてきました。
(詳細は「チップ論」において書きましたのでご参照下さい)
銀座デビューした当時は世の中をMr.マリック超魔術ブームが席巻していま
した。
それでもまだ世間の人はクロースアップマジックというものに馴染みも無け
れば、テーブルホッピングという概念もありませんでした。
まだ免疫が無い当時の客は眼前で起こる現象に素直に驚き、次第に評判を呼
んで、有難いことに潤沢な報酬を頂戴しながら次々に出演店舗が増えていき
ました。
銀座のクラブというフィールドにおいては、充分な先行者利益を享受できた
と思います。

この17年の間、福岡と東京を頻繁に往復する過程で、ふじいあきら、ゆうき
とも、庄司タカヒト、後年にはRYOTA、高橋ヒロキ、そして北原禎人ら優れ
た後輩たちと知り合い、彼らの実力を目の当たりにして、自分がローカルの
井の中の蛙であったことも思い知ったと同時に、お尻に火が点きましたね。
近年ではハーフムーンのヒデ、そしてメイガス…彼らのような進化し続ける
ベテラン勢からも刺激をもらっています。

閑話休題…

高額チップが飛び交っていたあの時代も今は昔…その後の景気低迷で高級
クラブの勢いも衰え、マジックバーも激増したせいか、夜の街でマジックを
楽しむことはもはやスタンダードとなり、スキミング戦略を練る余地は少な
くなったと言えるでしょう。
さらに近年はコロナ禍が夜の街に大きな打撃を与えてしまいました。

今になって歩んできた道を振り返ると、景気も良くて好き放題にやれた寛容
な時代を駆け抜けて果実を食い尽くしてしまい、ペンペン草すら生えていな
い感もあります。
現在のようなコンプライアンスに縛られる窮屈な時代(動物やファイヤーを
使用するマジックが制限されたり、お笑いでも身体的特徴をいじることや
痛みを伴う罰ゲームが忌避され、人を傷つけない笑いにシフトされる等)に
自分が二十歳だったとしたら、あくまでもビジネスを第一義として考えた
場合、プロ活動には魅力を見出せずにアマチュアのままでいたかもしれま
せん。

私が幸運だったのは、マリックさん、ジョニー広瀬さん、サコーさん、清水
一正さんら偉大な先輩方に影響を受けて可愛がられたこと、また時代背景
の追い風や競合者も少なかったこともあって、ホテルや劇場でのステージ
ショー、クルーズショー、クラブでのクロースアップショーと様々な分野で
先行者利益を享受できたわけで、その気になりさえすればスキミング戦略を
採りやすかった時代と言えるのかもしれません。

どの時代に、どんな環境でこの世に生を授かり、どんなマジシャンの影響
を受けたかによって、確かに運・不運はあるとは思いますが、それだけで
結論が出るほど単純なものでもないでしょう。
どんなマジシャンをメンターとするのかも本人のセンスの発露であるし、
ブームの時でも波に乗れなかった人は多いし、この不確実な時代にあって
は、どの世代でも戦略なき人は青色吐息なのですから。

次回6へ続く…

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スキミング戦略 4

前回からの続きです…

私は1990年代初頭から、いわゆる豪華客船でのクルーズショーを行ってきま
した。
最初は1991年の「飛鳥」(現在は飛鳥II)だったと記憶しています。(この時、
ハーフムーンのヒデと知り合って以来、30年以上の付き合いが続いています)
プロとしての出演記録ノート(←2009年12月のエントリーです)を書き始めた
のが1992年からですので、それ以前の明確な記録はありません。
その後、「にっぽん丸」「ふじ丸」「ぱしふぃっくびいなす」や「スーパースター
ジェミナイ」等の外国籍の船まで、日本におけるクルーズショーの黎明期から
乗船して、先行者利益を得ることができました。

当時は予算も潤沢で、客層はリタイヤした富裕層が中心なので、ステータス
の面からもスキミング戦略を象徴するような現場でしたが、その後の景気
低迷でエンタメの予算も削られ始め、営業現場としてはコモディティ化した
と言えるでしょう。
ステージショーやクロースアップショーまでは仕事として理解できますが、
最近では早朝からマジック教室まで要求される場合もあるようです。
今日では、多くのマジシャンがプロフィールの実績として「豪華客船」と載せ
始め、逆に乗船したことがないマジシャンの方が少数かもしれない現状では
肩書きの売りとしては差別化できなくなりました。

