マジックと自己表現

以前「ファッションと自己表現」について書きましたが、今回は「マジックと自己
表現について書いてみましょう。

マジシャンは一般人と違って、それが職業であれ趣味であれ、総合力やセンス
の集大成として、最も自己表現を発露しやすい芸能を取り扱っているのだと
思います。
マジックの現象はもの凄いパワーを秘めています…それゆえハマった時には
絶賛されて、スベった時には地獄を見ます。
どんなにお金をかけて衣装に凝ったとしてもテーブルや道具が貧相だったり、
そもそも技術が未熟だったりすると、一気にバランスが崩れてしまいます。

裕福なアマチュアの押入れや倉庫には、衝動買いしたマジック道具が溢れて
います。
自身が何者なのか、そして向き不向きを理解していれば、それらのほとんど
は買わずに済んだのかもしれませんが、あらゆるものに手を出して、次々に
レパートリーを増やすことが自己表現だという考え方もあるし、純粋な道具
コレクターかもしれないし、何よりもこのような顧客がマジックショップの
経営を支えているわけだし…まあこれには正解がないのかもしれません。

「生まれ変わるならこの人になりたい」と思わせるほどの憧れのマジシャンが
いるとしたら、その憧れの人はきっと自らを俯瞰から見ることに長けていて
己が何者でどこが強みかをしっかりと理解し、それがどうすれば観客に伝わ
るかを徹底的に研究し尽くした上で、衣装、メイク、BGM、セリフ、手に
する素材を吟味して完成させたアクトで自己表現をしているはずだし、その
結果、間違いなく稼いでいるはずです。

そりゃあ、上辺だけをコピーしても敵うわけがないのです。
それはサイレントアクトだけではなく、爆笑を生み出すトークでも同様です。
他人のウケている演技に影響されると、本人には全く似つかわしくない毒舌
やブラックジョークを吐いて大火傷するのが関の山だし、そんなマジシャン
を現に何人も見てきました。

コピーする者は、憧れのマジシャンが何故そしてどうやってそこに辿り着い
たのかを理解していないどころか、自身が何者かも理解しないまま、他人の
演技や演出をリスペクトすることなく、あたかもレストランのメニューに
見立てて「今日は何を食べようかな、あれ美味しそうだな」程度にしか思って
いないのです。
そしてパクったギャグを連発しながらコピー道具を嬉々として演じます。

タチが悪いのは演出を盗むことです。
その優れた演出やセリフや使い方に憧れたからこそ、その道具をネットで
探してしまうのです。
その演技を見ていなかったら、興味も示さずに永遠に見過ごしていた道具
だったでしょうに。
そして先人が工夫したことも評価せず、その道具は元々そうやって使うもの
なのだと頭に刷り込まれているのです。

コピーと自己表現は決して繋がることはありません…なぜなら「自己」が欠落
しているからです。

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人生100年時代

少し前になりますが、6月27日の読売新聞に、還暦にして医師に転身した
元農水官僚の記事が載っていました。
以下、記事を要約すると…

還暦で研修医になって67歳の現在は主に訪問診療に従事されており、その
姿はベテランのように見えても経歴はまだ8年目です。
新たな挑戦では自らを律する生活を課し、仕事から帰宅すると必ず午後10時
に寝て午前3時に起き、出勤時間までは勉強に充てる生活を続けました。
医学部受験では学力だけではなく年齢もハードルになるもので、面接では
「医師としてどれだけ働けるのか」、「若い人の芽を摘んでしまうのでは」という
耳の痛い言葉も飛んできたとか。(医師の育成には税金も投入されているし、
医学部には定員もありますからね)
仕事と勉強を両立した5年間で受験した大学は全国で延べ50校!
2010年、55歳にして金沢大学医学部に合格しました。
これからの目標は「生涯現役、100歳まで医師として働くこと」だそうです。

官僚時代は日夜働きづめで、法案審議の国会対応、他省庁との調整…多忙を
極める中で、国を下支えしている自負はあったものの個人として感謝される
ことはなく、「誰かの役に立つ実感」とか「ありがとう」と言われる仕事をした
かった…
というのが転身の理由だとされると、いかにも優等生のインタビュー用の
答のような印象を持ってしまいます。
まさにマジシャンが「お客様に夢と笑顔と感動を届けるために…」と宣うのと
同義のような…。
しかし深読みすると、きちんと本音の部分も吐露されていました…

