断捨離を考察する 2
前回からの続きです…
今回は人間関係の断捨離について考察したいと思います。
非常にセンシティブなテーマですから慎重に、しかしながら核心はしっかりと
書こうと思います。
まず初めに、私は随分前から年賀状を出さなくなりましたが、それも広義の意味
では断捨離と言えるのかもしれません。
ある断捨離関連本に次のような一節がありました…「モノを捨てるのは簡単、コト
を手放すのはその次で、人と別れることがいちばん難しい」
その理由としては、人間関係が拗れる背景には、相手の問題だけでなく、自分
の内側に「曖昧さ」が残っているから…本音では離れたいのに、情や遠慮が働き、
決断を保留し続けてしまう…と記しています。(この著者は優し過ぎますね)
はたしてそうでしょうか?…私は逆にモノやコトを切るより簡単だと思います。
前回、モノは「まだ使うことがあるかもしれない」「手放すのはもったいない」と
いう感情が「保留」という目に見えない心の淀みを生じさせると書きました。
ところが「人間関係の断捨離」が脳裏によぎったということは、少なからず相手に
対して「負の感情」が生じたということに他なりません。
負の感情を抱えたまま笑顔で付き合うことは大きなストレスであり、それに気
づかない相手は遠慮なくこれまで通りの付き合い方を続行するわけで、放置し
たところで、そこに改善の余地はありません。
我慢し続ければいつかは爆発しかねず、精神衛生上「保留」し続けることは不可能
ですから、モノやコトより断捨離は必要不可欠なはずです。
他人の愚痴を聞くのが苦痛だと宣う人もいますが、それならばさっさと断ち切
ればいいのにズルズルと続けてしまうのは、実は「頼られている自分」「忙しい自分」
に陶酔して、それを吹聴あるいは発信するなどして自己満足しているからです。
この手の人は、面倒な相手を断捨離するどころか、逆に承認欲求を満たすため
に必要としているのです。
一般的に人間関係をバッサリと断ち切れない理由の多くは「損得の関係性」で考え
るから…縁が切れたら仕事上の不利益を被るとか、これまでのような情報が入ら
なくなるとか、相手に関連した多くの人と縁が切れてしまうのではないか…等々。
自己の利益を優先して嫌々ながらでも関係を続けるのも、卑屈ですが消極的選択
としての一つの生き方でしょう。
まあ断捨離しなきゃと思いつつも、人間関係の「終わり」を認めるのが苦手な人が
多いのも事実です。
しかしながら、情や義務感や世間体など、断捨離後の周囲からの視線や評価を気に
していると、本来は終わっているはずの関係にしがみつき、自らを消耗させてし
まうことになるのです。
次回3に続く…
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