近年、新型コロナウイルスのクラスターが発生したダイヤモンドプリンセス
号のネガティブイメージを完全に払拭できないまでもクルーズは静かに再開
しているようですが、本来の状態に戻るにはもう少し時間がかかりそうです。

老婆心ながら若いマジシャンにアドバイスをすれば…船内における行動は
意外とチェックされていて、パフォーマンスの評判以上にプライベートの
行動で評価が決まることも多いのです。(観光ではなく仕事で乗船しているの
ですから、客以上にはしゃいでいる様子をSNSにアップするのは控えた方が
賢明かなと思います)

典型的なNG例としては、知り合ったセレブな客に名刺を配りまくって仕事
のオファーに直接繋げようとしたり、客との距離を縮め過ぎて毎夜バーで
奢ってもらって個人的にマジックを見せたり、中には女性スタッフを口説く
などして女癖の悪さが噂になったマジシャンも…。

私はというと鳥たちと乗船することが多かったために、ほとんどの時間は
部屋にこもって世話をしていたし、娯楽としては図書室でアシスタントと
オセロゲームに興じる程度で、寄港地で下船して観光を楽しむこともほと
んどありませんでした。
ただ乗船中は運動不足になりがちなので、客が全員下船している間に甲板
を何周もウォーキングして一汗かいた後、大浴場を独り占めしていました。
客と観光地巡りをしたり、ましてや一緒に入浴するなど、決してするべき
ではないとは言いませんが、少なくともプロフェッショナルとしての私の
ポリシーの中では有り得ませんでした。
基本的には、客の目に触れるのはショーをしている間だけというのを徹底
していたつもりです。

湯船やサウナで客と談笑して素っ裸を見られた後に、煌びやかな衣装に身
を包んで颯爽とステージに現れたところで、そこに神秘性や凄み、まして
有り難み(←2010年8月のエントリーです)が生まれるはずがないのです。
この辺りの感覚はスキミング戦略の第一歩だと、私は固く信じています。

ところで、私の鳥たちは移動のために飛行機を始めとした交通機関におそ
らく日本一乗り慣れていたはずなのですが、あるクルーズでベニコンゴウ
インコが船酔いして、出番前のステージ袖で吐いているのを目撃した時は
驚きました…鳥も酔うんですよ。

次回5へ続く…

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スキミング戦略 3

前回からの続きです…

昔から全く変わっていない事象として、コンテストの受賞歴に目を向ければ、
世界的なコンテストで受賞したとしても世間で全く認知されない証左として、
テレビニュースにもならず、新聞にも載らず、一般人の間でも全く話題にも
ならないのは何故なのでしょう?(ストンと腑に落ちる理由を解説出来る方が
いるのであれば、ご教授頂ければ幸甚です)
この業界に長く身を置く者として、また若かりし頃は国内外のコンテストに
出て一喜一憂した者として、その辛苦や歓喜を理解できるだけに、受賞者が
世間に認知されないことは本当に残念で忸怩たる想いです。

先頃鬼籍に入られたアントニオ猪木氏の自著「猪木寛至自伝」(新潮社)には
次のような一節があります…「ボクシングであれば大新聞が記事にする。
しかしプロレスは絶対に取り上げない。どんなに人気があっても、私たち
は世間から蔑まれているのだ」…なにやら芸能界におけるマジックの扱われ
方に似ているような気がします。

世間的に知名度のない肩書きをズラリと並べて「俺はチャンピオンだ!」と
アピールしても、営業ギャラがさほど上がるわけでもなく、現実の仕事と
してはスキミング戦略に該当する場に呼ばれることは稀で、主戦場は相変
わらずコンベンションのゲストやマジックバーだったりで、実際の暮らし
ぶりからは、その栄光の肩書きが経済的に機能しているとは思えません。
結果、その価値を理解してくれる仲間内で賞賛する甘美に酔いしれ、覇業
を誇りながらも、生きるためにはペネトレイティング戦略を練るしかなく
なるのです。

お笑い界の賞レースでは500〜1000万円の優勝賞金が用意される上に、
その後の努力次第ですが、「売れる」という未来を約束されているからこそ
新陳代謝が加速して業界全体が活性化しているのです。
そしてここが大事なのですが、その新陳代謝を損なわないように、大御所
が賞レースに出て新人の邪魔をすることはありません。(もし審査員クラス
が出てきたら、忖度の嵐が吹き荒れてドン引きになるでしょう)
翻ってマジック界はどうなのでしょう?…敵は同業マジシャンではなくて、
他分野のエンタメなのですから、ショービジネスのリングに一瀉千里で突
き進む姿を見せつけるべきだと思うのです。