キャリア官僚はピラミッド型の組織で、若手の頃から50代になった上司が
人事担当者に呼ばれる光景を随所で見かけた。
ある程度の役職まで務めた官僚の多くは、本省を離れて関連機関などに異動
していく。
「行く末が見えているのが嫌だった」。
漠然と50歳を官僚としてのゴールに定めた。

この医師の場合、「行く末が見えているのが嫌だった」というのが転身の本音
のようですが、翻ってプロマジシャンを諦める人は、「行く末が見えないのが
嫌になった」というのが正直なところでしょう。
先輩を観察して10年後の自分を投影した時に「ゾッとする」のは共通だとしても
マジシャンの場合はそれ一本で生きていこうと覚悟した時点で、行く末が
見えないのは自明の理のはず。

後輩の前ではイキリたいのか、稼いでいる雰囲気を醸し出していたのに、
いざコロナ禍ではあたふたする姿をさらけ出す先輩マジシャンにも責任は
ありますが、若手の中にはプロになった後も同世代の同業者にマウントを
かけたいのか、やれ世界大会だ、やれコンテストだと一般社会では知名度
ゼロの世界に大きなエネルギーを費やしながら、実生活では安いギャラで
マジックバーに搾取される生活を続ける人もいるわけで、それに不満がある
ならば、そこにはその道を選択した自己責任もあると思います。

華やかな世界に憧れても堅実さを忘れてはいけません。
以前も書きましたが、「アリとキリギリス」のアリのような堅実さを維持しな
がらも、いざスポットライトの下ではキリギリスのように振る舞うのが
マジシャンの理想像だと思います。

人生100年時代といえども、稼げる実働時間は決して長くはありません。
そこに理想や生き甲斐まで求めるとしたらなおさらです。

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夏の目の保養

ザ・グラン銀座で開催されたFRANCK MULLER 30th Aniversary Exhibition
に招待されたので、7月15日の夕刻に参加してきました。
1992年のブランド創設から30年…もう30年、いやまだ30年としか感じない
のは、100年以上の歴史を誇る老舗が居並ぶスイス高級腕時計の世界の中で
圧倒的に若い後発者なのに、瞬く間にトップグループに名を連ねる存在に
なったからに他なりません。

私が銀座の高級クラブに出演し始めた頃は、客の腕にはパテックフィリップ
やロレックスを目にすることが多かったのですが、次第にトノー型の妖艶な
腕時計をちらほらと見かけるようになり、それがフランクミュラーであるこ
とを知って、チップを貰って有り難がっているこんな自分でも、いつかそれ
を普通に着けられるマジシャンになりたいというモチベーションに火が点い
たことをはっきりと覚えています。

今回のエキシビションでは、通常店頭では見ることのできない限定モデルや
希少モデルなど、様々なラインナップを直に見れて、良い目の保養になりま
した。
高級腕時計メーカーと高級車メーカーがパートナーシップを締結してコラボ
時計を発表することは珍しくはありませんが、今回個人的に気になったのが
ロールスロイス レイス ブラックバッジとコラボした、クレイジーアワーズ
ブラックバッジモデル…フランクミュラー得意のギミック機構を光沢のある
大型のケースで包み、ブルーの差し色が鮮やかな作品で心が揺れました。
しかし350万円という価格はもちろん、セカンドカー購入の予定があるため、
ここはグッと踏み留まりました。
最近の円安とゴールド価格の上昇もあって、ほとんどのモデルで近々大幅な
値上げが予定されているようです。
さて、目の保養の後は担当のMさんとフレンチのフルコース料理を堪能。
憂鬱になるニュースが次々と耳に入ってくる昨今の殺伐とした空気の中で、
こんな一日があると良いリフレッシュになりますね。