一般人から「世界的なコンテストで受賞したら、賞金はいくらくらい貰える
のですか?」と訊かれて困惑したマジシャンも多いのではないでしょうか?
私も幾度となく質問されたことがあって、「いや賞金はなくて名誉(?)だけ
なんですよ。副賞として次回の大会のゲストになれる程度で、トロフィー
を手に帰国しても、空港にマスコミやファンが待ち受けているなんてこと
はありません。せめて普段のギャラを少しでもアップするきっかけになれ
ばいいのですが…」と答えると、大抵の人は「えっ、自腹で海外まで行った
のに、そんなものなんですか?」と驚きます。(個人的にはピアノのショパン
コンクール程度の権威と知名度があればなあ…と思うところです)

今後プロを目指す世代に対してどうすれば「受賞したら(経済的に安定した)
素晴らしい未来が待っている」と自信を持って示せるのでしょうか?
何故こんな現状なのか…世間への発信よりも内輪で盛り上がって完結して
満足しているせいなのか、あるいは「色モノ」や「河原乞食」のイメージで、
稼がなくても「芸人の美学」として現状を受け入れたままの日本のマジシャン
の社会的地位が低過ぎるのか…マジック界全体で再考すべきではないかと
思います。

次回4へ続く…

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スキミング戦略 2

前回からの続きです…

前回のエントリーでは、スキミング戦略に基づいて充分な先行者利益を獲得
後に、ビジネスモデルがコモディティ化して差別化と収益化の効率が低下した
時点で、その分野への注力の縮小、あるいは撤退するようにしている…と書き
ました。
これまでのステージショー、クルーズショー、酒席でのクロースアップショー
等を例に挙げて、どのように心と行動が変遷したのかを数回に分けて書きま
しょう。

クソがつくほどのマジックマニアだった私は、学生時代に国内外のコンテスト
で優勝した経験はありましたが、それだけでは飽き足らず、やはり己の芸が
いくらで売れるのかという世間の評価こそが、アマチュアという立場では味
わえないプロとしての醍醐味だ…と当時から、そして今でも思っています。
(プロになって以降もコンテストに出続けるのも、いきなりマジックバーで
働くのも各自の生き様であるし、それでプロの醍醐味を味わいながら食べて
いけるのであれば結構なことです)
ですから、本当は稼ぎたいのにお金の話題を避けて、安易に「夢と笑顔と感動」
を第一義とする人がいくらプロを名乗っても、精神的には「良い人に思われたい
アマチュア」なのだと思います。

私が本名でプロ活動を始めた頃、口さがない同業者の「どうせあいつは医者
だから」とか「医者が道楽でプロごっこをしている」という陰口に辟易していた
時、それを察知して真っ先にプロとして認めて応援してくださったマリック
さんから現在の芸名を戴いたのは1994年のことでした。

アマチュア時代は親身に接してくれた地元の先輩マジシャン方が、私がプロ
宣言をして競合者になった途端に手の平を返すように冷たくなり、ギャラを
横並びで合わせるように懐柔したり、中には私を呼び出して直接「迷惑だから
プロになるな」と理不尽な説教をした人もいましたね。(縄張り意識の強い
地方あるあるなのかもしれませんが、皆生き抜くのに必死だったのでしょう)
私の心の中では「この人たちに口出しをさせず、仕事の獲り合いを避けるため
には、価格帯で被らないように自分が向上するしかない」という戦の篝火の
ようにメラメラとした炎が揺らめいていました。

高校生の頃から鳩をメインとしたダブアクトを手がけ、20代後半に自宅を
建てて調教の環境が整ったところで、最終的には大型鳥のみを使った完全な
バードアクトの完成を目指しました。
(詳細は「鳥の話」で書きましたのでご参照下さい)

実際にバードアクトを売りにした時点で、新規参入障壁が高くて競合者の
出現は当面は考えられない独壇場であったし、さらに海外にオーダーした
オンリーワンの道具やイリュージョンを導入したことで、結果的に長期に
渡って営業の現場で潤沢な先行者利益を得ることができました。
世間に迎合してブームに流されたり、本当は好みでもないのに稼ぎやすい
演目に傾注するのではなく、自分の演りたいことでスキミング戦略が成就
したことは、充実した時代だったと回顧しています。