偶然にも7月15日の読売新聞には「高級腕時計 好調」との記事が…
コロナ禍で海外旅行や外食の機会が減り、浮いたお金が高額品購入に向かい、
高級腕時計の売り上げが過去最高を更新するだけでなく、平均購入価格帯が
30万円アップして100万円を超えているとのこと。
ビジネスの場で信用の証しとして使われたり、アクセサリー感覚で身に着け
たりと目的も様々なようですが、生産量が限られるうえ、コロナ禍で工場が
一時閉鎖された影響で数年待ちのモデルも少なくないのが現状で、投資対象
としての人気も高まっています。
当然のように値上がりを期待した転売目的で購入する人もいて「正規店では
買いたくても買えない」といった不満も強まっています。
中古価格も上昇し、新品同様なら正規の数倍の価格で買い取るケースもあり、
業界関係者からは「異常な状態だ」との声も聞かれるようです。

この事象は高級車市場も同様で、数年待ちの人気車種は中古価格が新車価格
を凌駕する状態になっています。

高級腕時計や高級車の話題になると必ず「どうせ自慢したいだけだろ!」とか
「そんなもの必要ない!」と言い張るルサンチマンが出てくるものですが、
その意見もあながち間違いではないでしょう。
生きていく上で「なければないでも困らないもの」なのですが、だからこそ
魅力的なのです。
それを頭から否定するのは「主食の米さえあればデザートなんか必要ない!」
と叫んでいるようで、そんな彩りのない人生はちょっと寂しい気がします。

アストンマーティンの最新SUVであるDBX707の特別試乗会の案内が届き
ましたが、残念ながらその日は予定があって参加することができません。
驚いたのは完全予約制で貸切のサーキットで試乗会を開催するということ。
最速、最強、最高のハンドリングを標榜するからこそ、そのポテンシャル
を存分に体感してもらうためにはサーキットが最適なのでしょう。
しかしSUVがサーキットを駆け抜ける…凄いことです。

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真夏の読書

頻繁な移動の最中もできるだけ読書を心がけていますが、この暑さのせいで
疲労が蓄積しているせいか、機中ではウトウトすることも多くなり、読書の
ペースはダウン気味です。
しかしその中でも印象に残った2冊を紹介します。


・ 「NATOの教訓」 グレンコ・アンドリー 著 (PHP新書)

最近の書店の店頭では、ロシアによるウクライナ侵攻がなければ手に取るこ
とも、それどころか出版さえされなかったであろうタイトルの本が多数見受
けられます。
この本もその1冊なのでしょうが、陰謀論よりも現実を直視するスタンスで、
読了した類似の本の中でも極めて冷静な考察が、次の4章に渡ってなされて
います。

第1章 世界最大の平和維持装置
第2章 同盟における妄想と現実
第3章 平和ボケするヨーロッパ諸国
第4章 もし日本がNATOに入ったら

著者はウクライナ出身の国際政治学者で、早稲田大学と京都大学に留学経験
がある知日派です。
それだけにアジア・太平洋方面における政治力学においても造詣が深く、アメ
リカが率いる自由民主主義陣営と中国・ロシアが率いる独裁主義陣営間の
「新冷戦」の構造を明らかにしつつ、日本が学ぶべき国防のあり方にについて
警鐘を鳴らしています。
しかし本書の目的は、読者に「甘い期待」も「無意味な絶望」も与えないとして
います。
であるならば、世界情勢を理解するための必要最低限の情報をまとめた本書
によって、我々が国際情勢の理解と日本の取るべき方針の再構築を考えなけ
ばならないのでしょうね。


・ 「教養としての腕時計選び」 篠田哲生 著 (光文社新書)

本の帯には「どんな腕時計を身につけているか言ってみたまえ。君がどんな人
か言い当ててみせよう」という攻めた一文が…。
これまで多くの腕時計関連本を読みましたが、その内容のほとんどは機械式
時計の歴史や仕組みの解説、クォーツ時計の出現による受難の時代と復興、
有名ブランドの紹介…と似たり寄ったりの総花的なものでした。
もちろんこの本でもこれらの項目は網羅しているのですが、特徴としては
新たな切り口による腕時計の見所と、ここ10年の傾向をアップデートした
内容を、以下の6章で構成しています。

第1章 歴史の裏に時計あり
第2章 時間と時計が人生を豊かにする
第3章 腕時計を買う前に知っておくべきこと
第4章 腕時計の鑑賞学
第5章 時計業界の最新技術
第6章 今買うべき腕時計、30ブランド30選

特に第2章においては、時間の過ごし方=生き方に教訓を与えてくれる時計
は知的好奇心を満たし、人生を豊かにしてくれる存在であるとしています。
そしてクルマの世界でも2000万円を超えるSUV市場が活況を呈していること
を例に挙げて、これらのSUVはハイブランドのファッション×スニーカーの
ようなハイブリッドの楽しさがあるとしています。
昔は、宝飾品や時計や靴は、高級品ほどハレの日やここ一番の時に引っ張り
出していたものですが(今考えてみると貧乏臭い行動です)、現在ではそれらを
普段から身につけてスーパーカーでちょっとそこまで出かける人も増えている
ようです。(結局はガンガン使い倒した方が元も取れるはずなのです)
ラグジュアリーを日常使いするのがトレンドになりつつある…素敵な時代
だと思います。


ザ・グラン銀座においてFRANCK MULLER 30th Aniversary Exhibitionが
開催されます。(7月15日〜17日)
本日招待状が届きました…楽しんできます。

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初夏の諸々

相変わらず慌ただしく動き回っておりますが、大阪では久しぶりに敬愛する
レジェンドマジシャンのジョニー広瀬さんと二人でお好み焼き会食。
この春出版された本の話題等、古き良き時代の史実を知るマジシャンの話は
貴重でした。
数年ぶりの会食でしたが、お元気そうで何よりでした。

熊本のホテルのイベント出演を終えたふじいあきらが福岡へ…で、いつもの
ように夜の中洲のパトロール。(最近月一で中洲で飲んでないか?)
食事ですが、前回彼を連れて行って気に入ったらしく、ぜひ今回もとあえて
リクエストされたアットホームなレストランが、残念ながら6月末で閉店
とのこと。(70過ぎのママさんが一人で切り盛りしているので、体力的にも
限界らしいのです)
この店での食事も今回が最後となりそうだったので、連れて行ったことの
ないクラブのホステスさん2人を誘って4人での同伴としました。
絶品の料理(特にオムライス)の数々に皆さん大満足のようでした。

新進気鋭の美男美女マジシャン、峰龍&Riricoが福岡へ…私の自宅でイリュー
ジョンをメインとした指導。
二人ともに優れたフィジカルを持っているので、あっという間にコツを掴ん
だようです。
5月に指導した田中大貴もそうですが、長引くコロナの影響で特にステージ
マジシャンには暫く受難の時期が続くかもしれませんが、今のうちに将来
に向けての仕込みをしておくことが肝要ですね。
夜には馴染みのステーキハウスで美味しいお肉を堪能しました。

思い返すと自分は一旦行きつけの店ができると、結構長いお付き合いを続
けるもので、今回閉店するレストランには22年通いましたし、ステーキ
ハウスには30年以上通っています。
美容室に至っては、なんと37年のお付き合いです。
コロナ禍で行きつけのクラブも数軒閉店したし、落ち着いたら新規開拓も
必要なのかなと…まあ、そんな気力もいつまであるのやらですが。

体力的な理由で閉店するレストランのママさんによると、長年の常連客達
からは閉店しないでほしいと懇願されたそうですが、私は「お疲れ様でした」
と言うのが精一杯でした。
なぜなら私自身も還暦を迎え、自らの体力と今後の需要を熟考して道具の
断捨離やレパートリーの整理を行う中で、「えー! あれをやめちゃうんです
か?」「まだまだできるでしょ、もったいない!」という声を多く頂戴した
からです。
多くは本心からの声でしたが、中には明らかな社交辞令もありましたね。
周囲の声が耳に入ると決心が揺らぐので、独りでさっさと進めています。
そりゃあ永遠に続けられるものなら続けたいですよ…しかし私のマジックは
伝統芸能ではないので、「まだあんなことやってる」と言われる前の引き際
が肝心なのです。(クルマの免許返納と同じなのです)

思い入れのあるアクトは捨てられない…それは理解できますが、過去の例、
特にコンテストの受賞歴があるマジシャンは、そのアクトに対する愛着と
自己評価が異常に高くて、加齢と共に演技やBGMが陳腐化しようとも時が
止まったかのように、そのアクトと心中するのかと思うほど演じ続けると
いう傾向があります。
しかし全盛期と比較すると痛々しくも見えるし、若き日のアクトに生涯
しがみついているということは、それを超えるものを作れなかったことの
証左であると同時に、人生の末路は往々にして後輩達が憧れるようなもの
にはなりません。
一般人の認知度ゼロの受賞歴で同業者のマウントを取ったり、過去の栄光
(?)のノスタルジーに浸ることなくアップデートしていくマジシャンほど
成功しているのは歴史が証明しています。