しかし現在、体力的に若い頃のような無理ができなくなったこと、コンプ
ライアンスの縛りでショーに動物を使いづらい世の中になったこと、鳥を
使った後発マジシャンもちらほらと現れたこと、コピーイリュージョンが
蔓延する時代になったこと…これらの理由が絡み合って、少なくとも私に
とっては、かつてほどの魅力は感じられない市場となりました。

2010年代初頭から、このままのレパートリーを売りにするのは難しくなる
だろうと予想し、2020年代に入って還暦を迎える頃には、その時代の年齢
と体力とコンプライアンスに合わせた演技にシフトするべく準備を進めて、
物量作戦ではないスキミング戦略を練り始めて完成しつつあります。

次回3へ続く…

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スキミング戦略 1

私はビジネス上の指針として、機会ある度に「スキミング戦略」という言葉
を使ってきました。
マジックビジネスに関してはもちろん、他の仕事においても基本的には
その戦略に基づいた戦術を採っています。

そもそもの意味は「ビジネスモデルの導入期において、富裕層をターゲット
として高価格を設定することで、先行者利益を獲得すること」という理解で
構わないと思います。
それに対して、低価格を設定することを「ペネトレイティング戦略」と言い
ます。

スキミング戦略に踏み切る際には、3つの条件を考慮する必要があります。
1. 価格が高すぎて、売れ行きが悪くならないように注意すること。
2. 新規参入障壁が高く、競合者の出現が当面無いと考えられること。
3. 需要の価格弾力性が低くて、高価格品の購入者が期待できること。

振り返ると、私は若い頃にはスキミング戦略というものすら知らず、特に
これらを意識することなく活動していたのですが、自分が理想とする働き
方を実践しながら、労力と価値に見合った報酬を獲得しようとする過程で、
いつの間にかこの路線を選択していたというのが正直なところです。
その結果一つ言えるのは、他人の報酬を気にしてしまうと、業界の相場と
いう非常識な常識に流されて、自らが価格設定することを躊躇してしまう
恐れがあること。
そして現在の方針としていることは、充分な先行者利益を獲得後に、ビジ
ネスモデルがコモディティ化して差別化と収益化の効率が低下した時点で、
その分野への注力の縮小、あるいは撤退を検討するようにしています。

大学卒業後、私は研修医として大学病院に勤務するかたわら、自身のマジ
シャンとしてのスキルと市場の需要を勘案しつつ、プロに転向した場合の
成否のシミュレーションを繰り返していました。
熟考した結果、イケると踏んだ私は、辞表を提出してプロマジシャンと
しての活動をスタートしたわけです。
決して好きが高じて闇雲にスタートしたわけではありません。

冒険しない人生は後悔する…つまりカッコつけて「退路を断つ」のではなく、
「退路がある強み」を最大限に生かして、アマチュアとしての活動に終止符
を打ち、あえてスキミング戦略を採るプロマジシャンとしての真価を世に
問うてみたくなったのです。

退路を断つというのは、実は選択肢が無くなってそうせざる得なくなった
人が、その現実を糊塗して、自らの意思であるかのように正当化あるいは
美化している場合がほとんどです。
そしてそのような人は追い詰められると、往々にしてペネトレイティング
戦略を採りがちです。
明確な意志決定の上に安全な退路がいくつもあった方が堅実な人生である
ことは言うまでもなく、逃げ道も補給路も断たれた兵士のように、座して
死を待つことは、決して潔い美学だとは私は思いません。

次回2へ続く…

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サブタイトルについて

これまで当お知らせのサブタイトルは「パブリックショーの告知・ニュース
&考察」としていましたが、現在は「パブリックショーの告知」を削除して
います。(誰も気づいていないと思いますが…)

以前から、誰でも観覧できるパブリックな場にはめったに出演することも
なく、あえて告知する内容がほとんどなかったのも理由の一つなのですが、
さらに現在の活動が完全なクローズドの現場に特化されているからです。
それに伴って、マジッククラブ発表会のゲスト出演等のオファーもお断り
しています。
現在の主戦場は、場所も貸切状態の比較的少人数の宴席や、招待客のみの
イベントで演じることがほとんどなので、そのようなプライベートの類の
仕事をここで告知しても意味がありませんからね。

数年前から徐々に派手なステージ&イリュージョンの分野をフェードアウト
して、理想とするクロースアップ&サロンの演目構成に傾注してきました。
ずっと逡巡していましたが、幸か不幸かコロナ禍で改めて自分と向き合う
ことができたことによって、それが加速したということでしょう。
以前にも書きましたが、「ボリューム満点の定食屋」から「完全予約制の懐石
料理店」に業態転換したイメージですかね。
若い頃に作った十八番のアクトを止められずに、生涯それにしがみついた
ままのマジシャンを他山の石としたのも事実です。