6月21日、後輩マジシャンYOHEYが配信しているYouTubeコンテンツの
BARアルケミスト トークショーに出演。
高橋ヒロキ、三志郎を交えて、あっという間の2時間でした。
タブー無しのLIVE配信が条件で引き受けたので、「ZUMAをナマで喋らせて
大丈夫なのか?」という懸念もあったようですが、そこは常識的な範囲で
収めたつもりです。
物足りないと感じた方々も、バーナム効果で被弾したと自覚した方々も
ご視聴ありがとうございました。(今後も笑顔と夢と感動を届けるべく精進
していくつもりです)
内容に関しては、後日このブログで補足的に振り返ってみようと思います。

それではみなさん、暑い日が続きますがどうぞご自愛ください。

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ファッションと自己表現 2

前回からの続きです…

ご存知の方もいるとは思いますが、40代半ばまでの私は、ヘアスタイルは
オールバックで、黒系のスーツを纏って強面のキャラクターで仕事をしてい
ました。(その筋の人にも見えるからか、NHKでふじいあきらと共演した際
には、彼から業界の「若頭」と紹介されたほどです)
長年銀座を主戦場にしていたせいか、酔客から絡まれないように、あるいは
舐められないように、そしてステージではイリュージョンやインパクトの強い
大型鳥達の存在感に負けないようにという戦闘モードが常にON(スーパー
サイヤ人状態)になっていたのだろうと回顧しています。

17年も働いた銀座からの撤退後に、見かけをソフトにキャラ変しようにも
最初はどこから手をつけていいのかも分からず、流行りの男性ファッション
誌等で随分勉強したものですが、やはり実際の売り場でトレンドの服を見て
触って、スタッフから様々なアドバイスをもらうのが一番の勉強になります。

ブティックのスタッフに服の用途を相談すれば、親身にコーディネートを
提案してくれるし、その上で自分が何者であるかを考え、その限界を理解
して理想と現実のギャップと向き合えば、被服費の無駄遣いはしなくて済む
はずです。(還暦を迎えた現在は、小綺麗なジジイであることを心掛けて
います)
さらに自分のキャラクターを理解してくれた上でアドバイスをくれるセンス
の良いスタッフが担当になれば心強いものです。(ハットを被るようになった
のも「似合うと思いますからハットデビューしましょうよ」というスタッフ
からのアドバイスによるものでした)

服はネットで買う人も増えていますが、その結果のリコメンドでは自分で
理解している嗜好の範疇を出ないので、視野が狭くなってしまいます。
本もそうですが、類似の本のリコメンドよりはリアルな書店で思いがけず
出会う本の方が、人生に彩りを添えることに貢献します。
特にハイブランドの服や腕時計ともなれば、造詣の深いスタッフとの雑談
も含めて五感で体感できるコミュニケーションもできることを考えると、
圧倒的にリアルに軍配が上がります。

自分の担当のスタッフと一緒に選んだ服や腕時計を、ブティックを出る際
にそのブランドの紙袋で手渡される…実はそれも大切な思い出のスタート
になると同時に、正規店で買ったという満足感と自信も得られるのです。
同じ物をネットで見つけて安く買えたとしても、その服や腕時計に何の
思い入れもない宅配便のおじさんに手渡された瞬間から始まる歴史には
高揚感もないし、全くの別物です。(正規店で購入しない人は、どこで
購入したのか、担当は誰なのかを尋ねられることがストレスになります)

リアル店舗で実物を確認してネットで最安値を探すのは、家電くらいに
しておきましょう。

やはり、リアル店舗を回遊して思いがけない出会いをする経験が大切だと
感じるのは、自己表現のために本当に大切なものは無駄だと思えるものの
中に隠れていることが多いからです。
すっかり「おうち時間」という言葉も馴染んでしまいましたが、あえて自己
表現をするために気分が上がる服を着て出かけて、街並みの彩度が上がる
感覚を味わうことは、最高の気分転換と最良のデトックスになるような
気がします。
そういう意味でも「無駄」は無駄にならないのです。

なんとなく着る服やなんとなく着ける腕時計には、なんとなく以上の価値
は見出せないはずです。

なんとなく演じているマジックは…言わずもがなです。

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ファッションと自己表現 1

若い頃は金銭的な余裕も無く、当時の優先順位として、収入のほとんどは
マジックの道具やステージ衣装に費やしていました。
必然的に普段着には無頓着にならざる得ない状況でしたね。

生活に余裕が出てきた壮年〜中年期を迎える頃からの富裕層をターゲット
にしたスキミング戦略を練るにあたり、打ち合わせの場や会場入りする際
の普段着にも、いや普段着にこそ出費して、それなりの「身なり」をすること
の重要性に気づき始めました。

例えば、ステージ上で出現させる宝石や紙幣はダミーでも逃げきれますが、
プライベートで身に着けている宝飾品や腕時計がバッタ品だとバレたなら
ば、信用は一気に失墜します。

一般的に、服に限らず腕時計やバッグや靴、メイクを含めてファッション
は何らかの形でその人を表現する媒介になっています。
人を見かけで判断すべきではないとは言っても、世間では「身なり」である
程度値踏みされるのが現実です。
それなりに格付けされているホテルやレストランでは、案内される客室の
グレードや座席に位置に大きな影響を与えることもあります。

その中でも身体に寄り添ってほぼ一体となる服は、本人が意図するしない
に関係なく、その「人となり」を表現するものであると言っても過言ではない
でしょう。
ハンガーにかかっている時点では「服」でも着た途端に「身体の一部」に変化
します。
他人から無理やりに着せられたとしても、事情を知らない他人から見れば
その人のセンスの発露であると理解されます。
たとえ服装に無頓着だとしても、その無頓着なこと自体が自己表現となる
のです。

就活をしている学生を面接する企業側からすれば、エントリーシートから
の情報や本人から直接聞いたエピソード等の情報と合わせて、その学生の
外見が意味する、あるいは発信しているメッセージを読み取ろうとする
はずです。
学生が企業にアピールする情報は全て「私はこんな人です」という主張や
メッセージになります。
「いやいや自分では外見にそこまで深く意味を込めていません」と言った
ところで、相手は必ずそう取ります。
本当はそれが分かっているからこそ、金髪にして遊んでいた学生が就活
時期になると黒髪に戻してピアスも外すのです。
そして金太郎飴のごとく、リクルートスーツが売れまくるのです。

就職したい学生も仕事が欲しいマジシャンも同様で、どんな外見で勝負
するかは自由ですが、「その外見で、相手にどう思われたいか」を伝える
必要があります。
「伝えたいこと」が本人の思い通りに伝わる外見なら問題はないでしょう。
買い物をしていると店員に間違われて質問される人がいますが、本人が
意図せず店員に間違われるのは決して愉快なことではないでしょうが、
残念ながら他人からはそう見える「身なり」だったのです。

一部上場企業の社長が謝罪会見の場でギラギラのブランド時計を着けて
いたら、本心から謝罪しているようには見えないはずです。
近年では、度重なる交通違反や無免許運転で辞職した女性都議会議員が、
謝罪会見の場に真っ赤なニットを着て白いシャネルの腕時計を着けて
現れたこともバッシングされていました。
どんな場で何を身に纏うかで「人となり」を判断されるのです。

私の経験上、スキミング戦略を意図、あるいは重要視するマジシャンで
あるならば、身なりに注意を払うこと…フォーマルであれカジュアルで
あれ、まずは清潔感が絶対条件です。
見かけではなく、マジックさえ上手ければいつかは売れる、いつかは
稼げる…そう信じて生きるのはもちろん自由ですが、その自信満々の
マジックを最良の場所で見てもらう機会を得るためにも、「身なり」を
軽んじてはいけません。

次回2へ続く…


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ASTON MARTIN DBX707 LAUNCH PARTY

2月に発表されたアストンマーティンSUVのフラッグシップとなるDBX707が
ついに日本上陸。

最新のPVは…コチラ

5月29日、ヒルトン福岡シーホークの大宴会場アルゴスにおいてお披露目の
パーティーが開催されたので、前日の28日から一泊二日でうちにマジック
の勉強に来ていた若きイリュージョニスト田中大貴を伴って参加しました。
招待されたVIP GUESTは約100名。
スモークと照明が織りなす幻想的な雰囲気の中でDBX707が姿を現わすと
皆さん一斉にスマホでの撮影会が始まりました。