万人ウケを排除して顧客層を絞り込んだことで、クロースアップに関しては
自分らしいパッケージが完成して、すでに稼動しています。
あとはサロンの構成…トリネタが決まらない限り他の演目構成を考えていて
も集中できないことが続いていたのですが、ようやく何をどのように演じる
のかという青写真は出来上がりました。
問題はそれをどう具現化するか…どんなに予算がかかっても完成させる価値
がある現象なのですが、さてどうなることやら。

今後は、これまでのスキミング戦略に基づいた活動にさらに注力します。
他人からは地下に潜って隠密活動をしているように見えるかもしれませんが
…間違いありませんね、その通りです。
これまでも周囲の視線など全く気にせずに活動してきたし、自らの年齢を
考慮すると、昔から思い描いてきた「晩年の生き方」を実現するためには、
迷わずに今行動を起こすことが焦眉の急であるし、マジシャンとしての残り
の砂時計の砂は、ここで落としていくことが最善であると判断しました。

魚に例えれば、海水か淡水かは関係なく、今の自分に合う水深と適度な広さ
の中で泳ぎたくなったってことでしょうね。

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NO MORE 時間泥棒 2

前回からの続きです…

「金持ちケンカせず」という言葉がありますが、私を含めてその意味を履き違え
ている人も多いと思います。
つまり、金持ちは欲しいものが何でも手に入るからイライラしないし、争う
必要がない…と解釈しがちなのではないでしょうか。
しかし実際には、そもそも「ケンカになるような人とはつき合っていない」
のです。
つまり、気が合って価値観が同じ人とだけつき合うようにして、人間関係の
ストレスをゼロに近づけるように心がけているわけです。
さらに、「人は人、自分は自分」と肚を据えているからケンカにもならないので
しょう。

ただし、そんなケンカをしない人であっても、つまらない人間に費やして
しまった「時間」だけは、相手の襟首をつかんで「返せ!」と怒鳴っても絶対に
返してもらえません。
貸したお金は戻ってくる可能性はありますが、時間だけは絶対に戻って来な
いのです。

今回は時間泥棒の中でも、私が最も忌み嫌うタイプを…

・ 「虎の威を借る狐」

マジシャンの世界では「師匠ホッピング」を繰り返すタイプに多いので、ある
意味では「虎ホッピング」とも言えるでしょう。(本人の座右の銘かも)
卑屈な笑顔で揉み手をしながら見え透いたお世辞で相手を持ち上げ、実に
まめに貢ぎ物を贈って、なんとか有益な見返りを得ようとします。
そして得るものを得たら露骨に次のステップに移ります。(大抵はホップ→
ステップ→肉離れという結末になります)
なんとか辿り着いた大物と親しいことをひけらかして、目的を成就させよう
とします。(腰巾着にしか見えていないことには気づきません)
威を借る…そんな虎が身近にいるだけでも羨ましいと思う必要はありません。
そもそも実力で虎に認められたわけではなく、必死でゴマすりをして紹介
してもらっただけで、虎の側も都合よく利用することはあっても、内心では
そんな人間をリスペクトはしていません。
いい歳をして虎の威を借りなければ活躍できないような狐は、結果的には
大成しないのです。
そこまで媚びへつらうエネルギーがあるなら、自分が虎になってどこかの
狐に威を貸してやろうという気概が生まれないのが不思議です。
揉み手のし過ぎで、指紋が消えた狐はNO MORE。

他にも時間泥棒をあげれば枚挙にいとまはありません…
・ 「チャレンジ精神がない人」…未来を語れないのでNO MORE
・ 「経歴詐称をする人」…全てに説得力がないのでNO MORE
・ 「ただの輩」…論外

人の振り見て我が振り直せと云われるように、もちろん自分も他人の貴重
な時間を削り取ることには細心の注意を払わなければならないのは言うま
でもありません。

閑話休題…

「時間」の正体を突き詰めると、有限である「命」と切っても切り離せない正に
不即不離の関係にあるのでしょう。
いや「命そのもの」と言っても過言ではありません。
そのことを改めて肝に銘じて、限られた資源である時間をどのように使うか
…朝目覚めた時に少しでも考えてみることで、充実した一日になるかもしれ
ません。

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