さて今回登場したDBX707は、鮮やかなプラズマブルーの車体に23インチの
ホイールと3割近く拡大されたグリルのせいか、車体サイズは現行DBXと同じ
はずなのに若干大きく感じました。
それだけ押し出しが強いということなのでしょうが、実は価格も押し出し
が強くて、本体車両価格は3,119万円!
オプション込みの乗り出し価格は3,500〜4,000万円程度になるのでは。

最速、最強、最良のハンドリングを標榜するDBX707は、静止状態から
時速100kmに到達するまでの0-100km/hはたったの3.3秒、最高速度は
310kmと、現時点では間違いなくこのセグメントにおける王者でしょう。
今後の競合車との頂上決戦が見ものです…コチラ
夏には試乗車の準備ができるとのことなので、機会があれば自分のDBXと
乗り比べをしてみたいと思います。

それと、会場で振る舞われた鮮やかなブルーのカクテルは、今回の車体の
カラーに合わせたオリジナルカクテルなのだとか…。
先日フランクミュラーから届いた封書に貼ってあった切手が、定番モデル
のロングアイランドのデザインのオリジナル切手だったことにも驚いたの
ですが、やはりハイブランドはこういう細かい演出が粋だなと思ったし、
マジシャンとしても、改めてスキミング戦略におけるブランディングの
重要性を感じた次第です。

ところで大宴会場アルゴスは、約30年前のホテルの完成当時から幾度と
なくマジックを演じてきた故郷のような場所です。
あの当時、道具と一緒に搬入口からばかり会場入りしていたせいなのか、
招待客として正面玄関から入るのは多少の違和感を感じました。
搬入口から会場入りするとホッとして、正面玄関からだと違和感を感じる
なんて…もはや職業病ですね。

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プロ・アマの区別って?

毎年年末には「プロ野球戦力外通告」という番組が放送されて、そこでは
家族の人生をも巻き込んだ悲喜こもごものドラマが展開されます。

プロ野球選手のおよそ8割は主体的に引退を決めるのではなく、所属する
球団に解雇され、他に契約してくれるチームも見つからず、結果的に引退
を迫られています。
日本においてプロ野球選手を名乗るには、12球団のどこかと契約して所属
しなければなりません。
つまり「自称プロ野球選手」は存在しないわけです。
資格が必要な職業であれば、無資格で「自称◯◯」として対価を受け取って
業務を行えば、法に抵触する可能性があるし、悪質な場合には逮捕される
こともあります。

翻ってマジシャンの場合、どこかの事務所に所属する義務やライセンスも
必要ないからか、いつの間にかプロ活動を始めていつの間にか消えていく
人も多く(業界への参入と退出が容易)、かなりお手軽で他の業界のプロとは
覚悟と悲壮感が違う、つまりプロ意識のレベルが違い過ぎると言っても
過言ではないでしょう。

一般人の中には、プロマジシャンになるには幾多のハードルがあり、選ば
れし者だけが狭き門を通るに違いないと信じて疑わない人が少なくありま
せん。(いつでも誰でもなれるのに…ああ、心苦しい)
以下のような質問をされたマジシャンも多いことでしょう…
「やはり手が器用でないとプロにはなれないんでしょ?」
「誰かに弟子入りするんですか?」
「専門学校があるのですか?」
「免許が必要なんですか?」
「タネや仕掛けは自分で考えるのですか?」
「特許があるのですか?」
…プロを名乗るのにあたってそんなものが必要ないからこそ、飲食店界隈
や路上で自称プロが増え続けるのです。

若手の頃はそもそも的な質問や失礼な質問もありました…
「マジシャンて食えるの?」
「昨夜テレビでやってたマジックのタネわかる? あんたできる?」
…マジシャンあるあるではないでしょうか。

過去にもマジシャンが「プロ・アマ論」を語りながら、その時々の自分の
立ち位置に都合の良い定義をする傾向がありました。
「出演ギャラ以外にマジックと関係ない収入を得ていればセミプロだ!」と
断言しておきながら、仕事がなくなると節操もなくネタ販売やレクチャー
に奔走しても、「これはプロの仕事だからセーフ」…とかね。
アルバイトで食いつないでいるお笑い芸人が職業を問われた際に「お笑い
芸人やってます」という返答を違和感なく受け入れているのに、なぜに
マジシャンだけが「専業プロ」の定義に拘るのでしょうか?

マジックバーのマスターってどんな立場なのでしょうか?
プロとしての営業出演には興味がなく、最初から飲食店をやることが夢
だったという人もいるでしょう…とはいえ、オファーがあれば店を閉めて
までオイシイ営業出演を優先する人も多いようですが…。
営業プロとしての仕事だけで生活が成り立つほどの出演オファーがない
ことを見越して飲食店を始めた事例(おそらくこれが最多でしょう)と、
飲食店を始めた自称アマが店でマジックを見せる事例…これらのどこに
違いがあるのでしょうか?
役所から営業許可証を交付された上で、確定申告等の書類上の職業も
社会的な認識も「飲食店経営者」ではないでしょうか?
対外的に標榜するプロかアマかは、結局は自己申告に過ぎないのですよ。

近年の私はあえてマルチワーカーを標榜していることもあって、もはや
プロだのアマだの、ましてやセミプロだのパートタイムプロだのと区別
するのは無意味ではないかとさえ思うようになりました。
お気軽に演じて自身が楽しむのがアマで、職業として真摯に向き合って
対価を得るのがプロという理想的な区別も現状では意味をなさないと
思います。
純粋にマジックを愛してやまない真摯なアマもいれば、マジック業界の
ステータスを貶めるだけのプライドのかけらもないプロもいますからね。

紅白出場クラスの歌手が、高級クラブのVIPルームのカラオケで、完全な
プライベートで熱唱しているのを何度も見かけたこともありますし…
もっとフレキシブルに考えて、一人の「マジシャンを名乗る者」が「対価を
得て演じる時はプロ」、「趣味で演じている時はアマ」でいいのかもしれま
せんよ。

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マジシャンのプライド 3

前回からの続きです…

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と云われるように、プライドを捨て
なければ成長できない場面も多々あります。

また人生にはプライドとメリットが火花を散らす場面もあるのです…

大晦日の紅白歌合戦では、毎年同じ歌ばかり繰り返し歌う大御所の歌手が
いたものですが、本人は一発屋だと思われないように新曲を歌いたい旨を
打診しても、楽曲はNHK側からリクエスト(指定)されるのだという話を聞
いたことがあります。(その歌手の最大のヒット曲の場合がほとんどです)
その話が事実であれば、「それを歌わなければ出演する価値はない」と宣告
されているに等しいわけです。
持ち時間も短い上に楽曲を指定されるなど、プライドを傷つけられて忸怩
たる思いをしてまで出演するのは、引き換えに大きなメリットがあるから
に他なりません。
昔は演歌歌手が紅白に出れば、それを看板に翌年は全国ツアーができると
言われていたものです。

私は通常の営業出演では、事前情報をできるだけ集めて、客層やステージ
環境や持ち時間によって最適なショーを構成しているせいか、いちいち演目
を指定されることは滅多にありません。(コンプライアンスの関係上、動物や
ファイヤーマジックをNGとされることはありましたが…)
ただし、テレビ出演においては手順の短縮や演出を指定されることがある
ので、それはできる限り受け入れてきました。
それもこれも出演することに大きなメリットがあるからこそです。

一方で、メリットもない上に見返りも期待せずに了承したボランティア
出演の好意を踏みにじられたり、手順構成に口を挟まれて自尊心を傷つけ
られても黙っていたら、プライドのかけらもないことを自ら標榜している
ようなもので、それ以降も同様の扱いを受けても仕方ありません。
例えるならば…長年のボランティアの好意によって甘やかされて贅沢に
なってしまった難民は有り難みを忘れ、パンでは満足せずに平然と肉を
要求するようになります。
人のアイデンティティーを否定し、善意を雑に扱うような不届きな相手
とは直ちに距離を置くべきでしょう。
乱暴な言い方ですが…舐められたら終わりです。

プライドを持つというのは、改めて自分の価値を自分で確認するために
必要不可欠なものだと思います。

自分のことを誰よりも理解して大切に想ってくれる人は…「プライドを堅持
した自分」なのです。

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